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《駄天使四人組の任務遂行開始》 3

「何度も申し上げますが、正直、正気の沙汰とは思えません」


 機関長補佐役の細村悟はそう切り出した。彼は、最初から誰かの補佐をするために生まれてきた男だと言われている。主体性も主導性も無いためトップには立てないが補佐・補助・サポートをさせれば右に出る者はいないという、不思議な男だからだ。彼に補佐された人間は例え無能でも方針さえ持っていれば確かにそちらへ進むという。細村悟、略してもホサ。天使養成機関スウェーデンボルグを支える優秀なスタッフである。


「こちらも何度も言うが、まあ落ち着きたまえ、ホサ村」


 一方、細村に正気を疑われた人物は悠然と椅子に腰を下ろしたまま、ごく自然に彼の名前を間違える。何度訂正しても同じ間違いを繰り返すので、細村はもう諦めている。おそらくはわざと間違えているのだ、と気付いたのはごく最近だ。スウェーデンボルグで細村を呼び捨てに出来る人物はただ一人。高価な革張りの椅子に身体を埋めるようにして座り、足を組んだその姿は妖艶でもある。艶やかな黒髪に切れ長の目、オーダーメイドのスーツを隙無く着こなし、顔にかかった眼鏡のレンズはどんな私情をも遮断する。天使養成機関スウェーデンボルグ機関長、片桐聖子。


「君もなかなかにしつこいな。そんなに私の判断が信用できないか?」


 彼女は代々機関長のみが腰を下ろすことを許された椅子から、腕を組んで部下の顔を見上げる。胸元に『天裁の剣紋』の刺繍が入った特注スーツに身を包んだ細村の顔は、その性格と能力のためか、どうしようもなく地味で堅実だ。身体も中肉中背で特記するようなことはないが、強いて挙げるならば、声だけはいいものを持っている。


「信用するしないの次元ではありません。あなたのことは心から信頼し尊敬していますが、無理・無茶・無謀は見過ごせません」


 はっきりとした滑舌と豊かなイントネーションで流れ出る言葉。万人の耳に心地良い響き。アナウンサーにでもなった方が良かったんじゃねえか、とは昂の弁である。


「無理・無茶・無謀の三拍子ときたか。おもしろいなホサ村。そんな暴言を私に吐ける人間は数少ないぞ? 何故だかわかるか?」


「失礼ですが興味がありません。話を進めます。もう一度聞きますが、何故、あの四人なのですか」


 聖子の振った話題をにべもなく叩き落とした細村の言葉は、内容こそ問いかけだったが、その口調はほぼ詰問だった。顔と言わず全身が、真面目に答えてもらえるまではテコでも引き下がらない、という気迫を発している。


 聖子はやれやれと肩をすくめ、


「ユーモアを理解しないところが君の悪いところだ。……質問の答えだが、その前に私は一つ問いたい。君は『あの四人を送るべきではなかった』と言いたいのだろうが、では逆に、あの四人以外に誰がいると思うのかな?」


 細村の両目が、まっていました、とばかりに輝いた。彼はその質問を待っていたのだ。もちろん答えはもう用意してある。


「わがスウェーデンボルグの生徒は現在総数一〇八名ですが、その中の成績上位の者数名が妥当だったと私は考えています」


「例えば?」


 細村の口元に勝ち誇ったような笑みが、小さく浮かぶ。


「景、藍、蓮の三名です。どの生徒も実技・学科共に優秀な成績をおさめていますが、特に景に至っては我が校始まっての天才かと。将来的には間違いなく天龍の一人になるものと思われます」


 まるで我が子を自慢するかのような細村の言いようだったが、それを聞く聖子の表情はひどくつまらなさそうだった。


「凡人の発想だな」


 おもむろに聖子はそう断定した。その途端、細村の口がピタリと閉じられる。誇らしげな口上が途切れ、沈黙する。聖子の言葉の続きを待っているのだ。


「なるほど、確かにその三名は優秀だ。私とて知らないわけではない。エリートたる天使の、そのまたエリートである天龍に数えられるのも、そう的はずれな予想ではあるまい。だがな」


 そこでいったん言葉を切り、何かを溜め込むような沈黙が挟まれた。


 そして生まれ出た言葉は、


「それじゃおもしろくないだろう」


 聖子の顔は真剣そのものだった。しかしこの程度で呆気にとられるほど細村も短い付き合いではない。彼ははっきりとこう返した。


「それはそうでしょう」


 一直線に叩き返された会話のボールを、聖子はしばし保留にする。そして真面目な顔のまま、


「おもしろくなければ意味がない。これは大前提だ」


「そんないい加減なものを大前提などと言わないでください」


 きっぱりはっきり、細村の振るう言の刃には容赦がない。聖子は身体をやや椅子の背に預け、軽く軋ませる。開いた口から出たのは全く別の話題だった。


「……君はこの世界が何度も繰り返されている、という説を知っているか?」


 流石の細村もこれには意表をつかれた。目を丸くする。


「は? あ、ええ、まぁ。確かそのようなことを示唆する文献があるそうですが……」


「そう。その文献によると、今が何周目なのかわからないが、数百億年、あるいはそれ以上という膨大な時間を一つの周期として、この世界は同じ歴史を繰り返している……とある。グラウンドのトラックを何周も走るようにな。そう考えれば、数千億年前にも私や君は存在したということになる。今の姿形、記憶、両親、祖先、その他諸々、全く同じものを持ってな。そして、同じ事を繰り返している。今こうやって会話していることも、既に数千億年前に行われていることになるな」


「輪廻、と呼ばれるものですね。知っています。しかし、それが一体なんだというのです?」


「わからんか? つまり、歴史は繰り返すというわけだ。全ては最初から決まっていて、これから先の未来も、遙か昔に始まったことなのだ。だからな」


「……だから──なんでしょうか?」


「何をやっても前代未聞にはならんのだから、どうせならおもしろおかしく生きたいと私は思うのだよ。そう。逆に考えれば、私がこれから行うことが過去に起こった輪廻歴史となると考えればおもしろいな。過去も未来も、今の私が決める……うーむ、哲学的ではないかね?」


「つまり何が言いたいのでしょうか?」


「よろしいホサ村。君は優秀だ。常に的確に本質をついた質問をするな」


 聖子は伝統の椅子から身体を起こし、立ち上がった。身体ごと窓に顔を向ける。それはちょうど細村から顔を背け、背を向ける形になる。彼女の身長は龍日の女性平均よりやや高いが、それでも男性の平均値である細村よりは低い。それでも細村はその背を巨きいと感じる。物質的に見れば小さな背でも、精神世界から見ればとてつもなく巨大で重いものを背負っているのだ。


 スウェーデンボルグ機関長は傲然と腕を組み、背筋を伸ばす。


「現状を整理しながら話そうか。何故あの四人を派遣したのか。それはだな」


「それは?」


「正直に言おう。あの四人でなければ他の機関長達の許可が下りなかった」


「……どういうことでしょう?」


「つまり、だ。ヴァイツェンは安保条約を結んでいる国ゆえに天使の派遣はできない。まあ天使は我が国の機密であるから、派遣したところで一般の人間や軍人にはわからないのだがな。あちらで天使云々に関する情報を握っているのは政府・軍部の最高責任者ぐらいだろう。かと言って、天使を派遣してウィルフレッド=アレッキノ首相やアレックス=バトライザー元帥に知られた場合は外向的に非常にまずい。いや、むしろはっきり言って戦争突入だろうな。だからまあ、天使ではないが、天使とほぼ同等の実力を持つ者を派遣しようという話になった。すまん、水をくれ」


 ここで小休止を挟む。細村が水差しからコップに注いだものを受け取り、一気に飲み干す。


「……水をくれと言ったはずだが」


「申し訳ありません。本日は気を利かせたつもりで青汁を……身体には良いので我慢してください。と言いますか飲む前に気付くべきかと」


「えげつない味だな。まあ、そういった複雑かつ微妙な事情から天使見習い──養成機関生徒の派遣が決まったのだが、ここで問題が生じた」


「つまり、どこの天使養成機関からどの生徒を派遣するか、ですね?」


 細村の科白に、聖子は空になったコップを机に置きながら頷いた。


「なにせ二三宗家の令嬢救出だ。成功すればその養成機関の株が上がるだけではない。全機関長などという役職が作られ昇進するかもしれん。あるいは、そこ以外の養成機関はつぶされてしまうかもしれん。精鋭を育てるのが天使養成機関の使命だからな。甲乙つけがたかった養成機関の中で角を出す機関があれば、そこを優先するのは当然だ」


「それで、五人の機関長によるせめぎ合いが生じたと言うことですか」


「そういうことだ。そこで、私はこう主張した。我が養成機関における成績最低の者を四人派遣しよう。それによって我がスウェーデンボルグの優秀性を証明したい、と」


「それで、あの三善趣の蓮山機関長やペリグリーズの鷹道機関長は納得されたのですか?」


 細村が挙げた名は、五人いる機関長の中でも特に打算的な性格で、腹黒さでは一・二を争う二人だった。あの二人がただそれだけの条件で引き下がるはずがない。


「無論、さらに条件が追加された。本当に我が機関の成績最悪の者かどうか、信憑性の高い資料を出せ、とな。そうこられてはこちらも小細工することはできんだろう。それに……君も心配していることだが、もしあの四人が失敗すれば私の命はない。大言壮語しておいて『出来ませんでした』では話にならん。天帝の怒りを買い、まあ順当にいって死刑だな。そのあたりもあって、彼らは納得してくれたよ。それとまあ、私が女だからなめているのだろう。どうせ失敗すると思っているに違いない」


 口の端をつり上げ、にやりと笑う。瞳の奥で燃え上がる炎が、瞬間、眼鏡を超えて外へ溢れ出たように見えた。それはどんな強敵にも立ち向かう挑戦者の目つきだった。その気迫は彼女の全身にまで及び、細村に向けた背中からも熱波のごとき波動が放たれる。


 それでも細村は、先程も言ったことをその背中に繰り返した。


「やはり何度も申し上げますが、正直、正気の沙汰とは思えません」


 細村があの四人に関して苦言を呈するのには理由がある。成績が底辺を這いずり回っているだけならばまだいいのだ。腐っても、彼らは精鋭を育てる天使養成機関の生徒なのだ。そもそも能力のない人間はここにいることすら許されない。だから、それ以前の問題なのだ。カリキュラムはさぼる、喧嘩はする、騒動は起こす──例を挙げるのも馬鹿馬鹿しい。そんな札付きの不良問題児共なのだ。成績云々の次元ではない。もはや生徒として数えてはいけないとすら、細村は考えている。しかし、


「……確かに、彼ら四人は機関長が自ら特待生として招いた生徒ですから、思い入れがあるのはわかります。ですが、せめて彼らではなく、他にも同程度の成績の者がいるではありませんか。それならばまだ……」


 そう言った途端だった。窓に顔を向け続けていた聖子が、突然、細村の方へ視線を向けた。その表情には『?』と疑問符が付いている。


「思い入れ? 何を言ってるんだね君は?」


「はい?」


 細村は思わず間抜けな声をこぼした。今、会話の中で何かがズレてしまった。おかしい、どこをどう間違ってしまったのだろうか? そう細村が思ったところへ、聖子が質問を重ねる。


「私があの四人に思い入れがあると、本気で思っているのかね?」


「……違うのですか?」


 生真面目に聞き返した。すると、大きな笑い声が生まれた。聖子が笑い出したのだ。それはもう、かんらかんらと表現しても良いほど、軽やかに。


「今のはなかなかのジョークだな、ホサ村。なんだ、一応ユーモアのセンスがあるではないか」


「冗談を言ったつもりはありません」


「わかっている。こっちこそ冗談だ」


 にやりと笑うその表情はひどくシニカルで、彼女によく似合っていた。聖子は肩に掛かった黒髪をかき上げ、再び腕を組んで窓の外を見やる。


「私が奴らに執心している、か……残念だがハズレだ。強いて言うなら、私が奴らに抱いている感情は、そう……期待だな」


「期待?」


「そうだ、期待だ。まあ、君にとっては似たようなものか。そういえば奴らを特待生として招いた理由も経緯も目的も、君にはまだ説明していないしな」


 細村は大いに頷いた。最初から納得がいかなかったのだ。人事課も通さずに〝外〟から四人も子供を連れてきた挙げ句、特待生として登録するなど。生真面目な細村から言えば言語道断の職権濫用だった。


「説明をしていただけるのですか?」


 切り込むような口調だった。その舌鋒の鋭さは槍に例えても良いだろう。言い逃れなどさせない、そんな気迫が聖子の背に突き刺さる。


「無論だ」


 意外にもあっさり返事が来た。細村はやや拍子抜けする。簡潔に言い表せば機関長は『意地悪な人』になると細村は思っている。いつもならばここでさんざん焦らされるのだが……


「ただし、条件がある。それが呑めないのであれば話さん。いいかね?」


 聖子の声が低くなった。途端、その全身から威風が起こる。勿論それは細村の主観的な錯覚で、実際に室内の大気はそう動いていない。彼の感じている威圧感は、彼自身の内にある、聖子への畏敬の念から発生しているのだ。


「……どのような条件でしょうか?」


 そう聞き返すことで、細村は聖子の問いかけに肯定の意を表した。無様な音を立てそうだったので、唾を飲み込むのを我慢した。この女性についていくからには無様ではいけないと、普段から細村は考えている。なんだかんだあれやこれやと進言することの多い細村だが、それは片桐聖子という人物を尊敬しているからこそだ。この人の力になりたい、この人を助けたい、だからこそ言うべき事は言わなくてはならない──そんな想いが彼の口を衝くのである。


 聖子は振り返らず、どこか冷たさを感じさせる態度で、


「私が死ねと言ったら死ね」


 とはっきり言った。


「その覚悟があるならば、これから」


「死にます」


 続いた聖子の科白を遮断して細村は即答した。意識してそうしたわけでなく、反射的に口が動いたのだ。


 刹那、時が凍り付いたような静寂が生まれた。それを埋めるように細村は言葉を重ねる。


「死にます。その覚悟があります。何でもします。ですから、説明してください」


 ここで珍しく、聖子が躊躇いがちな声を出した。


「……これまた驚いたものだ。いきなりこんな事を言えば、まず引かれるものと思っていたのだが」


「引いてますよ、思いっきり」


 胸を張っていう科白でなかった。聖子の口元に笑みが浮かんだが、細村には見えない。ただ、ふっ、という吐息だけを聞いた。


「君も強者になったものだ。大体、あの四人をなぜ特待生に選んだのかを聞くためだけに命を賭けろと言われて、賭けるのは常識か?」


「非常識でしょうね。しかし、これぐらいでなければあなたの側近はやってられません。どうぞ遠慮無く説明してください。私が死ぬ必要がある時も遠慮無くそう言ってください。私はあなたの指示に従います」


「盲目的に、かね?」


 聖子の声が悪戯っぽく響いた。細村は堂々と答える。


「いいえ。これからも言うべき事を言い、示すべき道を示します。気に入らなければ捨ててください」


 今度こそ聖子は、くくっ、小さく笑いをこぼし、振り返った。その顔には実に不敵な笑みが浮かんでいる。


「よろしい。私は運が良いようだ。まったく得難い部下を持っている。ありがたいことだ」


「お褒めにあずかり光栄です」


「お前は馬鹿だ、と言ったのだよ」


 可笑しくてたまらないといった口調で言う。それに対して細村は頷くことも、一緒に笑うことも出来ない。言葉に詰まる。


「いいだろう、細村。私も君を心から信頼しようではないか。耳をかっぽじってよく聞きたまえ。私がこれから行う……いや、すでに発動している計画を」


 鋭い煌めきが天使養成機関スウェーデンボルグ機関長の瞳に閃く。それは知性の輝きだ。だが、天使達を率いる天使長の持つ光ではなかった。どちらかといえば、人間の魂を食む悪魔に例える方が比喩としては正しい。


 計画。


 その思いもよらぬ響きに、瞬間、細村の胸は高鳴った。自分の知らないところで見えない何かが動いていた。いや、目の前のこの女性が動かしていたのだ。聞くだけのために、死の覚悟まで求められたそれは、きっと小さなものであるはずがなかった。大きく、かつ濃密なものに違いない。


「先に言っておくが、驚いて腰を抜かすなよ?」


 そんな冗談じみた前置きをしてから、聖子は『計画』について語り始めた。


 細村は話の途中で、本当に腰を抜かすことになる。




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