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2.やはり釣りへ

 大樹は、ますます自分が置かれている状況がわからなくなった。


 「あああ!大嶺殿、とりあえず中へ。」

 金髪巨乳美女はとても慌てており、今までの高圧的な態度はどこへやら。

 はだけた胸元を直して、大樹を中に案内した。


 料亭「南国亭」の1階の隅。沖縄ではあまり見ないような竹が植生され、枝ぶりが良いというのだろうか、複雑に広がった松が手入れされた庭が見渡せる、事務室らしき場所へ通された。

 

 机と黒い革張りのイス。いわゆる社長イスだ。内装は和風のような中華的なような。

 那覇名産の壺屋焼きの器、よくわからないが、壺屋焼と仕上げの違う滑らかな仕上がりの白っぽい壺。龍やら鶴やらの彫刻が並んでいる。中には北海道の熊が鮭を咥えた木彫りもあった。壁には和洋の絵画。この人はなんでも集めてしまうのだろう。

 大樹は正直、趣味が悪いなと思った。


 「大嶺殿、どうどぞうぞ」

 応接セットのソファに腰掛ける。

 「突然お呼びたてして申し訳ない。ウチは仲西、仲西杏奈だ。この仲西商会の代表だ。」


 名刺を手渡された。この世界には印刷技術がある。明朝体というのだろうか。きれいに印刷されている。杏奈という名前が今風で、金髪と相まって外国人っぽく見える。


 「たぶん仲西さんだろうなと感じました。」

 「え、知ってんの?大嶺殿の世界でも有名なん?」

 「仲西ヘーイさんですよね?」

 「ああー、仲西ヘーイ?あれはね、ウチを呼び出す呪文さ。簡単に使ってほしくないがね。今回はウチがアンタ…もとい、大嶺殿に声かけさせてもらったのさ。」

 「それで俺はこの世界へ?」

 「そう。」


 「大嶺殿には折り入って相談があるんだ。」

 仲西は矢継ぎ早に話し続けた。

 「ウチの仲西商会は貿易業と、この料亭と遊郭…そっちの世界で言う風俗店の経営をしているんだけどね。ニライの情勢は変わりつつある。我々も様々な新規事業に挑戦したいのだ。新しい技術が欲しいんだ。」

 「ニライ?ニライってニライカナイ?」

 「そう。よく知ってるねぇ。」


 ニライカナイは、沖縄、琉球の海の彼方にあると言われている理想郷。あの世のことかもしれない。

 「えっと、それでは俺は死んじゃったんです…?」

 「いやいや、死んだ人間が行くのはグソーだ。あっちの世界の大嶺殿は、今はただ意識を失って寝ているだけのはずだよ。昏睡状態ってやつなのかな。大丈夫、死ぬことはない。それにいざとなれば、病院や救急車とやらもあるのだろう?」


 お盆、沖縄では月齢を基にした旧暦で行事を行うが、仏壇がある祖母の家で、あの世のことを「グソー」と言うと習った。死んだ後の世界。後生と書いてグソーらしい。

 俺が昏睡状態になっているというのは、猫耳娘達が言っていた”頭がおかしくなっている”状態なのかもしれない。


 「で、なんで俺なんです?」

 「大嶺殿、土木工事って言うのかな。あれの専門家だよね。これからのニライは交通が発達するはずだ。大嶺殿の世界のように自動車が走り、人が乗った飛行機が他の島々や世界中をつなぐ時代がやってくるだろう。そこで仲西商会は土木建築事業を始めたいんだ。」

 仲西は熱く語り、興奮気味にどんどん話を進める。

 「ウチがあの世界に唯一つながっている場所が、大嶺殿が釣りをしていた潮渡橋だ。全部見えたよ。大嶺殿のことがさ。仕事が忙しすぎて本当は疲れていること。不本意な仕事でも前に進めようとしている真面目さ。家族とは疎遠になりつつあること。トゥジが欲しいけど、相手がいないこと。黒髪の女に気があること。何よりもわかったのは釣りが好きなこと。これは誰が見てもわかるんだけどさ。大嶺殿の心の中が読み取れたよ。」


 心の中を覗かれて気持ち悪く感じたが、中でもマユちゃんのことを読まれたのがとても恥ずかしかった。顔が赤くなっていくのを感じる。ちなみに、トゥジというのは妻の沖縄方言だ。


 「えっと、それで、仲西さんが事業をしたいのはわかったんですけど、これって拉致じゃないですか?非常に困るんですけど…」

 「そうだよなー。それはホント申し訳ない。ご無礼お許し願いたい。大嶺殿に迷惑をかけるつもりじゃなかったんだ。でもこの海さ、大嶺殿が住む那覇よりも魅力的だろ?那覇ってそんなに魚いないじゃん?」


 大樹は中部で生まれたが、親の仕事の都合で那覇に住んでいる時間が長かった。

 子供のころは恐ろしく魚がいた記憶があった。

 小さいころに遊んでいた波の上のリーフ、潮だまりにルリスズメをはじめとするスズメダイが群れるリーフは削られて砂で埋め立てられ、市民ビーチになった。

 泊漁港を埋め尽くすほど群れたイケカツオの幼魚は、餌のないサビキでバケツいっぱい釣れたし、職場の前の港では、以前は冬のはじめになればタチウオが飽きるほど釣れた。1キャストで3回喰ってくる状態で、入れパク状態。護岸にタチウオを並べ、驚いたウォーキングのオバサンたちに、お土産と言って持たせるほどだった。

 タチウオを配り歩くために、ポケットにはたくさんのビニール袋。冗談みたいに釣れた。


 河川の中ではヒラアジ類の幼魚によるナブラも頻繁に出ていた。職場の前に現れたスーパーボイルには程遠い規模。そして大きくても30cmほどのサイズだったが、頻繁にボイルするので、いわゆるナブラ撃ちを気軽に楽しめた。今のテクニックがあればもっと釣れていただろうに。

 今はそんな話を聞かない。明らかに魚が減っており、景気いい話を聞かない。

 あのスーパーボイルを除いては。


 原因は自然環境の変化…温暖化や気候変動のせいだと言う人もいる。

 一つの原因なのかもしれない。たとえば、沖縄の県魚グルクンが新潟で釣れたという話も聞いたことがあるし、沖縄近海の南方系タチウオの背びれの黒いマークが、本州のタチウオにもみられるようになった。

 南方系タチウオは寸胴でヒレが黄色っぽく、背びれの前に黒いマークがある。テンジクタチ、またはキビレタチと呼ばれていたが、魚類学者の間で同一種なのか別種なのかモメている。本州のタチウオと言えば、銀ピカだったはずだ。


 大樹は動画などの影響で釣り人が増え、プレッシャーが増えたことも、魚が釣れなくなった原因の一つだろうと考えている。これは釣り歴が長い人なら思うことだろう。

 大樹のように釣り竿を背負ったチャリ中高生が増えた。かなり危ないのだが、手にセットした竿を持つ少年も見かける。どこの釣り場に行っても中高生がいる。昔は河川の中で釣りをしたらバカにされたものだが、今では当たり前のように河川で釣りをしている。

 今はテレビよりもネット動画の時代。大樹を含む若い人はテレビを見ない人も多い。実際に大樹の家にはテレビがない。スマホの動画か、必要な時はワンセグで十分なのである。

 動画配信者は人気なのだ。


 また、魚が減った原因の一つとして、「なんでも除菌する」風潮にあるのではないかという説を、とあるブログで読んだ。

 除菌するということは、栄養をリサイクルする菌を殺すことになる。バクテリアが死滅すれば、植物性プランクトン、動物性プランクトン、小魚、大きな魚とつなぐ食物連鎖のサイクルが成り立たなくなる。

 たとえば熱帯魚などを育てる水槽の浄化槽にはバクテリアを使う。水槽のそばで除菌スプレーを使うアクアリスト(熱帯魚や水草愛好家)はいないだろう、というものであった。


 仲西が言うように、この世界の海は魅力的な海だ。

 美しい海。何のプレッシャーも受けていないであろう、豊かな海。

 この世界で釣りができ、飯が食えるならば、この世界で生きるのも悪くないかもしれないと大樹は思った。


 ただし、クリアしなければ課題も多い。即決はできなかった。



 「住む場所、食べ物、女だって用意するぞ。何ならウチが相手してもいいんだぜ。」

 仲西は大樹の隣に移り、はだけた着物から自慢の胸を強調するように詰め寄った。

 こんなに女性に密着されたことはない。


 大樹は内心ドキドキして、このまま押し倒されて関係になった、らさぞかし良いだろうなと思った。

 でも唾をゴクリと飲み込んで、最低限クリアしないといけない課題を切り出した。


 「仮にこちらで働くとして…いや、働かなかったとしても守っていただきたい条件が。」

 「何?どんなの?」

 「女の子たちに手を挙げるのを、やめていただきたい。」

 仲西はなぜそれを知っているのかという感じで、目を丸くした。

 「仲西さん、ミキーとマヤーに虐待してますよね。ミキーの背中の傷を見せてもらいました。」

 

 仲西は顔を真っ赤にして、眉間にしわをよせて気まずそうにしている。

 「ああ、アレな。酔っぱらってつい。なんか鞭でビシバシやっちゃったんだよね…」

 「それが癖になってさ…」

 経営者の仲西はこの店では女王様であり、大樹とは違う意味で変態だった…。


 「だってあいつら、まともに仕事できないしさぁ。そもそも猫じゃん?」

 「猫?どう見ても人ですよ。」

 「違うよ。猫だよ。化け猫。」

 ミキーとマヤーは化け猫の変化なのだ。


 化け猫と言うともっとおどろおどろしい妖怪をイメージしていたのだが、猫耳にモフモフの尻尾が似合う女の子。メイドカフェのコスプレ女性店員にしか見えない。普通の女の子達にしか見えないのだ。


 「えっとですね、仲西さん。猫とは言え絶対に虐待はしちゃいけないんですよ。俺の世界では猫を虐待したら逮捕されます。」大樹は強い口調で言った。

 仲西がムっとして反論する。


 「大嶺殿の世界じゃ、捨て猫が捕まえられて殺されているって話も聞くぜ。保健所って言うんだってな。ウチはあの猫たちを養っているんだ。飯を食わしている。それだけでも幸せじゃん?」

 仲西は反論を続ける。

 「それにさ、大嶺殿があっちの世界でやっている釣り。”きゃっちあんどりりーす”って言うんだっけ?釣り針でひっかけて、引きずりまわして逃がす。それも動物虐待じゃね?猫はダメで魚なら良いって、なんかおかしいじゃん。」


 大樹はひるんだ。基本的に釣った魚をリリースすることが多かった。

 たしかに、釣りはどう美化しても魚を虐め、殺す遊びだ。その事は心の中にひっかかりがある。

 釣り雑誌の記事で「やさしくリリースした」という表現があるが、絶対に優しいはずがない。釣り針をかけられて引っ張りまわされ、灼熱の手でつかまれる。魚種によっては人肌の温度で低温やけどを起こす魚も多いのだ。特にヒラアジ類はその傾向が強いと言われる。



 ただ、大樹がキャッチ&リリースを積極的に行う理由があった。

 純粋に釣りが好きで、これからも釣りを楽しみたい。その一心だ。

 釣った獲物をすべて食べたらあっという間に釣り場が荒廃する。大樹は経験していたのだ。


 「俺の世界で魚が減っているのは仲西さんのご存知のとおり。釣りはしたいけど魚は増やしたい。それがキャッチ&リリース。実際にロウニンアジの数は増えているから。それに俺が釣りをしている海や川は、一般には汚いものだと認識されている。我々釣り人が魚を釣ることで、海川が汚いもんじゃないって伝えることができるんだ。こんなにすごい生き物が住んでいるんだって言うことを。」

 半分は口から出まかせだった。何かで読んだ記事の受け売りだったような気もするが。


 お互いこのまま言い合いが続くのではないかという感じがあった。

 以外にも先に折れたのは、気が強そうな仲西のほう。


 「大嶺殿はまじめだねぇ。わかった。ごめんよ。」

 仲西はクスっとして、今までにない可愛らしい笑顔を見せた。

 「気に入った!大嶺殿。あんた大好きだ。ほんと頼む!ウチに力を貸してくれ。猫達には手を出さない。それに大嶺殿が望むなら、猫たちをお世話係に付けるから。」

 外からガタっと音がした。


 「えー、ミキー、マヤー、聞いていたんだろ?」

 「すみませんですにゃ…」

 「にゃあですぅ~」


 二人が仲西の事務室、社長室に入ってきた。耳も尻尾も、目じりも垂れている。

 「盗み聞きは失礼だぞ。」

 仲西は鋭い目で睨みつけようとしたが、大樹の顔をみてハっとし、苦笑いした。

 「ミキーとマヤー。何か言いたい事は?」


 「えーっと…主様。私も大樹様のお世話係、喜んで引き受けますにゃ。」

 「はいです~。がんばりま~す。」

 「あとは大嶺殿次第なんだが…」


 三人の視線が大樹に集中した。ミキーもマヤーは先ほどのおびえた顔が一変、とてもうれしそうな顔で目を輝かせている。

 「えーっと、基本的には了承したいのだけど…」

 大樹はひと呼吸置いて続けた。


 「俺の世界を放置したままというわけにはいかない。一度元の世界に戻って、仕事の関係を片付けてから、この世界に戻ってくるのはダメです?」

 仕事をせずに部下に丸投げの係長。複数の工事案件。工事業者とのやりとりや設計変更、それに伴う清算。決済の数々。俺がすぐに抜けてしまったら、みんなに迷惑がかかると思った。

 そして、もしかすると永遠に会えないかもしれないマユちゃんにも、一目会ってちゃんと挨拶しておきたかった。あの黒髪。「だいだいさん」と慕ってくれる笑顔。


 コンコン

 兎耳の料理長がドアを少しあけて「ご準備できましたので…」と小声で仲西に伝えた。

 「まあ、今日くらいは仕事を忘れて飲もうじゃないか?大嶺殿、お酒飲めるよね?」

 「ええ、まぁ。」


 「ミキー、マヤー、大嶺殿に粗相がないようにな。頼んだぜ。」

 「はいにゃ。」「はいですー!」


 仲西、ミキー、マヤー、そして大樹の四人での宴が始まった。

 めちゃくちゃ広い部屋に3人。今日はこの会談のために予約を入れていなかったらしい。


 先ほど釣ったゴマフエのお造り。先ほどのマース煮とは違った甘辛い煮付け。どれも美味い。

 「ゴマフエしゃぶしゃぶ」なんて初めて食べたし、やはりカマドで炊いたご飯は格別だった。沖縄では定番のモツの吸い物、いわゆる中身汁も。

 ミョウガやネギ、白ゴマで和えたゴマフエの刺身は格別だった。よくわからないソースがかかっている。料理長が良ければあとで作り方を習いたいと思った。


 地酒、泡盛がすすむ。ミキーが付きっ切りで、泡盛をついでくれた。硬水…たしか小禄の水。どういうわけかこの世界…裏世界の沖縄、ニライカナイに存在する氷で割った泡盛。

 泡盛という酒はだいたい癖があるものだが、とびっきりの古酒クースだったので、なめらかな口当たりだった。


 「この魚、カースビーって言うの?マジで美味い!こんな美味い魚あったのか!」

 お造りを口にした仲西が驚いている。

 「アカジンより美味いじゃん!」

 「ところで、なんでアカジンが必要だったんです?」

 「それはもう、釣り人を接待するのだから、最高級魚じゃないと。」

 「え、それだけ?」

 「うむ。それだけ。それ以外には特に意味はないよ。」

 仲西は釣り人をもてなすならば、最高級魚であるべきと考えているようだ。

 そのために猫耳娘達を無理難題を押し付けて、こき使っていたというのか…。


 「いやー、それはちょっと違うと思いますよ。魚は何だって美味い。釣り場での処理、調理の方法とタイミングが重要なので。」

 「たいみんぐ、とは?」

 「えーっと、釣りあげてから、食べるまでの時間というか間隔というかですね。」

 「釣りたての方が美味いんじゃないの?」

 「そういう事じゃなくてですね。少し時間が経ったほうが美味しい魚が多いんですよ。」


 大樹はカースビーを釣ったあとの血抜き、神経〆めの話をした。

 そして、釣った直後のほうが美味い魚と、寝かせたほうが美味い魚がいることを教えた。

 釣った直後に美味いのグルクンの仲間、シイラくらいだと。


 おそらく兎耳料理長がミョウガなどで和えた刺身を出してくれたのも、熟成が進んでいない新鮮すぎる魚だから、あえてあのように料理してくれたのだとという持論を述べた。

 大樹この話をしながら、本州の漁師飯「なめろう」も同じ原理で、実際は釣りたてのアジが新鮮すぎて刺身では美味しくないので、あえて味噌などで和えているのではないかと考察した。

 また、食中毒予防に、小さいシイラは刺身で食べると腹を下しやすいので注意が必要ということも話をした。


 「へぇー。大嶺殿、魚の事も何でも知っているんだな。さすが釣師」

 ニコニコと笑う仲西の頭の中は、これらの情報をどのように商売につなげるかで頭がいっぱいだった。

 大嶺殿をこの世界に召喚したのは、土木建築技術を得るためだったが、おそらく飲食業やその他の事業、貿易などさまざまな分野で知恵を貸してくれるだろう。


 酔いが廻ったところで、仲西が掛け軸の下に飾られていた「三線」を取り出した。

 本土で言うところの三味線だが、沖縄ではバチを使わない。ピックというか爪のような道具を使うことはあるようだが。

 テントンテン、テントンテン、と音を鳴らしながら、三線の頭側にある棒を回してチューニングしている。チューニングのことを専門用語でチンダミと言い、大樹の世界では地元のお笑い芸人によって「お前をチンダミ(調律)してやる」というギャグに用いられている。


 ミキーとマヤーが一度退室し、パーランクーという小型の太鼓を持ってきた。エイサーを踊るようだ。

 「本来のエイサーは、死者をグソー…あの世に送るためのものなんだけどね。今は新しいエイサーが生まれて、ニービチとかめでたい席にも踊られるようになったんだよ。今日は大嶺殿が来てくれた。めでたい日だよ。ホントに。」

 仲西が説明する。ニービチとは結婚のことだ。

 曲名や唄の意味は全くわからなかったし、おそらくこの世界で生まれた曲なのだろう。


 大樹の実家がある沖縄本島中部は各地に青年会があり、エイサーが盛んだ。大樹は忙しいし、釣りがしたいので青年会には入らなかったが、エイサーを見る機会は多かった。

 なぜならお盆(旧盆)の時は、この世を彷徨う成仏できない霊に足を引っ張られるという迷信を大事にしていたので、釣り廃人とはいえどお盆はおとなしくしていたからだ。

 釣りに関しては基本的に魚の習性やテクニックを優先するが、迷信も忘れない。拝所ウガンジュがあれば手を合わせるし、霊域と言われる場所では釣りをしない。だからこそ仲西と波長があったのかもしれない。


 彼女らが躍るエイサーはキレが良く、ダイナミックだった。

 さすがは猫。勢いよく飛ぶ。跳ねる。こんな動きの激しいエイサーは見たことがない。

 メイド服で踊っているので、スカートやエプロンがフワリと揺れ、太ももがチラチラ見えて若干エロかった。下着が見えるのではないかとドキドキした。そもそも、猫たちが下着を履いているのかは知らないが。

 死者をあの世に送るためのエイサー。大樹は「メイドの土産」というしょうもない駄洒落を思いついて、ニヤっとした。元の世界に戻っても使いようのない、自分だけにしか通用しない駄洒落だ。

 彼女らの演舞と演奏は素晴らしかった。もしかすると元の世界に持ち替えれば流行るかもしれない。かなりクオリティの高い演舞だった。

 

 演舞が終わると兎耳の料理長がやってきて、しゃぶしゃぶの出汁で雑炊を作ってくれた。

 沖縄で言うボロボロジューシー。雑炊と書いてジューシーと読む。ヨモギが入っている。

 沖縄のヨモギ、いわゆる「フーチバー」は本土の餅に使うものと若干品種が違うようで、どちらかと言うとデザートの素材ではない。ヤギ汁や沖縄そばの薬味として使われる。驚く人も多いが、沖縄ではヤギは立派な食材なのだ。

 大樹はヨモギに苦手意識があったが、口にするととても美味しく、ヨモギに対するイメージが変わった。


 「そろそろ、お開きにしよう。ミキー、マヤー、片付け頼んだよ。」

 「はいにゃ!」「はいです~」

 猫耳娘が片付けに入り、大樹は料亭内の小部屋に案内された。

 「今日はここでゆっくり休んでくれ。風呂はもうちょっとで沸くから。」


 2階の一角の小部屋、布団が敷かれ、寝間着が用意されていた。窓の外は雨が降っている。車のない世界は静かで、楽しそうな宴の声がや音楽があちこちから聞こえた。思ったよりも明かりが多く感じる。

 それでも雨が降っていなければ、さぞかし美しい星空が広がっていたことだろう。雨が降っているのはとても残念だ。


 風呂は庭の軒下の一角に仮設的に用意されたもので、ドラム缶風呂と表現するとわかりやすい。あとでミキーに教えてもらったのだが、風呂の水を汲んでくるのが大変なので、普段は風呂らしい風呂には入れない。少ない水を沸かして汗を拭きとったり、川で水浴びしたりして清潔を保っている。風呂は最大級の客へのもてなしらしい。ちなみにミキーとマヤーは猫だけど、風呂や水浴びは大好きらしい。


 風呂にはマヤーが付き添ってくれたが、全裸を見られるのが恥ずかしいので、風呂につかるまで一人にしてもらった。湯加減は最初はぬるめだったが、マヤーが良い湯加減に調整してくれた。一日の汗と疲れが流される。


 着替えてマヤーと一緒に部屋に戻ると、ミキーが正座して待っていた。

 「お帰りなさいませ大樹様。ごゆっくりと休まれてくださいにゃ。」

 「私たちがずっとお世話しますよ~。」

 この料亭を運営する仲西商会が遊郭の経営をしているので、正直これからエロいことが始まるのではないかという期待が高まった。

 結論から言うとそういう事はなく、暑いのでウチワで仰いでくれただけだった。

 おまけに、大樹よりも早く二人は寝てしまった。

 しかも大樹にもたれかかって。


 この二人は化け猫。

 これまでの行動で察していたが、気を抜いた時の行動は、完全に猫そのものだ。

 飼い猫が膝の上で寝るように、この二人は大樹に寄り添って、丸まって寝る。

 マヤーの胸が左腕に当たっている。ミキーはそれほどでもないが、マヤーの胸は大きく柔らかい。これは今日一日頑張ったご褒美だと大樹は思った。

 ただ、二人に挟まれてものすごく眠りにくい。寝返りが打てないし、正直暑い。

 それでも寝息をたてる二人が可愛くて、そのままの姿勢を保った。

 飼い猫のように頭をなでると、返事をするかのように尻尾がピクと動く。

 ミキーの顎を撫でると「グルグル」と喉音を立てて、うっとりしていた。


 明け方を迎えた。

 雨が上がっている。大樹は元の服に着替えようとしたが、服がない。

 服は洗濯されて部屋干しされていた。やはりまだ乾いていない。


 寝間着姿に下駄。

 それにライフジャケットに各種道具が入ったポーチ類を取り付けたベルト、偏光サングラス。

 ミディアムのベイトタックル。

 かなり怪しいスタイルだが、この世界ならだれも気にしないだろう。いや、妙な道具をたくさんぶら下げているので、むしろ怪しすぎるか。この世界の警察的なものに捕まらないか心配になったが、そこは自称変態系釣師。

 昨日この料亭に向かう途中に見かけた、一番近いポイントを目指した。


 草が生い茂っており、恐る恐る藪をかき分けて入る。ハブやハチ、毛虫などの人間に害を与える生き物がいるかもしれない。また、昨日の雨や藻などで足元も滑るかもしれない。下駄は歩きにくいし、スパイクやフェルト底の釣り用シューズと違って滑りやすいことは想像できた。


 ほとんどの生き物は、自ら積極的に人へ危害を加えることはない。

 生き物の生活圏に人間が立ち入ったために、自己防御に出ただけのことだ。人喰いザメだって生活圏に人間が進入してきたから、とりあえず噛んで、それが何なのか試してみただけなのだ。

 

 水際は少し泥っぽく、足がズブズブと沈む。

 せっかく風呂に入れてもらったのに、足元は泥だらけになってしまった。

 ポイントを変えて、エントリーしやすそうな場所を探す。

 ちょっとした岩場と砂浜が絡むポイント。水質がよく、水中には岩が点在する様子が見えた。


 大樹は昨日のテキサスリグから、昨日投げ損ねたポッパーに変えた。

 今回もハンドメイドだが、自作のナス色のものではない。地元沖縄のルアーの匠が作った美しいポッパー。3千円以上しただろうか。

 建材にも使われる木材ヒバを削り出し、内装の床材に使われるウレタンでコーティングされている。アルミホイルが張られているのでメタリックに輝き、カクレクマノミの模様が塗装されている。

 このポッパーをビューーーンと投げ込んで、竿を大きくシャクる。赤く塗られたえぐれた口「カップ」が水を掴んで、竿をしゃくるたびに「ボコーン」と音を立てる。この動きをルアー用語でポッピングと言う。

 時折ポッピングを止めて放置する。ルアーは動き、いわゆるアクションが重要視されるが、動きを止めて隙を作ってあげると、以外にもそれが「私は食べやすい餌ですよ」というアピールにつながる。


 大樹はポッピングと動きを止める時間、ステイを繰り返した。通りすがりの街の住人が不思議そうに眺めている。


 ボーーーーン!!!


 ものすごい破裂音とともに、ポッパーがはじかれた。

 大樹はずっと前に、この破裂音を聞いていた。

 それに豪快な水しぶきを見ていた。


 ロウニンアジだ!たぶん30kgくらいある!!


 大樹が持っているタックルはPE1.5号のベイトタックル。バスフィッシング用の少し強いものという感じだ。ロウニンアジを釣るにしては貧弱すぎるタックル。


 ロウニンアジというよりも、GTと呼んだほうが有名かもしれない。

 GTはジャイアントトレバリーという、ロウニンアジの英名の略。

 沖縄でもボートからのGTフィッシングが盛んだ。150gくらいの巨大なルアー、頭に当たれば大怪我間違いなしの、拷問道具みたいなフック。

 150gのポッパーというと小さく感じるかもしれないが、実物を見ればわかる。こんなに大きなルアーを投げるなんて頭おかしいのではないかと思うほど。それほどまでにGT用ルアーはでかい。

 もちろん先ほどのように、もっと小型の30g程度のルアーにヒットすることもある。


 大樹はこれまで2度、GTを掛けたことがある。

 一度は本島南部の海岸に立ちこんでタマンを狙いに行った時のこと。タマンとはハマフエフキのことで、アカジンと同じく三大高級魚に数えられている。糸満市の魚になっており、沖縄の釣り人には人気だ。

 一般的にはタマン竿やタマン針という専用の仕掛けで狙う。餌に沖縄では「シルイチャー」と呼ばれるアオリイカや、シガヤーダコと呼ばれる足の長い小型のタコを餌に、できるだけ遠くに投げてブッコんでおく。

 近年はルアーでタマンを狙う方法が確立されている。大樹はタマン釣りに対応できるルアータックルを買い揃えたその日、初釣行でヒットしたのがGTだった。

 ヒット直後「タマンってこんなに引っ張るのか!すげえ!」と思った。巻いていた200mの道糸、PE1.5号はほとんど引き出される。糸の引き出し量を調整するドラグが過熱し、リールシート(台座)の部分まで熱くなっていた。このままじゃマズいと思った時、感覚が無くなった。シンキングペンシルというルアーに付いた2つのトレブルフックが、グチャグチャに折り曲げられている。

 タマンならここまで引っ張らないが、GTなら普通にあること。あとで釣りの先輩方に教えてもらった。

 

 もう一度はオニヒラアジのナブラを追っている時。

 オニヒラアジのナブラと言っても、マユちゃんが教えてくれたシラスナブラのパターンではない。秋から初夏にかけて海岸で群れる「ミジュン」という、イワシのような小魚が接岸する時に発生するナブラだった。ミジュンは全長12cmほどで、和名はほぼそのままの「ミズン」。サビキという小さな擬餌針の仕掛けで釣れるので、これをから揚げにして食べると美味い。

 人が食べても美味いものは、魚が食べても美味い。


 ミジュンを追って明け方、夕方の薄暗い時間帯、いわゆるマズメにナブラを発生させる。オニヒラアジに交じって、より大きなヒラアジ、GTが入る。そして大樹が使っている、ミジュンそっくりのシンキングペンシルにGTが襲い掛かった。

 この時もPE1.5号。前ほど走られたわけではなかったが、ジリジリとラインが引き出され、出港する漁船が横切り、ラインブレイク。


 PE1.5号。もし今GTがヒットしたら、おそらく太刀打ちできない。

 ボートではPE8号、陸っぱりではPE4号が標準といわれている。4号でも細いくらいなのだが、これ以上太く強い抵抗をかけると、海に引きずりこまれる危険性があるという。ボートでのGTフィッシングは船そのものが引っ張られたり、操船のフォローが入るので強い負荷をかけることができる。


 ロッドを使ったアクションを入れずに、素早くリールを巻いてポッパーを回収した。

 あと5mほどでポッパーを回収できるというところで、ポッパーに付いてきたGTと目があった。つがいのGT。1匹は30kgくらい。デカい。

 もう一匹はずっと小さく見えたが、それでも10kgはあった。


 大物を見かけたのに「喰わないでほしい」と思う釣りはなかなかない。昨晩、仲西に迫られた時よりも鼓動が荒くなっていた。


 勝負したい気持ちはもちろんあったが、ラインをすべて持っていかれると困る。

 GTがいない場所移動しようと思ったが、おそらくは全くスレていないGTが、あちこちのポイントにウロウロしているだろう。大樹は悩んだ末、暴力的なGTや、根を叩けばたやすく釣れてしまうゴマフエでもない、別の釣りを模索した。

 

 「大樹様ぁ~!」

 猫たちがあわてた様子でやってきた。

 「もぉ~ 心配したですにゃ。」

 「起きたら大樹様居ませんもの~ びっくりしましたよぉ。」


 二人とも必死に探したようだ。息が上がっていた。

 必死なのは当然のこと。大樹に何かあれば、主様こと仲西ヘーイに怒られてしまい、もうやらないと約束したとはいえ、またムチ打ちの刑にあってう恐怖があるのだから。


 釣り人の朝は早い。飲んで酔いつぶれようが、よい釣り場を目にすればどうやっても早く目覚めて、釣りに行くものなのだ。仮に釣り竿が手元になかったとしても、ポイントに行きたい。そして良い魚を見て後悔する。ガチ釣り人の悲しい性。


 「ごめんね。心配かけてしまって…。」

 「朝早く起きて釣りするって、さすがですぅ~」

 朝陽に照らされて、ニコニしているマヤーの黒髪の毛先が、茶色っぽく輝いた。

 ミキーはちょっと納得していない様子だったが、落ち着いたのか、昨日の宿で見せてくれた笑顔を取り戻した。


 「大樹様、また昨日みたいに、お魚釣ってほしいにゃ。」

 ミキーは大樹の腕にしがみついて、スリスリした。

 「釣り竿を持ってる人に近づいたら危ないよ。」

 ミキーは怒られたと感じて、離れてシュンとした…。

 釣り針を使う釣り。釣り中にイチャ付くのは、非常に危険な行為。

 そこは彼女たちの安全のためにも、言うことは言う。


 大樹はふと、この娘たちが見た事なさそうな魚を釣ってみようと思い、海岸線に目を凝らした。小潮なのであまり潮が動いていないが、ちょろちょろと水が流れ込む海岸がある。地下水が流れ出しているような場所。この島には川がないと言われていたが、風呂水や洗濯用水を取水するような感じの流れ出し。小川だった。

 「よーし。狙いを決めた!」


 この流れ込みの上流に、小さい木造の橋が見えたので、そこを目指した。

 猫耳娘たちは海から離れる大樹を追いかける。親猫を追いかける子猫みたいに。


 橋の上から偏光サングラスで覗き込む。若干塩分が入っているかもしれない。河口近くで見られるイネ科の植物が群生していた。

 河口域でよく見る単子葉の細い植物で「アシ」と呼んでいたが、果たしてその植物がアシという植物なのか、自信はない。

 風がほとんどなく水面はフラットで、朝日のギラツキと影のコントラストが強く、偏光サングラスごしでも水中の様子を見るのは困難だ。

 川というか溝の幅は、釣り竿の長さくらいしかない。


 銀色に輝く魚体が見えた。イワシを大きくしたみたいな魚。そのくせヒレが大きく、顎がしゃくれている。目が朝日を反射してオレンジ色に輝く。目測で全長40cm。

 パシフィックターポン。和名をイセゴイという。


 沖縄方言でイセゴイのことを何と言うのかわからない。この魚を見た人は、ボラの仲間だ、サバヒー(ミルクフィッシュ)の仲間だと言うが、カライワシ目イセゴイ科に属している。

 カライワシ目の魚は原始的で、ざっくり言うと恐竜時代から生きるイワシのオバケと考えると想像しやすいかもしれない。幼魚はレプトケファルス(またはレプトセファルス)という、透明な木の葉のような形をしている。

 イセゴイの仲間、とりわけ中米住む「ターポン」は、最大で2.5m、150kgを超す人気のゲームフィッシュだ。本来は別種なのだが、大樹はパシフィックターポンのことを、単にターポンと呼んでいる。

 

 大樹はターポンにアプローチしなかった。狙いはターポンではなかったからだ。

 パシフィックターポンを狙うにはタックルが強すぎるし、なにせ驚くほどクソ不味い。これほど不味い魚は滅多にいない。

 大樹が食べた個体は、グリスが塗布されたネジを口に含んだような不快なものだったし、雑巾風味だったという人もいる(その人はきっと、雑巾を食べたことがあるのだろう…)。


 大樹がこれから何をするのか。マヤーは興味津々だ。

 先ほど注意されたミキーは大樹の気を引こうと、大樹の真似をして小さな橋の反対側を覗き込んだ。橋の影が延びていて、フラットな水面と相まってよく見える。ミキの影も水面に写り込み、驚いた小魚が逃げるのが見えた。


 「大樹様ぁ。あれなんですにゃん?」

 ミキーはピクピクっと耳を動かして、水面を指さした。

 魚の列。ティラピアの群れ。

 沖縄の河川という河川に住むアフリカ産の外来魚。最大で45cmほどに成長する淡水魚だ。

 この世界にもティラピアが生息しているのだろうか?


 違う!ティラピアではない。驚くほどの巨大魚。



 大樹の狙いの魚がそこにいた。

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