《駄天使四人組の任務遂行開始》 2
「相変わらず容赦のないことだ」
純の話を聞いて、ミラーシェードで顔を隠した白皙の少年は静かにそう述べた。癖のある豪奢な金髪がまるで獅子のたてがみのように少年の顔の三方を飾っている。ミラーシェードをはずせば眉目は秀麗で、印象的な蒼穹色の瞳と合わせれば、その美貌は純と比べても遜色はない。ただ唯一の欠点さえ除けば。
小用から戻ってきた昂が少年に声をかける。
「よう麟。相変わらず小せぇな」
そう、小さいのである。詳しく言えば、背が低いのである。もっとはっきり言おう。身長は一五〇センチ、体重は四三キロ。その美貌ゆえか、少女と間違われることも希ではない。せっかくのミラーシェードも、ここまでの童顔にかかると逆に可愛いものだ。むしろしょっちゅう少女と間違われている。
「黙れ。好きで小さいわけではない。思うに、私にはまだ成長期が来ていないだけだ」
しかしそれでも本人は男らしくありたいらしく、同年代の少年たちより少女たちと比べた方が良いほど黄色い声だというのに、このような厳めしい口調でしゃべるのだ。
当然、それは周囲の失笑の対象だった。今も昂はからかい半分にニヤニヤと、微笑ましく思った純は可笑しそうにクスクスと、それぞれの表情で笑っている。自分の固い喋り方が容姿に似合わず、逆に周囲に『可愛らしい』と思われていることを知らないのは当人ばかりだった。余談だが人気だけで言えば、スウェーデンボルグ内に限るが、彼は純を凌駕している。ほぼマスコットのようなものだが。
名は麟。昂や純と同じく、黒地の所々に深紅色をあしらったスウェーデンボルグの制服に身を包み、その上に白衣を着込んでいる。ヴァイツェンに送り込まれた天使見習いの一人である。
三人は前もって打ち合わせておいた集合場所に立っていた。ヴァイツェンの首都『ガングニル』の、軍部関係者の官舎や屋敷などが密集する地域の片隅である。背の高い建物とそれらの周囲を覆う森林が多く、故に人目につかない死角も無数に孕んでいる。とても軍部の管轄下とは思えないほどの杜撰ぶりだが、軍人にとってみれば、ここに敵の侵入を許すようでは戦争に勝てるはずがない、と考えてしまうものなのだろう。一般人が思うより甘いところの多いのが現実である。
「それよか……」
本人は真面目に論じているつもりであろう麟の言い訳を無視し、昂は周囲を見回してからこう尋ねる。
「おい、浮はどうしたよ?」
麟と行動を共にしているはずの少年の名を昂は口にした。先ほどの作戦行動は、昂と純、麟と浮の二人一組で、それぞれがこのヴァイツェンに二人いる中将の屋敷へと、潜り込む手筈になっていたのだ。その質問に麟はそっけなく応じる。
「別行動中だ。彼ならじきに戻るだろう。それより、グランツ中将の手下どもを全滅させた話などはどうでもいいのだ。巫桜院の蜜姫嬢に関する話を聞かせろ」
その言葉に昂の両目がつり上がった。この少年、彼をよく知る者には瞬間湯沸かし器に喩えられるほど気が短い。麟より二五センチ以上の高見にある赤い瞳から、日光を受けて燦爛と輝く金髪に向かって、目に見えない針が連射される。
「偉そうな口きいてんじゃねえぞテメエ? いつからテメエがリーダーなったんだ? あ?」
「…………」
これを受けた麟が顔を上げ、無言のまま、蒼穹色の瞳から不可視のレーザーを放つ。と、そこへ純がタイミング良く質問に答える。
「女性は一人もいなかった上、情報もありませんでしたよ? 中将クラスでも知らないということは、さらにその上の人たちの仕業か。あるいは……」
「あるいは……なんだよ?」
「わからんのか、馬鹿め。少しはその肩の上に乗っている立派なものを使ってみれば良いのだ。それとも、それはただの飾りか?」
「んだとコラァ!」
「まあまあ、指を立てるのは下品ですからやめた方がいいですよ昂君。そう、あるいは……ヴァイツェンの軍部とは無関係だったのかも、しれませんね?」
「確かにその可能性はある」
麟は断定口調で純の示唆した可能性を肯定した。
蜜姫嬢はあくまで、姿を消す直前に『白い服の男数人に囲まれているのを見』られただけだ。その『白い服の男数人』をヴァイツェンの者と断定するだけの情報材料は、現時点ではない。ヴァイツェンの犯行を装った、まったく別の組織による仕業である可能性は少なくないのだ。さらに言えば、目撃情報そのものが嘘である可能性すら捨てきれない。
「そもそも誘拐であるならば、その目的が不明なのだからな」
巫桜院蜜姫が姿をくらましてから既に三日が過ぎている。身代金にしろ政治的要望にしろ、目的があるならばまず巫桜院家に連絡を入れるのが筋であろう。希望は伝えなければ叶えられないのだから。しかし現時点において犯人からの連絡はない。そのため、蜜姫が誘拐された理由が判然としないのである。
「じゃーよ、もしかすっと、その女自体が目的だったんじゃねえか? ぶっちゃけ、犯りてえ、とか」
「もう少しオブラートに包んだ方がいいですね。体が目的だった、という風に」
「意味は変わらんだろう。それより下品な発言は慎め。不愉快だ」
吐き捨てる麟のミラーシェードの向こうにある顔は、りんご色に染まっていた。
「つうか耳まで赤いぞテメエ?」
「だ、黙れ」
「初々しくて可愛いですねぇ、麟君は。女の子たちがキャーキャー言うのも無理ありません」
「黙れと言っている! そ、それより浮殿はまだか? そろそろ戻ってくる頃合いだ」
怒鳴ってから、それを誤魔化すように麟はあたりに視線を振りまく。するとそれを待っていたかのように、すぐ傍の建物の陰から、ぬっ、と大きな人影が出てきた。
どこか雪山を連想させる男だった。昂達とはまるでサイズが違うが、スウェーデンボルグの制服を着ているため、体を覆っているのは黒と少しの深紅。そして頭部には、まるでパウダースノーを降りかけたような白髪がある。
昂は先ほど麟に向けて言った台詞とは正反対の言葉を、その男にかけた。
「よう浮。相変わらずデケーなオイ」
浮は無言で三人に歩み寄り、麟のすぐ隣で足を止める。彼と麟とでは身長に五十センチほどの開きがあった。並んで立つと親子にしか見えない。
例えるならば浮の体格は、かつて英雄と呼ばれた戦士にも似ている。服の上からでもわかるほど筋骨隆々たる身体だ。実際に龍日の博物館に飾られている『龍騎』という石像は逞しい肉体の理想像の一つだが、浮の体躯はその石像とほぼ等しい。威風すら漂う素晴らしい身体だったが、その上に付いているものがどうにもいけなかった。ぼさぼさの白髪が顔の上半分を隠している上、露出している部分には無精ひげが目立つ。けっして不衛生なわけではないのだが、見る者の目に、あるはずのないフケを映してしまうほど、それはだらしない印象を与えてしまう。
「遅かったな、浮殿。首尾はどうだ?」
浮は答える代わりに、首を縦に振ることで麟の言葉を肯定した。
「首尾?」
二人のやりとりに純が疑問の声を投げかける。麟は軽く頷き、
「なに、少しな」
と、白衣の懐から小さなリモコンを取り出した。おもむろにスイッチの一つを押す。
いきなり、ずどん、ときた。
遠くで爆発音が生まれ、天に響いた。ややあってから振動が地面を伝わってくる。数拍おいて、南の空に黒い煙が立ち上った。
昂が声を出したのはそれから十秒後である。
「……をい」
「ん?」
「ん? じゃねえっ! 『何故こいつはこんなイヤな顔で私を見ているのだ』って言いたげな目ぇすんなっ! なんだテメエ今のはっ!」
麟はさらりと答えた。
「爆破だ。貴殿らとは違い、私は手っ取り早い方法をとった」
「ああ、なるほど。それで浮君はスイートス中将の屋敷に爆弾を仕掛けていた、というわけですね?」
「その通りだ」
純の言葉に、麟は当たり前な顔で頷く。だが次の瞬間、その鼻先に勢いよく昂の人差し指が突きつけられた。
「む?」
「いいかテメエ。はっきり言ってやるから、よーく聞けよ?」
「うむ」
「──やりすぎだ馬鹿野郎!」
「……なんだと?」
麟の顔が一瞬にして蒼白に染まり、足元がよろりとふらついた。小柄な少年は一歩あとじさり、
「まさか昂殿に……よりにもよって昂殿に『やりすぎ』と言われるとは……!」
「なに本気でショック受けんてんだコラァ! 純に言われるよかマシだと思いやがれ!」
「た、確かにそれはそうだが……それでも貴殿も十分……いや、これ以上言うのはよそう」
麟は何かから逃れるように青ざめた顔を昂から逸らす。それを見咎めた昂がさらに何かを叫ぼうとしたところ、
「なんだかよくわかりませんが、僕には昂君の気持ちも麟君の気持ちもわかりますよ?」
と純が微笑んだ。
「「…………」」
昂と麟は二人して黙り込んだ。呆気にとられたから、というのはもちろんだが、それ以上に言いたいことが脳内で一気に溢れ返ったため、逆に何も言えなくなったのである。
昂に言わせれば「気絶して倒れてる連中に平然とトドメ刺してた奴が他人に『やりすぎ』と主張するつもりかコイツ」となり、麟に言わせれば「昂殿よりも情け容赦のない純殿に気持ちがわかると言われても複雑だ」となる。
渋い顔をして横目で見つめる二人を無視するかのように、純は舌の矛先を浮に向けた。
「それよりも今の爆発で騒ぎになってしまいそうですね。ここにいるとまずいかもしれないので、別の場所に移動しましょうか。ねえ、浮君?」
その言葉通り、四人の周囲の空気が騒然たるものに変わっていく。あらゆる方向から「何事だ!?」「あっちだぞ!」といった声が届き始めた。近くに居を構える軍人達が爆発音を聞き、飛び出してきたのだ。
同意を求めた純の科白に、麟の傍でただ立ちつくしていた浮は、ボソリと簡潔にこう言った。
「どうでもいい」
そして平然と懐から煙草の箱を取り出し、爆弾をとりつけた手で火を点ける。科白からわかるとおり、この浮という少年──見た目だけで言えば青年でも通用するだろうが──は原則的に無口・無気力・無関心だった。例外はたった一人。彼が唯一心を開き、意思の疎通を図るのは、傍に立つ白衣姿の小柄な少年・麟だけである。
「では、必要事項を述べてから移動を開始しよう。確か、こちらの報告がまだだったな」
その浮の唯一無二の親友である麟は、辺りの様子に気を配りながら次のことを淡々と言った。
「私たちは巫桜院蜜姫の居場所の手がかりを掴んだ」
さらりと。
「──はあ!?」
無音の雷撃がすぐ傍に落ちたようだった。それほど重要な一言だったのだ。
脳が言葉を理解するために必要な一拍を置いてから、昂は噴火した。
「──テンメエぇぇっ! そういうことは先に言えっつうのっ! 手がかり掴んでんならこっちのこと聞く前に真っ先に言いやがれ! この馬鹿野郎!」
だがこれに、麟はさらりと返す。
「すまない、謝罪する。もしかすると我々とは違う情報を掴んでいるのかもしれないと思ったのでな。それでは移動しようか」
「それだけか!? それだけかテメエ!? つうか喧嘩売ってんだろ上等だこの野郎──って先に行くな!」
「──誰だ! そこで何をしている!」
平然と昂を無視して麟が歩き出したとき、四人に誰何の声がかかった。煙草を吸っている浮を除いた三人が顔を見合わせる。
「おやおや。どうやら昂君の大声で見つかってしまったみたいですよ?」
「俺が悪いんじゃねえよ。このチビが悪ぃ」
「私をチビ呼ばわりするな! もう一度言ったら容赦せんぞ!」
四人は現在、一方を建物の壁、三方を木々に囲まれている。誰何の声が飛んできたのは、ちょうど壁とは反対方向からだ。立ち並ぶ樹木の向こう側から、複数の気配が近づいてくる。
それを意に介せず、むしろ無視して昂は獰猛な顔と険悪な視線を下方の麟に向ける。
「あんだよやんのか? ん? このチビスケ」
チビスケ。その一言が見えない何かの糸を切ってしまった。麟の顔から表情が消える。
「……言ったな。昂殿、任務の間は戦友とはいえこればかりは許容できない。少々痛い目を見てもらおうか……!」
「何者だと聞いている! 速やかに答えろ、さもなくば──」
さらに誰何が重ねられる。この時、天使見習い四人組の存在に気付いたのは官舎で非番を過ごしていた七人の軍人達だった。爆発音が聞こえたので外に出たところ、小さな森の中からなにやら怒鳴り声らしきものを聞きつけたのだ。もしかすると先程の爆発と何か関係があるのかもしれない──そう考えたのが彼らの不幸だった。
「まあまあ二人とも。喧嘩するのは結構ですけど、とりあえずこの状況を何とかしませんか?」
簡単に言えば、敵に囲まれている。そんな状況だというのに昂と麟を宥める純の顔は平静そのものだ。笑顔が絶えない。それが彼の長所であり、短所であり、特徴だった。
昂と麟は二人同時に舌打ちをする。
「しかたない、決着は後に回すぞ昂殿」
「ああ、それまでにテメエが生きてたらな」
そうして二人の手に現れたのは、翼持つカメレオンが描かれたメタルプレートだ。昂は赤、麟は白銀。それぞれ異なる色を持つプレートは、その持ち主の手中で握り込まれる。
「とりあえず浮君もがんばってくださいね?」
同じく青のプレートを取り出した純は、唯一立ちつくしたまま何の体勢もとらない浮に笑いかける。浮の感想はやはり一言だ。煙と共にぽつりと、
「面倒くさい」
草木をかき分ける音が大きくなっていく。いや、それは錯覚で、ただ単に四人の会話が消えたため、他の音が鋭さを増したように思えるのだ。もはや呼びかけも警告もなかった。気配から、先方が既に武装し警戒していることがわかった。
銃口はもう向けられている。
「おいテメエら」
昂の口元に笑みが浮かぶ。それは麟との舌戦でたまったフラストレーションを晴らす絶好の場を得た、喜びの笑みだ。あるいは、獲物を前にした肉食獣の表情に似ているかもしれない。
そんな顔で、少年は戦闘開始の合図となる一言を告げた。
「ブチ抜くぞ!」