シマナミの動乱
10月23日 イナ王国 首都アシワラ 海岸
「むつ」がイナ王国に漂流した翌日、艦の隊員たちはイナ人の手を借りて「むつ」を沖へ動かす作業を行っていた。魔法を動力とした小型船とロープで繋ぎ、思いっきり沖へ向かって引っ張って貰う。この作業を延々と続けていたのである。
「ウチの国の船じゃあ、やっぱり無理だ!」
イナ水軍の将を務めるナクモ・ジュウベエ・トキサダは、「むつ」の重さに辟易としていた。太古の昔には地球を大きく凌駕していたエルメランドの文明は、すでにほとんどが廃絶しており、その末裔である彼らは全てが金属で作られた船すら見た事が無かったのである。
「・・・打つ手無しか、最悪・・・JAXAが宇宙から此処を見つけてくれるか、救援が来るのを気長に待つしかないな」
満潮になっても、艦は砂浜に着底したままで動くことは無かった。甲板に立つ航海長の瀬名拓哉二等海佐/中佐は、打つ手が無い今の状況に頭を抱える。
「いや・・・手は有る。“アクア・タルタ”だ」
「・・・“アクア・タルタ”?」
魔法動力の木造小型船の甲板から、瀬名二佐たちの会話を聞いていたジュウベエは、たった1つ、「むつ」を動かせる可能性があることを口にした。首を傾げる瀬名二佐ら航海科の面々に、彼は説明を続ける。
「この国は定期的に、普通の満潮を遙かに凌駕する異常潮位に襲われる。それが“アクア・タルタ”だ、この砂浜一帯は海の底に沈んでしまう。それに普通の満潮が相まれば、脱出出来るかもしれない」
異常潮位とは数十日単位で発生する潮位の変動のことで、高潮や津波とはまた別の現象を意味する。地球で有名なのはイタリアの水上都市「ヴェネツィア」の異常潮位で、現地ではこれを「アックア・タルタ」と呼んでいる。この災害に襲われると、世界で最も美しい広場として有名なサン・マルコ広場も潮水で満たされてしまうのだ。
「だが・・・そのアクア・タルタが何時来るんじゃ分からないと」
「時期は毎年決まっている・・・今日から4〜5日後だ」
瀬名たちは目を丸くする。5日後に出発出来るのであれば、先にシュンギョウ大陸へ向かった「おが」と「ましゅう」に十分に追いつける。
「そういうことは早く言えー!」
瀬名の心の叫びが虚空に響き渡る。その後、彼らは5日後の「アクア・タルタ」が来る日まで、大人しく待機することとなった。
・・・
首都アシワラ 王宮
その頃、首都アシワラの王宮ではちょっとした騒ぎが起こっていた。
「本土南端、チントウ島にて反乱が発生しました! 反乱の首謀者は、シマナミ家の重臣イズミイン家当主、イズミイン・ゲンジロウ・サネマツ殿にございます!」
アサカベ・ナガハチロウを初め、黒装束に身を包む男たちが、玉座に座るイツセヒコ王の前に跪き、ある報告を届けていた。彼らはこの国の王家である「ヒタカミ家」直属の隠密機関「犬陣忍」の構成員たちである。
彼らはイナ列島の南東に位置する「チントウ島」という島にて、謀反が発生したという情報を得た為、その事を国王に報告していた。
「・・・何!? チントウ島と言えば・・・あの“暴れ者一族”が治める場所だな」
この国は王家である「ヒタカミ家」を頂点として、国内の各地方を10の家系が治めている。その家名は北から「ダテナ家」「ホンジョウ家」「ノリカワ家」「タケバタ家」「ウエマツ家」「オリダ家」「アサカガ家」「マンリ家」「ソガブ家」「シマナミ家」となっているのだが、今回反乱が起こったチントウ島を治めるシマナミ家は、10氏族の中でもとりわけ気性が荒い連中が揃っていることで有名で、イナ王国内でも独立性が高い地域であった。
「だが何故、重鎮のイズミイン家がシマナミ家に反乱を?」
「イズミイン家」とは朝廷の内部でも名高いシマナミ家の家臣一族であり、長らくシマナミに仕えて来た家系だ。イツセヒコはそんな彼らが謀反を起こした訳を尋ねる。
「2年前・・・シマナミ家現当主のシマナミ・ジガンノカミ・タダヒサ様が以前、イズミイン家先代当主のイズミイン・エモンダユウ・ムネマツ殿を斬り捨てた事件をご存じですか? ジガンノカミ様は日頃より素行に問題が有る方でした。そして2年前、ジガンノカミ様はアシワラの宿泊所で、エモンダユウ殿と何らかの口論を起こし、怒りのままに彼を斬り捨ててしまったのです」
気性が荒い連中が揃っているシマナミ家の中でも、現当主であるシマナミ・ジガンノカミ・タダヒサの苛烈さについては、朝廷内部でも悪評が広まっていた。
恐らくは、そんな当主の横暴を腹に据えかねたイズミイン家現当主のイズミイン・ゲンジロウ・サネマツが、ジガンノカミに殺された実父、エモンダユウ・ムネマツの仇を獲るつもりで今回の反乱を起こしたのであろうというのが、彼ら「犬陣忍」の推測であった。
「問題と言えばレンジュは・・・?」
イツセヒコは、太政官右大臣のワシツカ・シンショウイン・カナヒラの娘であるワシツカ・レンジュが、シマナミ家に嫁いでいたことを思い出す。彼は家臣の娘が反乱に巻き込まれることを危惧していた。
「依然として・・・本城から離れた別荘に幽閉されている様です。当のジガンノカミ様は、2ヶ月前に都から連れて行ったモノウエ家の息女に夢中になっている様で・・・」
シマナミ・タダヒサは中央から嫁いできたレンジュ姫とは折り合いが悪く、自身の居城から遠く離れた砦に彼女を住まわせていた。その一方で2ヶ月前、上洛していた彼は街中で下級貴族の娘を見初め、その父親に執拗に迫り、彼女を領地に連れ去るという行為に走っていたのである。
「イズミイン家の謀反は鎮めなければならない。よって海路にて増援を送る。だがもう、タダヒサの蛮行も無視できぬ。故に『犬陣忍』にも密命を下す。奴の下に居るワシツカ・レンジュとモノウエ・コマを救い出せ!」
「はっ!」
王の命令を受けた密偵たちは、まるで疾風の様にその場から消えた。
・・・
首都アシワラ 海岸
チントウ島で起きたイズミイン家の反乱を受けて、「むつ」にも使いが派遣されていた。「むつ」の船員たちの案内役を担っていたアサカベ・ナガハチロウ・ヨシフミは、今回の一件に関して、イツセヒコ王より「むつ」の船員たちに伝えられた言伝を届ける。
「貴方方は兵士ですね、故に貴方方にも自国の武器を持ってこの反乱に兵を出して欲しいと王は申しております。この国での滞在を許した対価として・・・」
「まあ・・・真っ当な要求だ」
艦長の三好一佐は眉間にしわを寄せる。彼らはこの国に居候させて貰っている立場であり、あまり強いことは言えない。イナ王国は恐らく、艦の武器庫に積んである小銃やサブマシンガンを当てにしているのだろう。
「チントウ島って此処から600kmは離れているんでしょう? 一体何日かかるんだ、我々は5日後のアクア・タルタが訪れる日には、この国を出なければならないんですよ!」
船務長の風田二佐はイナ国王の要求に異を唱える。彼らにはこの国に長居している余裕は無かった。
「陸路ではありません、魔法動力船で行くのです。3日後の朝には現地に着きます。時間が勝負ですから」
木造船とは言え、過去の遺物である風力発生装置の補助を受けるイナ水軍の軍船は、高い機動性を持っていた。
「で、では・・・せめて、我々の艦が動くまで待って欲しい!」
三好一佐は異常潮位によって艦が動かせる様になるまでの猶予を求める。「むつ」が動けば艦砲による対地支援が可能になるなど、イナ王国軍にとってもプラスになると考えたからだ。
「それは駄目です、貴方方の船が異常潮位で確実に脱出出来る保障は無いでしょう。明日早朝に出発する船団には必ず兵を出して頂きます」
ナガハチロウの指摘は最もであった。だが、風田二佐はさらなる懸念を示す。
「しかし・・・我々自衛隊員が政府や防衛省の命令無く、独断で他国の内乱に介入する訳にはいきません」
彼らは今、シュンギョウ大陸へ特殊作戦群を送り届けるという任務の真っ最中であった。故に、任務の妨げになる様な妨害行為や、海賊による加害行為などには、自衛に基づく全武器の使用が許可されている。だが今回の場合は、明らかに自衛の範疇とは言えない状況であった。
「・・・これが日本国内や租界内であれば、“治安出動”という名目が立ちますが」
日本国外において、戦争と警護、そして自衛以外で、自衛隊が武力を振るうことが許されるのは、租界に住む日本人を守る為の治安出動くらいである。だが、それも勿論今回の例には当てはまらない。
「ではこうしてはどうでしょうか? 『イズミイン家』はシマナミ家を倒した後にアシワラに攻め入る可能性があった。故にこれを傍観しては我々自身の命に関わりかねない。その為に軍事行動に動いた・・・と」
砲雷長の小花夏生二等海佐/中佐が悩む艦長に1つの提案をする。武装勢力からの被害を前もって防ぐ為に「自衛行為」を遂行したということにしようと言うのだ。
「自衛の為に避けられなかった出動か、かなり強引だが・・・」
明らかな詭弁であることは間違いない。だが、兵力の供出を断れる状況では無い以上、隊員を派遣しないという選択肢は許されない。考えてみれば、過去に存在した超文明の末裔である彼らに恩を売っておくこと自体は悪いことではなかった。
「という訳で・・・イツセヒコ王にはそういう文言で我々に協力を命じる様にお願い出来ますか?」
「は、はぁ・・・? 承知しました」
ナガハチロウは眉間にしわを寄せていたが、彼らの言い分を了承すると「むつ」から降りて行った。彼を見送った艦長の三好一佐は、船務長の風田二佐に指示を出す。
「・・・艦内にアナウンスを、各科から5人ずつ人材を派遣しよう。派遣隊の隊長は航海長の瀬名拓哉二等海佐とし、航海長が留守の間、私が航海長を兼務する」
「はい」
風田二佐は船室の中で戻って行く。その数時間後、王宮に向かったナガハチロウがイツセヒコ王の書簡を持って帰って来た。その書簡には意訳すると、「列島南部のチントウ島にてシマナミ家家臣のイズミイン家による謀反が発生した。彼らは首都アシワラをも標的としている可能性が有り、内乱が拡大すると貴殿らにも被害が及ぶ。故に貴殿らにも兵を出して欲しい」と描かれていた。
艦長の三好一佐は“「むつ」と船員たちの安全確保”の為、少数の隊員の派遣を独断で決意し、斯くして30名の隊員がチントウ島へ派遣されることとなったのである。
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イナ王国南部 チントウ島 西の都市ヒムカイ イズミイン家居城
その頃、反乱の首謀者である「イズミイン家」当主のイズミイン・ゲンジロウ・サネマツは、本拠地の居城に立てこもっていた。城外では配下の足軽たちが城の警備を行っている。そして窓際に立つ彼の側に、1人の不審な男が跪いていた。服装はイナ王国のものだが、ヨーロッパ系の顔立ちをしている。
「我々スレフェンは貴方方を援助する。その対価として、貴方方はシマナミ家を滅ぼした後にその領民を我々に差し出す。宜しいですね・・・?」
「ああ・・・分かっている」
ゲンジロウはそう言うと、城下街に住まう人々の姿を眺めていた。
(父上・・・これで我々の怨念を晴らすことが出来ます! どんな犠牲を払ってでも、あの傲慢なタダヒサの首を獲って見せる!)
ゲンジロウは実父を殺された恨みを増大させ、最早正常な判断が出来なくなってしまった。そして悪魔に魂を売ってしまった彼は、軍事的援助と引き替えに護るべき領民を差し出すという密約を、その不審な男と交わしていたのである。そしてその男の正体は、スレフェン連合王国から派遣された密偵であったのだ。




