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《女スパイの試行錯誤》 4



「まずはあの四人が何者であるのか。それを説明せねばなるまい」


「今まで説明がなかったのが常識的に考えておかしいんです」


 片桐聖子機関長の前置きに、細村悟機関長補佐役は容赦なく突っ込んだ。


「気にするな。それでこそ私だろう?」


「我ながら極めて希なことにお願いをしたいんですが、そんなことを自信満々の顔で、しかも胸を張って言わないでください。本当に。本気で」


 応接用のソファーに向かい合って座る二人の間には、湯気を立てるティーカップが二つ並んでいる。聖子はその一つを手に取り、笑みの形をとる口元に運びながら、


「細かいことを言うな。君は私の補佐役か何かか?」


「そうです。私はあなたの補佐役です」


「もちろん知っているとも。周知の事実を今更言わなくてもいいぞホサ村。それともまだ自分の立場がわかっていなかったのかね?」


「……機関長。お願いですから、真面目に」


「ああ、すまない。どうも君と話しているとイジメたくなってしまっていけない。ではまず、昂から説明しよう」


 茶を一口含み、一度だけ深く呼吸をする。


「剣聖認定を受けていた深山翼信を知っているな?」


 剣聖認定。それは天帝から下賜される称号の中でも最高のものの一つだ。天帝に唯一無二と認められた達人にのみ与えられる。龍日の歴史の中でも、その誉れある認定を受けた者は未だ三名しかいない。


 細村はすぐさま記憶の倉庫を漁り、深山翼信という名にまつわる情報を思い出す。


「ええ。確か、五年前に亡くなった三代目の剣聖ですね。それが何か?」


「そいつが昂の育ての親だ」


 この茶の葉は外国産だ──そんなことをいうような気軽さで聖子は事実を告げた。瞬間、彼女の言葉の内容がすぐに理解できず、細村は呆気にとられた。驚きは二秒の沈黙を置いて爆発した。


「……な、なんですって!? そ、そんな馬鹿な! 剣聖には子を成すことはできないはずでは……!?」


 どんな時代であれ剣聖は常に一人とされている。そして、その後継に世襲は認められていない。たとえ天帝に実力を認められようとも、一度でも世襲の例が出ては後にさしつかえる──そう考えられたためだ。剣聖は、剣聖認定を受ける際に子孫を作れないよう処置を受けなければならない。そのため、剣聖が子供を持つことなどありえないのだ。


「落ち着きたまえ。よく聞こえなかったようだな。私は『育ての親』だと言ったのだぞ? 誰も昂が、深山翼信の息子などとは言ってない」


「し、しかし、剣聖はたとえ血が繋がってなくとも、子供を引き取ったり弟子をとることも禁止されているはずでは……」


 次代の剣聖は先代の剣聖と無関係でなくてはいけない。これは剣聖認定における鉄則だ。だから国宝と呼ばれることもある剣聖は、ほとんど他人と触れ合うことなく、天帝の降臨する(天帝は人ではなく神であるため、住む、ではなく、降臨する、と表現する)宮殿の一つ、〝棲龍宮〟の奥でその力と技を磨くという。


 聖子は楽しそうに口の端をつり上げた。


「そのあたりはやはり昂の育ての親だ、とでも言うべきだな。見事な異端児だったよ、彼は。昂によく似て──いや昂が似たのか。頭に血が上りやすい奴でな。まあ、そのあたりは別の機会に話そう。ともかく、昂は剣聖に育てられた。これは紛れもない事実だ。納得はできるだろう、ホサ村? お前のことだ。奴らの素行が気に入らずとも、実力が群を抜いていることだけは認めているのだろう?」


「…………」


 細村の沈黙は、この場合、否定の意味を持たなかった。機関長の言うとおり、苦々しいが認めざるをえないのだ。


「先程、君は景、藍、蓮の三名を我が校の代表にふさわしいと挙げたが、どうだ? その三名の中で一人でも昂に勝てる者はいるかな? 極印を使っても良いという条件でシミュレートしてもかまわんぞ?」


 いるわけがない。断言口調で即答できる。あの四人の手にある極印は、どれもこれもが天龍にすら使いこなせなかったじゃじゃ馬達だ。それを持っているだけでも並はずれているというのに、彼らの戦闘力は、残念ながら細村の推す三名を遙かに凌駕していた。昂など、なるほど、剣聖に育てられたというのも納得できる。それほどの力量を持っていた。


「し、しかしあの四人の成績は低く、またカリキュラムのサボタージュや喧嘩や騒動など、枚挙にいとまが」


「確かに奴らの成績は最低だ」


 どこか言い訳じみた細村の科白を、聖子の強い語調が剃刀のように切り裂いた。


「敵意や嫌悪感を向けてくる一般生徒にはすぐに牙を剥き、レベルの低い教官のカリキュラムを平気でサボり、意味があるのかどうかわからない試験を受けたことなど一度もない。それは確かに私も認めよう」


 細村は唖然とした。聖子の言っていることは、どう受け取っても天使養成機関の長を務める人間の言葉とは思えなかった。四人の行為を蛮行と認めながらも、どこかそれを養護している。まるで四人の行動に同感だといいたげに。


「だがな、それがどうした? 天使とは精鋭中の精鋭をいうのではないのかね? 実力主義ではないのかね? ならば奴らは優秀だよ。素行など関係なく、な」


 圧倒的な説得力が細村に襲いかかる。気を張っていなければ思わず頷いてしまっていただろう。だがこれには、細村にも返すべき反論があった。


「ですが、実力主義とはいえ、実力だけ、というのは納得がいきません。天帝に忠誠を誓い、従順であることも天使の条件のはずです。それを考えれば、やはりあの四人は不適格者だと言わざるを得ません。戦闘力だけが評価されるべきだとは、私は思いません」


 ふむ、と聖子は満足げに頷いた。細村に一理あることを認めたらしい。


「その通りだ。流石は私の補佐役、優秀だ。だがな、良いことを教えてあげよう。喧嘩を励行した覚えはないが、カリキュラムと試験をサボれと命令していたのは実は私だ」


「……は?」


 またも呆気にとられた拍子に、まぬけな声が細村の口からこぼれ落ちた。予想外の話にうまく思考が追いつかなかった。目の前の女性は、今なんと言ったのだろうか?


「……サボれと命令していた……とおっしゃったのですか、今?」


「そうおっしゃったのだよ、君の上司は。驚いたかね?」


 確認する細村に悪戯っぽく返す聖子。驚く云々以前に、言っていることが理解できない細村だった。何かの聞き間違いだとしか思えない彼に、聖子は語を次ぐ。


「ま、驚くのも無理はない。だが、驚いていては私についてくることはできんぞホサ村? 何故だかわかるかね?」


 わかるわけがない。一体どのような理由があって、自ら迎え入れた特待生にわざわざカリキュラムと試験をサボれと命令する機関長がいるというのか。


 だが気持ちとは裏腹に、細村の頭脳は質の低いものではなかった。閃きが彼の目の前を照らす。


「まさか……! 機関長は今日のような事態が来るのを見越していたと……?」


 信じられない。しかし、そう考えればつじつまが合う。いつか正規の天使を派遣できない事件が起こり、五人の機関長が互いの腹を探り合うときがくると。その時にはあの四人組のように、表向きは無能でも実体は優秀な生徒がいれば、有利な状況に持って行けると。そこまで、そこまで考えていたのだろうか、この人は?


 細村の疑問に聖子は答えず、ただ愉快げに、どこか挑戦的な笑みを浮かべた。


「さてな? 解釈は自由にするといいだろう。奴らの忠誠心や従順度に関しても、君の解釈に干渉するつもりはない。……ないが、一つだけ言わせてもらえば──私もそうだが──自分自身にのみ従順で、自分以外の者に忠誠を誓えない人間がいるのは、どうしようもない事実だな」


 要するに、自分もあの四人も自分勝手でわがままだ、と言外に言っているのだ。これは不敬罪にもあたる発言だった。龍日の国民は天帝に忠実でなければならない。これは鉄則だ。そうでない者には厳然として死が与えられる。それが龍日という国だ。


 刹那、まるで脳髄に雷撃を落とされたかのような悪寒が細村を貫いた。


 何か途方もないものを眼前の女性から感じ取ってしまったのだ。それがなんなのか、具体的に言葉にすることはまだ出来ない。出来ないが、わかってしまった。


 それこそが、これから発動するという計画──!


 再び鼓動が高鳴り、細村は全身の細胞が活性化するのを自覚した。身体が火照り、顔に熱を感じる。


「では次に純の生い立ちだが、奴もあの通り普通ではないぞ? いや、それは四人全員に共通することか。アレはな、犯罪組織で飼われていた殺し屋だった。知っての通り、天性の気質か調教の賜物か、容赦というものを知らない。というより、解らないと言った方が正しいな。完全に欠落している。必要があれば昂だろうが麟だろうが、私であろうが撃つだろうな」


 それも躊躇いなく。聖子の口から聞くまでもなく、そんな言葉が細村の脳裏をよぎる。一度や二度ではない暴行事件で、純が相手を再起不能にした確率は限りなく十割に近い。だというのに当人は悪びれもなく(それは他の三人も同じだが)、くどくどと説教した細村に笑顔でこう言うのだ。


『細村さんがどうしてそんなに怒っているのかがわかりません。僕も彼も、ただ殴り合っただけですよ?』


 全身の骨を砕き、両手両足の腱をねじ切り、脳に障害を残すことが、少年にとってはただの殴り合いだったという。本来ならば美しいと感じて魅了されるはずの笑顔に、慄然としたのを覚えている。あれは天使の微笑みと呼べる代物ではなかった。


「無邪気で純粋な悪魔、と言ったところか」


 まるで細村の胸中を見透かしたかのように聖子が呟く。


「いえ、あの女好きを考えると悪魔と言うよりは淫魔ではないでしょうか?」


 とっさに細村の口を衝いて出てきたのは、出来の悪い冗談だった。一瞬、室内の空気が凝固する。その時になって細村は激しく後悔したが後の祭りだった。聖子は部下の下手な暗喩に、くっ、と海賊か山賊の頭領のような笑みをこぼす。眼鏡の奥の瞳に、嘲弄の光が宿るのを細村は見てしまった。


「ホサ村。ユーモアセンスのない君にしてはまぁがんばった方だが、仮にも女性の前でその冗談はどうかと思うぞ?」


 もう機関長のことは女性だと思っていませんから、とは口が裂けても言えなかった。細村は身を小さくして「申し訳ありません」と頭を下げる。聖子はそれを尻目にかけ、


「ま、あながち間違ってもいないがな。だが奴の女癖も時には役に立つ。そういったところも含めて、私はアレを気に入っている」


 と、茶を再び口に含んだ。細村もそれにならう。聖子は一息つき、


「さて、麟についてだが、もう語るまでもないだろう。他の三人同様、両親は不明だが我が国最大の頭脳の持ち主だ。麒麟児という奴だな。君が推す景も確かに優秀な頭脳を持っているが、アレにはかなうまい。……そうだな。言っては悪いが、景達は全体的に秀でているが、逆にこれといった特徴がない。逆にあの四人はそれぞれ、これだけは誰にも負けない、というものを持っている。どちらかといえば、後者の方が私の好みに合うのだろうな。逆に君は前者が好みのようだが」


「好みというよりも……天使の定義を行い、天使に必要なものはなんなのかを考えた結果です。それより麟は、如意宝珠や紋盤の発明者だったと記憶しています。天使として派遣するより、スウェーデンボルグで研究開発をさせるべきだったのではないですか?」


 特に如意宝珠は今や天使にとってなくてはならない物の一つである。聖子が麟の才能を見込んで特待生として迎えたのはわかるが、何故に敢えてその能力を殺すようなことをするのかが細村にはわからなかった。


 聖子の返答は明快かつ的確だった。


「現場を知らぬ者にたいした物は開発できんよ」


 それは細村にとって、納得するのに十分な答えだった。自分の上司が実力主義であり現場主義であることは、知りすぎるほどに知っている。実際、腕っ節に関して細村は、自分より小柄なこの女性にかなわないだろうと思っている。いや、自分だけではない。あの四人組でさえ、かなうかどうか。


「浮に関しては実は最高級の国家機密だが、もう隠す必要もないな。今更わかりきったことだが、奴は龍日の人間ではない。だからといってO.B.Kの人間でもないがな」


 浮が龍日の人間でないことは薄々感づいていたが、O.B.Kの人間でもないと答えられるとは思わなかった。浮のあの超能力。どう考えてもO.B.Kのカーネルに関係があると思っていたのだが……


 細村の意外そうな顔を見てか、聖子が説明を付け加える。


「有名な話だが、O.B.Kのメンバーはカーネルの傍にいなければ何もできん。まずその条件に奴は当てはまるまい?」


「確かにその通りですが……私はてっきり、彼は例外的にカーネルと離れていても大丈夫なメンバーだと思っていたのですが……」


「その可能性も当初は考えられたのだがな。浮に聞いたところ、はっきり否定されたのだよ。また浮の研究をしている麟からも、カーネルと浮とでは決定的に何かが違うという報告を受けている」


「では、彼は一体……?」


 その問いに聖子は即答せず、時を溜めるような沈黙を落とした。我知らず、細村は唾を飲み込み、ゴクリと喉を鳴らす。薔薇の蕾のような唇から、途方もない何かが出てくるのを予感していた。


 しかし。


「わからん」


「は?」


 とんちんかんな答えに、ほとんど脊髄反射で聞き返していた。聖子はまったく同じ言葉を繰り返す。


「わからん」


「……機関長、ですから、おふざけはもういい加減に」


「待て。君は何か誤解している。私はふざけてなどいない。ありのままの事実を述べているのだ」


「では、本当にわからない、と?」


「もちろんだ。私が嘘をつく人間ではないことは知っているだろう?」


「知りませんよそんな事実は」


 細村は慇懃だが断固たる声で聖子の減らず口を切り裂いた。その舌鋒にしかし、聖子は怯むどころか逆に笑みを強くする。


「素直なのは良いことだ。確かに私とて、時に他者を欺くこともあるからな。それはともかく、浮に関しては言ったとおりだ。奴が一体何者なのか、私どころか当人ですらわかっていないのが現状だ。本人は浮世離れしているのか、全然気にしていないがな。だからこそ麟に研究してもらっているわけだが」


「しかし先程、国家機密だとおっしゃったではありませんか?」


「浮の正体がわからない、それが国家機密だよ。何故なら神である天帝にわからないことなどないはずなのに、現実にはわからないことが形としてあるのだからな。正体を隠しておけば、わからないことがわからない。それだけの話だ。馬鹿馬鹿しいとは思わんかね?」


 細村は率直に頷く。


「同感です。ですが、得てして国や組織とはそういうものですから納得もいきますね」


「そうだな」


 ふっ、と聖子は挑戦的な笑みを浮かべる。そんなくだらないものはいずれ私が叩き潰してやる──そんな顔だ。


「……だがまあ、少なくとも、確実にわかっていることが一つだけ、ある」


 続いて出てきた言葉は、片桐聖子という人物にしては珍しく歯切れの悪いものだった。常日頃は見ることのない躊躇いや迷いが、声の端々に現れている。


 細村は思わず上司の顔を凝視した。だがその強い笑みに刃こぼれはなかった。真っ直ぐにこちらを見つめ返してくる瞳にも、自信と矜持に満ちた光がある。


「奴らは〝天使〟なのだよ、細村」


 真剣な顔をして彼女はそう言った。天使という単語の響きに、特別な何かを含ませていた。この時ばかりは細村も揚げ足をとろうとはせず、黙って続きを待った。聖子は頷き、


「よろしい、黙って続きを聴こうとしている君に乾杯だ。部下としてナイスだ細村、褒めてつかわそう」


「今それを全部台無しにしましたね。いいからさっさと続きを言ってください」


「うむ。〝天使〟というのは我々の使っている意味ではない。もっと大きな意味を持つ。神を名乗る人間の部下ではなく、本物の〝天の御使い〟である天使の意味だ」


 聖子以外の者が言えばどれほど滑稽な科白だっただろうか、と細村は頭の片隅で思う。逆に言えば彼女には、どれほど壮大な言葉を吐いていても滑稽にならない何かがある。だからこそ、細村はこの女性についていこうと決めているのだが。


「具体的にはどういうことでしょうか」


 呆れもせず驚きもせず動揺もせず、細村は問うた。聖子はその問いには答えず、ソファーから立ち上がり、細村に背を向けた。歩き出し、己の執務机の傍に立つ。


「それは私の口から言うべき事ではないな。見ていろ、直に答えが出る」


 と、机上の小型端末に手を伸ばす。かすかな音を立ててボタンが一つ押された。


 細村は、はっ、と気付いた。聖子が押したのは、機関長室に繋がる全回線の動力源を司り、なおかつ盗聴機などを無効化する機能をもったものだ。今、聖子がボタンを押したことによってこの部屋の回線全てが意識を取り戻した。つまり、今の今までこの部屋は回線的には絶海の孤島だったのである。


 一体いつからこの部屋は情報網から封鎖されていたのか。まさか自分がここに入室する前からそうだったのか。自分が今回の件に不服を申し立てに来ることすら見越して、この女性は計画の話を持ち出すことを決めていたというのか。


 かなわない。まるでかなう気がしない。呆れるほどの思考能力だと思う。一つ一つの行動に必ずといっていいほど意味がある。何がこの女性をそこまで考えさせ、動かしているのかが不思議でしょうがない。


 振り返る聖子の顔に、細村は神話に聞く戦女神を見た。


「その時、革命が始まるぞ、細村」



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