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第一話 別れ話は、ベッドの後で。 1


 それは『恋』の媚薬。

 一度でも口に含めば、身も心も全てが蕩かされ、虜になってしまう。

 そんな危険で、たとえようもなく、甘い甘い媚薬――。

 


 子供の頃は、おとぎ話が大好きだった。

 最後には王子様と結ばれる、約束された幸せが待つ、そんな恋の物語。

 シンデレラに、眠り姫。親指姫に、白雪姫。

 どんな困難にも負けずに、運命に打ち勝ち幸せを掴む、健気で強運のヒロインたちに、憧れた。

 まあ、人魚姫は異色の悲恋物語だったけど、個人的に、彼女の自己犠牲精神には敬意を表したい。

 これは、皮肉ではなく、心からの賛辞。

 だって、自分の命より大切な存在。

 それほど一途に思える相手に巡り会えるなんて、ある意味、とても幸せだろうと思う。

 私なら、きっと、人の悩みも知らずに暢気にベッドの中で眠りこけてる王子様の心臓に、短剣をグサリと一突き――は、さすがにしないだろうけど、海の泡と消える前に、ニブチン王子の頭に、『一発、グーパンチをお見舞い』くらいはするだろう。

――ああ。

 まだ、花も恥らうはずの二十三歳だって言うのに、なんか私って、色々な意味で枯れてる気がする。

『わたしにも、いつか白馬に乗った王子様が』なんて、夢見る乙女ではもうないけれど。

さすがに、彼とベッドの中で戯れている最中に、こんなことを冷静に考えてるって、我ながら、何か、終わってる――。


 いつもの週末。

 いつものシティホテルの一室には、気だるさの漂う沈黙が落ちていた。

 ダウンライトだけが灯る、薄闇に支配されたそう広くはない部屋の中、左肩越しに伝わってくるのは、先刻までの行為の名残りで火照った、少し高めの彼の体温。

 人肌の感触は、嫌いじゃない。

 自分とは少し違う体温を直に素肌に感じて眠るのは、安心できて、気持ち良いって思う。

 でも。

 どうしてだろう?

 正直なところ、性行為そのものを、あまり好きになれない。

 っていうか、はっきり言って、面倒くさい時がけっこうあったりする。

 いや、まあ、全くしないで良いかと言えば、やっぱり嘘にはなるけど、私的には、毎週末、当たり前のように『ホテルにお泊り』は、多すぎるって思う。

 でも、いくら三年来の付き合いの彼でも、『今日はイヤ』とお断りするのは気が引ける。なんて弱腰、どちらかというと男っぽい私の性格を知り尽くしている女友達や、気の置けない同僚に知られたら、『何それ、何の冗談?』と、鼻先で笑われちゃうだろうけど。

 それにしても、昼間、仕事が忙しかったせいもあって、今日は特に大きい疲労感、プラス倦怠感。

「はぁっ……」

 思わず、小さなため息が口から漏れ出した。

やっぱり、――かな」

 再び訪れた静寂を破ったのは、独り言のように落とされた、彼の呟きだった。

「……え?」

 やっぱり、なんですって? 塩?

 耳朶を掠めていった言葉の意味を掴みかねた私は、枕に伏せていた顔を上げて、ゆっくりとした動作で半身を起こした彼、私の三年来の恋人、奥田信行の横顔を見詰めた。

 ダウンライトに照らし出された、しなやかな身体のラインが、薄闇の中にぼんやりと浮かび上がる。

「信行さん? 今、何か、言った?」

 呟きの主は、チラリと、意味ありげな視線を投げてよこしただけで答えることはせずに、無言で、ナイトテーブルに手を伸ばした。

 長い指先が、慣れた仕草で白い煙草を一本箱から取り出し、少し薄めの唇に運ぶ。

 高い鼻梁。

 意外と長いマツゲが、物憂げに伏せられ、すっきりとした頬のラインに濃い影を落としている。

 静かな部屋に響く、ライターの着火音。

 ふう、と、

 まるでため息のように吐き出された白い煙が、静かに闇に溶けていくのを、ぼんやりと目で追った。

 もしかして、不機嫌なんだろうか?

 七歳年上の信行は、普段からあまり感情を面に出すタイプではない。

 だから、機嫌が良いのか悪いのか、未だに判断に困るときがある。

 けれど、経験上、こんな風に、答えが返ってこないときは、大抵ご立腹なときが多い。

 ガーガー虎みたいに怒鳴られるよりはよっぽど良いとは思うけど、たまにイラッと来ることも、無きにしもあらず。

 優しい人なんだけど、もう少し、はっきり言ってくれた方が良いのに――

 心の中で上げた小さな不満を知ってか知らずか、今度は、聞き間違えようが無いはっきりした声音で、彼は告げた。

「やっぱり、潮時かなって言ったんだ」

「え?」

 潮時って、何が潮時?

 ますます意味が解らず目を瞬かせること数秒。

 半分寝ぼけた頭を叩き起こしてくれたのは、予想だにしていなかった彼の言葉だった。

「もう、終わりにしよう、俺たち」

「へ……?」

 私が間抜けな声を上げたのは、彼の言葉の意味が解らなかったからじゃない。

 いくら私でも、彼が別れ話をしていることぐらい理解できる。

 理解できなかったのは『なぜ』いきなりそんなことを言い出すのか、だった。

 だって、今の今までそんなそぶり、全然なかったのに、なぜいきなり別れ話?

 私、そんなに怒らせるようなこと、しただろうか?

 エッチの最中に、しょうもないこと考えていたのがバレたとか?

 ま、まさかね。

 超能力者じゃあるまいし、心の中まで分かるはずがない。

 じゃあ、何?

 何なの?

 本日の自分の行動を必死でチェックしてみるけど、彼に別れ話を切り出させる程の所業は、全く思い当たらない。

「え、えっと……」

「別れよう」

『私、何かしたかな』と続けようとした言葉は、淡々とした、それでいて彼の確固たる意思を感じさせる言葉に遮られた。


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