第1話 それ、将来どうなるんですか?
お正月の実家生活で暇になってしまい、徒然なるままに物語を作りました。5話完結の娯楽短編小説です。源氏物語の世界が舞台になっていますが、原作を読んでなくても、楽しめるようにはなっているかな…と思っています。
正月に実家へ帰ると、私はだいたい何もしない。
京都、と言っても観光地とは無縁の田舎である。最寄りのバスは一時間に一本、コンビニは徒歩三十分。山と畑と、妙に顔見知りの多い集落。その中で生まれ育ち、大学進学を機に逃げ出し、今は年に数回だけ帰ってくる。
私は炬燵に潜り込み、ジャージ姿のままスマホを眺めていた。仕事用の通知は切ってある。管理職だが、正月くらいは管理しない。みかんを剥き、特に意味のない動画を流し、時間を溶かす。これ以上ない贅沢だと思う。
「……あんた、◯◯さんとこの娘、もう子ども二人やて」
背後から、いかにも正月らしい爆弾が投下された。母である。テレビを見ているふりをして、視線はこちらに向いていない。いつものやり方だ。
「へえ」
私はスマホから目を離さずに返事をした。特に感想はない。
「へえ、やあらへんで。あんた、いつまでそんな感じなん」
「“そんな感じ”って、どういう定義?」
ようやく顔を上げると、母は一瞬だけ言葉に詰まった。定義を求められるのは想定外だったらしい。
「女はな、歳取ったら――」
「それって、お母さんの感想だよね」
自分でも驚くほど、声は穏やかだった。感情は動いていない。単に、論点が見えただけだ。
「田舎の体感を、普遍的事実みたいに言うのやめてもらっていい? 統計データある?」
母は黙った。そして、沈黙の次に来るのは、だいたい決まっている。
「……そんなんやから、あんたには相手もおらんのや!」
なるほど。人格否定フェーズに移行したらしい。私はまた炬燵に潜り、みかんを一つ取った。母はまだ何か言いたそうにしていたが、私は先回りして口を開いた。
「別にさ、恋愛を否定してるわけじゃないんよ」
自分でも少し意外なくらい、声は落ち着いていた。感情を込める必要がない話だからだ。
「ただ、私は“それが人生の中心じゃない”って思ってるだけ」
炬燵の中で足を組み直し、指を折る。
「私はね、
・メンタルが安定してること
・生活が回ること
・老後に詰まないこと
この三つが満たされてたら、十分やと思ってる」
母は眉をひそめた。
「……そんな考え方」
「うん」
私はあっさり頷いた。
「その“そんな考え方”で、今めっちゃ平和ですけど?」
沈黙が落ちる。説得しようとも、理解してもらおうとも思わない。価値観の違いは、論破しても埋まらないことを、私はもう知っている。母は短く息を吐き、台所へ引っ込んだ。食器の音が、少しだけ強く響く。
私は何も言わず、みかんを剥いた。正月の京都の田舎は、今日も静かだった。炬燵の中で丸くなり、テレビの音をぼんやり聞く。誰も見ていない映像。意味のない音。
――価値観って、世界が違っても変わらないんだよな。
考えたのは、それだけだった。目を閉じたのは、本当に一瞬のつもりだった。次に感じたのは、布の感触だった。炬燵布団にしては軽すぎる。指先を動かすと、さらりと布が擦れる音がする。
それから、香。甘く、少し苦い、知らない匂い。私はゆっくり目を開けた。天井が高い。梁が見える。柔らかな光。実家の居間ではない。
「……姫様」
女の声。振り向くと、着物姿の女性が何人も、こちらを見下ろしていた。
「お目覚めでございます」
私は深く息を吸い、吐いた。取り乱すほどではない。驚いてはいるが、思考は止まっていない。ここは、私の知っている世界ではない。少なくとも、京都の田舎の実家ではなかった。そう結論づけたところで、私は小さく頷いた。現代の正月は、ここで終わったようだ。私は、まず状況を数えることにした。混乱しないための、いつもの癖だ。
畳敷きの部屋。几帳。香の匂い。女房が複数。言葉遣いは丁寧で、距離がある。誰も私に触れようとしない。呼びかけは「姫様」。
――なるほど。
場所は、平安時代。ほぼ確定。身分は、貴族の娘。少なくとも、下ではない。私は寝起きのまま、上半身を起こした。着物が自然に整えられていることに、今さらながら気づく。動作に制限はあるが、不自由ではない。扱いは、丁寧だ。女房たちは私の一挙一動を気にしているが、恐れてはいない。遠慮はしているが、怯えてはいない。
――権力者ではない。
だが、軽くもない。ちょうどその時、女房の一人が、少し声を落として別の女房に囁いた。
「……昨夜、源氏の君からのお文が」
私は、内心で小さく頷いた。
来た。
源氏の君。つまり、光源氏。別の女房が、ため息混じりに言う。
「都では、また紫の上様のことが……」
「それに、六条の御方も……」
名前が、次々に出てくる。どれも、聞き覚えがありすぎた。私は源氏物語が好きだ。学生時代に現代語訳を読み、社会人になってから原文にも手を出した。登場人物の相関図を、自分で書いたこともある。だからこそ、分かる。ここは、物語の中だ。
そして――。
私は、自分の立ち位置を探した。源氏の君と文を交わす姫。だが、都ではない。女房の数は多いが、中心ではない。噂話は届くが、当事者として名前は出ない。その瞬間、ぴたりと一致した。
明石の君。
その名前を、私は頭の中で何度か転がした。都の中心ではない。物語の主役でもない。恋愛の最前線にも立たない。だが、後ろ盾があり、居場所があり、何より――未来がある。
女房たちの様子を改めて眺める。必要以上に緊張していない。命令を待つ距離でもない。だが、軽んじてもいない。扱いは一貫して丁寧で、雑さがない。これは、長く安定した立場の人間に向けられる態度だ。そして、時折混じる言葉。
「姫様のお子は……」
「源氏の君も、そのことは――」
はっきりとは言わない。だが、隠してもいない。
――娘。
私は、静かに理解した。この世界では、恋愛は消耗品だ。感情は武器にもなるが、同時に自傷行為にもなる。噂と嫉妬が渦巻き、主役級の姫君たちは、今日も全力で殴り合っている。
その横で。
感情で殴り合ってる人たちの横で、私だけライフライン確保されてない?思わず、心の中でそう呟いた。後援者がいる。住まいがある。将来がある。そして、娘という確定したカードがある。この世界で、それはほとんど勝利条件だ。
私は几帳の脇に置かれた鏡を手に取った。映ったのは、整えられた着物に包まれた、自分の顔だった。若く、穏やかで、どこか距離を保った目。現代の私と同じだ、と妙に納得する。
私は小さく笑った。
「あ、これ」
声に出して、確認する。
「勝ち組マウント、取れる側だ」
感情を振り回さない。主役を張らない。前に出ない。だが、最後に残る。源氏物語の中で、それがどれほど希少な立ち位置かは、よく知っている。私は鏡を戻し、女房たちに視線を向けた。
さて。
この世界の通貨は、お気持ち表明らしい。ならばまずは、現実という名の換金レートを、教えてあげる必要がある。
主役様たちに。
――じゃあまずは、この世界の“主役様”たちから、現実を共有してあげますか。
最初の実家生活の部分、ここは作者の現在の姿ではありません!…多分。今回の源氏物語をテーマにした娯楽小説は、明石の君が主役になります。この姫様、私が一番好きな姫様ではないのですが(私が一番好きな姫様は、花散里。)、この源氏物語の世界では間違いなく勝組の姫様です。
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