08:少女との出会い
「ねえあなた。初めて見るけど、もしかして、ひとりでの旅なの?」
グラタンを食べ終え、ベルンを膝に乗せながら食後のコーヒーを飲んでいれば。唐突にそう声を掛けられて、わたしは首だけ振り返った。そこにいたのは、小さな子供をふたり連れた赤毛の少女。こちらを見るハシバミ色の瞳には、ありありと好奇心が輝いている。
「ええ、そうよ」
「へえ! どこから来たの? 綺麗な銀色の髪だから、ひいおばあちゃんが話してた、森の魔女様かと思っちゃった! とっても素敵よ、あなた!」
赤毛の少女は一気にそう言うと、ふと我に返った様子で「あっ」と口を手で塞いだ。それから見る見る赤くなると、しゅんと肩を落として言葉を続ける。
「まくし立ててごめんなさい。私はクラリッサ。こっちは妹で、双子のメリーとイェニー。この町で暮らしているの」
「ふふ、はじめまして。わたしはグレイスで、この子猫はベルン。帝国の方から旅をしてきて、今朝この街に着いたのよ」
恥ずかしそうに謝る少女、クラリッサに笑顔で応えれば、彼女はぱあっとその表情を明るくした。おさげにした赤毛を揺らすと、双子の妹たちと共に、わたしが座っていたテーブルへと移動してくる。
「ひとりと一匹で旅なんて、グレイスはとても勇気があるのね! 森の魔獣たちは、怖くはなかった?」
「ええ。火の魔法が使えるの。だから、安全に旅して来られたわ」
「すごい! いいなあ。私は弱い風魔法が使えるだけなの」
そういえば、帝国とは反対に、連合王国で「魔力持ち」は普通のことだと聞いたことがある。魔力の多少はあれど、貴族も平民も関係なく、皆、魔力を宿して生まれてくると。どうして高山の東西でそんなにも違いがあるのか、帝国では誰も何も知らなかった。まあ、あの国では「誰もが魔力を持つ社会」になったら、現状の貴族制度が崩壊するだろうから、あえて答えを隠しているのでしょうけど。
「うらやましい。私も、火魔法や水魔法みたいに、便利な魔法を使いたかったわ」
クラリッサが、テーブルに肘を付いて頬を膨らませた。風魔法も移動や結界に使えるからとても便利だけれど、どうしてだろうと思って問い掛けてみれば、彼女は笑って教えてくれる。
「私のおうち、西通りで宿屋をやっているの。火魔法や水魔法が使えたら、おうちの手伝いが捗るでしょ?」
彼女の両親は、火魔法で調理をこなし、水魔法で洗濯や掃除をあっという間に済ませてしまうのだという。だから自分も憧れていたと語ったクラリッサは、次いで双子へと目を向けた。
「今はね、宿の朝ごはんで忙しい時間だから、こうして子守りをしているの。お散歩に来たらあなたの素敵な髪が見えたら、つい立ち寄っちゃった。お邪魔してごめんなさい」
「ごめんちゃい!」
まだまだ言葉足らずな双子が、姉であるクラリッサを真似して声を揃える。なんとも微笑ましい光景に、わたしは心から笑顔になった。
「話しかけてくれてありがとう、クラリッサ。双子ちゃんたちも、とても可愛いわ」
「そう言ってくれると嬉しい」
えへへ、と三姉妹が顔を見合わせて笑い合う。仲良しな妹たちがいるのは、とても素敵なことだ。自分の義妹がアレだったのだから、余計にそう痛感する。
もう捨ててきた義妹のことはさっさと思考回路から消して、わたしはクラリッサを見やる。そして、さっき彼女が口にしていた話を詳しく聞いてみることにした。
「ところで、クラリッサ。さっき言ってた森の魔女様って、なぁに?」
「ああ、そのこと?」
『森の魔女様』は、その昔、クラリッサのひいおばあさまが出会った魔女なのだと、彼女は語る。まだ、フィリグランの街がこんなに発展するよりずっと前。村だったこの街の外れに、ひとり、魔法にとても長けた魔導師が暮らしていたのだという。村人たちから『森の魔女様』と呼ばれて親しまれていたその魔導師は、森の精霊たちに愛され、優しく純粋で、そしてとても親切だったのだとか。
「村の人間が具合が悪くなると、すぐに魔法で治してくれたり……そうそう! 畑の作物が枯れてしまっても、魔女様がお祈りすると元通りになったって!」
そうして村人たちと長く暮らしていた魔導師は、しかしある日突然、村を去ってしまったらしい。その理由は分かっていないけれど、クラリッサのひいおばあさまは「私はもうここで魔法を使えないの」「最後に、この村の幸福を願っておいたわ」とその魔導師が話していたのを聞いたらしい。ただ、村は魔導師がいなくなっても寂れることなく、むしろ魔導師の言葉通り、幸福に発展していまの姿になっていった。
「その魔女様がね、長い銀髪の、とても美しいひとだったんだって。ひいおばあちゃんの見間違いじゃなくて、街の長老様も同じことを言ってたから、きっと本当に美人だったんだと思うよ」
「素敵なお話ね!」
街を護る森の魔女という存在が本当なら、それはとても腕の良い魔導師だったのだろうと。そう思って相槌を打てば、クラリッサはふふふと笑うと、楽しそうに言葉を続けた。
「信じていない顔ね、グレイス。でもね、驚かないで聞いて……なんと、いまもあるのよ、森の魔女の家!」
「えっ?」
「跡地だけどね!」
素直に驚いたわたしを見て、クラリッサが思い切りいたずらっぽい顔になる。それに合わせて双子ちゃんたちも「ネッ!」と笑うものだから、おかしくてわたしも笑ってしまった。
「まあっ! ふふ、面白いこと言ってくれたわね?」
「驚いてくれて良かったー! でも跡地があるのはホント。南門から少し森に入ったところに開けた草原があるの。気が向いたら行ってみて」
「ええ、そうするわ」
笑い合っているうちに、時間が過ぎていたらしい。行き交うひとたちが少し落ち着いたことに気付いて、クラリッサは立ち上がった。彼女は双子たちの手を引くと、最後にこちらへ笑いかける。
「もしグレイスがまだ宿を見つけてないのなら、西通りの『ガストホフ・ミンネ』をよろしくね! もし宿が決まってたとしても、次に泊まるのは『ガストホフ・ミンネ』をおすすめするわ!」
「ならクラリッサ。あなたはきっと、毎日わたしと顔を合わせることになるかもね——宿探しは、これからなの」
「グレイスなら大歓迎よ! お父さんに、一室空けておくように言っとくから!」
絶対絶対待ってるから! と言い残して、クラリッサは双子ちゃんと共に食堂を後にした。わたしはすっかり冷めてしまったコーヒーを飲み干すと、ずっと膝で丸まって寝ていたベルンをつついて起こす。子猫が懐に納まったのを待ってから、フィリグランの街を見て歩くために立ち上がる。気のいい女将さんは、来た時と同じように張りのある元気な声で見送ってくれた。
(しかし、『精霊に愛された』森の魔女、ねえ……)
同じ大陸に在っても、帝国の女神信仰と連合王国のそれとは、教義がずいぶん違うのだと兄に聞いている。グレンツェント連合王国では『エアレーズング教』という名である女神信仰では、女神様だけでなく、精霊たちのことも信仰しているのだと。魔法を司るのと同じ火・水・土・風・光それぞれの精霊たちにも愛されたというのなら、かの魔導師の使う魔法はとてつもなく強いものだったに違いない。去ってなお街が発展するほどの祈りだって、真実だったのではと納得出来るほどに。
(かの魔導師が暮らしていたという跡地、行ってみるだけでも価値はあるかも知れないわね)
そう思いながら、広場の真ん中へと戻る。ひとまずはもう一度北門から街を見て歩くことにして、わたしはフィリグラン観光を始めるのだった。