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テルル(新版)  作者: 丘源


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第六話 石ころと僕の居場所の話

 柱の根元の穴からネズミが顔を出したり戻したりしている。

 ふと、ネズミがもう一匹影から走り出てきた。パンの欠片を咥えている。

 そのネズミが穴に飛び込むと中からチューチューと鳴き声が聞こえてきた。

 まるで主の帰りを喜んでいるようだ。

 僕はそこから目を離し、大通りに目を走らせる。 さっきまでは聞こえてきていなかった喧騒がドッと聞こえ出した。

 近くで話している2人の男の話が聞こえてくる。片方はひどく酔っており、愚痴を言っているようだ。

「あー、帝都動力機構なんてもんが出てきやがってぇ、生活がめちゃくちゃだよ、ヒヒッ、なぁ」

「ああ、その上に孤児狩りときたもんだ。やってらんねえぜ」

 バンと机が叩かれる音がした。涙交じりに男はわめいている。

「俺のガキなんてなあ、孤児じゃねえのにさらわれやがったんだぜぇ。まだ8歳にもなってなかったのによ」

「おい。あんま、大声で話すと捕まるぞ。国が最近暗殺部隊を再編して秘密警察みたいなのを作ったとか噂が流れてるしな」

「あぁーーー、頼みの綱はレジスタンスしかいねえよ」

「そういえば、最近ではアッシャーってのも出てきたらしいぞ」

 遺物にはたくさんの種類があるらしい。

 火薬を使う物よりもはるかに強力な銃に、大量の物資と人員を積んで高速で移動する列車。

 軍では無線機と呼ばれる遠方の人と話すことのできる装置や、そこにいない人の位置を判別する装置などが使われているそうだ。

 なお、遺物はこの国の貴族と軍によって独占されており、一般庶民は使えない。



 ふと視界の端の方にさっきまで大通りの方へ偵察に行っていたルルがこちらに走ってくるのが見えた。

 ルルは、戻ってくるなり苛立ちをぶつけるように足元の石を蹴り飛ばした。

 気持ちを落ち着けるように長く息を吐き出したあと、眉根を寄せてしきりに鼻をこすっている。

「・・・テル。計画の変更だ」

「どうしたの?」

「本当はこの後余裕を持たせるために旅用の物品を盗み集めるつもりだったけど、無理そう」

「じゃ、じゃあもしかして」

「ああ、もう軍が来てるみたいだ」

 僕は耳を澄ませた。

 遠くで軍の装甲車のキャタピラーが駆動している音が反響している、気がする。

 スラッグたちは大丈夫だろうか。

 僕は通りを覗きに行こうとするも、姉ちゃんに服を引っ張られた。

「さっさと逃げるぞ!」

「わ、わかった!」

 ルルはぱっと走り出した。

 僕はさっと地面を見渡して数個の石を拾ってから、ルルの方に向かって走り出す。

 数瞬の後、背後から怒号が聞こえた。

「見つけたぞ!」

 ルルは舌打ちをしてスピードを上げる。

 僕もルルと並び、置いて行かれないように必死で走る。

 角を曲がるとき、ちらりと黒い格好の兵士がこちらに走り寄ってくるのが見えた

 走る。走る。走る。

 腰の袋が上下にはねる。中の物品がじゃかじゃかシャッフルされていく。

 足から脳髄に衝撃が鈍く伝わり、後頭部から全体にじんわりと熱がしみわたっていく。

 毎晩空を眺めながら飽きるほど叩き込んだ逃走ルートが、幾通りも目の奥に光り始める。

 この場所から最短で街を脱出するにはどこだ?どのルートが一番安全?

 右。壁に特徴的な形の板が立てかけてある。現在地の把握。

 左。地面に欠けたレンガがバラバラに置かれていて足場が悪い。逃走ルートの選定。

 左。地面に生えている苔を使ってザーッとスライドし、滑らかに地上から50センチほどの隙間に体を滑り込ませる。

 抜けた先で手をつくのはあらかじめずらして設置しておいた筒状の廃材。

 スピードを削らないようにスライディング姿勢からスムーズにフォームを戻す。

 加速。加速。加速。

「姉ちゃんこのパターンは4か5!!」

「うん、5だ!」

「了解!」

 急に現れる低めの壁を片手をついて飛び越える。

 死角にある先端のとがった廃材をギリギリで避ける。

 補修されていない壁の穴を背面飛びで潜り抜けてショートカット。

 片手を地面にたたきつけて方から転がってすぐさま体勢を戻す。

 よし、着地もばっちり。

 背筋にツーっと汗が伝い、一瞬で服に吸収される。 ジャンプしたとき髪からしずくが宙に散る。

「クソが!お前ら待ちやがれ!」

 さっきまでよりも怒号が近い。

 一時は50mくらいあった差は気づけば10mくらいになっている。

 兵士は僕たちほど小回りはきかないが、僕たちの数倍スピードがある。

 増援を呼ばれる前に小回りと障害物、つまりは情報量の多さで圧倒しなくてはいけない。

 追いつかれること、包囲されて正面戦闘になること、それらは即ゲームオーバーを意味する。

 いかに喧嘩自慢のルルも、本職の軍人相手に正面から戦ってしまっては勝ち目は万に一つもない。

「ふん。待てって言われて誰が待つんだよ!」

 走りながらちらりと後ろをむいたルルの独り言が聞こえて、僕は走りながらこみ上げてきた笑いを押し殺す。

 でも、僕の意識は寸分も切れずに周囲の情報源となりうるすべての物の間を飛び回り続ける。

 脳内の地図が濁流のように切り替わっていく。

 兵士のいる可能性のある場所をなるべく避け、不確定要素、間違いやすい箇所、その時のリカバリーも脳内でシミュレーション。

 このルートの場合は―――。

 ここからあと26回右で19回左!

 右。飛ぶ。

 右。走る。

 左。曲がる。

 右。跳ねる。

 左。滑る。

 スライディングをしている瞬間、世界がスローモーションになる。

 眼前すれすれをかすめていく、ひどく曲がった金属の柱の端に―――。

 ―――20日ほど前に書いた白点を、僕は見逃さなかった。壁の縁に小さいバツ印と、T12の文字。

「T12!」

 ルルが叫ぶ。

「・・・ぁっ、わかって、る!」

 負けじと僕も必死に叫ぶ。

 兵士との距離はもう5メートルもない。

 男の荒い息遣いとガチャガチャ騒ぎ立てる武装が耳のすぐ後ろまで迫ってきている。

 あと少しで、ほんの少しで首筋に息がかかりそうだ。



 僕たちがこの町に来て最初にしたこと。

 それは、逃げ道の確保。そして、いざ逃げる時のためのトラップの設置だ。

 この町には僕たちが設置した罠が、軽く2桁以上仕掛けられている。

 そして、12番目に仕込んだのはロープで発動するトラップ。

 僕はさっき拾っておいた小石をポケットから取り出して握りしめる。

 腕がぶるぶると震えていることに今更気付いて無理やり息を吐き出した。

 脇腹を抱えてうずくまりたい。

 空っぽの腹に冷たい風が吹き込んでいる。

 着地の衝撃ごとに胃液がチャポンと跳ねる音が聞こえるようだ。

 一つ角を曲がるたびに、度が過ぎた腹の気持ち悪さに悲鳴を上げそうになる。

 昨晩あんなに食べたのにもう空腹を訴えてくる腹が恨めしい。

 隣からルルが走っている足音が伝わってくる。

 荒い息遣いがすぐそこから聞こえてくる。隣にはルルがいる!そう念じていないと、今にも体が、気力が砕けてしまいそうになる。

 暗い水底に引きずり込もうとする亡霊のように、背後からこちらに伸びてくる手を感じる。

 もうあと数秒で僕の背に兵の手が届くだろう。

 手が届いたら、何をされるのか。それを考えると足が今にも絡まりそうで。頭がスパークして何も考えられなくなりそうで。

 でも。

「テル!!」

 ルルの声が妙に遠くで反響している。

 何か言っているのかもしれないが耳鳴りがひどくて聞き取れない。

 でも、間違いなくルルが僕の隣にいる。その事実は臆病で意気地なしの僕の心をこれ以上ないくらい奮い立たせる。

 汗が目に。視界がにじんでぶれる。

 小石を握って振りかぶった手が一瞬兵士の手に触れた。

 でも、ルルと一緒にいる。そう思うと不意に腕の震えが止まった。

 馬鹿みたいに高止まりしている心拍数は、何ら結果に影響を及ぼさなくて。僕の腕は練習していた通りに動いて。

 兵士の手が僕の服にひっかかるのとほぼ同時に僕の手から小石が飛んだ。

 すーっと脳内で描いた通りの軌跡をなぞってまっすぐに飛んだ石は、トラップの起点であるロープの結び目に正確にぶち当たり―――。

 さっと背筋に寒気が走り、僕のすぐ後ろ、僕の服を掴みかけていた兵士の脳天に、彗星のように植木鉢が着弾した。

 鈍い音。

 一瞬の静寂が僕とルル、兵士の間に流れた。

 額に流れる汗が、張り付いた背中の服が、無性にかゆく感じる。

 数瞬にして数時間のような静寂の後、兵士は、僕の服を掴んだまま膝から崩れ落ちた。

 ルルが深く息を吸い込む音がやけに大きく聞こえて、遠くからさっきまで聞こえてなかった喧騒が濁流のように耳に流れ込んでくる。

「っしゃビンゴ!」

 そういってルルは口笛を吹いて、僕の背中をバンバン叩いた。

「い、痛いって」

 僕はにやける顔を押しとどめながら震える足を曲げてかがみこむ。

 兵士の手に僕の荒い息がかかった。

 僕は爆音を鳴らしている心臓を抑え込むように体を丸め、握りこまれてしまった服を兵士の手から外した。

「ゴーゴーゴー!」

 ルルが僕の手を引っ張って立ち上がらせる。

 一瞬止まっていた僕たちは走り出す。

 固まっていた空間が流れ出した。

 途端に世界が鮮やかに輝きだした。

 薄暗い路地が、明るい勝利の道に見えてくる。

 ルルの髪が優雅に宙を舞った。

 薄暗い路地裏に神様が魔法をかけてくれたようだ。

 可憐に流れる蒼の奔流に、一瞬目を奪われた僕は一度躓きかけ、無理やり意識を足元に戻す。

 ルルが隣にいてくれるのなら、隣で走ってくれるなら、僕はなんだってできる。

 兵士にだって立ち向かえるし、襲い掛かってくる奴らにも、そして何より臆病な自分にも、抗える。

 ルルがいれば詰まりそうな息も、暗闇に覆われそうな視界も気になんてならなくなる。

 力強く地面を踏みしめた足が、苔むしたレンガを飛び越えた。

「姉ちゃん!このまま逃げ切れそう?」

 僕の言葉を聞いて、後ろをちらっと見たルルが悪態をついた。

「あー、くそ。頑丈すぎんだろあいつ。」

 後ろの方で小さく、破片がパラパラと落ちる音がした。

 ルルの目線の先を追うと、先ほど植木鉢がクリーンヒットしたばかりの兵士が地面に突っ伏したまま、手で頭から破片を払い落としているのが見える。

 ふらふらと上げられた兵士の右目の縁に、三日月のような白い傷跡があるのが、妙にはっきりと見えた。

「うそ!?」

「手元だ!」

 と、僕たちが言ったのと同時に頭を振って無理やり意識をはっきりさせた兵士は、震えながらも地面に片手をつき、首にかけている笛を紐から引きちぎるように口元に当てた。大きく息を吸い込むように体が反りあがる。

「テル!!」

 ルルに言われて慌てて投げた小石は、笛を持っている兵士の右手をガリッとえぐり、血をぱっと飛ばしたものの、笛は兵士の口元から張り付いたように離れず。

「あ゛―!クソがぁ!」

 試合終了を告げる笛のように、終わりを告げる甲高い音がルルの怒号をかき消して路地裏に響き渡った。

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