1.Ballade for You Ⅰ
----かつて、これほどまでに心を揺さぶられる音楽が、あっただろうか。
----かつて、これほどまでに心を鷲掴みにされるピアニストが、いただろうか。
男が、そのせわしく動く指を止めた時。
その最後のひと音が、彼女の耳を駆け抜けた時。
第一皇女は誰よりも疾く立ち上がり、誰よりも大きく手を叩いていた。
「...アリシア、食事中ですよ。お座りなさい。」
彼女-アリシア、と呼ばれた少女は、皇后が叱咤の言葉をかけるまで、何かに取り憑かれたかのようにただ一心に拍手を送っていた。
立ち上がった勢いで、椅子を蹴っ飛ばしてしまっていたようだ。
それを見たメイドの1人が、あたふたとアリシアの元へ走ってくる。
流れるような、漆黒の、艶やかな髪。
背中まであろうかという、その長い髪を、後ろで一つにまとめている。
そして目元には--ターバン。
彼は盲目だとか、言っていただろうか。
ひとしきり考えてからアリシアは、再びかのピアニストを見た。
皇室主催の晩餐会で、名だたるような人々の喝采を浴びてもなお、彼の唇はきつく結ばれたままである。
そこには、何か、明確な意志が見えるように思えた。
...不思議な、男である。
楽団の主らしき男が、ひとしきりの挨拶を終えた。
そうして楽団の者たちが、式典長の男に連れだって、扉をくぐってゆく。
例に漏れず、ピアニストの男も、そうであった。
---今しかない。
アリシアは皿の上の残りをかき込み、「失礼します」とだけ手短に言うと、晩餐会場を飛び出していた。