《駄天使四人組の任務遂行開始》 4
三枚のメタルプレートが空中で三次元的な回転を始めた。風車程度のゆるやかな回転数から一息に加速、大気を唸らせる。それによって現れるのは直径をプレートの全長と同じくする、小さな球体だ。高速回転するメタルプレートから突然、四条の光が奔った。プレートの上下左右から迸った四本の光はその回転に合わせて残光で線を描く。光線は伸び、歪み、捻れ、一瞬で空中に立体物を描く。
幾何学的な柄を持つ、直径三十センチ程度のワイヤーフレームの球体だ。龍日ではこれを『星体』と呼び、ヴァイツェンでは『エーテル』と呼ぶ。昂、純、麟の星体はそれぞれのプレートに合わせて色違いだが、デザインや大きさは変わらない。
星体は生まれた次の瞬間には大きく膨れあがり、弾け飛んで消え失せる。だが、代わりに別の物を置いていく。それが昂達の求めている物だった。
武器である。昂は片刃の剣、純は拳銃、麟はファイルブックをそれぞれ手にしていた。回転することで空気中の星体を掻き集め、それによって自己の姿を変形させる。それが彼らの持つメタルプレート、通称『如意宝珠』の特徴だ。特別な加工法により、特定の物を如意宝珠にすることも可能である。麟の場合がそうだった。
戦闘が開始される。先陣を切るのはもちろん昂だ。六神通のうちの一つ、神足通でも持ち合わせているかのような速度で森の中へ突っ込む。迷いも躊躇いもない直線的な動きで、木々の陰に身を隠しながら接近してきた白い軍服の一つに向かう。
「よう」
「!?」
いきなり目の前に現れた少年を、その兵士はどう思ったのか。怪物でも見るような目で昂を凝視し、見当違いの方向に向けている銃口を修正することすら思いつかなかったらしい。
「ワリぃがこっちもプロだ。恨みっこなしだぜ?」
真っ二つだった。目にも止まらぬ速度で昂の右腕が振り下ろされた。まるでコマ落としの映像のようだった。犠牲者以外の目には、仲間の前に少年が現れたと思った次の瞬間、その身体が二つに割れたように見えた。
赤黒い液体を迸らせ、人体が熟れすぎたトマトのように崩れ落ちる。
にわかに信じがたい光景を目の当たりにした残り六人のうち三人が、視覚からの情報を脳で理解する前に、死神に魂を奪われた。純の手にある漆黒の拳銃から放たれた弾丸が、彼らの脊髄を正確に打ち抜いたのだ。如意宝珠から作製された銃は、金属ではなく空気中の星体を凝縮して発射する。火薬を使用しないため音は全く生まれない。その貫通力はヴァイツェンで使用を禁止されている劣化ウラン弾に勝り、また属性の変更も可能で、純が望めばホローポイント弾のように目標の体内に残留させることも出来る。その場合の星体は白熱する金属に等しいので、目標は体内から焼け死ぬことになる。今の純は貫通力を優先し、身体を隠す樹木ごと彼らを撃ち抜いたのだった。
声もなく木の陰に崩れ落ちる兵士を目にしても、純はその死を祝福するかのように微笑んでいた。まるでそれが自分の責務であるかのように。
「ブチ抜くという表現は正しくないな。今回の任務は静かに行うべきだ」
とは、後ほどヴァイツェンのマスコミに『正体不明のテロリスト』と呼ばれることになる爆弾魔である。麟は手にしたファイルブックを開き、その中から銀色に輝く一枚の円盤を取り出した。名を『紋盤』という。表面に如意宝珠とは違う紋様が描かれているのだが、これを同じように回転させると、
「密やかに凍り付くといいだろう」
青白い、雪の結晶に似た柄の星体が生じる。麟が手首を翻すと、星体は見えないレールの上を滑るように宙を走った。文字通り星の輝きを持つ球体は斜め上へと上昇し、吸い込まれるように木の上で機会を窺っていた兵士の胸元へ。
「──!?」
凍結する。
星体と兵士の軍服とが触れ合った途端、爆発的に冷気が発生したのだ。問答無用で半径二メートル程の空間が純白に塗り固められた。圏内にとらわれた兵士の命ごと。
突然の冷気に凍り付いた大気中の塵が、ダイアモンドの欠片のように降り注ぐ。そんな中、残り二人となった兵士達は退却の選択肢を選ばなかった。それどころか、既に昂を除く三人の傍に接近していた。
仲間が物言わぬ彫刻に変えられて、きっちり三秒後。一人が麟の頭部に報復の一撃を叩き込まんと陰から飛び出した。手にしているのは大振りのナイフ。大人の腕力をもってすれば子供の頭など軽く叩き潰せる代物だ。だが、
「どうもこんなナリのせいか私は頭脳派や穏便派に見られるのだが」
背後から振り下ろされるナイフの刃を見もせずに、麟は一歩右に動くことでそれを回避した。
「実はこう見えても武闘派かつ暴力的でな」
他の三人に比べると短いが、身体の比率から見ると麟の足は長い。身長さえあればかなり癖の悪い足になったことであろう。その足が旋風の如き後ろ回し蹴りを放つ。靴底がめり込むのは小柄な麟の眼前、兵士の胸の中央だ。螺旋軌道を描いて入った蹴りの衝撃は兵士の身体を空中に浮かせ、吹っ飛ばした。
兵士の身体の飛んでいく先には浮がいた。煙草をくわえて周囲の喧噪など無いかのようにただ立っている巨躯に、兵士の身体が物理法則に従って激突する── その直前だった。浮は身じろぎ一つしなかったというのに、兵士の身体が目に見えないハンマーに殴られたかのように地面に叩き落とされた。まるでハエ叩きで落とされれる虫のように。
「うざい」
浮がぼそりと呟くと、足下に倒れ臥した兵士の身体が透明人間に蹴り飛ばされたかのように跳ね上がった。
「ごぶっ……!」
兵士は口から大量の血を吐きながら転がり、木の根本にぶつかって止まった。血まみれになった顔から、急速に生気が抜けていく。
触れる必要のない力。筋肉に生体電流を流す必要もない力。また星体にも依らない力。それが浮の武器である。彼のこの能力は龍日では機密に属するが、存在だけは世間一般にも知れ渡っており、『念動力』や『意志の力』などと呼ばれている。これはヴァイツェンと敵対する超人類集団〝O.B.K〟に所属する者達の特徴でもあるからだ。と言っても、浮はO.B.Kのメンバーではない。極秘裏だが龍日でも五本の指に数えられる学者の麟に言わせれば、浮の力はO.B.Kのメンバーのそれとは根本的に質が違う。O.B.Kのメンバーは『カーネル』がいなければその能力を行使できないが、浮はそうではない。彼は彼自身のみでその異能を発揮することができるのだから。
最後の一人となってしまった兵士から、小さな金属音が生まれた。手榴弾だ。自暴自棄になったのか、それとも非情な判断を下したのか。安全ピンをはずし、もはや兵士は仲間ごと四人を始末にかかった。
「──っ!」
風を切って手榴弾を投擲し、安全圏へと走り出す。その顔は恐怖に引きつっていた。六人もいた仲間達が、二十秒足らずで冥界に送られたのだ。当然だった。彼は悪夢の生み出した怪物を消し飛ばすために、本来ならば禁止されている手榴弾を抜いたのだ。
哀れなことに、彼の恐怖は消し飛ばなかった。
「爆弾処理は得意でしたよね、麟君?」
「別に得意というわけではないのだが……この場合は私より浮殿の方が良いだろう。浮殿」
純に聞かれた麟は、宙を飛んできた手榴弾を無造作に片手で掴み取った。手首を翻し、そのまま浮の方へさばく。
浮は何も言わず、ただ口から煙を吐き出した。そしてこちらへ飛んでくる手榴弾を一瞥する。
それだけで終わりだった。
手榴弾が空中で姿を消した。空間に開いていた穴に飛び込んだかのように。
ややあってから、そう離れていない場所で爆発が巻き起こる。
ちょうど兵士が走り去っていった方向だった。爆音が大気を叩き、空気が痺れる。爆風に煽られ、砕けた木の破片や土が飛び散った。
もうもうと立ちこめる煙を前に、麟は口元に笑みを浮かべて嘆息する。
「さすがは浮殿だ。申し分ないタイミングだな」
「全くですね。……と、あれ? そういえば昂君もあっちの方に行ってませんでしたっけ?」
「なんだと? まさか……」
「そのマサカだこのタコっ!」
土煙の中から、泥にまみれた昂の姿が現れた。髪や服が大量の土と木くずにまみれているが、彼自身はまったくの無傷である。昂は服の袖で顔の泥をぬぐいながら、
「ったくよ……少しは人のこと考えて行動しやがれってんだ。殺す気か!」
「あの爆発で無傷な人を殺すのは難しいような気がしますけど。まあ無事で何よりでした」
「全くだ。大体、運が悪かったのだ。昂殿がいる方向に奴が逃げたのだから仕方がないだろう」
「どうでもいい」
「どうでもいいとか言うなテメ浮コノヤロウ! テメエ一番むかつくぞ! だいいち俺ンとこに手榴弾を瞬間移動させたのテメエだろうが!」
怒鳴ろうが喚こうが浮はどこ吹く風だ。彼は山のようなものだった。何を叫んでもこだまが返ってくるだけで、こちらが求める反応は何一つ無いのだ。それを知っている昂は荒々しく息を吐いて抗議を諦める。
結果的に、発憤するつもりが逆に鬱憤を溜めてしまった。忌々しげな表情に張り付いた泥汚れを乱暴に拭い取ると、昂は地面に唾を吐き捨てる。
「んで? どこに行くって?」
発したぶっきらぼうな質問は麟へのものだ。白衣の少年は豊かな金髪を揺らして頷く。
「まずは早急にここを離れよう。少々派手になりすぎた。蜜姫嬢の情報は道すがら話そう……ん?」
そう言った時だった。遠くから警報らしき音が聞こえてきた。唸る獣のように危険や緊急事態を訴える電子音は、少しずつこちらへ近づいてくる。
この状況を純が簡潔に言い表した。
「増援の方々ですかね? さっきの爆発でまた見つかってしまったとか。しかも今度はさっきよりも大勢みたいですけど……どうしましょう?」
「純殿、そういったことは困ったように言うべきだ。どうしてそう嬉しそうな笑顔なのだ?」
「こういう奴だ。ほっとけって」
「ふむ、確かに」
昂の言葉にもっともそうに頷くと、麟は周囲に流れ始めた緊迫感と高まっていく敵意に対し、恐怖の感情をベッドに置き忘れてきたかのような様子で言い放った。
「仕方ない、それでは再び〝ブチ抜く〟としようか」
どうやら話の続きはまだまだ先になるようだった。