シノア族の希望「神の兵」について
医師メリナは、高台の静かな場所に家を建てた。
仕事は、午前か午後のみ。週に三日出勤し、患者の問診を行う。
患者から、現在の生活ぶりを報告してもらう。
処方した薬を継続して飲めているか、副作用があるかを聞く。
患者の話ぶりを見て、話し方、会話のまとまり、思考の速さ、記憶、自分の身に起きたことの説明ができているか、などを観察する。
私の元に訪れる患者は、ほとんど統合失調症を患った人だ。
神秘体験をした、と口々にいい、無くしたはずのものがテーブルの上に置かれていたり、部屋の隅に正座して座る女性を見たなど、症状は人の数だけ多様だった。半分以上は霊的な現象かも知れないが、立場上、霊魂の存在を表立って認めるわけにいかず、脳のある物質が過剰に分泌し、幻聴、幻嗅(あるはずのないものが見えたり、聞こえたり、香りがしたりする)が起きている、と説明し、薬を処方する。
統合失調症を患う者が多いのは、旧法律を手放せない人々が多いためであった。患者は皆、自分の状態を説明するときに旧法律を引用した。
旧法律は神話が深く絡みついており、それを文字どおりに受け止める者も少なくなかった。法律を守るたびに神と向き合うことになる上、偶像崇拝を許さない文化のため、人々は、どこにいても神の目に晒されているような感覚を抱いていたのである。
人々は、旧法に比べてあまりに簡素な新法に、まだ馴染めずにいた。
旧法の規定は搾取的で、祭壇への捧げ物を頻繁に要求した。神はあまりにも傲慢な性格に、設計された。神の名はアザリムという。
旧法の神との関係を切れないのには、ほかにも理由があった。
それは、非常時に出没する「神の兵」による救いを諦め切れないためだった。
昔、他国との戦争が起きたとき、自軍が苦境にさらされると、「神の兵」と呼ばれる軍勢が現れ、必ず戦果を挙げたのである。
戦時の切り札だった。
神の兵は、特定の国家に属する軍隊ではなかった。
国境を越えた非公認組織であり、さまざまな民族が加入していた。
シノア族の資料を読む限り、「神の兵」について明確な記載はない。ただ「神の兵」は平時から大量の物資を備蓄しており、祭壇はその物資を受け取るための、いわば供給口として機能していたのである。旧法が生かされれば、「神の兵」の貯蔵庫は枯渇しない。
「神の兵」の助力を必要とする国々は、こぞって祭壇へ物資を捧げた。名目上は神への供物であっても、実際には武器、食料、衣類、馬など、戦力を維持するための物資が集められていたのである。
彼らは各国の攻防や盛衰を高所から見つめ、どの国に力を貸せば地上の世界がより良くなるのかを、内部の多数決によって決定した。そして決定された国に対して、蓄えていた兵力と物資を投入した。
その戦力は絶大だった。
シノア国では、戦争が起きるたび、各国の人口調査が行われ、戦える成人の人数を調べ、その数を王に報告した。
「神の兵」に所属するものは、手首に青い布を巻いていた。その者は人口調査で公式計上されなかった。計上係もこの非公式部隊の一員だった。
こうして神の兵は、国の外側に存在しながら、国々の戦争と政治に大きな影響を及ぼす、巨大な非公式組織となっていた。
人々が「神」と呼んでいたものの正体は、実のところ、神話の中に隠されたこの組織だったのである。
シノア族の王が、妻の影響で信仰する神を変えたことがあった。やがてある大国がシノア国を捕囚し、王を連れ去ったが、独房の中で王が悔い改め、シノアの神に祈りを捧げると、それを見ていた看守が独房から王を連れ出し、馬と食糧を与え、国に返還したという。以降、王はシノアの神を信奉し、他の神の偶像を全て壊したという。
民は、搾取されることと神の兵に守られることを天秤にかけ、重たい税制を受け入れ、生きてきた。神の兵のサポート、またその組織への供給が見込めない新法に、抵抗するのも無理もない。
タリスが国々を占領したが、祭壇は残っている。「神の兵」は無くなっておらず、いまだに資源が投入されているのだろうか。
たしか、派遣民のベルが、旧法を受け入れ、それを土台とした物流網と繋がっている祭司がいたと言っていた。祭司の元には、いろんな国から捧げ物が集まっていたらしい。肥えていたと言っていたから、一部は手数料として受け取り、祭壇の修繕費と生活費に充てていたろう。でもほかは、「神の兵」に流し込んでいるのかも知れない。
「神の国」の成立条件は、国教がアザリム教であり、民の9割が信仰している時に限った。
世界中の王宮に関係者が潜伏していた「神の国」をいざという時、起動させる術はあるのか、「神の国」はなくなってしまったのか。医師メリナは、そんなことを考えながら休日を過ごした。




