第十三話 男とアヤシイ取引の話
ゆらり、ゆらりと闇の中に光が揺れている。
ここがどこだかわからない。
ただ、周囲に誰かがいるようだ。
高い話し声と、低い話し声。そしてしゃらしゃらというような金属の摩擦音のような音が聞こえる。
でも、僕の意識は霞がかかったようにはっきりとしない。
・・・安心する声。
低くて妙に間延びした声。
反響するしゃらしゃらという金属音。
「ねえ、そろそろ警戒心もうちょっと下げていいんじゃないのぉ?今まで俺なんにも変なことしてないでしょぉ?」
「私はお前なんか信用できねえって言ってんだよ」
ルルだ。ルルの声が聞こえる。
「だ、か、ら!前から言ってるでしょぉ。ちゃんと物は取ってきてもらえたんだし、俺も君たちを助けたことに見合うだけの利益はもらってるから・・・」
僕はぼんやりと身じろぎをする。
「あ、テル。起きたのか!?」
ペタペタと足音がこちらに近づいてきた。
不愉快なにおいが鼻の奥にこびりついている。
そうだ。僕は今は下水道にいるのだ。
壁が湾曲しており、どうにも尻の座りが悪い。
薄く目を開けた僕の視界には飛び込んできたのは灰色の空間。しゃがんでこちらをのぞき込んでいるルル。そして見覚えのない男の姿だった。
「あーおはようございますぅ」
のんびりとした声でこちらに声をかけてきたその男は、オズと名乗った。
ルルよりもそしてもちろん僕よりも背が高い。
天井に頭をぶつけないようにやや体をかがめている。
20歳くらいだろうか。ガタイのわりに幼く見えるその顔にはくしゃっとした人好きのする笑みが浮かべられていて、人当たりの良さを感じさせた。
終始ニコニコしているため、瞳はよく見えない。
耳の縁にはイヤーカフがついており、耳たぶには板状の金物の飾りが無数に揺れていた。
揺れるたびにその飾りがこすれあって、しゃなりしゃなりと音を立てている。
ボロボロのマントを纏っていて、やや黒が混じった赤髪はカンテラに照らされてその影を不規則に変えていた。
カンテラの近くに置かれているモスグリーンの帽子が妙に灰色の部屋に彩を添えている。
「まあ、こいつなんかの助けを借りるのは不本意だったんだが、テルがずーっと寝てるからどうしようもなかったんだよ。おいお前!わかってるとは思うが何か怪しいそぶりをしたらすぐにぶん殴るからな!」
「おお怖い怖い。そんなことはしないよ」
「ああ?ここらで一発食らっとくか私の蹴り!?」
「いくら何でも理不尽だよぉ。しかも殴るんじゃなくて蹴りなの?」
ルルも僕と同じだけの距離、走っていたのにずいぶんと元気そうだ。
オズとの間でぽんぽんと会話が進んでいく。
今になってふと気づいた。
明るい。地面にカンテラが置かれている。
僕は焦って口を開ける。舌がまともに回らないし喉も感覚がおかしい。頭も口もびっくりするほど重かった。
「ぁ、かり、は、まずいん、じゃ」
ルルはそれ聞いて慌てることもなく、淡々と答える。
「ああ、もう結構な期間ここに潜伏してるんだよ。おそらく軍はとっくに私たちが下水道なんて抜けてトンズラこいたと思ってるはずだ。その証拠に一昨日は捜索隊がうじゃうじゃいたが、今日は誰一人いないし」
なんだ。大丈夫なのか。体の震えが落ち着いていく。あれ、一昨日?
「僕は、何日寝て、たの?」
「ざっと4日。まあ外に出てないから正確な時間はわかんないけど。だいたいそんなかんじ」
「4日・・・」
「君とルルさんはもうちょっと僕に感謝してくれてもいいんだよ?食料だって飲み水だって俺がせっせとここに運び込んでいたヤツを無償提供してあげてるんだし、君たちが逃げてきたときだってこの隠し部屋が無けりゃあっという間に捕まってお陀仏だったんだからさぁ。」
どうも、あの時僕たちは本当にまずい状況に陥っていたらしい。
僕が気を失った直後、僕たちの予想に反して即座に全下水道の出入り口に監視網が敷かれ、出るに出られない状況になってしまっていたとのこと。
「それ、は、ありがとう、ございま、す」
「ねえ、ルルさん?弟君の方がしっかりしてるのってどうかと思うけどぉ」
「ああ?知るかボケ」
そんな命の恩人相手にもルルは平常運転だ。
「ところでそろそろほとぼりも冷めてきたわけだけどぉ。君たちこれからどうするんだい?」
そういうオズに対して顔を見合わせる僕たち。
「ここから、一番近い国。ラミストレイ連邦、に、行くつもり、です」
それを聞いたオズは困ったように眉根を寄せた。
「あー。知ってるかわからないけど、最近新たに条約ができたんだぁ。第二次カルノザ条約ってやつが。君ら、そのまま連邦に行くとちょっとばかりまずいことになりそうだよぉ?」
その後オズが語った話によると、最近になって連邦とこの国、帝国はある条約を結んだそうだ。
今まで仲の悪かった連邦と帝国の間で電撃的に結ばれたこの条約は、双方の首都に駐屯兵を置いて、2か国にまたがる犯罪に対し刑事上の協力をするというものだという。
オズの話によると、おそらく隣国に逃げてもこの国の追手は振り切れない。
下手をすると連邦の兵まで捜索隊に加わりかねないという話だった。
それを聞いた僕の頭は真っ白になる。
今まで1年以上もかけて、やっとの思いで国境に一番近いこの町までやってきたのだ。
当時集めた情報によれば、帝国と連邦は長年にわたり仲が悪く、逃亡先として申し分ない目的地だったはず。
だが、あまりにも逃走先としてそれぞれの国の犯罪者に使われすぎたせいで業を煮やした両国の官僚によって、今回の条約が結ばれてしまったのだろう、ということだった。
「ね、姉ちゃん。僕たちこの後どうすれば・・・。」
ルルは腕を組みながら下を向いて沈黙している。
さすがのルルでもショックを受けているのだろうか。
そんなことを考えていた時、ルルが口を開けた。
「なんでお前はそんなことを知ってる?私たちにその情報を教えてお前に何のメリットがある?」
そういって静かにオズを見つめるルルの瞳には、覚悟を決めた者特有の鈍い光が漂っている。
こぶしは固く握りしめられており、爪が刺さるほど強く握られた手のひらは白くなっていた。
少しの沈黙が流れる。
オズはルルと僕を順に見て口を開いた。
「テル君は本当にお姉さんに愛されてるねぇ。でも、残念ながら俺は政府の回し者でもなんでもないよ」
「だったら何だよ?」
「そんなに怒らないでよ。じゃあここで問題!俺の職業、何に見える?ヒントはこんな地下水路に隠れ家を拵えてて、さっき言ったみたいな隣国の情勢が重要な仕事ぉ~」
少しの間奇妙な雰囲気があたりを流れ、その空気に耐えられなかった僕はおずおずと口を開いた。
「密、入国者?」
「惜しい!業者だよぉ。俺は密出入国業者のオズというわけさぁ」
そう言ったオズはおどけたように手をひらひらとさせた。
「・・・確かに密入国者ならこんな場所に隠れ家があってもおかしくないし、実際にここは国境に近い。けど、お前が私たちを助けることに何のメリットがある?それだけだとわざわざ私たちが連邦に行くのを引き留めた理由が無いだろ」
「そんなに何でもかんでもメリットばっかりだとぉ、つまらな」
「間違いなくお前は損得で動くタイプ。私たちに餌やりした上に自分の素性まで明かす理由がどこにあるんだよ!」
オズの間延びした話し方をさえぎったルルの瞳が、カンテラの明かりに照らされて蒼く輝いた。
オズは自身の頭を掻きながら困ったように言った。
「・・・うーん。そういわれたのは君で3人目だったかなぁ?ちょっとショックゥ」
「つべこべ言わずに言え」
「・・・だからさっきも言ってたでしょ?もう対価は払い終わってもらったんだから君の貸しは完済されたの!今君たちをここにかくまっているのは、最初にした君との約束。弟君が目を覚ますまで面倒を見る、ってとこを順守してるだけなんだけどなぁ」
「ま、まあ、その話はさ。一回置いておいて、この後、どうするかを、決めない?」
僕は終わらなそうな話に口をはさむ。
確かにオズの狙いが気になる気持ちはわかるが、4日間も僕を保護してくれたという事実は動かないのだ。
正直なところ、僕はそれだけでオズをそれなりには信用してもいいのではないか、とも思ってしまう。
僕が起きてからのルルは、何というか全体的にとげとげしい。
どこか警戒心が強くなっているような・・・。どこか我が子を守ろうとする獣のような臆病な凶暴さを感じる。
「それなら、俺のおすすめはキルマ・クリスティーナ連合公国だよぉ。今一番アツい亡命先ナンバーワン!なお、僕調べ~」
オズが一つの国名を挙げる。
キルマ・クリスティーナ連合公国。連邦の反対側に位置する小国だ。つまり、ここから見ると、帝都をはさんでちょうど反対側にある。
「ふん。論外だな。こっちは帝都からここまで来るのに1年近くかかっている。しかも今回は最初から足がついてるも同然なんだ。ここから公国まで行こうとすれば、倍の2年じゃきかないだろ」
「そう~、確かにここから向こうまでは一般人が堂々と移動しても5か月以上はかかるよぉ」
「だったらなおさら論外だ」
「でもねぇ。公国はこの国との国交が無いに等しいし、そもそも君らを追っかけまわしている連中もここ周辺の国は警戒してても、反対側までは見ないと思うよぉ」
「だからと言って帝都にうかうかと行って捕まったらどうするんだよ。いくら私たちでも、国の反対側まで行くまでの道程で、全部が全部しくじらないとは限らないんだ。それこそ今回だってぎりぎりだった。いくら公国が亡命先として有力だとしても、ここからだと2年以上、下手すると3,4年もかかるうえに、公国に着くまでの長い道中、山のようなリスクを背負わなきゃいけない。公国にそこまでして目指すだけのメリットはない!」
そう怒鳴ったルルは僕の近くによってきて、隣にどかりと胡坐をかいて座った。
僕の頭がガシッと掴まれ、乱暴にゆすられる。
「ちょ、それは、ほんとに、くるしい、って」
「あ、ごめん」
病み上がりの人になんてことするのだ。
ルルは本当に失念していたらしく、バツが悪そうに手を離した。
行き場をなくした手が宙をさまよっている。
そんな僕たちにオズが言った。
「でもさぁ」
カンテラの炎がゆらりと揺れ、オズの張り付いたように変わらない笑みの影を濃くする。
オズは子供をあやすように腕を広げて、まるで僕たちを散歩に誘うように言う。
その口から発せられた言葉は、僕の頭の近くで宙をさまよっていたルルの手を打ち落とすだけの威力があった。
「もし、2週間で行けるとしたらどうするぅ?」




