第七話 終わりと僕の始まりの話
それからは一瞬だった。
後ろを追いかけてくる兵士が1人、2人と増えていき、十字路を抜けるたびに視界の右端と左端に黒い影がちらつくようになってくる。
その影がだんだんと増えてきて、僕の視界はだんだんと黒に塗りつぶされてくる。
視界に増えていく黒の面積が、僕たちの逃げ道を、僕たちの先を、僕たちの可能性を、どんどんと覆い隠していく。
ふと養成所での授業を思い出した。
全部隊の全隊員の現在地をリアルタイムで追うことによって最適化された行動を可能に。
そんな風に訥々と語っていた教官の冷たい顔が脳裏に浮かぶ。
そういえば僕はあの人が怖くて苦手だったのだ。
―――まずい。思考が乱れ始めている。
今は、少なくとも今だけは集中しなければいけない。
大丈夫だ。確かに困難な状況だが、まったくゴールが閉ざされてしまったわけではないのだ。
まだ足は動いている。まだ、今までの移動経路は全部頭に入っている。まだ、脳内の地図は明瞭に頭に浮かんでいる。
僕は胃の中身を全て吐き出すような気持ちで、じくじくと痛む足を思いっきり地面にたたきつけた。
まだ、光は残っている。
まだ、僕の頭には、何事もなく逃げ切って呑気に街道を歩いているルルの背中がくっきりと浮かび上がっている。
僕は全身で泣き叫ぶように、百キロにも千キロにも思える腕を思いっきり振るった。
あと一回。一回右に曲がれば。
そうすればもう、街の外だ。
それで何とかして兵を巻いて、森に逃げ込んで。そうすれば―――。
視界の先にT字路の突き当りが見えた。
あそこだ。
僕は砕けそうなほど歯を食いしばる。
永遠にも思える3歩を、一つずつ地面に刻む。
1歩目、あと2歩だ。
2歩目、もうあと1歩しかない。
そして―――。
「はぁ、はぁ。ここで右に抜けられれば・・・」
しゃくりあげるように、空に向きそうな顎を無理やりに下げ、右を向いた僕の視界には。
―――狭い通路いっぱいに横一列、縦3列の陣形を作った兵が、こちらに銃を向けている光景がゆっくりと現れ始めていた。
ああ、まずいなぁ。
そんな言葉がふんわりと宙を漂っている気がする。
ここを右に曲がらずに左に曲がれば、あれよあれよというまでに町の真ん中へ一直線だ。兵の密度はここの倍じゃ聞かないだろう。
ふと妙に感覚のない左足が気にかかった。
そういえば昨日左の足首を痛めたんだよな。
あれ、一昨日だっけ?
視界が歪んでくる。喚き散らすような耳障りな叫び声が耳元で聞こえ始める。
ここまでなのか?僕は。
ああ、捕まると僕はどうなるんだろう。敵前逃亡って確か銃殺刑だったかなぁ。
ああ、死にたくない。
まだ、何も終わってないのに。
まだ、何も残せていないのに。
まだ、何も為せていないのに。
冴えきらない頭とぼんやりとした脱力感が僕の足を引きずったのか、一瞬足が重くなる。
それは、ほんの少しの変化で。
でも、その一瞬は避けがたいほど致命的で。とんっという軽い衝撃とともに、僕の視界にはもう全面に地面という名の絶望が広がり始めていた。
ああ、なんで僕はこう転ぶことが多いんだろう。ついてないなぁ。
力という力が足からことごとく抜け落ちて。でもそれはそこら辺に転がっていて。それでもそれを拾い上げることすらもが億劫で。
僕は地面に手をつこうとすることもなく、だらんと地面に引かれて、近づく終わりに力なく瞼を閉ざそうとする。
パンと間の抜けた音がして銃弾が放たれた音がした。
どっぷりと泥に浸かっていくように、体が地面に落ち込んでゆく。
あきらめという名の汚泥が僕の体をすさまじい勢いでのみこんでゆく。
僕の体が今にも地面に崩れ落ちようとしていた時。
僕の体にあと数瞬で銃弾が食らいつこうとしていたその時。
視界に、吹き抜けるように一筋の蒼光が差し込んできた。
ぐっと力強く手を掴まれる。
ああ、暖かい手だ。
いつも僕の食べ物を奪い、僕を殴り、そして転んだ僕を支えてくれる。
落ちていく僕を引っ張り上げてくれる。
今もなお、あの日のように、死にかけている僕の、身体を、精神を、救い上げてくれる―――。
僕の耳の奥にあの日の雨音が反響し始めた。




