08:領都にて
領都ヴァイスホルンの街は、想像していたよりもずっと暑かった。山々に挟まれた盆地になっているため、冬の寒さからは考えられないくらい気温が上がるようだ。とはいえ、前世で暮らしていた場所よりは湿度がなく、我慢できないというほどではないけれど。
「陽射しが強いわ。帽子か日傘が欲しいわね……」
「なら買いましょ!」
「グレイスなら……帽子かな」
共に買い物に付いてきてくれているクラリッサとへティーが、わたしの呟きを拾い上げて盛り上がる。ふたりはあっという間に良さげなお店を探し出すと、わたしを置いて帽子を選び始めた。
わたしの持っている夏服は、この間ふたりに選んでもらったものだ。だからふたりも勝手知ったる様子で、あれがいいこれがいいと、たくさん置かれている帽子から合いそうなものを探してくれた。
「これなんてどう?」
そんなクラリッサとへティーの意見が一致して目の前に出されたのは、麻の布地を海のような碧色に染め上げた、つばの広い帽子だった。贅沢に編まれた白いレースが飾りとしてあしらわれていて、見た目も重くなく、実際手に持っても軽やかだ。お値段はそこそこするけれど、買えない金額ではない。
「素敵ね。これ、買って帰りたいわ」
「じゃあ、お会計しちゃお!」
ふたりに背中を押されて、帽子を購入する。せっかくだからとへティーも小ぶりな帽子をひとつ買って、わたしたちはそのお店を後にした。早速帽子を広げて、照りつける陽射しから頭を守る。それだけでずっと涼しくなった気がして、わたしはほっと息を吐いた。
「グレイス……帽子、似合うけど……もっと飾った方が、顔の綺麗さに、似合う気がする……」
「そう言われればたしかに! こないだのリボンも足したらどうかな? あと、髪も結んだら可愛いんじゃない?」
「そう……? なら、長い方がいいのかしら」
「そっか……グレイスは、髪、魔法で短くしてるんだよね」
本当は腰まである髪を、リボンでアレンジするならどんな髪型がいいか。そんな話で盛り上がりながら、わたしたちはヴァイスホルンの街を歩く。そろそろお昼にしたいと思ってレストランを探していたら、聞き覚えのある声で名前を呼ばれた。
「——グレイス嬢?」
足を止めて、振り返る。わたしの帽子と良く似た色の碧眼が、丸くなってわたしを見ていた。驚いた顔のフリッツが、馬車道を挟んだ向こう側に立っている。
「あれ、フリッツじゃん?」
「そうよね……何を、驚いているのかしら?」
同じように足を止めたクラリッサとへティーが、不思議そうに顔を見合わせる。どうしたのだろうと思っていれば、フリッツは人の間をすり抜けるようにして道路を渡り、わたしたちの方へやってきた。とりあえず、わたしはいつも通り手を振っておく。
「久しぶり、フリッツ。お仕事、落ち着いたの?」
「あ、ああ……クラリッサ嬢もへティー嬢も、こんにちは」
「あれ。今日フェリーとシュテルケは?」
「フェリーは彼女と……」
急いでこちらに来た割には、歯切れの悪いフリッツ。シュテルケはと思えば、あとから道路を渡ってこちらにやって来るのが見えた。なるほど、三人揃って休暇になり、街に来ていたらしい。
「あの! も、もし、これからお昼なら……」
「あら。わたしたちまで邪魔しちゃ悪いんじゃない?」
ランチに誘ってくれるのは嬉しいけれど、シュテルケもいるのに、勝手に話を進めちゃいけないだろう。そう思って声を上げたら、隣に立つクラリッサに、思い切り肘で小突かれた。いきなり何かと思っていれば、へティーに小声で耳打ちされる。
「フリッツ……グレイスが綺麗になったから、驚いてるんだと、思うよ」
「へ?」
「ほら! ふたりでランチ行ってきな!」
反対隣からクラリッサにも言われて、何か言い返す間もなくふたりに背中を押される。ひとりフリッツの前に出る格好になってしまったわたしとは逆に、クラリッサとへティーは数歩後ろに下がっていた。
「私たちのことは気にしないで。十五時に、乗合馬車乗り場で集合ね」
「グレイス……またあとで、ね」
良いとも悪いとも言わないうちに、クラリッサたちはこちらに追いついたシュテルケの両腕をそれぞれ掴むと、あっという間にわたしたちから遠ざかる。その場に残されたわたしたちは、互いにぽかんとしたまま顔を見合わせてしまった。
「行っちゃったわ……」
「とりあえず、ご飯、食べようか……」
苦笑を浮かべるフリッツに頷いて、彼が選んだレストランに入る。二人がけの座席に通されたわたしたちは、そこに腰掛けてお互いにまず謝罪し合った。謝罪が済んでから、メニューを覗いて料理を頼む。サンドイッチと紅茶をお願いすれば、フリッツは結構がっつりしたステーキランチを頼んでいた。その間もずっと歯切れの悪い会話を続けていたフリッツが、意を決した様子でわたしへ向き直る。
「あの、今日、予定邪魔したんじゃないかな?」
「いえ……ちょうど、ご飯を食べようかって話していたところだったので……」
「でも、そんなオシャレして……誰かと待ち合わせてたり、しない?」
「ああ、そういうことですか」
フリッツとしては、急に小綺麗になったわたしの服装が気になったらしい。へティーが言った通りだったことに少し驚きつつも、わたしは「大丈夫」と顔の前で手をひらひら振った。それから、クラリッサたちに夏服を選んでもらった話と、せっかくだから合う靴や小物を買うために領都に降りてきた話を聞かせる。するとフリッツははっきりと安堵した顔になって、ようやく肩の力を抜いた。
「そっかあ……良かったあ。デートの約束邪魔したとかだったら、どうしようかと思った」
「まさか……そんなことあったら土砂降りになってますよ、今頃」
服装が変わった程度で、そんなことあるはずがない。特にフィリグランの街のひとたちは、わたしがどんな格好をしていようと馬鹿にすることもなければ、持て囃すようなこともない。純粋に『魔女さま』と呼んで笑いかけてくれるひとたちばかりだ。
そう続ければ、フリッツは首を傾げていたけれど。でも街のひとたちが良いひとであることには同意して、話は別の話題に移っていく。
それから料理が来るまで、わたしたちは互いの近況報告に興じていた。わたしは新道を作って、つい先日開通したことをかいつまんで話して。フリッツの方は、ちょうど担当していたお仕事が終わり、久々にまとまった休みが取れたと話してくれる。この三日はフィリグランで避暑に勤しむつもりだと言い添えられたところで、ほぼ同時にランチが届いた。
「……そういえば、フリッツさん。あなたに聞きたいことがあったんですけど」
この春のことを話し終えて、ランチも半分くらいまで進んだところで。周りに誰もいないならちょうど良いのではと思い付き、わたしは兄からの手紙についてフリッツに切り出すことにした。
「わたしの兄を、知っていますか?」
恐らくは、フリッツは自分の出自について言いたくなさそうなので、わざとどうとでもとれる曖昧な訊ね方をする。知らないと言われればそれまで。知っているという話になっても、開示したい情報はフリッツが自ら取捨選択できるように。けれども、率直すぎる問いはフリッツを驚かせるには充分過ぎたようで、彼は見る間にその顔を青くさせた。
「えっと……なんで、それを、」
「いえ、兄から手紙が届きまして——そのうち、揃って顔を出すように、と」
「テオフィルあのやろ……」
ほとんど涙目になって呟かれた言葉は、賑やかな店内でもわたしの鼓膜をしっかり揺らす。なるほど、悪態が吐ける程度には兄と親しいらしいと思っていれば、わたしをフリッツの碧眼がまっすぐに射抜いた。カトラリーを置いて、背中をまっすぐにしたフリッツが、静かにわたしに頭を下げる。
「ごめん。僕、グレイス嬢に話さなきゃいけないことがあるんだ——食べ終えたら、聞いてくれる?」
そんな風に真摯に請われて、断れるような図太さは持ち合わせていない。なので一も二もなく頷けば、フリッツは真っ青な顔のまま、緊張した面持ちで食事を再開するのだった。
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