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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

供物の割り玉 

これは、とある人から聞いた物語。


その語り部と、内容についての記録の一編。


あなたもともに、この場に居合わせて、耳を傾けているかのように読んでいただければ、幸いである。

 ああ、運動会お疲れ様だったねえ。くたびれたかい? 

 今どきの運動会も、昔と変わらない競技が多いんだねえ。リレー、綱引き、台風の目、障害物競走……あなたはどれが一番楽しかったかしら?

 ――くす玉割り、ねえ。はあ、それはそれは。

 いやごめんなさいね。おばさんから聞いておきながら、しっくりしない返事をしてしまって。ちょっとおばさん、くす玉に関してよい思い出がないのよ。まだ小学生くらいの時の話なのだけど。ちょ〜っと気味の悪い話なのよね。

 ――え、聞いてみたい? 本当に物好きねえ。


 その日は掃除当番を任されていてね、廊下を水拭きしたわ。

 隅から隅まで、丁寧に丁寧に。一緒に掃除をしているクラスメートが呼んでくれるまで、ずっと四つん這いの姿勢で廊下を拭き続けていたわね。

 ひょいと立ち上がったつもりだったんだけど、雑巾の絞りが甘かったのかしら。おばさんは今さっき自分が拭いていた、水滴の浮かんだ廊下で「つるり」と足を滑らせて、あおむけに倒れそうになったわ。

 私はとっさに、見上げる天井に向かって手を伸ばした。何か、救いを期待したわけじゃない。もし、自分のそばを通り過ぎるものがあれば、間に合おうと合うまいと、つい手を伸ばしてしまう。それに似た、反射的な動きだったの。

 

 けれども、おばさんは手を伸ばした虚空で、何かをつかんだ。それはまるでたこ糸のごとき感触。その踏ん張り具合は、ほんのわずかな間だけだったけど、転び行くおばさんの重さと拮抗したほどだったわ。

 ぱん、と運動会で使う、合図のピストルとよく似た音。とたんに、おばさんを支えた力はすっかり消えて、再び落下。背中を打ち付けたけど、一度止まったおかげもあって、さほど痛くはない。

 だけど、あおむけになったおばさんは、体が急に熱くなったわ。内側からじゃなく、外側から。おばさんは目の前に広がる天井から、降り注ぐ何かに埋もれつつあったの。

 身体の中から、シチューの煮え立つような「ぐつぐつ」という音と、耐えがたいむずがゆさ。けれど何十枚もの布団の下敷きになってしまったかのように、おばさんは寝返りを打つことかなわない。

 浴びて浴びて、内側から全部はじけちゃう、と思うくらいの痛みが走る。一瞬、気が遠くなったけれど、それから痛みも熱さも、氷を押し付けられたように、急激に引っ込んで行っちゃった。身体も動かせるようになっている。

 教室に戻る時に時計を見たけど、あれはせいぜい十秒程度の出来事だったみたい。おばさんは不思議に思いながらも、掃除の後片付けを始めたわ。

 

 おばさんの学校では、掃除は昼休みの直後に行うもので、わずかなインターバルを挟んで五時間目、六時間目の授業を迎えるの。その授業なのだけど、やけに先生がおばさんを当ててきたのよね。幸い、得意な科目で、答えられる問題ばかりだったから苦にならなかったけど、なぜ今日になって、ひいきをし始めるのか、わけがわからない。

 帰り際もいつも一緒に帰る友達から、せいぜい一、二回しか一緒に帰ったことがない子まで、余さずおばさんと並ぶか、後ろからついていくかの二択という有様。校門をくぐった時には、尾っぽを広げたクジャクのような、大所帯の人間扇ができてしまうくらい。

 比較的仲がいい相手ばかりとはいえ、交通妨害一歩手前といった広がりよう。どうして遠慮しないんだろう、と気味の悪さを感じながら、おばさんはようやく家に帰ったわ。


「おや、おかえり。今日はだいぶいい匂いがするねえ。ハッカ飴でもなめてきたかい? おばあちゃん、その香りが好きなんだよ」


 帰宅した時、出迎えてくれたおばあちゃんが、おばさんにそう言った。両親は朝早く起きて、夜遅くに帰ってくるから、おばさんはあまり顔を合わせない。おばあちゃんが一番、よく合う家族だった。

 途中で買い食いなどしていないし、まだ香水に興味がない年齢。どうしてハッカの匂いをまとうようなことが起こるのか?

 買い食いしない約束を破ったことを疑われているようで、おばさんはちょっと、むっとした。否定する意味も込めて、今日、学校であったことを洗いざらい打ち明けたの。

 そして掃除の時に起きた、あの不思議な体験。聞くや、おばあちゃんの目が丸くなったわ。


「確かに。確かに、見えないひもを引っ張った感触があるんだね」


 おばあちゃんはおばさんに、何度もそのことを尋ねてきて、おばさんも苛立ちまぎれに返答したわ。するとおばあちゃんは「調べ物ができた」と、家の奥に引っ込んでいってしまったの。


「できれば外出してほしくないけど、両親が許してくれないだろう。明日以降はくれぐれも気をつけなさい。私も急ぐから」


 私は自分の部屋に荷物を置いて、手を洗いに行く。洗面所は、おばあちゃんの部屋の前を通らないと行けない。

 私が部屋の前に来た時、一人しかいないはずのおばあちゃんの部屋から声が聞こえてくる。どうやら、どこかに電話をしているみたいだった。


 翌日。おばさんに声をかけてくるのはウマが合わなかったりして、普段からあまり話さない人ばかり。表向きはにこにこしながら応対したけど、心の中では困惑しっぱなし。平素、特に親しくもないのに、今日に限って、おばさんにべたべたしてくる。

 一方の、昨日、おばさんと一緒に帰ったりしたみんなは、今日は全然おばさんに関心を示してくれない。

 先生方も然り。今日は嫌いな先生ばかり、声をかけてくる。下校するまで、おばさんの心は疲れっぱなしだった。

 

 おばさんが帰ると、真っ先におばあちゃんが飛んできて、「何事もなかったかい?」と顔を青くしながら訊いてきたわ。

 昨日の様子から、おばあちゃんもふざけているとは思えない。おばさんは今日一日の顛末を話したわ。

「やはりかい」とおばあちゃんは苦々しくつぶやくと、おばさんに部屋までついてくるように頼んだわ。おばさんも、このおかしな状態について知りたかったから、断る気にならなかった。


 おばあちゃんの部屋は六畳ほどの和室だったけど、今は畳の上に何枚も何枚も重ねた新聞紙が敷かれている。そ

 おばあちゃんは昨日のあれから、あちらこちらの友達に連絡をして、調べ物をしたみたい。私の体験に近い言い伝えを、前に聞いたことがあるんだって。どうも私は、「供物くもつの割り玉」とやらを割ってしまったらしいの。

 その場所に漂う、気とか念とかが固まったもので、しかるべき時に開放されて、この世ならざるものの食事にされるのだとか。けれど、今回の私みたいに、偶然で割ってしまう者が、まれに現れるのだとか。

 証として、その人と血のつながりが濃い人ほど、ハッカのような匂いを嗅ぐことができるらしいのね。


「ひとまず、対処法だけは確認できたわ。このひもを引いて、割り玉を割りなさい。汚れるから服を脱いでね」


 新聞紙中央の天井。そのすぐ下に物干し竿が渡されて、ひものついた銀色の割り玉がひとつ。言いつけ通り、下着だけの姿になったおばさんは、割り玉の真下でひもを引いてみたの。

 出てきたのは、真っ黒い液体。墨かと思ったけど、人肌くらいに温められてある上に、脂ぎっている感覚がして、鶏がらの匂いが漂ってくる。おばさんは思わずその場で足踏みしたくなったけど、「三分くらいは待って」とおばあちゃんに止められる。


「この匂いがしみついたなら、二日後までは大丈夫。もっと詳しく調べてみるから、それまでも少し、辛抱して」


 鼻をつまんでしまうほどだったけど、ひたすら我慢したわね。


 翌日、話しかけてきた人は、前日、前々日の一部の人同士の混同だったわ。私個人としては親密な人から険悪な人まで、バラエティ豊か。共通点が見いだせなかったの。

 その晩はおばあちゃんの部屋で一緒に寝ることが提案された。おばあちゃんは今日も調べ物をしたみたいだけど「教えるのは今晩が無事に明けたら。何が来ても、目をつむっていなさい」と神妙な顔で告げられて、早めに床に入ったわ。


 その夜。日付が変わるかどうかという時間。私は何者かに盛んに顔をなでられたわ。

 初めは糸のようなもので、ちまちまと。次は扇のようなもので、さわさわと。三度目は鋭い針のようなもので、チクチクと。それぞれが入れ替わり立ち替わり、私の目を開かせようと刺激を与えてくる。

 それが止むと、顔から手が遠のいたけど、気配は増した気がした。そばに誰かがいると感じる、産毛のちらつき。熱さえ感じる圧迫感。ちょうど顔の真ん前で、何かがおばさんをのぞき込んで来ている。そう感じたわ。

 おばさんは眼をつむりながらも、結局、おばあちゃんが起こしてくれるまで、ずっと目を閉じながら、意識を保ったままだった。


 翌日。みんなが固まって話してくることはなく、今まで通りの生活が戻ってきたわ。

 いざ話しかけられなくなると、少し寂しい気がするあたり、勝手な生き物かもね、おばさんも。

 けれど、おばあちゃんが追って調べてくれた一節に、ちょっと背筋が寒くなったわ。


「供物の割り玉割りしもの。すなわちそれは捧げもの。割ってしまったその日には、親しきものが別れを告げる。それが終わった次の日は、嫌がるものが別れを告げる。それが終わった次の日は、死を願うもの別れを告げる。それが終わった次の日は、とうとうこの世が別れを告げる」


 不気味さもさることながら、問題は三日目のことだった。「死を願うもの別れを告げる」。

 内心、私の死を望む人があれだけいたのかと、卒業するまで気が気じゃなかったの。

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