あなたはいつも誰かの中心
私の通う大学。同じ学年で、同じ学部、しかも同じサークルに所属する杉田律。彼はいわゆるカースト上位の人である。
入学して、興味をそそられて入ったサークルにいた彼は、気付いた時にはいつも誰かに囲まれていた。ここなら無理なく続けて、気軽に取り組めそうという理由で私の趣味であるテレビゲームのサークルに入ったんだけど、どう見てもゲームなんてしなさそうな女子がたくさんおり、「ねえ律、遊びに行こう!」だの「カラオケ行こうよ!」だの「お腹空いたしごはん食べよ?」だの騒がしくて、正直言ってかなり迷惑だったし特に強く注意しない彼が苦手だった。
「陰キャの集まりw」「喪女乙w」と杉田ガールズに言われる事もめげず、私はどうしても部長に勝てない事が悔しくて、特訓且つ教えを乞いに通っていた。メンバーは15人ほどで、幽霊サークル部員も含まれるのでいつも部室にいるのは5人くらい。その中で女子は私ともう一人。通称マスターと呼ばれる彼女は、あらゆる乙女ゲーを網羅していて、しかもほぼ全キャラの攻略法を暗記しているという事からそう呼ばれるようになったとの事。すごすぎる。私だって乙女ゲーは好きだけど最推し以外は暗記していないのに。尊敬の眼差しで、今日もゴスロリファッションが決まっているマスターにペコリと頭を下げて挨拶しながら、部長に格闘ゲームの強コンボの決め方を習うために声をかけた。
「部長、お疲れ様です。あなたに勝つために今日も特訓に来ました。」
ヘラリと口角を上げながら、大泉〇に激似の部長が同じようにヘラリと口角を上げて「懲りないね、ロゼちゃん。」と言って座っていた2人掛けのソファーを右に移動して、ポンポンと隣を叩いて誘導してくれた。
どうしても部長に勝てない私のスマ〇ラの使用キャラが、ファイターとしてはマイナーなロゼッ〇である事から“ロゼちゃん”という恥ずかしいあだ名を付けられたけど、嫌だと言ってもサークル内で皆がそう呼んでくれるようになったために、しぶしぶ受け入れて大人しくそう呼ばれる事にしている。
「そりゃぁ懲りませんよ、部長を倒したいですからね!」
握りこぶしを高く掲げて元気に宣言してみせると、「受けて立とう、絶対に負けないよ。」と不敵な笑顔で答えてくれる。そして始まる戦闘レクチャーはいつも白熱して、もう聞き慣れてしまった杉田ガールズのおしゃべり声が近付いてきても、気にしたら負けだし聞き流しとけば問題ないというレベルに達していた。
そうして騒がしい女子とともに、意外にも頻繁にサークルに顔を出す杉田律が部室に入ってきたわけだけども、手隙の部員2人が気まずそうに挨拶して、それに彼がペコッと頭を下げていつもの部屋の隅へガールズと向かった。いつも通りなんで付いてきたのか分からないガールズたちを、朗らかな笑顔で応答しながら部屋の隅にいる彼の事は部長を含め、全員がどうしていいか分からないから放置状態である。まあ飽きたら帰るだろうし、放っておくに限るのだろうけど。
そんな彼らを完全に無視して、私と部長は白熱したファイトを繰り広げ続けており、いつの間にかマスターともう一人の部員である通称ガチャさん、スマホゲームの10連ガチャガチ勢ゆえにそのあだ名らしい彼も、私たちのソファーの左右にそれぞれ椅子を持ってきて見学していた。
「今のとこ復帰追撃出来たんじゃない?」
「ロゼ、そこだよそこ!!武器の横スマッシュ決めろ!!」
思いっきり2人ともが私の応援をしてくれていて、なんだか胸熱で絶対に勝ちたいという思いがいつも以上に強くなった結果、遂に念願の打倒部長を達成する事に成功したのだった。
「やった……!!本当に勝てた!!!」
勝った瞬間は少し呆然としてしまって、マスターとガチャさんが大騒ぎしてくれる喜びの波に乗り遅れたけど、言葉にしたら実感が湧いて、思わず負かした相手である部長の左手を強く握って立ち上がってしまった。それに釣られて立ち上がった部長は、「やるじゃない?」という某ホラーゲームの名台詞を決めて、空いている方の手で頭を優しくポンポンしてくれた。
あまりの喜びに大騒ぎしてしまった自覚はあるが、「うるさっ」「陰キャが騒いでんのクソウケるー」「そういうのはネットでやればー?」「完全に名前負けのロゼちゃん、うるさいから黙ってー」などと杉田ガールズに言われてしまい、大盛り上がりしていた我々は急速にその勢いを失っていった。もちろん彼女らの中心人物である彼は、苦笑いしているだけである。
それを見て、テンションが完全に上がりきっていた私の怒りのボルテージは限界を突破した。なんか本当に右側頭部からブチッという音が聞こえた気までする。普段なら絶対に関わらないし無視を決め込むような状況にもかかわらず、ゆらりとソファーから離れながらブルーライトカット眼鏡を外す。そしてマスターが思わず手を掴んで止めてくれた温かい手をそっと離して、前髪をかき上げながら彼女らに近付いて行った。
確かに普段は野暮ったくしていて、ロゼというあだ名に負けているけどそれは理由がある。クオーターである私の瞳の色は緑色が混じった黒目で、これも遺伝で授かった二重に密度の濃いまつ毛、薄化粧でもわかる目つきの強さ。昔から女子には少し目を細めただけで睨まれただの言われて喧嘩の原因になり、男子には気があるんじゃないかと勝手に期待され、違うと言えばビッチかよと罵られる事もあった。それが心底嫌になり、わざと野暮ったくする事によって見た目を誤魔化すという術を身につけた私は、外出しなくても楽しめるゲームの世界にのめり込んで行ったのである。
大学に入学してからもずっと隠していたのに、怒りのボルテージが限界突破してしまった結果、隠し続けていた顔を思いっきりさらして彼女らに接近。怒っているから余計にきつくなっているであろう目を、「なんかあいつの空気やばくね……?」とオロオロし始めた彼女らから逸らさずに言う。
「うるせえのはお前らなんだよクソが。ここはゲームサークルだろうが、分かんねえのか?ゲーム好きがゲームするためのサークルで、大学側から正規の許可取ってやってんだよ。何が間違ってんだ?来たら騒いで貶して化粧の粉と香水撒き散らしてるだけのお前らに、文句言われる筋合いは無いんだよ。わかったらさっさと部室から出ろ、迷惑だから二度と来るな。」
低身長ゆえに下から睨み上げる状態で彼女らに言うと、驚きとショックをうけたらしく、あんなにうるさかったのにシーンと水を打ったように静まり返ってしまった。そんな誰も動かずしゃべらずの空間で、私はまだ怒りのボルテージが下がらない。勢いを保ったまま、彼女らの中心人物である杉田律にも怒りを向けた。
「お前もお前だよ。いつも部活に顔出すのはえらいし良い事だと思うけど、こいつら連れて来る意味あるのか?人様の部室で連れ達が勝手にくつろいで散らかして騒ぎ立てるの放って置きやがって。制御出来ないんだったら連れてくるんじゃねえよ。そいつら大人しくさせる攻略本でも作ってしっかり管理しろや迷惑だ。」
1番の原因である彼に向かって、今日イチの怒りをそのまま解き放つ。腕組みをして仁王立ち、顔をさらして腹から出さずともよく通る声でキレる私を呆然と見つめていた彼は、恐らくまだ現実を受け入れられていないらしい。RPGで例えるなら混乱という状態異常にかかってるんだろう。もしかしたら今までこんなに直球で怒られた事も無いのかもしれない。でもそんな事は関係ない。私は本当に頭にきていたし、鬱憤を杉田律にもガールズにも言えてかなりスッキリしていた。
「………かっこいい…。」
ポソリと小さな声が、私が黙ってから誰も動かずしゃべらない沈黙空間に響いた。「は?」と仁王立ちのまま声の発信源である杉田律を眉間に皺を寄せながら見つめると、ポワッと頬を染めて熱い視線をこちらに向けているではないか。
何かの間違いではないかと思わず後ろを振り返ると、呆然としたままのサークルメンバーがいた。私も釣られて呆然とし、顔を前に戻すと思ったよりも至近距離に杉田律がいて、驚いて仰け反ってしまった。そんな私の腰を思いっきり引き寄せ、鼻と鼻が付きそうな距離で見つめられる。いつも人の中心にいるだけあって綺麗な顔立ちで、そのオニキスのような黒目はキラキラと輝いているし、まるで蕩けてしまいそうな程の熱を持っているように見える。
正直めっちゃ怖い。正直めっちゃ怖い!!
瞬時になんらかの危険を察知して、引き離そうと思いっきり胸を押す。必死な私を嘲笑うかのような軽やかさで、その手を掴んで自分の唇を当ててきた。熱い、手のひらに与えられるその温度がかなり熱い。吐息までもが熱い。
これやばいんじゃいか?詰んでるんじゃないか?
今度は私の頭の中が混乱状態になって、軽いパニックに陥る。どうしようどうしようと固まりつつも忙しなく思考回路を動かそうとしていると、我に戻ったらしいガールズが「離れなさいよ図々しい!!」と言いながら、綺麗だけど長くて凶悪そうなネイルの手を私の顔目掛けて伸ばしてくる。あんな爪で刺されたら私の視力が…!目が…目がぁ……!!と思うと同時にギュッと目を閉じる。
「うるさいな、汚いから触んな。」
バシンッという強めの音とともに、私の腰をがっつりホールドしたまま杉田律がガールズ1に言う。この場にいる全員が「え?」という台詞と共に固まった。今まで何があっても微笑んでいて、困った時は苦笑いで流していたような男が突然、呼気が白くなるんじゃないかと思う程の冷気を放っている。顔は確かに微笑んでいるのに、今までの王子スマイルが嘘のような程の目の冷たさ。
「確かに俺は今まで面倒臭いからって、君らの事を放置してたと思う。こうやってハッキリ断ると泣き喚いたりされるしさ、だからって優しくしすぎても勘違いして恋人ごっこをされる始末で、何もかも諦めてたんだよ。でもそれは間違いだったんだね、いやある意味正解だったのかな?」
そう言うと、先程までの冷たい目に瞬時に熱をためて私を見つめる。怖い。
それからもう一度冷えきった目をガールズに向けると、
「これからはハッキリ断らせてもらうよ。嫌な事は嫌、迷惑だって言う。俺がずっと前に見つけて以来、なんとか近付けたら仲良くなって大切にしたい女の子に勘違いされたくないからね。こうやって彼女の目の前で君たちに宣言出来た事は本当に僥倖だったかな。」
そう言って再度私を見た。ホールドしたままの左手を不埒に動かして腰を撫でながら、右手は私の頬をまるで愛おしいというようにスリスリしている。怖い。怖くて目が離せない。というか固まってしまった気がする。これは状態異常:氷ではなかろうか。
「ひどい……!!ひどいよ律!!皆に言ってやるんだから!!!」
泣き叫ぶガールズにチラリとも目を向けず、「好きにしたら?むしろそうしてよ。ネットでも拡散してくれていいし。」とあっけらかんと言い放ってガールズを硬直させていた。私を含めて何回人を固まらせるんだこの男は。腰を撫でるのも頬をスリスリちゅっちゅするのもやめろ!怖い!!という強い思いを自然に込めてキッと睨みつけると、「ああ、かわいいね。かわいいかわいい。仔猫が威嚇してるみたいだよ、本当にかわいい。」と言ってギュッと抱き込まれてしまった。
もうどうしたらいいのか全員分からず、私を抱きしめたり撫でたり勝手に頬にちゅっちゅしている男を呆然と見つめているだけの空間。正直いって居た堪れない。帰りたい。おうちに帰りたい。おうちに帰っておふとん被りたい。部長助けて、という気持ちで無理やり後ろを見ると、サークルメンバー3人が必死の形相で手を横に振った。絶体絶命である。
「とりあえずさ、目障りだし本当に迷惑だから君たち早く出てってよ。俺は忙しいんだけど見て分かんないかなあ?」
見向きもせずに言い放ち、まるで怖いバイトの先輩のような言い回しでガールズに追い打ちをかけると、彼女らは泣いたり呆然としたりしたままやっと出て行った。それなのにサークルメンバーは口を開かず、完全に様子を見ている。ばくだんいわ状態をやめてほしい。
「ねえ、俺とも一緒にゲームしてよ。部長とばかりじゃなくてさ。羨ましかったんだ、ずっと。俺だって桃子ちゃんとゲームしたいのにって。だから一緒にゲームしよ?そして一緒に帰ろうね。」
蕩けるような笑顔で、ほんのり赤い顔のまま彼が言う。そしてシレッと名前を呼ばれた。このサークルでは呼ばれる事の無い私の名前。知ってることに驚いて目を丸くしていると、
「君の事もちろん知ってるよ?当たり前じゃん。好きな子の事はなんでも知りたいでしょ?」
なんて宣う。怖い。サラッと告白されたし。とても怖い。一体私の何を知っていてどこまで把握しているのか。かなり怖い。
なにをどう言っていいのか分からないまま固まっていると、左手で相変わらず腰をホールドし、右手は私の右手をキュッと掴んでテレビゲームのためのソファーに誘導する。おいおいまじかよこれ。大学入学直前に別れた2年付き合った元彼にもこんな扱いされた事ないぞ?と余計な事を考えてるうちに、状態変わらず座らされた。ずーっと私を見つめて、蕩ける目をしながら微笑む彼は何も言わない。怖い。ゲームするんじゃないのか…?
「あの、これではコントローラーが持てませんが。」
めちゃくちゃ勇気を出して言ったのに、「ああ、そうだね。」と言いながら何故か顔を近付けてくる。いやおかしくね?!って咄嗟に仰け反ると、そのままソファーに押し倒されるようにして転がった。「はは、赤くなっちゃって。かーわいい。」そう言うと今にも唇を合わされそうな空気を出され、ヤバい頭突きかますか?!と思ってる時に大声が響いた。
「ちょっと!!陽キャの杉田くん!!そこまでです!!ストップストップ!!」
大慌ての部長が彼の顔を抑え、その間にマスターとガチャさんが私を横から引っ張ってくれた。助かった…!「ありがとうございます!!」と思わず破顔しながら言うと、まるで魔王Lv99のようなオーラを放った彼が部長の手をペッと外して、再び私の手を掴む。
「駄目だよ。なんでそんなかわいい顔を平気で他の人に向けるの?そんなの許さない。」
うーわ、これガチのやつ。やばいやつ。ワンパンでやられるやつ。かなりこっちのレベル上げしないと勝てないやつ。恐らく魔王を除いたサークルメンバー全員の気持ちが一つになったのがよく分かる瞬間であった。しかしレベル上げなんて現実世界には存在しない事から、私の負けはほぼ確定である事も分かってしまったのである。そうなるともう逃げの一手しかない。
「あの!バイトがあるので今日はこれで帰ります!!皆さんまたね!!!」
言うが早いかサッと手を振りほどくと、高速ペコリを決めて瞬足で出入口に走った。もうそれはそれは無我夢中で走った。こんなの高校の体育祭以来、いややっぱ電車に間に合わなそうだった一週間前くらい振りに走った。風を切る音が聞こえるし、幻聴じゃなければ追ってくる足音もする。怖い!!
未だかつて無いほどに全力ダッシュで大学を駆け抜ける私を、何事かと見てくる人達もいるけど気にしていられない。そして私を見た後に、追ってきているらしい彼を驚愕の顔で見る人々。その顔でわかる。絶対に追ってきてる。そしてたぶん笑ってる。怖すぎて泣いちゃいそう。運動得意で良かった、脚が速くて良かった。だから頑張れ私の脚!!止まるんじゃねぇぞ…!!そう叱咤して、なんとかすぐ近くの駅まで駆け込んだ。慌てていた割にしっかり自分の鞄は掴んでいたため、激しい息をそのままにスマホを当てて改札を無事に抜けた。よく確認してないけど乗らんよりはいいでしょ!という気持ちで、ちょうど来ていた電車に駆け込もうとした瞬間に絶望を悟った。
「あは、ほら捕まえた!桃子ちゃん脚速いんだねえ、逃げられるかと思ったよ。」
そんな魔王の声と共に、思わず「ぐぇ!」と声が出てしまう程の強さで後ろから抱きしめられた。いやこれはむしろ、捕獲されたと言ってもいいかもしれない。無理な全力疾走をした影響と、魔王に捕まってしまったという絶望ですっかり力が抜け、くったりしながら息を乱す私を嬉しそうに横抱きにすると、「さ、帰ろ?」という砂糖を煮詰めたような台詞を蕩ける顔で言われた。これは抵抗してはいけない、大人しく従って逃げる機会を伺うんだ。そう思いつつもここは駅。しかもホーム。たくさんの人がいるわけで、こんな所で所謂お姫様抱っこをされた私は恥ずかしさのあまり焦り散らかして、律の胸に顔を押し付けるようにして隠してしまった。その時の魔王の顔をたまたま見た人はのちに言う。あれは、あの笑顔は、完全に獲物を捕獲したまさに魔王そのものであったと。
すっかり脚がぷるぷるしてしまった私をそのまま抱えて、改札を出るとタクシーに乗り込んだ。身体に力が入らないし、酸素が足らずに思考回路もボンヤリ気味である姿の何が面白いのか、腰と右手を掴みながら近距離で最上級の笑顔のまま見つめてくる。やめてやめて、溶ける溶ける!!そう思ってフイッと顔を窓に向ける。クスクス楽しそうに笑うと、走ったり抱えられた時に胸に押付けたせいで乱れたであろう髪を優しく撫で付けながら、またも無許可でちゅっちゅしてくる。怖いって。
「あの、めっちゃ走って汗かいたし、そういうのはやめていただきたいんですが。」
不貞腐れながら注意したのに、「臭くないよ、むしろいい匂いする。」そう言ってちゅっちゅをやめない。なんなんだこの人、言葉が通じないのか……。さすが魔王、そこに痺れる憧れる…という事はない。
もうなんだか分からないけど、無の境地状態になった私と終始幸せそうな律を乗せたタクシーは目的地に着いたらしい。完全に膝が笑ってしまっていて、ぷるぷる使い物にならないけど気合いでタクシーから降りる。目の前にあるのは、セキュリティーもお値段もしっかりしていそうなマンションだった。私の住む5階建てマンションの比ではない。驚いて見上げたままの私をいとも簡単に横抱きにすると、当たり前にエントランスに向かう。クッ、こいつヒョロガリに見えて実は意外と鍛えてやがる……!悔しくてムスッとしてしまうと、「あ、またかわいい顔してる。」と言って顔を近付けられた。落ちるからやめろ!
そのままほぼ抵抗も出来ず、むしろ無かったことにされて部屋に連れられてしまった。玄関広っ!居間も広っ!全部広っ!無駄にいい匂いするっ!と何もかもに驚いている間に高そうなふわふわのソファーに降ろされた。
「飲み物持ってくるから待っててね。桃子ちゃんはコーヒーはブラックが好きだよね?」
なんで知ってるんだろう、怖いから訊かないけど。もう全てを諦めて思考回路を停止させて、なにがなんでも食べられる事は避けようと腹を括って大人しく待つ事にした。なんてたって律の行動が不思議と嫌なわけでは無いのだから。ただずっと怖いだけで。
程なくして小洒落たマグカップを2つと、マカロンという高くて滅多に買えないお菓子をお盆に乗せて戻ってきた。マカロンに目を奪われてキラキラしてしまっている私を見ながら、1mmの隙間も無くぴったり座ると、流れるような動作でマカロンを掴んで口元に持ってきた。……これはあれか、あーんか?恋人同士が主にやるやつか?律の目を見て固まったままの私に、ちょんちょんとめげずに唇にマカロンを当ててくる。仕方なしに無言でサクッと噛んで咀嚼すると、パンチの効いた甘さが口の中に広がる。これはチョコだろうな、色からしても。そう思って満足気にもぐもぐしていると、私が齧った半分を律がふつうに食べてしまった。しかも幸せそうに。なんなんだよ本当に。付き合ってないんだからそういう雰囲気出してくんな!!
そう私たちは別に付き合っていない。ただ大学と学部とサークルが同じと言うだけ。なんならちゃんと話したのは今日が始めてと言ってもいいだろう。それなのになんだこれは。まるで付き合い始めのような甘い甘い雰囲気はなんだ、空気はなんだ。どうしたらいいんだ、教えてくれ元彼。いややっぱ魔王が面倒臭い事になりそうだからやめとく。
一通りマカロンを食べてコーヒーを飲み、私が昔から好きなゲーム実況者の動画をクソデカテレビで観つつまったりしちゃってたら、腰を撫でながらも大人しくしていた律がまた甘い雰囲気を醸し出して、頬や耳を勝手にちゅっちゅしてくる。やめろって!私の防御力低いんだから!!そう思って精一杯プイッと反対を向くと、クスクス笑ってスマホを取り出した。何をするのかと思っていると、私のスマホも取り出して差し出してくる。これはきっとあれだ、ロック解除して渡せというやつだ。だって笑顔の圧が尋常じゃない。でもなんでそんな事しなきゃいけないんだという強い気持ちで睨むと、フワッと蕩ける笑顔に変えながら言った。
「だって今更だけど、連絡先交換しないと。それからGPS連動機能も入れないとね。俺の桃子はすばしっこいから。」
目が点になるとはまさにこの事。GPS連動機能とはなんだ、それに俺の桃子ってなんだ。お前の思考回路はどうなっている?!もうこれは完全に理解出来ない。いや出来るけどしたくない。だって怖いから。はっきりいろいろ言ってくれない律が怖いから。それなのにそんなのお構い無しでガンガン自分ワールドに持ち込む律に、またしても怒りのボルテージが急激に上がった。それはもう、急なカーブを勢いそのままでドリフトするように。面白い、俺の最速理論を見せてやる。
「あのさあ!!いろいろ端折りすぎじゃない?!私あんまり思考が追いついてないんだけど?!すべてちゃんと説明して、そして私の許可をもらうべきじゃないの?!」
思いっきり眉間に皺を寄せて立ち上がると、部室の時と同じぐらいの怒りをそのまま目と声に込めて仁王立ちで言う。
「なんなの本当に!どうしろって言うんだよ。こっちは杉田律を噂程度にしか知らんし、サークルでも見かけるだけだったわけ!それなのにあんたは私を知ってるし、さも彼女のように扱ってくるし、何がしたいんだよハッキリ言え!!」
怒鳴ったわけじゃないのに、やっぱり通る声のせいで少し耳が痛い。でも悪いとは思わないのは、間違った事は言ってないから。
ふんすふんすと鼻息を荒いままに見つめると、ポカンとしていたのにすぐ顔を染めて蕩ける笑顔を向けてくる。だからなんで?
そんな疑問を抱いたままでも怒って仁王立ちの私の前に、赤く染まった蕩ける笑顔のままサッと跪いた。思わず「え?」と言うと、右手を両手で掴んでちゅっと温度が高くて熱い唇を落とす。その姿はさながら騎士みたいだし、まるで乞うように見上げてくるその目は蕩けつつも真剣で、立ちなよとか言いたいのを必死で押さえ込み、息を飲んで口を噤むのが精一杯だった。
「加山桃子さん、俺は入学式で貴女を見つけて、偶然眼鏡を外したところを見てしまった。外したというか、ぶつかられて落としてしまったところをね。大丈夫か声を掛けようと近寄った時に見えた君の目を忘れられなかった。綺麗な顔なのにどうして隠すのかなって思ったんだ。それ以来わざと野暮ったくしてる君が気になって理由を知りたくて、目で追ってるうちに好きになってた。」
一旦ここで言葉を切ると、愛おしむように両手で私の右手を包み込む。そうして熱のこもった視線を私に向け、続きを言う。
「サークルだって、君が入るから入ったんだ。偶然じゃないんだよ。同郷っぽい奴に陰キャの代表みたいじゃんって、心無い言葉を言われた君がそいつ言ったんだ。『人の趣味をバカにするな。誰にも迷惑掛けてないだろう。自分と価値観が合わないからって頭ごなしに否定するのは違うんじゃないか。』って。あの時の強い目と君の気持ちに痺れてしまった。完全に撃ち抜かれたと思った。」
覚えがある。これは同じ高校だった男子が、なんか知らないけどどこのサークルに入るのかってしつこかったから答えた時だ。もともとことある事にからってくるから苦手で、この際だからと思って強めに言ってしまったあの時。まさか律が聞いていたなんて。なんとなく落ち着かない気持ちになってソワッと目を逸らすと、それを許さないとばかりに右手をスリスリ撫でられる。戻した目線の先には、相変わらず蕩ける目をした赤い顔の律がいた。
「それから頑張って君に近付きたくてサークルに通ってたけど、うるさい人達が付いてきて全然話し掛けられなかった。君は君でずっと部長といるし、簡単に笑顔を向けるし、正直言うとかなりイライラしてたんだ。それは俺自身になんだけどね。」
フッと息を漏らして笑うと、スリスリしていた私の右手を今度はちゅっちゅし始める。んもお、だから早くちゃんと説明してくれ!
「君と話したくて、その笑顔を俺に向けてほしくて、我慢が限界でキレそうになってたところに、君が怒ってくれたんだ。俺の言いたい事を全部、あの人達にも俺自身にも。ハッキリ言ってくれて、怒られてるはずなのに猛烈に嬉しくて、溢れる想いを止められなかった。だからそのままあの人達を突き放して、君を捕まえて囲い込もうと決めたんだよね。」
そう言い切ると、スリスリちゅっちゅしていた私の右手を両手で握りながらおでこに当てて、祈るような仕草で乞う。
「君がサークルでロゼって呼ばれてるの、実はかなり嫉妬してる。綺麗な心と瞳の君にピッタリすぎて。俺は呼べないのに他の人は呼んでてさ。だからあえて俺だけは名前で呼ばせてほしい。ピー〇姫でもいいけど。」
最後ははにかむ様にヘラリと笑ながら言う。ちなみにそれは、小学生の時のあだ名だ。ちょっと黒歴史である。だから私はムッとして跪く律を見つめると、すぐに「冗談だよ。」と言ってクスクス笑う。それからまた蕩けつつも真剣な目を私に向ける。その強い視線は、思わず心臓が高鳴って苦しくなり始める程だった。
「加山桃子さん、大好きです。好きで好きで苦しいくらいです。いつの間にか俺の心に入り込んでた。空虚で諦めの境地にいた俺に、人を好きになれる幸せを教えてくれた。愛する喜びをくれた。」
心臓がバクバクと激しく音を立てる。苦しくなって思わず左手で心臓を押さえると、勝手に目頭が熱くなって鼻がツンとする。こんなに真っ直ぐで強い想いを、初めて向けられたからだろうか。
「絶対に幸せにしてみせます。俺の全てを、人生をかけて、貴女を幸せにしてみせます。だからどうか、どうか、俺と付き合ってください。もちろん、結婚を前提に。貴女無しではきっと俺は生きられない。だからどうか…お願いします。」
ああ、苦しい。泣きたい衝動を抑えられなくて、ポロポロと涙がこぼれる。いつも部屋でひっそり流す悔し涙と違って、温かくて優しい涙。私は彼を好きになれるだろうか。いや、本当は分かってる。これまでされた事が嫌ではなかった事もあって、きっと私の気持ちは既に傾いている。だから、私の涙を優しく拭き取ろうと頬を撫でてくれる、大きくて温かいその手を上から握る。目を見て、しっかり伝えなければ。私も彼のように伝えなければ。
「……正直言うと、まだ完全に好きではないです。でももう気持ちは傾いていて、時間の問題かなって感じ。だからそれでもいいなら、待ってくれるなら、是非よろしくお願いします。」
精一杯の想いを告げると、バッと立ち上がった律に苦しいほどの強さで抱きしめられる。心臓がすごく激しく音を立てていて、律も緊張していたんだなとポワッと胸が温かくなった。
「ありがとう。ありがとう桃子、ありがとう。そんなの待つに決まってる。大好きだよ。好き。好き、本当に好き。毎日伝えるからね。もう、嬉しすぎて苦しい…好きだよ桃子。」
旋毛、瞼、鼻、頬にちゅっちゅとしながら、目を潤ませて赤く染った顔で言う。思わずフフッと笑ってしまった私の唇を、律の右手の親指がスッスッと撫でるのがもどかしい。これはあれだね、キスしたんだろうね。でも恥ずかしいなと思っていた矢先、不意打ちのようにフワッと温度の高い唇が降ってきた。そうしてお互いにクスクス笑う。
「ね、俺の名前呼んで?桃子に呼ばれたいんだ。たくさん呼ばれたい。呼んで?」
好きになりかけの彼に甘えるように言われてしまうと、照れていても拒む事は出来ないというもの。だからわざわざ耳元に唇を寄せて、
「これからよろしくね、律。」
と言って破顔してみせた。そんな私に律は顔を更に赤くしながら、「嬉しくてたまらない、好きすぎて苦しい。でも幸せ。」って言いながらたくさんキスをくれて、何度も角度を変えては繰り返される。そうしてだんだん深くなるキスに溺れ、頭がフワフワしてきてもお互いに止められなかった。
こうして恋人同士になった私たちは、大学でも公認の2人になってしまった。付き合った翌日から律が友達に宣言した事により既に知れ渡っており、あの壮絶な鬼ごっこは杉田律が心底惚れた女の子を捕まえるためだったという珍事件のせいもあって、拡散速度は尋常じゃなかった。一方的に敵意を向けてくる女子も少なからずいたけど、想いを隠す必要の無くなった律が常にベッタリと張り付いているし、手を出したら許さないと公言している事から、ほぼ何事もなく大学生活を送れている。常に一緒にいたがるし、少しでも男子と話したりすると魔王のごとく冷気を相手に放つのは控えてほしいけどね。
サークルも相変わらず通っていて、いつものメンバーに律が加わって賑やかさが増した。意外にもゲームがあまり得意ではなかったらしく、部長はもちろん、スマ〇ラは雰囲気勢のガチャさんにも勝てなかった時は心底悔しそうだった。だから最近はもっぱら家で猛特訓の日々である。もともと器用でなんでも要領よくこなす律はあっという間に成長し、リベンジを挑んだガチャさんを瞬殺すると嬉しそうにはしゃいでいて、そういう所は素直にかわいいなと思った。
こうして毎日楽しく幸せに過ごし、付き合って半年経った頃には同棲に持ち込まれ、多少の喧嘩はしつつもすぐに仲直り、そうしてまた絆が深まるという時を経て、私たちは大学を卒業した。ゲームサークルはまさかの律が部長になるという事もあって、最終学年時は部員がたくさんいたのが印象深い。皆ちゃんと最終的にはゲームを好きになってくれたのも嬉しい思い出。
それぞれ志望した企業に就職出来、学生の頃よりゆっくりする時間は無いにしてもお互いに思いやり、特に相変わらず愛が重い律に全力で愛された私は、今では素直に好きだと言えるようになっている。休みの日は思いっきりベッタリして、日頃私不足だと嘆く律にクタクタになるまで求められるのも悪くない。むしろ嬉しい。例え次の日起き上がれなくたって、心底幸せそうに私のお世話を焼く律の顔を見たら文句も言えない。いややっぱちょっと手加減してって言っちゃうけど。
卒業してから3年、付き合って6年の記念日。一緒に行って楽しかった旅行先でのホテルでキラキラ輝くダイヤモンドの着いた綺麗な小ぶりの美しいネックレスを、跪きながら差し出してプロポーズしてくれた。涙をポロポロ流しながらの答えは当然、はいの一択。そう答えた途端にガバッと抱きしめられ、次の瞬間には横抱きにされたままクルクルと回転された。キャーキャー言いながら泣く私と、同じように嬉し涙を流す律。ああ、幸せだなと心から思う。どうして婚約指輪じゃないかというと、ネックレスなら普段から着けていられるかららしい。そして幸せそうな笑顔のまま「明日、結婚指輪選びに行こうな。」って言ってくれた。うん、お互いに似合うのを選ぼうね。
あなたはいつも誰かの中心にいて、そんな人気者のあなたを遠くから見ていたよ。悲しそうな笑顔だなって。でも今はこんなにも幸せそうに笑ってくれる、それがどんなに嬉しい事か。これからもたくさん笑って笑って、ずっと一緒に幸せでいようね。
「桃子、お前はいつも俺の心の中心にいるよ。ありがとう、大好きだ。好きだよ、愛してる。」
スリスリ頬を押し付けてくる律に、同じようにスリスリと頬を押し付けながら、
「私こそだよ。ありがとう律。もちろんあなたも、私の心の中心だからね。」
そうしてまたハラハラと喜びの涙を流しつつ、横抱きにされたまま最初から舌を絡める深いキスをしてくる律を、しっかり首に手を回して掴まりながら受け止めた。
おわり。
お読みいただき、ありがとうございました。