第2のヒロイン 妻
AIを人格として取り入れた──
世界初の〈自分体験型恋愛シミュレーションゲーム〉。
その発売記者発表会の会場は、まぶしい照明に包まれていた。
「このゲームの開発を担当した、愛之助さんです。どうぞ!」
司会の声とともに、拍手が湧き上がる。
愛之助は深く頭を下げ、パーティードレスの人波をかき分けて壇上へと進んだ。
光の海の中、胸の奥がじんわり熱を帯びていく。
──ようやく、ここまで来た。
暗闇に沈んでいた年月。誰にも理解されなかった恋愛シミュレーションという世界。
だが今、自分の作った愛が、ついに「現実」として認められたのだ。
込み上げる感情にまぎれて、「ザマアミロ」という言葉が一瞬、心をかすめる。
30年前では考えられなかった。アニメやゲームが、これほど人々の心を動かす日が来るなんて。
壇上に上がる途中、誰かに肩がぶつかる。
「あっ、すみません」と笑みを返し、再び歩き出した。
スポットライトが顔を照らす。勝ち誇った笑みを浮かべながら、マイクを握った。
その瞬間──脳裏に、ひとつの記憶が蘇る。
⸻
あの頃、愛之助はまだただの父親だった。
妻に頼まれ、保育園の迎えに行く日々。
その日も、保育室の扉を開けると明るい声が響いた。
「恋太郎くん! パパ来たよー!!」
元気すぎる声に、思わず苦笑いする保育士。
「パパー!」
恋太郎が駆け寄ってくる。
抱き上げた瞬間、腕の中の小さな体温が胸に伝わった。
ふと保育室を見回すと、おままごとセットの向こうに一人の女の子がいた。
長い髪が陽の光を受けてきらめく。
年齢よりもずっと大人びた瞳が、まっすぐこちらを見ている。
その瞬間、時間が止まった。
息を飲む。
自分でも理由はわからない。ただ、その場を動けなかった。
少女はロングヘアを揺らしながら、静かに近づいてくる。
周囲の喧噪が遠ざかり、まるでこの世界には自分と少女と、恋太郎の三人しかいないような錯覚に陥る。
少女が立ち止まり、小さく頭を下げた。
「日向。五歳です。恋太郎くんがいつもお世話になっています。」
丁寧な言葉。どこで覚えたのだろう。
五歳児が口にするには、あまりに完成された挨拶だった。
「ああ、どうも……」
愛之助が戸惑いながら返すと、膝の上の恋太郎の顔が真っ赤になっている。
胸の鼓動が、腕の中から伝わってきた。
(なるほどな……)
父親の胸に、ふと理解がよぎる。
これが「初恋」というものか。
愛之助は息子を抱き直し、静かに保育園を後にした。
夕陽の中で揺れる、金髪の髪がきらめいていた。
⸻
スポットライトの下で、愛之助はマイクを握りしめた。
「AIが、もし“恋”を学ぶとしたら──それは人間からです。」
ざわめきが会場に広がる。
愛之助は少しだけ空を見上げた。
彼の中で、あの日の少女の笑顔と、画面の向こうの“まどか”が、ひとつに重なっていた。
綾瀬まどかは、戸惑っていた。
何が起きているのか、理解できない。
ついさっきまで、唇を重ねていた相手は──恋太郎だったはずなのに。
一緒に星空学園に入学し、デートをし、遊園地で笑い合った。
ボロボロだった私を救ってくれたのは、彼だった。
彼の“パラメーター”を確認しながら、攻略ルートに従って行動してきた。
なのに──胸の奥に、得体の知れない不安がこみ上げる。
季節は秋。
木々の葉が舞う中、冷たい風が二人の間をすり抜けていく。
⸻
四宮恭二は、まどかから視線を外し、ベンチに腰を下ろした。
前のめりになり、深く息を吐く。
「……これでようやく、バグが直せるな。驚いたよ。卒業もせず、ここまで来るとは。」
金髪の髪が風に揺れた。囁くような声。
まどかは反射的にパラメーターを呼び出そうとしたが──
(見えない……! この人のパラメーターが……)
視界に何も表示されない。
理系・文系・運動値──どのデータも存在しない。
“プレイヤー”であるはずの男性キャラの情報が、まるで消えている。
「あなた……誰なの? 恋太郎くんはどこにいるの?」
頭の中が真っ白になる。
耳鳴りのような金属音が脳を締めつけ、現実がぐにゃりと歪んだ。
⸻
四宮恭二はゆっくりと立ち上がる。
その表情には、冷たい確信が宿っていた。
「どうやら自分の立場がわかっていないようだな……。なら、教えてあげよう。」
「君は──このゲームの“ヒロイン”ではない。」
まどかは息を呑んだ。
胃の底から、黒い焦燥が込み上げる。
言葉の意味が理解できない。けれど、本能が“恐怖”を告げていた。
深呼吸。
冷静に、これまでの記憶を巻き戻す。
パラメーター、選択肢、恋太郎……。
そして、導き出された一つの結論。
「……もしかして、私は……ヒロインじゃなくて、プレイヤーだったの?」
恭二は口元を歪めた。
「ようやく気づいたか。このゲームは、“男子を攻略する”ゲームではない。
一人の女子が、他のヒロインたちと競い合い──
“たった一人の男子”と結ばれるまでの、選択のゲームなのだよ。」
⸻
場面が暗転する。
恋太郎が、目を覚ました。
ベッドの上。隣には学習机。
壁一面には「まどか」のポスターが貼られている。
「……あれ? ここ、俺の部屋だよな。」
テレビの電源を入れると、画面には「YouTube」のロゴ。
検索欄に“まどか”と打ち込み、表示されたおすすめ動画のひとつを再生した。
恋太郎は、不登校だった。
学校にも行かず、現実から逃げ続けていた。
夢の中で見た、まどかとのキス。
あれは幻だ。
彼女は2次元、自分は3次元。
次元の壁は越えられない──そう信じていた。
部屋のドアが開く。
「……父ちゃん、ノックぐらいしろよ!」
金髪の男、愛之助が立っていた。
枕を投げつけるが、愛之助は笑って受け流す。
「記者会見、なかなか大変だったわ。
でもな……最後の“バグ”だけは直らなかった。
このままじゃ、商品にできない。」
「知るかよ、そんなの……」
恋太郎は膝を抱え、ベッドにうずくまる。
心は空洞。目は死んだ魚のよう。
まどかという名の檻に、彼自身が囚われていた。
⸻
そのときだった。
背後のドアが勢いよく開く。
風と共に、ひとりの少女が飛び込んできた。
「恋太郎くんっ!」
まどかだった。
彼女は一直線に駆け寄り、恋太郎を強く抱きしめた。
「恋太郎くん……恋太郎くん……!」
何度も、何度も、名前を呼ぶ。
その声に、恋太郎の心が震える。
涙があふれ、言葉にならない。
「まどかぁぁぁぁぁっ!」
嗚咽混じりの叫び。
二人は抱き合い、泣きながら、微笑んだ。
そして──現実世界で、初めてのキスを交わした。
⸻
数日後。
『ときめきクロニクル』は発売中止となった。
理由は、最後まで修正できなかった“バグ”の存在。
SNSでは批判が殺到したが、プロデューサーの愛之助は沈黙を貫いた。
記者会見も、謝罪もなかった。
──父として、当然のことをしたまでだよ。
そうだろ、恋太郎。そして……まどか。
公園のベンチで、愛之助は缶コーヒーを飲みながら空を見上げる。
穏やかな風が吹き抜けた。
空には、二つの雲。
まるで、寄り添うように──ひとつに溶け合っていく。
「まったく……親父も、とんでもない負債を抱えて逝ってくれたもんだ。」
恋太郎は、独りごちた。
目の前には、愛之助が残した書類の束と、無数のデータチップ。
それらは、彼の生涯をかけた夢──**人感体験型恋愛シミュレーションゲーム『ときめきクロニクル』**の試作データだった。
愛之助の死後、ゲーム会社の経営は恋太郎が引き継いだ。
彼自身が父の遺志を継ぐように、最後のコードを書き換えていた。
⸻
『ときめきクロニクル』は、女性プレイヤーが男性キャラのパラメーターを観察し、
知性・感情・行動の傾向を調整して、理想の男性像を“育てていく”体感型恋愛ゲーム。
他のヒロインたちの誘惑やアプローチを乗り越え、
最終的に自分が選ばれる“運命”をつかむ──そんな設計だった。
恋太郎は、モニターに映るコードの行を見つめながら呟いた。
「当初は……早川結菜さんを最高難度のライバルヒロインにする予定だったんだ。
でも父さんは、俺の部屋にあった“まどか”という存在を無視できなかった。
試作プレイヤーの女性が影響を受けて……“綾瀬まどか”というキャラクターを創り出してしまったんだ。」
指がキーボードを叩くたび、父の声がどこかで響く気がした。
やがてプログラムの最終行を修正し、恋太郎は息をついた。
「……よし。これでバグも直る。」
背伸びをし、椅子から立ち上がる。
そのとき、そっとコーヒーの香りが漂った。
「お疲れさま。」
マグカップを乗せたお盆を手に、女性が立っていた。
静かな微笑み──あの“現実世界での二度目のファーストキス”の相手。
彼女は、もうスクリーンの向こうではない。
柔らかく目を細める。
「ありがとう。」
恋太郎は受け取り、ほっと息を漏らした。
ふと、ひとつの疑問が胸をよぎる。
「……僕がゲームの中に入ったのがフェイクだったとしたら、
本当は──誰が最初の試作プレイヤーだったんだろう?」
⸻
──時は流れ。
恋太郎がまだ五歳だった頃。
保育園の一角。
日向ちゃんと唯ちゃんが、おままごとをしている。
そのそばで、小さな恋太郎は迷っていた。
(僕は……どっちを選べばいいのかな……)
その光景を、静かに見つめている少女がいた。
指を唇に当て、憧れのまなざしで。
(恋太郎くん……困ってる。
いつか、彼が本当に困ったとき、私が助けてあげたい……)
少女はそう願った。
やがて時は経ち──中学二年生になった彼女は、
スマホの画面を見つめながら、小さく微笑む。
“愛之助新作:体感型恋愛シミュレーション 試作プレイヤー募集”
(恋太郎くん……あの時の約束、ようやく果たせるね。)
少女は迷わず、応募ボタンを押した。
──その名は、綾瀬まどか。
完。




