1.Ballade for You Ⅴ
--暗闇の中で。
人の気配が、遠ざかってゆく。
どうやら来客のようである。
あんなに無理やり押し込めなくたっていいじゃない--アリシアは、心の中で悪態をついた。
だが、しかし。
よく考えてみれば、もしこの来客が、皇室の、もしくはその周辺の人間であれば...?
アリシアは間違いなく連れ戻される。
そして一晩中、お説教である。
--もしかしてあたしのこと、守ってくれようとしたの...?
しかしアリシアは、そんな甘い考えをすぐに頭から吹き消した。
だって--第一皇女を部屋に連れこんだなんてことになれば、一番困るのはあいつだもの。
それよりも、目下彼女にとって重要なのは、例のピアニストのことである。
早く、早くもう一度聞きたいのに...!
こんなところで、他人のベッド--それは彼女自身が普段使っているものよりも格段に堅い--にくるまって、ああだこうだと一人会議している暇は、ないのだ。
突如として、静寂が訪れる。
ああ、来訪者はもう帰るんだわ、そんな淡い期待を抱いた、その時だった。
静まり返った部屋の中に、響き渡る、ピアノの音色。
暗闇の中で、アリシアは思わず目を見開いた。
それは--その甘美な音色は、彼女の双耳を愛撫し、そして、まるで血液と同じように、身体じゅうを駆け巡る。
やがてそれは彼女の思考に、甘やかな、それでいて心地良い痺れをもたらすのだ。
目で見なくとも、分かった。
これは--これは『あの人』が弾いているのだ、と。
それも先程の晩餐会とは、異なる旋律--
そこでアリシアは、一つの疑問に思い当たった。
--今これを弾いているのは誰なのか、と。
今この部屋にいるのは、アリシアと、ジェイドと、そして来訪者の--おそらくは三人。
もちろんアリシアではないので、考えられるとしたら--
しかしアリシアは、一つの可能性をすぐに頭の中からかき消した。
...まさか。あんな小憎たらしい男が、『あの人』なわけ、ないわ。
しかしアリシアがその音色に酔いしれられたのは、ほんの僅かな時間のことであった。
ぷつり、と途絶えた旋律。
それと同時に、誰かの、手を叩く音。
--そして、感嘆の言葉。
「いやあ、素晴らしかったよ!流石だな、ジェイド!
この続きも、期待しているぞ!」