世界の行く先
7月10日 エフェロイ共和国 首都リンガル 世界魔法逓信社・総本部
日本の帰還の是非を問う国民投票が行われるという発表は、羽村市に拠点を置く世界魔法逓信社・東京支部から、再建された総本部へと伝えられていた。
「どういうつもりなのかしらね・・・」
若き女社長のブラウアーは社長室にて東京支部の報告書を読んでいた。日本政府の唐突な発表は、日本国民だけでなく世界各国に困惑と動揺を広めている。
「ニホンが現れる前と後では、この世界の状況は違い過ぎる。この世界はニホンの圧倒的な軍事力と経済力を背景にしたバランスの上に成り立っている。それが無くなるとなると・・・」
日本の軍事・貿易拠点は世界各地に点在しており、世界の大国はその存在を前提として経済や軍事を動かしている。これらが無くなるとなると、その影響は計り知れないものになるだろう。彼女は日本国の帰還が世界にもたらす悪影響を危惧していたのだ。
・・・
セーレン島 セーレン王国 首都シオン
そして今、ブラウアーが危惧していた煽りをもろに被っている国家があった。「セーレン王国」の首都シオンの王城では、国を治める首脳たちが集まって会議を開いている。その議題は勿論、突如として明らかになった“日本国帰還”の可能性に関することだ。
「冗談じゃないですよ! ニホン軍が居なくなったら国防はどうなるんだ!?」
国王たるヘレナス2世の御前にて、軍事大臣のトムラス=インフェリアは狼狽していた。およそ15年前にアルティーア帝国に蹂躙されたこの国の復興と再建は、安全保障条約の名の下に国防を日本国に依存し、軍事費を浮かせることで成り立っており、この国の国防は最早「シオン基地」に駐留する自衛隊ありきのものになっていたのである。
「それだけじゃない・・・もし、ニホン国民が元の世界へ帰る道を選んだら、ニホンの企業も全て撤退するということでしょう。そうなれば、我が国が被る経済的損害は甚大だ!」
王国宰相のアイアス=ポスティアリアは、日本が消えた場合の経済的な損害を憂慮する。ボーキサイトとカリ鉱石の採掘の為に参入した日本企業が生み出す雇用は、セーレン王国の経済に大きく寄与しており、それ無くしては国の財政が立ち行かなくなるのは明白であった。国の発展の為と経済侵略を甘んじて受け入れてきた負の側面が、思いも寄らない形で浮き彫りとなっていたのである。
「・・・まだ、ニホン国が消えると決まった訳ではありません。とにかく・・・様子を見ましょう」
「・・・」
会議の様子を傍観していたヘレナスは、日本国民の決断を待つことを決める。
・・・
スレフェン連合王国 臨時首都アンチェス
鎖国体制にあったこの国は、日本に対する敗北によって開国を余儀なくされ、国内には世界魔法逓信社の支部が置かれていた。その他にも戦後賠償として、「密伝衆」との提携によって培われてきた魔法技術を、他国へ全て提供するという義務を負わされていたのである。
「正に降って沸いた事態ですね・・・国の行く末を国民に委ねるとは」
日本国の帰還騒動はこの国にも届いていた。臨時首都アンチェスでは事態を受けて、臨時政府の代表を勤める王太子エドワスタ=テュダーノヴを議長とし、政府首脳陣が集う会議が開かれている。首相とアンチェス市長を兼任するメロット=カサバッハが、事件の概要を説明していた。
「賠償金の支払いと領土の割譲を抱える我が国にとっては、ニホン国の消失は願ってもないことだが・・・」
敗戦の矢先に現れた幸運に、エドワスタはそこはなとない期待感を抱く。同時に日本という国との接点を失ってしまうかもしれないことに、一抹の口惜しさを感じていた。
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7月12日 日本国 首都東京
日本政府の発表は日本国民にも困惑を広めていた。メディアは連日この議題について触れ、ワイドショーでは地球に帰るのかテラルスに留まるのか、そのどちらが日本という国にとってプラスになるのか、専門家たちが議論を繰り広げている。
「いきなり地球へ帰れると言われても・・・」
「今更困る! 俺は反対だ!」
「僕は賛成だな・・・うちの会社の自動車製造みたいな重工業は、まともな貿易相手国が居ないともうやっていけない」
世論の意見は多種多様であった。転移によって生活水準が大きく落ちた者、転移後に生活を安定させた者、元の世界に家族を残して来た者、彼らは皆、今回の一件に関して様々な思いを抱いている。
「もしニホンが元の世界に帰るとしたら・・・俺たちはどうなるんだ?」
「夢を追って此処まで来たのに、また故郷に帰されるなんて嫌だ!」
この一件によって人生を左右されるのは日本国民だけではない。日本国がテラルスに転移してからおよそ15年の間に日本へ移住したテラルスの民たちは、日本が地球へ帰還するのに伴って祖国へ強制送還されてしまうのではないかと危惧していたのだ。
そしてその逆も然り、日本人の中にはテラルスの民と恋に落ち、生活の場を国外へ移している者も居る。来年に迫った“帰還の日”には、彼らは究極の選択を迫られることになるのだろう。
首相官邸
来るべき国民投票、そして帰還の日に向けて、伊那波内閣は“地球帰還の是非を問う国民投票に関する特別措置法”を国会へ提出する準備を進めている。そんなある日、外務大臣の来栖と防衛大臣の鈴木が総理執務室を訪れていた。
「地球への再転移だが、何とか阻止出来ないものか。転移のトリガーである『深谷・飯沼彗星』を破壊すれば或いは・・・!」
伊那波は地球に戻らずに済む方法を模索していた。エルメランドとの戦いの末に勝ち得た事実上の“世界の盟主”という地位を放棄するということが受け入れられなかったのだ。
「『扶桑』はそもそも与圧装置の故障で宇宙を飛べないですし、弾道弾で最接近時を狙うにしても地上から狙うには彗星は遠すぎる」
防衛大臣の鈴木は伊那波の提案を否定する。
「第一に・・・彗星だけを破壊すれば済む話なのかどうかですよ。イレギュラーを在るべき場所へ還す・・・正に神の所業です。我々はこの世界への転移という事態を一度は乗り越えました。決められた運命を変えることは出来ないのかも知れませんが、また乗り越えましょう。それに・・・我々には『扶桑』という刃がある」
鈴木に続いて外務大臣の来栖が口を開く。彼は地球への帰還を悲観するばかりではなく、「扶桑」の力を得たことによる宇宙への進出を思い描いていた。月や他の惑星には手つかずの鉱物資源がゴロゴロしている。「扶桑」に使われている技術を流用すれば、採算が取れる採掘が可能かも知れない。
「希望ね・・・全国民を騙す三文芝居を控えた今では、そんなものを感じている余裕は無いよ」
伊那波はそう言うと大きなため息をつく。1週間後の7月19日、地球への帰還の是非を問う国民投票へ向けた“特別措置法”が臨時国会に提出された。




