メガネが映す本当の姿
西山商店街『メガネ屋三牧』夕方になれば元気な声がお客様を出迎えます。
「いらっしゃいませ!」
「奈留ちゃん、老眼メガネはどこかしら?」
「はい、文房具屋の鈴木おばあちゃん、老眼鏡コーナーはこちらです」
カラン、カラン――
「よう、奈留ちゃん」
「あ、畳屋のオッチャン……じゃなくて、小松さん、いらっしゃいませ!」
「いいよいいよ、オッチャンで。オッチャンと奈留ちゃんの間柄だから、お得意さんには甘くてもいいんだよ」
「そうなの?」
「そうだよ、な! 鈴木のバーさん」
「奈留ちゃん、ああいう大人にはなっちゃダメなのよ」
「うん、分かった!」
「おいおい、バーさんそりゃないぜ」
三牧奈留。小学四年生です。この一週間、ちょっとした事情で夕方だけお店番をしています。だけど、どういう訳か、近所のオッチャンとおばあちゃんが毎日お店に遊びに来ています。
「今日はもう閉店です。またのご来店をお待ちしております」
「お、大分板についてきたな」
「小松さんも、トークが板についてきたよ」
「いうなぁ、奈留ちゃん。それじゃあ、オッチャンは店に帰るわ」
「明日もちゃんと仕事をしてね~」
「ふっ、奈留ちゃん。できる男ってのはな、人前では正体を隠してるもんなんだぜ」
今日の店番は終了! 後は店じまいをして……あれ、外を誰かがウロウロしてる。
「高橋君、何してるの?」
「う、うわわわ!」
そこにいたのはただの同級生。いつも元気なイメージしかない高橋君だったけど……
「三牧、脅かすんじゃねぇ!」
あれ? 私は普通に声を掛けただけなのに、何で喧嘩腰なんだろ?
「驚いたのはこっちだよ、店前をウロウロするなら業務営業妨害で警察に突き出すよ」
「店は終わっただろ!」
「今、終わるとこだよ」
「だったら気にせずそのまま終わらせろよ!」
「お客様なら対応しなきゃダメでしょ!」
「客!」
あれれ? 今度は硬くなったぞ?
「違うの? 買わないの?」
「か、勘違いするんじゃねぇ、俺は客だ! さっさと中へ入れろ!」
「店に入る前から文句の多いお客だね~」
看板の電気は消したまま、シャッターは半開きで閉店後の特別営業が決定です。
「お客様、本日はどのような品をお求めで?」
「……メガネだよ、さっさと売れよ!」
「――で、本日は何をお求めで?」
大きな声にもきちんとした対応で答える。それが大人というものだ。クレーマーでも丁寧に、敬語たっぷり盛り付けたんだけど――
「メガネだって言ってるだろ! つべこべ言わずにさっさと売れよ!」
「だったら、どんなメガネが欲しいのかちゃんと言ってよ!」
「ど、どんなメガネ……?」
「メガネにだって色々種類があるんだから、それに、高橋君はいつも視力2.0を自慢していたじゃない! メガネなんか必要ないって大威張りだったじゃない! 伊達メガネだったら余計にお洒落が必要だから、何でもかんでもポイポイ渡せられないよ」
高橋君がそのつもりなら、私だってむくれちゃうもん。
「あ、あのさぁ――誰にも言うなよ……」
あれれ? 今度は変に大人しくなったぞ。
「俺、最近目が急に悪くなって――でも、威張ってた建前、しにくくてさ――だから、その、本当はしたくないんだよ、でも、このままじゃ黒板とかがダメになってきて――」
「じゃあ、後ろの席に居続けずに一番前に出ればいいだけじゃん」
「それが一番嫌なんだよ、俺は後ろに居続けたいんだ!」
う~ん、よく分からないぞ?
席替えって楽しいのに、どうして高橋君はいつも後ろに拘るんだろう? こんなこと言う人、私の知ってる人にいたかなぁ?
『できる男ってのはな、人前では正体を隠してるもんなんだぜ』
そっか! 小松のオッチャン、そういう事だったんだね!
高橋君はただのムードメーカーだと思っていたけど、本当は勉強できて――その正体を隠していたいんだね!
「分かりました、お客様。後ろの席からでも黒板がはっきり見え、尚且つ周りからはメガネを掛けているとは気付かれないほどお顔にフィットした物をお探しなのですね」
「あ、あるのかよ、そんないい物が」
「全部試着すれば見つかるよ。『メガネ屋三牧』の店長代理、三牧奈留が最高のおもてなしをしてあげる」
それから、色んな眼鏡をとっかえひっかえ、二人であれでもないこれでもないと悩みながら探していきました。
高橋君のもう一つの顔、私だけが知ってる高橋君の秘密の素顔――
あれ? 何だか学校にいる時とは違う雰囲気になってきた――何でだろ?
……まぁいっか。
「フレーム、レンズ。申込用紙に記入したから二日もすれば届くよ。三日後に来て、お代はその時にお願いします」
「これで、また全部視えるようになるんだな」
「高橋君、黒板以外の物も見てるの?」
「う、うっせぇ。どこを見ようが俺の勝手だろ! お、俺がメガネしてるってのは内緒だからな! 誰にも言うなよ‼」
変な捨て台詞を残して帰った高橋君。
クラスでいつも見る高橋君とは全然違う。
まるで、他の誰かを見ている気分――
同じ高橋君なのに――何だろうこの気持ち。
「奈留、最後の店番ご苦労様」
「お母さん、お父さんの容体、もういいの?」
「いいのよ、ただのぎっくり腰なのに『梨とリンゴを剥いてくれ、面会時間までは傍にいてくれ』なんて、三十超えた男の言葉じゃないわ。この一週間夕方だけの店番ご苦労様。もう明日からは好きにしていいわよ」
「お母さん、それなんだけど――」
「ん? なぁに?」
「三日後に、秘密の営業をして来てもいい⁉」
「やっべぇ、とうとう何にも見えなくなってきた」
目をゴシゴシ拭っても、黒板が何を書いているのか全く分からない。今日一日の辛抱と思えればいいのだが、そうしたら、もう一つの見たいものまで見えなくなる。
嫌な日だ。
「高橋君!」
「おわっ、三牧、何だよ」
拗ねて捻り曲がった口でも、聞かれたくないことだからか高橋は極力の小声で喋った。
奈留はランドセルからノート類に隠してメガネを一緒に取り出し――それから奈留は高橋の耳元でそっと囁いた。
「ご注文の品、お届けに上がりました。メンテナンスが必要と感じられた場合はまた当店へお越し下さい」
「あ、ありがとな」
キーンコーンカーンコーン
チャイムとともに全員が席に着いた。
先生がやってきて、授業が始まる。
高橋はスッとメガネを掛けた。
掛けたそのままの目で、高橋が最初に見たのは、中間の席にいる奈留だった。
レンズ越しにはっきりと映し出される奈留の後姿に高橋はホッと一息ついた。
頑なに後ろに居続ける理由は、いつもふらふらと、好きに能天気に席を移ってしまう奈留の後姿を追いかける為だった。
メガネ屋の娘のメガネでその娘を見る。
悪趣味っていうなよ、気になってるんだからしょうがねぇじゃん。
放課後、高橋は誰にも気づかれないうちにそそくさとメガネを外す――一瞬ボヤけた視界に、すぐさま奈留が飛び込んできた。
「高橋君、行こ!」
「ど、どこへ――」
「私の家」
「な――」
叫ぶ前に奈留は「しー」と言った。
「うちに遊びにおいでよ――その時にお金を払ってね――」
こう言えばメガネを気にせず、ただ単に遊びに来れる。――という体裁が立つ。
それに、今日の奈留はもう少し高橋と一緒に居たい気分だった。
「お前が来て欲しいってそこまで言うんなら行ってやってもいいぜ!」
「うん、高橋君の内緒の顔、私がキッチリ守ってあげる。だって私は世界で唯一の――高橋君御用達店員だから」
突然気になった同級生――
そのレンズ越しに見える世界はきっと、今までに無かったもの。互いをレンズ越しに見る二人には近い未来の幸せが見えているのかもしれない。
終