1.Ballade for You Ⅱ
流れるような旋律。
鍵盤の上を、まるで氷の上を滑っているが如くなめらかに動く、細い指。
その指から産み落とされる一音一音が、彼によって生命を吹き込まれたかのように、音を奏でる。
凄い、だとか、綺麗、だとか、そんな感情さえ忘れてしまっていた。
彼の紡ぎ出す音楽に、ただただ魅入られていた。
---もう一度、聞きたい。
もう一度、彼の演奏を。もっと、もっと近くで。
その男の部屋は、衛兵に聞き出した。
男の部屋、ということで怪訝な顔をした衛兵だったが--
第一皇女の命令に背く臣下など、いるはずもない。
...あとから聞いたことだが、ピアノのある部屋はごく限られているらしく、わざわざ自らの立場を利用するようなことをせずとも良かったようであるが。
コンコン、と軽くノックをする。
返事は...ない。
再び、今度は少し強めに扉を叩く。
やはり、返事は、ない。
こんなところで突っ立っていて、城の者どもに見つかれば--まず間違いなく、連れ戻されるであろう。
そして一晩中、お説教の嵐だ。
そんなのは、まっぴらごめんである。
もどかしさを募らせたアリシアは、相手の了承も無いままに、扉を開いていた。
広々とした部屋。
だがそこに、人の影はない。
部屋を間違えたのかしら--?
そうも思ったが、備えつけの広いベッドの上に荷物の山を認め、アリシアは満足げに深く頷いた。
ゆっくりと歩みを進めていくと、どこからか、水音が聞こえる。
ああ、湯浴みをしているのだわ--アリシアはほっとして、傍にあったソファーに腰かけた。
部屋の奥からは、ただ水の跳ねる音のみが響いてくる。
何をするでもなく、ただ待っている時間ほど長く感じられるものは無いだろう。
気づけば彼女は、まどろみの中へと誘われていた。
人の気配を感じて、アリシアは、重い瞼をぱちりと開けた。
そして、彼女の目は、ひとりの男を捉えた--
と同時にアリシアは、驚きのあまりに、一瞬、息を止めた。
そして恐る恐る、その口を開く。
「あなたは---誰?」