《包囲網突破》 3
今思い出しても、三日前は散々だったとジェイルは思う。
ジェイルは場末の路地で占い師のかたわら情報屋を営んでいる。周囲が言うには「情報屋のかたわら占い師、の間違いだろう」らしいが、そんなことはないと思っている。
二八歳、独身、彼氏いない歴五年、ただいま絶賛恋人募集中。
占いの腕はともかく情報屋の仕事に関しては亡き父から受け継いだノウハウと人脈のおかげで、手前味噌を並べるようだが、良い仕事をしているつもりだ。
いつものことだが、今日も『運勢を見て欲しい』という言葉よりも『情報を売って欲しい』『情報を買って欲しい』という注文の方をよく耳にする。しょうが ないと言えばしょうがない。龍日や他国と違って、ここは科学軍事国家ヴァイツェンだ。占いなどほとんど信じられていないのだから。
だが三日前は違った。情報屋としての自分を訪ねに来る者は少なく、珍しく『占い師ジェイル』としての仕事が多かったのだ。
だからよく覚えている。
三日前の夕方、客の流れが一段落した頃にその二人組はやってきた。
「ここで色んな情報が手に入ると聞いて来たのですが、あなたがジェイルさんでしょうか?」
はっきり言って、ジェイル好みの美少年だった。それは否定しない。艶のある黒髪に、印象的な琥珀の瞳。見つめられているだけで体の芯が溶けていきそうなほどの、甘いマスク。
涼やかな美貌に見とれた次の瞬間、少年がジェイルに肉薄していた。体を密着させて、顔をとんでもなく近くに寄せてくる。
「な、な、なんだい? あ、ああ、あたいが確かにジェイルだけど……!?」
年甲斐もなく狼狽を露わにしてしまった。男とこんなに接近するなんて久しぶり過ぎた。それもかなりの美少年だ。心臓が早鐘を打つ。
「情報が欲しいんですが、よろしいでしょうか?」
甘露のような囁き声、腰に右腕が回され、左手で顎を掴まれる。突然すぎて抵抗する意志が起こらない。
とその時、美少年の後ろに誰かがいることに気付いた。
「だ、誰だい?」
情けないほど弱々しい声だった。見ると、ひどく退屈そうな顔をした赤毛の少年が路地の入り口に立っていた。歳も背格好も、今ジェイルに密着している黒髪 の少年と同じぐらいだ。目の前の爽やか系もいいが、あちらのような野性味があって母性本能をくすぐられるタイプも悪くないと思った。
「……あー、俺のことは気にすんな」
片手をひらひらさせながら、ぶっきらぼうに言って背を向ける。まるで、誰かがここに来ないよう見張るかのように。
「じょ、情報たってねぇ、色々あるし……な、何が知りたいんだい?」
慌てながらも営業スマイルを思い出し、うまく動いてくれない表情筋の手綱を引く。
黒髪の少年はにっこりと笑った。まるで翼を隠した天使のような、綺麗な笑顔だった。きゅん、とジェイルの胸が締め付けられる。
しかし飛び出た言葉は剣呑極まりない。
「アレックス=バトライザー元帥の居場所および、彼が握っているであろう『星石』──いえ、この国ですと『オリハルコン』ですか──の行方です」
素で驚いた。どうしてこんな子供がそんな情報を欲しがるのか、と。目を見開き、まじまじと白皙の美貌を見つめる。
だが詮索をしないのが情報屋のマナーだ。激しく気になるが、聞くわけにはいかない。ジェイルは自制心を総動員して、自らの好奇心を必死に押さえ込んだ。
「……高いよ?」
少し落ち着いてきたせいか、余裕も出てきた。『情報屋』の顔と声になる。
黒髪の少年はジェイルの台詞を聞くと、不意に背後へ顔を向け、
「そういえば昂君はお金を持ってます? ヴァイツェン通貨で」
「持ってねえ」
という笑えない会話が交わされた。
「……ちょいと坊や達? 残念だけど、金がないんなら情報は売れないよ? こっちだって慈善事業じゃないんだからさ」
自分の顎を掴む美少年の腕をとり、悪戯っぽく笑みを浮かべる。危険度の高い情報ほど値が張るのは当たり前だ。こちらも仕入れに金をかけている。もちろん 最近この国の元帥がなにやら怪しいことを企んでいるという情報は入荷済みだ。さっきまでいた客だって、アレックス=バトライザー元帥が龍日からさらってき たアトレイユタイプの『オリハルコン』を手に、元帥府ビルの真北にある建物へ入っていったという情報を売りに来ていたのだ。
ついでに言えば、グランツ中将とスイートス中将が元帥の命令でアンドロイドと新兵器の研究をしていたことも、それぞれの屋敷にあった研究データがネット ワークを介して元帥府ビルの北棟へ送られていたことも知っている。さらに言えばグランツ中将がゲイで、ちょうど目の前にいるような美少年が大好きだったと いうことだって知っているのだ。
自慢じゃないが、ここまで上質な情報を手にしている情報屋は数少ないだろう。質の良い情報屋が高い報酬を求めるのは当然のことだ。むしろ払ってもらわなければ困る。せっかくの品質が維持できないのだから。
「では、体で支払うというのはいかがでしょうか?」
「へっ?」
少年の言ったことがすぐには理解できなかった。今、彼はなんと言ったのか?
「……体で?」
「はい。体で支払います」
爽やかな微笑のまま。
彼の言っている意味を考えてみて、反射的に顔が赤くなっていくのを止められなかった。
「……ばっ、ば、バカ言ってんじゃないよ! こ、こちとら商売なんだよ!? そんな反則がまかりとおるわけ──」
「そこを何とか。自信ありますよ?」
「じ、自信とかそういうことじゃなくってっ! あたいが言いたいのはねっ!」
からかわれているのかもしれない。年下に手玉にとられているだけだ。そんなことはわかっている。なのに胸の鼓動はおさまらないし、耳まで赤くなっていくのは止められないし、声は完全に裏返っていた。
恥ずかしい。心のどこかで本気にしている自分がいる。
「お、大人をからかうもんじゃないよ! いい加減にしないと人を呼ぶよっ!?」
この時はまだ気付いていなかった。もうすでに、否、最初から少年のペースにはめられていたことに。
密着状態から逃れようと身をよじるジェイルの耳朶に、自然な動きで少年の唇が触れた。
「──ぁっ!」
「大丈夫です。怯えないで」
卑怯なほど優しくて甘い声。麻薬入りの蜜を流し込まれたように、全身から力が抜けていく。今ので体の奥から溶かされてしまったようだった。
首元をくすぐる少年の吐息が、ジェイルの理性を浸食していく。
「だ、ダメ……だよ……こんな……」
せめてもの抵抗として動かした唇も、すぐに塞がれた。
「んっ……」
意識が奪われていく。何も考えられなくなっていく。
目を閉じてしまった。
唇に触れていた柔らかい感触が離れ、再び心地良い声が、
「さあ、力を抜いて。身を任せて……」
まるで魔法のようにジェイルの心の鎧は剥ぎ取られていく。今になって思えば、この時の自分は明らかにおかしかったとジェイルは思う。いくらなんでも、あっさり陥落しすぎだった。
だがこの時のジェイルに、そこまで考える余裕はなかった。
「さあ、どうぞ……」
蠱惑的な囁きが、ジェイルの全てを誘う。
次の一言で、ジェイルは完全に堕ちた。
「遠慮無く、僕に溺れてください──」
というわけで溺れてしまったのが三日前。
思い出すたびに顔から火が出そうになる。完全に手練手管に絡め取られた自分は、求められるままあれやこれやと際限なく情報をこぼしてしまったのだ。
道理で最初、赤毛の少年が見張りに立っているように見えたわけだ。実際、邪魔が入らないよう見張っていたのだから。
茫然自失の体となったジェイルはその後、家に帰って余韻に浸りながら眠っていたのだが、その間、外の世界では色々あったらしい。
今日まで臨時休暇をとっていたジェイルは、今は休んだ分を取り戻すためにも精力的に情報を仕入れているところだった。
そう、今思い出しても三日前は散々だった。
しばらくは忘れられそうにない。
「でも……」
頬を赤らめ、恋する乙女のように熱に浮かれた声で呟く。
「あの子、また来ないかねぇ……」
二八歳、独身、彼氏いない歴五年。
ただいま恋人、絶賛募集中。




