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雷雨を好きになれそうな予感がした。

 

 秋の雷は稲光、稲妻なんて呼ぶらしい。

 雷によって空気が原子分解されて、窒素酸化物が出来る。それが雨に溶けて降り注げば天然の肥料になる。だから稲妻。

 でも、地震、雷、火事、親父って言葉もある。

 そして、生憎の雷雨に部活は急遽休みになり、いつもつるんでる奴は彼女の置き傘に入れて貰って帰って行った。こいつにも恵みの雨なんだろうなとは思うが、傘が無い奴や雷がダメな奴には災難だ。ついでで貰った調理実習のお裾分けを鞄に放り込み、笑み崩れる親友を玄関から半眼で見送った。

 黒に赤、青、黄、色とりどりの傘が花の様に開き、校門に向かう。秋の雨は温い様で冷たい。濡れて帰ったら風邪を引くんだろうな。そう思えど、いっかな止む気配はない。

 仕方ない。意を決しておれは豪雨の中駆け出した。

 バケツをひっくり返した様だ。

 叩き付ける雨はさながら水のカーテンで、鞄を雨除けに頭上にかざしたところで抵抗にならず、校門を出ていくらもせずに直ぐ全身ずぶ濡れになる。

 店にでも入れたら良いが、中学校の近くにはコンビニすらない。ニーズがあるのにだ。

 住宅街をひらすら水たまりをけたてて走る。

 スニーカーの中は洪水でがぼがぼ。鞄の中も浸水してるかも知れないが、今更だ。

 ほこり臭い様なアスファルトの濡れた匂いと雨の匂いが混じり合う。シャツや制服が体温を奪いながら肌に張り付く。不愉快だ。早く家に帰って熱いシャワーを浴びよう。

 そう考えていたのに、ふと耳が小さな悲鳴を拾った。風が唸るよりも弱々しく、声にならない息を呑む様なそれに気付いてしまったのは、何故か。

 多分、雷に記憶を呼び起こされたからだ。

 墨汁を流したような空に、静電気の様な紫電が走る。ゴロゴロと響く低い音がうるさくて邪魔だ。

 耳を済ませて見回せば、小径の奥、電信柱の影に赤い傘が開いたまま落ちている。雨に打たれ、風に吹かれながらも飛ばされないのは、重石があるからだ。

 いや、風に吹かれてるから揺れてるんじゃない。

「傘、入れて」

 そう言って反対側に回り込めば、涙と雨でぐしゃぐしゃの女が傘にすがり、しゃがみこんで震えてた。

 地元の高校の制服は色が濃いので透けないが、夏服で生地が薄いせいだろう、ちょっと目に毒な感じだ。

 おれに気付いて顔が上がり、濡れた目が一瞬、ひどく無防備にぽかんとする。その頬を雨か涙か、雫が滑り落ちた。

 勝ち気で男勝りで、小さい頃はおれが悪戯をする度拳骨を落として来た、見上げる程大きかった近所のガキ大将。しばらく見ない内に、何だか小さくなったみたいだ。今じゃ、しゃがみ込めば目線が同じ。

 きっと、おれも少し呆然としてた。

 ぱちぱちと瞬く大きな目がほろほろと涙をこぼして長いまつげを濡らす。青い顔なのに、目元は泣きはらして赤い。何か言いかけて、小さな唇が開いた。

 刹那、カッと閃光が目を射る。

 人間は、恐怖に駆られると声が出なくなるらしい。だから、そいつはギュッと身を縮めて、声にならない悲鳴を叫ぶ。

 こいつの唯一の弱点は、雷。

 小さくなって震えていたこいつを昔初めて見た時は、目がこぼれそうな程驚いた。

 どうやったって敵わない相手が、急にちっぽけな頼りない生き物に変わった瞬間だったんだ。覚えるのは、驚き、戸惑い、そして、妙にしんと静かで熱い、「守ってやらなくちゃいけない」っていう正義感だか父性愛だか隣人愛だか、何だか判らないもの。同情なのかも知れなかったし、ヒーローにかぶれた使命感の様なものだったのかも知れない。

 あの時は体格差があってこいつの方が大きかったけど、今は体格差が無い分、余計か弱く見える。

 鞄を開けると中は幸い無事で、イヤホンを引っ張り出して無理やり耳にはめさせた。

 オーディオプレイヤーのスイッチを入れれば、またキョトンとしておれを見る。今度は頭の中がクエスチョンマークでいっぱいです、ってかおで。

 そこに、耳をつんざく轟音が降る。

「~~~~ッ!!」

 びくりと震えたソイツは、何を思ったのか飛び込んで来た。

 濡れたワイシャツを掴む冷たく細い指が、小さな頭が、薄い小さな肩が、がたがたと震える。弾みで傘が飛んで行ったのを、慌て手を伸ばすと辛うじて寸で持ち手に指が掛かり、どうにか捕まえた。

 既におれもコイツもずぶ濡れだが、雷光にも怯えるのだからあった方がいい、と差し掛けてやり、鞄から貰い物のアップルパイを出して持たせる。

 つぶれて見目は悪くなったが、味は大丈夫だったらしい。落ち着いたのを見計らって手を引っ張ってソイツを立たせようとした。

 だが、ソイツはふるふると首を振る。

 ここで雷が収まるのを待つより、屋内の方が落ち着く筈だ。ずぶ濡れでは風邪も引く。なのに、首を振る。

「腰が抜けて、立てない……」

 弱々しい声が情けなさそうに呟く。

 あのガキ大将が。おれは唖然とした。

 雷光や音は傘とオーディオプレイヤー、後はおれがいる事で気が紛れはしても、怖いものは怖い。びくびく震えて半袖の裾をキュッと摘んでるソイツを見たら、仕方がないなと思った。

 普段だったら見掛けても近寄りはしなかっただろうし、こんな気持ちにはきっとならないけど、弱ってるコイツを見ると仕方ないなと思うのだ。

 だからおれはソイツに背を向けた。

 普段ならきっとコイツはこんな風に頼っては来ないだろう。でも、弱ってるから。前にも弱ってるところをおれが見てて、今更だから。

 おずおずと、おれの肩に小さな手を置いて、体重を預けて来た。

 傘を震える指に持たせて立ち上がる。

 予想より重くない。別に羽根の様に軽いだとかは言わないけど、何だか呆気ない感じがした。

 ギュッとしがみつく腕は細いし、耳元で時折しゃっくり上げ、ぐずぐずと鼻を鳴らして肩口に額だか頬だかをすりつけて来る。

 その度に普段ど突き合う仲間とは全然違う、妙に柔らかい感じがして、ああコイツは女なんだなとふと思った。

 いや、今はどこをどう見てもコイツは女なんだけど。男に見えていたわけじゃないし、昔はスカートめくりなんかをやらかしていて、紛れもなく女だって知ってはいたんだけど。

 こんなにか弱くて頼りない生き物なんだって、今まで知らなかったんだ。

 そんな事をつらつら考えていたら、いつの間にやら家の前だった。

 震える手から鍵を奪って開けてやり、玄関に下ろすと携帯を突き出す。

 なあに、と言う様に見上げて来るのはどこかあどけない泣き顔をさらす女で、あのムカつくガキ大将じゃない。

「ゲーム、勝ち逃げは許さないって言ってたクセに、あれきりじゃん」

 やろうよ。空いてる日連絡しろよ、と言えば、気乗りしない様子で断る気満々のかおをする。

「連絡あったら、部活とかなきゃ、またおんぶくらいしてやるけど。変な奴に行きあったら危ないだろ」

 青い顔にさっと血の色が戻った。

「い、い、いつも、腰抜かしてるわけじゃ、ないから……!」

 そこじゃねえよ。危機感持てよ。と溜息を吐く。下を向いた視線が、握られたままの紙を見つけた。それ、とおれは指を指す。

「アップルパイ、食ったよな」

 ソイツは、うん、と戸惑いながら頷く。

「じゃ、今度アップルパイおごって」

 貰い物だし食わせたのはおれだが、甘えるのは年下の特権だ。ソイツはぐだぐだ文句を言ったが、元々年上気質なので渋々折れて連絡先を交換する。

「じゃ、また今度」

 おれがドアを開けて振り返ると、ふてくされて座り込んだまま、それでも手を振ってくれる。嬉しいのにどこか意地悪な気持ちになって、昔みたいな憎まれ口が出てきそうで胸がむずむずした。

「透けてはないけど。すごいことになってるし、風呂入ったら? 風邪引くし」

 トンと自分の胸を叩いておれはドアを閉める。中から小さな悲鳴が聞こえた。

「あンのませガキめ……!」

 口は悪いが、羞恥に染まったかすれた声を背中に聞いて、どしゃぶりの中に飛び出しながら不意に笑いが込み上げた。

 雨足は相変わらず強いし、冷たい。ワイシャツも制服も水を吸って重く、身体にまとわりついて動きを邪魔するし気持ち悪い。

 それでもハシャいだ声を上げてしまいそうな気分だ。

 アイツを見るとからかいたくなる。昔からこの気持ちは変わらない。ただ、弱ってる時は優しくしてやりたくなるだけだ。

 今までこの気持ちに名前があるなんて知らなかった。


 だから、教えてくれた雷に感謝しようと思う。

 アイツとは裏腹に雷雨を好きになれそうな予感がした。


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