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06:越境

 国境への道すがら、わたしはさっき拾った子猫の名前を考える。黒いからノワールとかクロにしようかとも思ったのだけれど、それは安直すぎるので却下した。


「どうしようかなあ」


 正直なところ、前世を生きていた頃から、わたしにネーミングセンスはない。前世で子犬を飼うことになった際には、提案した名前を全て子供に却下されたこともあった。今世では、何か名付けを任されたときには必ず兄を頼っていた。

 うんうん悩みながら歩くわたしに気付いたのか、懐で丸くなっていた子猫が、ぴょこりと襟元から顔を出した。綺麗な琥珀色の瞳がわたしを見上げる。


(琥珀……アンブルか……でも、これから帝国を抜けるんだから、隣国の音の方が良いわよね)


 それなら、と可愛い顔をした子猫を見下ろす。子猫もわたしをじっと見て、ミーと一言鳴いた。


「あなたは『ベルン』よ。ベルンシュタインの『ベルン』。気に入ってくれるかしら?」


 わたしの言葉を理解しているのかいないのか、子猫はもう一度鳴くと、満足そうに懐へ戻って行った。ベルンと名の決まった子猫をコートの上から優しくぽんぽんと触れ、わたしはさらに細道を歩いていく。


(予想通り、見えてきたわ!)


 それから数刻。木々の隙間から見える空の色が薄ら明るくなり始めた頃になって、わたしの視線の先に国境関門が映った。山岳地帯を抜けるトンネルの手前。連峰の中でもひと際高い山の麓。この関門を抜ければ、ついぞこの帝国ともおさらばだ。


(さて、必要なのは……)


 カバンを漁り、兄に持たされた通行許可証を取り出す。どこでどう貰ってきたのか教えてはくれなかったけれど、兄はわたしが隣国へ向かう時のためにと、一枚の許可証を貰ってきてくれていた。目的地は、この高山の反対側。ヴァイスホルン辺境伯領になっている。


「あの、トンネルを通りたいんですが……」


 辿り着いた国境。関門の門番へ許可証を出すと、それまでは退屈そうにあくびをしていたはずの門番は、わたしをじろりと見下ろしてきた。その胸に記されていた部隊章は、帝国のもの。


「許可証……?」


 怪訝そうに許可証を確認する門番。疑われるのも無理はない。通常であれば、帝国から東方諸国へ出向く際は南北それぞれに拓かれた海路を使う。旅人もたまにいると聞くけれど、女子一人というのはほぼ聞いたことがない。しかも東方の連合王国に移住を求めて、陸路で向かう人間など怪しまれる以外ないと身構えていれば——


「よし、通れ」


 門番は許可証をわたしに突き返すと、呆気ないほどすんなりと門扉を開けてくれた。あまりのスムーズさに声が落ちそうになるのをこらえて、わたしは開かれた門の先の道へ足を踏み出す。門を超えれば、そこはもう帝国ではない。遠い隣国、グレンツェント連合王国の領地だった。


(やったわ! これでもう、あの子たちはわたしをすぐに連れ戻せない!!)


 喜びに震える足を、そうっと前に進める。国境を跨いだ途端に山道は拡張され、交易馬車が余裕で走れる傾斜と路面になっていた。もちろん、歩くのだって先程までの比ではないほどに楽だ。間もなく続くトンネルも、内部は魔石ランタンに照らされ、柔らかな明かりに満ちている。


「……良い旅路を」

「えっ?」


 王国領へ出たわたしの背後で、呟くように言った門番。驚き振り向いたわたしの前で、帝国と繋がっていた道が完全に封鎖される。ちらりと見えた門番は微笑んでいたようにも見えたけれど……わたしの勘違い、だろうか?

 基本的に、わたしの周囲でわたしを案じてくれるひとは、ほぼいなかった。義妹が流した悪い噂を鵜呑みにしている貴族たちは多かったし、兄も表向きは義妹の取り巻きのフリをしていた。十歳で『聖女』だと決まってしまったから、同じ年頃の友人もいない。神殿長様や、『聖女』として出向いた先の村人たちはとても良くしてくれたけれど、皇太子がわたしを毛嫌いしている以上、帝都での悪評を覆す声にはなりえなかった。わたしは悪評を聞き流すことに慣れてしまっていて、だからこそさっきの門番の呟きには、とても驚いてしまったのだけれど。


(まあいいわ……先に進みましょう!)


 もう過ぎたことだと、気持ちを切り替える。わたしは望んで祖国を追放され、望んで祖国を後にしたのだ。もう、いままでの境遇は振り返らない。ここから最低七十年、好きなことをして暮らすのだ。

 早速また水馬を魔法で編み上げ、銀馬にまたがる。手綱を引けば、水馬はスムーズに走り出した。独特な揺れが面白かったのか、ベルンも襟元から顔を出す。


「ベルン、トンネルだよ。グレンツェントの山岳トンネル」


 ベルンに教えてから、カバンへと視線を向けた。もう好き放題魔法を使っても問題ない。魔法でチキンハムを取り出すと、わたしはそれをベルンにあげた。森で出会った時と同じようにきっちり平らげると、襟元から顔を出したまま、ベルンはランタンの光を目で追いかけ続ける。次々流れる光が、楽しくて仕方ないのだろう。

 トンネル内は気温が一定で勾配も緩く、とても快適だった。連合王国の王宮魔導師たちが交代で掘り上げたらしいけれど、その出来栄えは見事の一言だ。掘削面はなだらかに磨きあげられていて、岩肌に服が擦れるようなこともない。路面は明るい白石が敷き詰められているため、等間隔に配置された魔石ランタンの明かりを反射し、地中にありながら軽やかにすら見える。

 むしろ、これだけの技術力がありながら帝国へ攻め入ってこないことが、連合王国の豊かさと穏やかさ、そして国としての強さを証明しているようなものだった。帝国の歴史では、大陸西方統一を果たした初代皇帝の采配と武力を持ってしても、高山地帯に遠征を阻まれたと教えられるけれど——現在のあの国には、これだけの力を持つ連合王国に攻め入るだけの国力はないに等しい。何せあの国は、広大な自国領土を維持するだけで精一杯なのだから。


(それもこれも、いまの皇帝のお父上が、早くに儚くなられたからだけれど)


 現皇帝の父上は、現皇帝が三歳の時に病で亡くなったのだという。とても優秀だった息子を亡くしたことに嘆き悲しんだ先帝もそれから二年で亡くなり、現皇帝は五歳でグラン・ソレイユ帝国の皇帝となった。年端もいかぬ子供に政は叶わず、摂政として先帝に仕えていた西方広域領の公爵家がそれを担い——その影響力は五十年近く時代を経たいまもなお続いている。摂政家と対立関係にある貴族や領地は不満を溜めており、二十を越えるまで政を人任せにしてきた現皇帝では、それらを取りまとめるだけで精一杯なのだ。


(そこにきてあの馬——皇太子だものね……遠くない将来、あの国は荒れるわ)


 国端の領地ではインフラ整備が行き届かず、貧富の差を嘆く村人たちを多く見た。領主である貴族たちがまともならまだマシで、多くは帝都で皇帝や有力貴族を持ち上げるのに必死で、きちんと領地運営していない。商人など比較的裕福で先見の明がある者は、東方諸国へ出ていく者も出始めている。


(お兄様も、どうするおつもりなのかしらね。何か考えがあるようでしたけれど)


 いずれにせよ、国を捨てたわたしには関係のないことではある。どの道あの抜け目なく才覚溢れた兄なら上手くやることだろうと判断したところで、視界の先にちかちかと光が見えた。点のようにまたたくそれは、トンネルの出口に違いなく——わたしの目には、希望に溢れた輝きそのものだった。

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