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11:悔いのない道

 フリッツから届いた長い手紙には、とても丁寧に彼の気持ちが記されていた。


『あの時、僕はどうかしていたんだと思います。君があまりにも綺麗になっていて、それが突然のことだったので、他の誰かを好きになってしまったのかと焦ったのです』

『困らせるつもりはなくとも、実際、困ってしまったでしょう。ごめんなさい』

『けれど、伝えてしまった気持ちをなかったことにはできません。僕は君と結婚したい。この気持ちに、嘘はないからです』

『もし君の気持ちが決まらなくても、もう一度、君と話がしたいです。差し支えなければ、次の満月の翌日昼に、街の公会堂前で待っています』


 かいつまんだだけでも、わたしを焦がれているのであろうフリッツの気持ちが文面から伝わってくる。碧眼の奥に込められていた熱とたがわない熱さに、わたしの気持ちはますます沈んでしまった。

 嬉しくないわけではない。むしろ、わたしはたぶん嬉しいのだと思う。こうして恋を紡がれて嫌な気はしないし、いっそこの胸は過去にないほど高鳴ってしまう。


(わたしにとっても、フリッツは好ましいひとだったもの)


 ここまできて、ようやく今更、わたしはわたしの胸に宿る感情に気付く。

 きっと、初めて彼の笑った顔を見た時から、彼に惹かれていたのだ、わたしは。彼ほど話が合うひとなんていないと思っていた時点で、きっともう、この心は彼を好いていた。だからわたしはテレーズさんと彼が並んでいる姿があまりにも様になっていて落ち込んだし、彼がわたしを認めてくれていたことを知って単純に浮かれたのだろう。自分がフリッツを好きになっていたと思って振り返れば、自分のもやついた気持ちに全て説明が付けられた。

 好きなひとが、自分を好いてくれている。まるで、憧れていた夢物語のような状況だというのに。わたしも好きだと伝えれば、きっと未来は明るいだろうと思えるのに。真摯にわたしと向き合ってくれたフリッツなら、わたしが自由に暮らしたいといえば、最大限の努力をして願いを叶えてくれそうなものなのに。


(それでもやっぱり、わたしは頷けない)


 結婚して、フリッツの伴侶として彼の隣で微笑う自分が想像できない。フリッツと夫婦としてこの街で暮らす未来が、思い描けない。彼は臣籍降下して気楽に暮らすなんて言うけれど、王族がそんな簡単にその地位を手放せるはずがない。結婚してからやっぱ無理でした貴族として生きてくださいなんて言われたら、わたしはこの大陸を捨ててでもその束縛から逃げてしまうだろう。

 やっと、何者でもないただの「グレイス」になれたのに。やっと、この心が赴くままに生きる自由を手に入れたのに。やっと、わたしはわたしの人生を歩めるようになったのに。その喜びを——結婚という不確かな契約で、窮屈に縛りたくはない。


(きっと、前世と比べたら、遥かに少しの我慢で済むのでしょうけど)


 分かっている。貴族として生きることになろうとも、フリッツならきっと真正面からわたしに向き合ってくれる。わたしが生きたいと思う道を、なるべく歩かせてくれると思う。彼は誠実で優しいから、ここで頷いたところで前世ほど不幸になることもないはずだ。だったら、優しい彼が喜んでくれる道を選んでも良いのに——


『グレイス、落ち込んでいるの?』

『どうしたの?』

『大丈夫?』


 一歩を踏み出す勇気が出せず、ソファで溜息ばかりなわたしに、精霊たちが心配そうに話しかけてくれる。大丈夫だと答えたところで、ふと、光の精霊と目が合った。そこで、「そういえば」と思い出したことを尋ねてみる。


「ねえ、あのさ……アデルトルートは、好きな人ができて、この地を去ったのよね? そのとき、悩んでた?」

『アデルトルートのお話?』

『悩んでいたよ』

『とっても悩んだの』

『毎日泣いてた』


 わたしの前の『森の魔女』、アデルトルート。好いた男と共にこの地を離れ、『聖女』オドレとして帝国に向かい、その力を利用され、晩年不遇のまま死を遂げた悲劇の女。一体彼女はどうしてこの地を離れる決意をしたのか尋ねてみれば、彼女と長い年月を過ごした精霊たちは口々に話してくれた。


 まだ規模の小さい村だったフィリグラン。そこで生まれ育ったアデルトルートにとって、村の人々はみな自分の家族だった。だから、帝国から『聖女』を探してはるばる村にやってきた青年は、彼女が初めて出会う「外」の人間だったらしい。

 奇しくも好奇心旺盛な年齢だったアデルトルートが、村の外から来た見慣れない男に興味を持つのはすぐだった。見目麗しく心根が優しいアデルトルートに、青年が心惹かれたのもすぐだった。ふたりはやがて恋に落ち——それは、アデルトルートにはあまりにも鮮やかな、生まれて初めての恋だった。


『大好きだったんだよ』

『だから、悩んでいたの』

『もう、いままでのように街のみんなを愛せないって』

『自分はきっと、あの人だけを優先しちゃうって』


 アデルトルートは、村の人々のことを家族のように大事に思っていた。家族のように愛していた。けれども、惚れ込んだ青年を、それ以上に愛してしまった。自分の抱く愛情を全て青年に注ぎたいと願ってしまうほど、強く強く愛してしまった。


『悩んで悩んで、悩みすぎて、アデルトルートは魔法が使えなくなったの』

『ここで、他のひとのために使っていた魔法が使えなくなって』

『だから、愛したひとに付いて行ったんだよ』

『全部、そのひとのために使うつもりで』

『最後に、フィリグランが幸せであるようにって、願って』


 きっとアデルトルートは、思い悩みすぎて己の魔力が変質する前に、村を出たのだろう。魔法を使うのを止めたというのなら、変質の兆しがあったのかも知れない。

 けれど、そこまでして愛した男は——最期に、彼女を助けることはなかった。アデルトルートはオドレになって全てを捧げたにもかかわらず、もっともっとと搾取するばかりで。愛したはずの男は皇帝となった後に公務で多忙な彼女を捨てて、他の女を妻に——妃にした。彼女が産んだ子供たちは皇位を継ぐどころか家に残ることすら許されず、それぞればらばらに養子にされたという。


「……この美しい街を出ていくほどの愛を選んだこと、アデルトルートは後悔しなかったのかしら」


 弔われることもなく、鳥についばまれてその身を消したアデルトルート。その人生の最期に彼女が何を思っていたのか、わたしには知る由もない。若い時分の己の選択を悔いたのか。それとも、そこまで惚れ込んで人生を決めた過去の自分に、悔いはなかったのか。わたしに訊ねる術はなく、精霊たちも彼女の最期は知らない。真相はアデルトルート本人の心の中だけ。


『アデルトルートはね、それでも最後に願ってくれたんだ』

『この地が幸せであるように、人間たちが栄えていくように』

『アデルトルートが選んだ人生を、僕たちは否定しないよ』

『人の一生は短い。君も、好きな道を選ぶと良いよ』


 精霊たちはそう微笑みあって、わたしの髪に口付けをしてくれた。祝福の合図だったのか、戸惑うばかりの心の中が、少しだけ軽くなる。


(そうね……人生は、短いのだものね)


 前世だって、これからようやく楽しく暮らせると思った矢先に死んでしまった。今世だって、長生きするぞと意気込んではいるものの、いつ人生が終わるのかも分からない。わたしはわたしに悔いのないよう道を選ばなければならないのだと思って——きちんとフリッツと話し合おうと、そう心に決めるのだった。


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