第1のヒロイン 四宮恭二
金髪の謎の男は、珍しくスーツに袖を通した。
胸ポケットのスマホが震える。まるで鼓動のように――。
画面に浮かぶ名前は、愛之助。
愛之助「いい加減にしろよ。いつまでかかってるんだ」
せかすような、しかしどこか怒りを含んだ声だった。
男は口角をわずかに上げ、静かに答える。
「ああ、例の“試作”の件か……」
電話の向こうからグラスが触れ合う音――カチン。
愛之助は誰かに頭を下げているようだった。
「いつもお世話になってます。息子が今回は大変なお手間を……」
まるで営業マンのような声色。その響きに、男の胸の奥がざらりと揺れた。
ざわめく感情の正体は、焦燥か、それとも――嫉妬か。
「体験型恋愛シミュレーション」
人が“プレイヤー”ではなく“登場人物”として恋を体験する新時代のソフト。
恋愛に臆病な者たち、あるいは対人関係に悩む者が、仮想ではなく“現実的に”心を動かす訓練ができる――
その名も《ときめきクロニクル》。
愛之助が企画したこのソフトは、今まさに商談の渦中にあった。
金髪の男「……だが、肝心の試作プレイがまだ終わっていない。これでは世に出せないな」
沈黙。電話越しのざわめきが遠ざかる。
愛之助が場所を移したのだろう。声のトーンが変わった。
「まさか試作プレイヤーが君の息子とはね。趣味がいいとは言えないが――おかげで誤算が生まれた。
綾瀬まどかに、“バグ”が起きている」
愛之助は手にしたグラスのワインを一気に飲み干し、低く呟いた。
「……そうか」
通話が切れる。
金髪の男は無言でスマホをポケットにしまい、ガラス越しに国会議事堂を見下ろす。
その瞳には、微かな憂いと、決意の光が宿っていた。
スーツの裾を整えると、夜風の中へと歩き出した――。
綾瀬まどかは、恋太郎の隣を歩いている。これからテスト勉強をしに行くのだ。恋太郎のパラメーターを見る。これではテストの赤点が回避できない。ゲーム上、赤点が回避できないと、デートなどができないと言う規制があった。
「全く…サインにコサインに‘タンジェなんだ…こんなんが役に立つ時が来るのかね…サイタコスモス…」
「口の割にはちゃんと加法定理の公式を暗記しているじゃない。ふふふっ。」
綾瀬まどかは、笑う。何だろう、笑う気持ちのほかに胸の中に生暖かい気持ちが競り上がってきていた。恋太郎は、頭を掻く、数学の教科書を持ちながら、歩いていたため、落とした。
「あっ…」すぐさま拾おうとした、しかし、まどかが先に拾ってしまう。
「とーった。」恋太郎は、教科書を取り返そうとする。
「おい。返せよ。」「嫌だ。取り返してみなさい。」
華麗なステップを踏みながら、ひらりとかわす、
「おい!!ちょっとこら」「ふふふっ」
学生のただの登下校、普段ならただの何気ないひと時も、光太郎といると、綾瀬まどかにとってはガラスの様な様な光の放たれる時間になる。2人は、笑顔だった。心の底からの。恋太郎もここがゲームの世界だと言うことを忘れかけていた。
それは綾瀬まどかも同じ…気がついたら家の前の公園に来ていた。 公園の中にベンチがある。
(あのベンチは…)恋太郎は思い出していた。
結菜とあのベンチで…キスを…恋太郎は、まどかを見た。自分の頬が赤く染まっているのが見えた。そしてまどかは夕日に照らされていて輝いて見えた。恋太郎は学んだ…ああ。恋ってこう言うもんなんだと…「ベンチに座らないか?」考えて出た言葉ではなかった。気づけば、口から漏れていた。
「えっ…うん…」戸惑いとも取れる、喜びとも取れるまどかはそんな声で返事を絞り出していた。恋太郎が自然と手を取る。
2人ベンチに座った。見つめ合う…自然と欲望とも独占欲とも取れる気持ちに支配される。まどかはなぜか涙が流れていた。
これが両思いなのだ…恋…愛…何とも形容し難いこの空間。
「欲しい…欲しい…君の全部欲しいよ…まどか」
「私も恋太郎くんのこと…全部知りたい」
恋太郎の喉がチリチリし、目の奥がツンと痛む。自然と唇が近づいた。まどかも目を閉じる、唇と唇が重なる…
結ばれた…恋太郎のファーストキスの相手はまさかのゲームヒロインだった。
まどかは、ゆっくりと瞼を開けた。
頬を伝う涙が、まだ乾いていない。
「……恋太郎くん。恋太郎くん……」
彼の名を呼びながら、まどかは目の前の青年を見つめた。
星空学園の制服。優しい瞳。温かい唇。
——たしかに恋太郎だった。
「恋太郎くん……」
顔を離し、涙を指で拭う。
そして、もう一度しっかりと彼の顔を見た。
(……あれ?)
違和感。
髪の色が、金色に変わっていた。
同時に背筋に冷たいものが走る。
画面の奥で、何かが軋むような音がした。
(恋太郎くん……じゃ、ない)
ピキィィィン——。
脳内に高い電子音が鳴り響く。
コードがほどけ、メモリーが崩れ落ちていく。
世界の輪郭が、ノイズのように揺らいだ。
「——君が、第一のヒロインか」
声がした。
まどかが振り向くと、ベッドの縁に金髪の男が座っていた。
その瞳は、どこか悲しげで、しかし底知れぬ光を宿している。
「……恭二。四宮恭二だ。」
男は名を告げ、薄く笑った。
その瞬間、ゲームの世界が音もなく書き換えられていく。
恋のプログラムは終わった。
——ここから始まるのは、まどかの「現実」だった。




