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甘さと苦さと

作者: 結崎ミリ

「今日よろしければ一緒に……帰りませんか? 難しければ大丈夫です」

 この言葉を言うのは何度目だろう、その度に不安が影となって私を襲うのは何故だろう。

「あぁマナミさんか。今日は予定あるから早めに帰ろうと思ってるんだよね。途中まででいいならまぁいいけど」

「大丈夫です。とても嬉しいです、ありがとうございます」

 良かった……今日も断られなかった。サクヤさんと一緒に帰ることができて……ほんとに良かった。

「今日ほんと急いでるから早足になるけどいい? ちょっと行きたい場所に間に合うかわかんなくってさ」

「はい、問題ありません。サクヤさんのペースで……歩いてください。私はちゃんと付いていきますから」

 私の了解を得たサクヤさんは駆け足気味に歩き出す。長身のサクヤさんと私では足の長さに大きな差がある為、サクヤさんについていこうと思ったら、私はサクヤさんの二倍歩数を刻まなければならない。付いていくことで精いっぱい。会話なんてできたものじゃない。でも……私の身体中は幸福でいっぱいになる。

 どうして私の心はこんなにも彼を追いかけているのだろう、何回彼に振られても、私の彼への気持ちは高まっていく、私たちは交際していないけれど、彼にとっては今『ただ歩いているだけ』なのはわかっているけれど、私にとって、この瞬間はデートの一つ。

 幸せ。

「マナミさんってなんか予定ないの、今日?」

「はい、ありません」

 私はそう答える。本当は二か月前から楽しみにしていた映画があって、今日が予約の日だから行かないといけないのだけれど、もしかしたら……という希望が私の胸を駆け巡り、いつものように私は、そう答える。

「実は最近ある喫茶店にハマっていてさ、そこの閉店時間が五時なんだよね。今から急いで行っても三十分くらいしか居れないと思うけど、良かったらマナミさんも来る?」

 あぁ…とっても嬉しい。

 サクヤさんが私を誘ってくれた。誘ってくれた。今日はサクヤさんの方から私を誘ってくれた。

 サクヤさんが私と居てくれるなら、私は自分の予定なんてどうでもいい。他のことは後回し。サクヤさんとの時間を勝るものなんて、あるはずがない。

「えぇ、喜んでいかせていただきます。お誘いいただきありがとうございます」

「そ? なら行こうか」

 道中、私たちは何を話しただろうか。もしかしたら何も話していないかもしれない。会話をしていなかったかもしれない。それでも……私は堪らなく満たされている。

「ここだよ」

 辿り着いたお店は、洋館という言葉が似合いそうな店。家のような形状の独創的な外装をしており、第一印象として好き嫌いがはっきり別れるだろうな、というイメージがした。おそらく、個人経営のお店なのだろう。

 中に入ると年齢層が高そうな渋い店主が一人。私たち以外に客は二組ほどいた。

「あ、メニュー決めていいよ。僕は決まってるから」

「サクヤさんは何を注文されるのですか?」

「ブレンドコーヒー。ここのコーヒーはとても美味しいんだ。すっごく苦いんだけど深みが強いっていうか、まぁ僕が好きってだけなのかもしれないけど」

「そうなんですね」

 どうしよう、コーヒーは苦手だ。特に苦い飲み物だけはだめだ。それに桁を一つ間違えたかのようなとんでも価格である。

 でもサクヤさんがせっかく『おすすめしてくれている』ものなのだから。

「では私も同じものにします」

 コーヒーが来るまでの間、サクヤさんは「このお店に来たのは三カ月前でさ」とか「この雰囲気が良いよね」などの話をしていて、私は、うんうん、頷いていただけだったけれど、サクヤさんの楽しそうに語る表情がとても楽しそうで、素敵で、私の胸はいっぱいになっていた。

「お客様、ご注文のブレンドコーヒーでございます。閉店まで約ニ十分になりますのでラストオーダーとなります。短い時間になりますが、ごゆっくりなさってください」

「ありがとマスター! 来た来た! この瞬間の為に今日頑張ったってもんだよ」

 あぁ、サクヤさんが子どもみたいにはしゃぐ姿はなぜこんなにかわいらしいの? サクヤさんが幸せだと私はその何十倍も幸せ。


 楽しい時間はあっという間に過ぎ去ってしまうというけれど、この一瞬は私にとって宝石以上に価値のあるもの。一瞬、一秒、その時間の全てを彼の為に使いたい。

 そう思う。

「今日は素敵なお店に招待していただきありがとうございます。お礼として、今日のお会計は私にさせてください」

「え、でもそれはさすがに申し訳ないんだけど」

「いえ、本当に素敵な時間でしたから」

「いやいや……誘ったのは僕だし、今日はお金あるから大丈夫だよ」

 サクヤさんは困ったように眉をひそめた。予想できていた返答なこともあり、私はすかさず次の言葉を付け足す。

「わかりました。では、こうしましょう。次に、また来店される際に私を誘ってください。そしてその時に、ご馳走していただけませんか?」

「……ま、まぁ。それなら……いいけど。でもほんとにいいの?」

 これも予想された言葉。

「はい、今日は本当にありがとうございました」

 私は最初から結末が決まっていたかのように結論づける。

「遅くまでありがとね。じゃ、また学校で」

「……はい。あの、サクヤさん」

「ん?」

「素敵な一日をありがとうございました」

「素敵な一日って、僕の行く店でただコーヒー飲んだだけだよ? むしろご馳走してもらってさ、申し訳ないんだけど」

「いえ、感謝させてください。私はサクヤさんと少しでもお話できるだけで、今日も素敵な一日だって思えますから」

 いつも通りの言葉を口にして、私と彼はお別れを告げる。

「また明日」と。

 きっと、これからもずっとそう、こういう毎日が続くのだろう。私とサクヤさんが学校を卒業するまで、ずっと。

 その間、私とサクヤさんの距離が縮まることは、たぶんほとんどないのだろうけれど、それでもいい。彼が少しでも喜んでくれるなら、少しでも一緒にいてくれるのなら、

 私は自分がどうなっても構いやしない。

 サクヤさんが誰かと交際することになったとしても、彼の幸せは私の幸せ。

「相手が誰であっても、喜んで祝福をするわ」

 そう口にした瞬間、私は気付いてしまった。


 今後、私は彼とどうなりたいか、何が望みなのか、

 そんなこと、私には心底どうでもいいことなのだ、と。


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