イシュラ海戦 壱
11月23日 イスラフェア帝国 首都エスラレム
被保護国である「レン諸島王国」にてスレフェンとの海戦が始まったことは、すでに皇帝が住まう宮殿にも報告されていた。10支族から1人ずつ選出される閣僚たちも集まっており、戦況の報告を待っている。
始めの内は余裕ある表情を見せていた彼らも、いざ戦闘開始となれば流石に緊張を隠し切れないのか、眉間にしわを寄せて無言になっていた。だがその時、静寂の空間に1人の軍人が飛び込んで来たのだ。
「レン諸島王国より、たった今報告が入って来ました! 派遣軍旗艦『ヨム・キプル』を初めとする24隻が沈没、レン諸島はスレフェンの手に落ちました!」
「何だと!?」
会議室は驚きに包まれる。特に軍務大臣のアルベルトは顔面蒼白になっていた。無理も無い。これはイスラフェア帝国にとってスレフェン連合王国に対する初めての完敗だったからだ。
「何があった? 銀龍はどうしたのだ!?」
敵が多少進化していることは想定内のことだったが、イスラフェアにはスレフェンが持っていない航空戦力の「銀龍」があった。皇帝ヤコブ12世は、その銀龍の力を以てしても勝てなかった理由を問いかける。
「・・・それが、敵艦は銀龍の火炎や物理攻撃を跳ね返す“透明な障壁”を張っていたらしく、銀龍は用をなさなかった様です。故に派遣軍司令のミカエルは砲撃戦に持ち込んだ様ですが、わずかな損傷を与えたのみだったと・・・!」
銀龍が役立たないことを知った派遣軍は接近戦を選んだが、彼らが有する大砲の威力では防壁を突破することが出来ず、せめて一矢報いようと、戦術を度外視した一点への集中砲撃を行った。結果、全滅と引き替えに得たものは、敵艦1隻の大破のみだったという。
「“透明な防壁”とは・・・まさか“魔法防壁”のことか?」
「“魔法防壁”?」
技術大臣のバルーフ=ルベナン・オッペンハイマーは、その正体に思い当たるものがあった。彼は首を傾げる皇帝に対して、“魔法防壁”について説明する。
「ごく一部の強大な魔獣のみが操るとされる、その名の通り、魔力を盾として身に纏うことで展開する強力な防壁のことです。維持するには大量の魔力を消費する為、人間には操れません」
「人間に操れないならば、何故それをスレフェンの軍艦が使用したのだ!?」
「それは・・・私に聞かれても分かりません」
バルーフは眉間にしわを寄せる。分かることは、スレフェンが今までに無かった新たな力を手に入れたということだけである。
「しかし、ただ強力な防壁を張れるというだけでは、派遣軍が壊滅する様なことはあるまい。砲撃戦ならば、船自体の機動力が高い此方に有利な筈だからな。他には何があったんだ?」
ヤコブ12世は報告を伝えに来た軍人に尋ねる。
「はっ・・・敵は帆船でありながら汽走船並みの速度を有し、更には此方の大砲の射程より彼方から“光の矢”を放って来たとのことです」
「“光の矢”・・・? ニホン軍が使う“ミサイル”とやらのことか?」
軍務大臣のアルベルトが問いかける。
「いえ・・・どうやら違う様です。何と言いますか、細い光そのものが“飛び道具”となっていたということでした」
「・・・?」
軍人の伝えようとしていることが上手く伝わらず、皇帝や閣僚たちは総じて怪訝な表情を浮かべている。レーザービームという言葉がまだ存在しない世界では、その概念を伝えるのも容易では無かった。
「レン諸島王国を獲った敵は進路を東へ取り、イスラフェア帝国の南海岸へ向かっております。敵は速く、最早さほどの猶予は有りません、どうか早急に艦隊派遣のご判断を!」
一同に介す国の重鎮たちに対して、その軍人は本土からの派兵を進言する。
「・・・無論だ、至急南部方面艦隊の司令部に連絡を取れ! 敵を食い止めるぞ!」
事態の重さを思い知ったヤコブ12世は、主力艦隊の出撃を決断する。そしてレン諸島が敵の手に落ちたという一報は、たちまち国中に広がって行った。
〜〜〜〜〜
11月25日 イスラフェア帝国南部 ロッドピース市
レン諸島王国派遣軍の敗北は、たちまち国民たちの知るところとなっていた。イスラフェア帝国の南海岸に面する港街で、帝国第2の主要都市である此処「ロッドピース市」でも、市民たちが大騒ぎをしている。
「辺境の派遣軍がスレフェンの艦隊に負けちまったらしいぞ!」
「此処へ向かっているらしいじゃないか!」
「大丈夫なんだろうな?」
初めの内は楽観視していた彼らも、スレフェンに対する初めての敗北とあって、流石に不安の声を漏らし始めていた。そんな街の様子を、日系企業で働くイスラフェアの青年が見つめている。
(大丈夫だろうか・・・この街は)
彼の名前はエスルーグ=ナフタラン・エリシェヴァ、日系企業の現地支店にて現地採用されており、日本語能力の高さを買われて営業部の次長に抜擢されたという経歴を持つ。仕入れ品の搬入を指揮していた彼は今、祖国の危機を間近に感じて不安げな表情を浮かべていた。
・・・
同市 港
「ロッドピース」の港には多数の汽走軍艦が並んでいた。この港街は帝国の南方海域を担当する「南部方面艦隊」の母港である。多数並ぶ軍艦の中で一際大きいのが、艦隊旗艦である「ソロモン」だ。因みにこの「ソロモン」は、ここ数年の内に開発された最新鋭の汽走軍艦である。
元々、イスラフェア帝国の海軍艦は、専ら帆走と汽走を併用する外輪船が主流だったのだが、6年前に日本から機関のみで進む船が現れたことは、この国の技術者たちに衝撃を与えた。そして日本から輸入した書籍の内容から、船の推進器として外輪よりスクリューの方が効率が良いこと、さらに帆船の時代がいずれ終わることを知り、次の時代に加速する為の研究を進めていたのである。
そしてついに、イスラフェア帝国は新たな時代の到来を告げる船を作り上げた。それがこのスクリュー推進装甲艦「ソロモン」であり、テラルス世界で初めての“装甲巡洋艦”なのだ。
その記念すべき艦の甲板に今、艦隊司令のアロン=シオメナン・ドレフュス将官が立っており、彼は甲板に並ぶ海軍兵士たちに訓示を送っていた。
「先日・・・我がイスラフェア帝国の被保護国である『レン諸島王国』に駐在していた派遣軍が破れ、同国はスレフェンの手に落ちた。我々の任務は奴らの進軍を食い止め、カナール市とロッドピース市を護ることだ」
兵士たちは真剣な眼差しで司令の言葉を聞いていた。今まで幾度となく蹴散らして来たスレフェンに負けたとあっては海軍の名折れであり、彼らのこれ以上の進撃を許す訳には行かない。
「南部方面艦隊・・・発進!」
アロンの発進命令を受けて、レシプロ蒸気機関から煙が吹き出し、艦尾のスクリューが回り始める。「ソロモン」は装甲に囲まれた重厚な船体をゆっくりと進めて行く。その雄大な姿を見て、アロンは誇らしげな気持ちになっていた。
(我が国は日本が行った道を行く。蒸気機関の進歩が今の加速を維持すれば、そう遠く無い内に“戦艦”とやらの時代へと辿り着くだろう)
近年のイスラフェア帝国の発展は類を見ない加速を見せている。どうやっても速度を伸ばすことが出来ない”銀龍”に限界を見て、飛行機械の研究も開始されていた。すでに蒸気タービンの実用化にも手を伸ばし始めており、数年後にはこの「ソロモン」も時代遅れの艦になっていくことが予想されている。
(待っていろ・・・スレフェン軍、お前達の夢を叩き潰してやろう!)
旗艦「ソロモン」に率いられた南部方面艦隊は敵艦隊を迎え討つ為、西へ進路を取る。「ソロモン」の艦首と艦尾にはそれぞれ2つずつ、計4つの単装砲が鎮座していた。
・・・
イシュラ海
数時間後、イスラフェア帝国南部方面艦隊は遂に敵を視界に捉えた。艦隊の前方を行く外輪船「セフィロト」から敵艦隊発見の一報が飛び込む。
「とうとう出たな・・・!」
今までとは違う敵を目の前にして、司令のアロンは武者震いをした。
「各艦最大船速! 一気に距離を詰めて砲撃戦に持ち込む! 銀龍を上げておけ!」
司令の命令は無線を介して各艦に伝えられる。その後、各艦の内部に設けられている竜騎の格納庫が次々と開放され、竜騎兵たちが空へと飛び立って行く。
尚、蒸気船は蒸気機関を搭載する体積を確保せねばならない為、普通の帆船よりも格納庫が狭くなってしまう。その為、イスラフェア帝国ではいずも型護衛艦に着想を得て、銀龍の離発着専用の艦の建造計画を進めていた。
「・・・!」
間も無く敵艦隊との距離が7kmを切ろうとしている。此方の艦載砲であるアームストロング砲の射程距離は3km、「ソロモン」の主砲でも5km程であり、砲弾が届く距離に達していない。だがその時、スレフェン艦隊の各艦の両舷に取り付けられていた謎の円筒が赤い光を纏った。
そして突如、前方を進んでいた4隻の艦が爆発したのである。
「戦列艦『シャッバート』轟沈!」
「外輪船『セフィロト』『ゼブルン』『カナーン』大破!」
「な・・・!?」
木片をまき散らしながら炎上する4隻の姿を見て、兵士たちは唖然としていた。4隻同時に爆発事故が起こる筈など無く、アロンはそれが敵の攻撃によるものだと悟る。
(これは・・・噂に聞くニホン海軍の砲撃に似ているが、どうも違うぞ。砲撃音も聞こえなかったし、奴らは一体どうやって攻撃したんだ?)
彼は敵の攻撃手段について思案を巡らせていた。十数分後、スレフェン艦隊の謎の円筒が再び赤い光を帯び始める。
「・・・まさか!?」
アロンは状況証拠から、その円筒が何らかの飛び道具であることを悟った。時同じくして、前方を行く3隻の船が大爆発を起こし、その他の艦もマストや帆が炎上する。
「奴らは・・・あの大量の魔力を一体何処から!? まあ良い、詮索は後だ! 此方の射程に入ったぞ、砲撃開始!」
2つの艦隊の距離は3kmまで迫っていた。司令の射撃命令を受けて、各艦に搭載されているアームストロング砲に火薬の火が灯る。そして旗艦「ソロモン」でも、艦の前方に鎮座する単装砲がゆっくりとその砲塔を回し、敵艦隊へ標準を合わせた。
ド ドン ド ド ドン!
不規則なリズムの砲撃音が海の上に響き渡る。同時に砲弾が発射され、それらは一直線にスレフェン艦隊へと向かって行った。
だが、彼らの期待は大きく裏切られることになる。発射された砲弾は敵艦に命中する直前、透明な壁に激突して空中で爆発してしまったのだ。当然、スレフェンの艦には何のダメージも無い。
「・・・あれが、“魔法防壁”か!」
スレフェン艦隊の情報は、彼らの耳にも届けられている。人間の力を超えた魔法を展開する敵艦の姿を見て、アロンは冷や汗を流した。
「各艦左舵30度! 敵艦隊へ右舷を向けて更なる砲撃を加えろ! 一点突破だ、防壁の一点を集中して狙え! 必ず破れる!」
「はいッ!!」
司令の命令を受けて、イスラフェア艦隊はスレフェン艦隊の右側へ舵を切る。すれ違う両艦隊は、それぞれが右舷を見せ合う恰好となった。2つの艦隊の距離は1〜2km程と言ったところだろうか。各艦の船腹に位置するアームストロング砲、そして旗艦「ソロモン」の旋回砲塔がスレフェン艦隊へ向けられる。
「・・・放て!」
無線機のマイクを片手に持つアロンの叫び声と共に、不規則なリズムの砲撃音が再び海の上に響き渡る。だが、2度に渡る砲撃に対しても、魔法防壁はビクともしなかった。
「ウゥ・・・!」
砲兵たちが弱々しい声を発する。その直後、スレフェン艦隊の船腹に取り付けられていた「魔力熱線砲」が三度光を放った。
「なッ!?」
敵へ接近するということは、敵も此方へ接近することに他ならない。互いの距離が短くなったことで、スレフェンの魔力熱線砲はより正確にイスラフェア艦隊へ命中し、多くの艦を損傷した。
「外輪船『サンダルフォン』『アザゼル』『ラジエル』大破!」
「同じく『アフェク』『エン・ガニム』『ゲール・ツェデク』轟沈!」
「くそッ・・・! 砲撃を続けろ!」
一方的にやられている状況に、アロンは苛立っていた。だが彼は諦めることなく、砲撃を指示し続ける。そして「ソロモン」の主砲が敵艦の防壁に6発目の砲弾を当てた時、ついにその成果が現れた。
バキンッ!!
「あっ!!」
その砲弾は魔法防壁をガラスの様に叩き割り、敵艦の甲板に突き刺さる。船自体の強度が弱いスレフェンの艦はたちまち航行不能に陥り、船底に穴が空いてゆっくりと船体が傾く。
「やったぁ!!」
イスラフェアの兵士たちは拳を天に突き上げ、喜びを露わにする。航行不能に陥ったスレフェン艦の姿は、彼らが決して無敵では無いことを示していた。空を飛んでいた竜騎兵は、魔法防壁が砕けた敵艦に向かってすかさず追撃を行う。
(だが・・・1隻に対してこの労力では!)
兵士たちが喜びを見せる傍らで、艦隊司令のアロンは苦悶の表情を浮かべる。確かに敵艦が無敵でないことは分かった。加えてスレフェンが放つ熱線は、高い威力と引き替えに連射が出来ない様である。
だがその一方で、彼らにとって最新鋭かつ最大威力である「ソロモン」の単装砲を6発以上命中させなければ、敵の魔法防壁を破れないことが分かってしまった。敵の艦は目算でも100隻を超えており、このままでは負けることは目に見えている。
「・・・」
だが、彼らは撤退することは出来ない。彼らの背後には帝国第2の都市「ロッドピース」があるのだ。この街にスレフェン艦隊が上陸することだけは、何としても避けなければならないのだ。
・・・
スレフェン連合王国第1艦隊 旗艦「フィリウス・レギス・ウィスベン」
イスラフェア艦隊に撃破された船を見て、旗艦から指揮を執る艦隊司令のギルバート=クロウはぽつりとつぶやく。
「ほう・・・死の民も中々やるな」
イスラフェア艦隊司令のアロンとは対照的に、ギルバートは余裕ある表情を浮かべていた。ふと空を見上げてみれば、今まで散々辛酸を舐めさせられたイスラフェア帝国の銀龍が、魔法防壁を前にして手も足も出せずにただ飛び回っている。その滑稽な様を見て、彼はほくそ笑んだ。
「司令! 魔力熱線砲の第4射撃の準備が整いました!」
各艦に施された魔法機関の整備を行う整備兵が、ギルバートに報告をする。
「良し・・・発射だ! くれぐれも“電池切れ”には気を付けろよ」
「はっ!」
整備兵は敬礼を以て、指揮官の命令を拝聴する。直後、“動力炉”から大量の魔力を供給された魔力熱線砲から、一斉に赤い光が放たれた。膨大な熱エネルギーが収束されているそれらは、一瞬でイスラフェア艦隊を襲う。直後、数多の爆発音が海の上に響き渡った。
・・・
同日 ジュペリア大陸西海岸 沖合
イスラフェアとスレフェンの激戦が繰り広げられていたその頃、アラバンヌ帝国サグロア基地を出港していた航空母艦「あまぎ」、強襲揚陸艦「おが」、補給艦「おうみ」、そして護衛艦「たかお」「いなづま」「すずつき」の6隻は、イスラフェア帝国南部の港街であるロッドピース市へ向かっていた。
「頼む・・・間に合ってくれよ」
「あまぎ」の艦長である平田三郎丸一等海佐/大佐は、目の前に広がる海を見て焦っていた。彼らの任務はロッドピース市、そして同じくイスラフェア帝国南部の港街であるカナール市に滞在する日本人を収容し、避難させることである。だがすでにスレフェン軍はロッドピース市の近くまで迫っており、それらを迎え撃つ為にイスラフェア艦隊が出撃したという情報が入って来ていた。
イスラフェア艦隊が負ければ、当然ながらロッドピース市に滞在する日本人約300人の命が危なくなる。故に彼らは全速力でロッドピース市へと向かっていたのである。