04:再会と決断/後〈テレーズ〉
しばらく泣き続けたあと。ようやく落ち着いた私たちは、テオフィル閣下の計らいでふたりで応接間に残され、そこで用意された紅茶を飲んでいた。私たち以外には、公爵家のメイドで、既に顔見知りであるサフィールさんしかいない。戻ったばかりの私が気を遣わないように、配慮してくださったのだろう。
「グレイス様は、本当にお優しい方でしたわ。それに、こんな気遣いをしてくださる閣下もそうです。御二方とも、どうして私たちに良くしてくださるのか……」
「本当に、本当にその通りですのよ、お嬢様」
私たちの言葉を聞いて、給仕をしてくれていたサフィールさんが嬉しそうに小さく笑むのが見えた。そんな彼女が並べてくれたクッキーをひとつ摘んでから、私は、ソフィに今までの事を尋ねた。
私が閣下に保護されたあと、ソフィは閣下の指示で何事もなかったようにラ・セレアル公爵のお屋敷で働いていたという。閣下は時期を見計らって私の死を偽装し、ソフィを連れ出してくれる予定だったらしいけれど、それより早く、「西」に問題が生じた。
「ずっと降り続いていた大雨で、領地の至る所で川の氾濫や土石流が起こったのです。ちょうどお館様のお屋敷裏も崩れて、土砂という土砂が地下に流れ込んできました」
「まあ……よくぞ無事だったわね、ソフィ」
「わたくしめは、ちょうど洗濯に出ていた時間だったのです」
屋敷を飲み込んだ土石流は、そのままあの地下を埋めつくしたのだという。ラ・セレアル公爵は被害規模の大きさに青くなり、雨が続いて復興指揮すらままならないまま、領地は大混乱しているそうだ。もちろん地下が丸ごと埋まった上、地上部分にも被害が出たお屋敷も大騒ぎで、誰が居なくなったかまるで分からない事態になっているとか。
「わたくしめは、その混乱に乗じてお屋敷を出ることになったのです。そのあとは、ラ・グラス公爵様のお計らいで、このお屋敷でお世話になっておりました」
「待っててくれたのね……。それにしたって、『西』の被害はとても大きいのね。シュフルールの皆は、大丈夫だったかしら……」
「西」の各地で氾濫や土石流の被害が出たというのなら、かつて私が大好きだったシュフルールの領地にも被害が出ているだろう。あのラ・セレアル公爵の息子に継がれ、名前も変わってしまったかつての領地。私が畑に魔法をかけると皆笑ってくれた、優しい思い出の土地と人々。当主が変わって以降、辛酸を舐めさせられた彼らが余計苦しむことになっていないかと目を伏せれば、ソフィが「大丈夫ですよ」と柔らかく応えてくれた。
「ラ・グラス公爵様が調べてくださったのですが、不思議なことに、元々シュフルールの領地だった場所に被害は出ていないらしいのです」
「まあ、そんなことが!」
「それに、あの地の領主になっていたデキュラス様は、お館様のお屋敷にいて土石流に巻き込まれたようでして。まだ見つかっていないのです」
両親亡き後悪政を敷いていた男が行方不明になっている。女神様の采配は、まるで私の怒りを知っているようだと思って——きっと、何もかもを見通す万能神であらせられるかの女神様は、知っているのだろうと思い直す。であれば、神罰のような災害が起こったとしても、何も驚くことはない。
サフィールさんが淹れてくれた紅茶を飲んで、私は気持ちを落ち着かせる。何より、ソフィが無事だったことに感謝していれば、その彼女も目を細めて私を見つめた。涙を浮かべて、彼女が笑む。
「……お嬢様が生きていてくださるだけでもありがたかったのに……こんなにも美しくなられたお嬢様をこの目で見られるなんて……『聖女』様に、なんと感謝を申したら良いか……」
ソフィの口から紡がれた『聖女』。彼女はそれをグレイスさんだと思っているけれど——彼女には、真実のことを知っておいてもらいたい。私がこれから進む道を、正しく理解してもらうためにも。
「そのことなんですけどね、ソフィ。話したいことがあるの。聞いてくれるかしら?」
「もちろんですとも。お嬢様がわたくしめに話してくださることなら、何でもお聞きしますとも」
頷いてくれたソフィに、助け出されて以降の、この数ヶ月の出来事を順を追って話していく。
閣下に連れ出され、ラ・グラス公爵領のマナー・ハウスで治療を受けたこと。側に控えてくれているサフィールさんが、治癒魔法が得意だからと、付きっきりで私の面倒を見てくれたこと。身を起こせるようになって、閣下の妹であるグレイスさんのところで静養することになったこと。グレイスさんが懸命に、私を治す手立てを探してくれたこと。私を手助けしてくれたフリッツ様たちとの、穏やかだった時間のこと。魔力封じの首輪によって奇跡的に保たれていた魂と、『聖女』にまつわる色んなお話。そして今——女神様が本来そう望んでいた通り——私が『聖女』となったこと。
「そんな……お嬢様が、本当は『聖女』様だったのですね……だから、あんなにもお優しい魔法が……ええ、ええ。きっと旦那様と奥様も、お喜びになると思います」
私から話を聞き終えたソフィは、そう言って泣いてくれた。私より両親の姿を良く知る彼女がそう言うのなら、きっと、ふたりは私が『聖女』であることを喜んでくれただろうと、素直にそう思える。
だけど、と私は自分の手のひらを握り締めた。私がこれからやろうとしていることは、もしかしたら、優しく寛大であった両親を裏切ることかも知れないから。私のために泣いてくれたソフィの気持ちも、傷付けるものだろうから。
「……ソフィ。私は、私が手に入れた『聖女』の力と立場で、お父様やお母様たちを苦しめたラ・セレアル公爵に復讐をするわ。絶対に、あの男を許したくはないの」
そう。一度は世界を壊しても殺してやると誓ったあの悪魔のような人間を、私は絶対に許さない。生き繋いだからとか、『聖女』になったからとか、そんな理由で、あの理不尽な地獄の日々を過ごさねばならなかった十年以上もの年月を、何も無かったことには出来ない。あの幸せだった大切な時間と殺されてしまった両親は、どうやっても戻らないのだから。
「だからね、ソフィ。とばっちりを受けないように、ここから離れていてほしいの。きっと、あなたのことを優しく出迎えてくれる方に、保護をお願いするから」
「そんな……お嬢様……」
「止めないで。あんな男がのさばっているこんな国に、『聖女』が護る価値なんてないもの」
これは、決意だ。
私を自由にしてくれたグレイスさんは、私が復讐に命を燃やしていることを咎めなかった。私が生きたいように生きていいのだと、そう言ってくれた。だから、私は私の意思で、あの地獄を味わわせてやりたいのだ。護る民はいても——あの男の悪事に加担していた「西」の人間に、護るべき理由はない。護ってなんかやらない。
けれども、テーブルの向こうから私の手をとったソフィは、真っ白になってしまった頭を小さく横に振った。
「違います、お嬢様。わたくしめは、お嬢様のお側からは離れません。決して。お嬢様が何を成そうとも、絶対に」
命尽きる最後の瞬間まで、私の側で、私の生きる道を見届けるのだと。ソフィはそう告げて、しっかりと私の手を握ってくれた。ふしくれだった皺だらけの手。私のせいで苦労をさせてしまったのに、私を支え続けてくれた私の「家族」。そのあたたかさに、言葉が詰まる。
「ありがとう、ソフィ……」
結局、私たちはまた揃って泣き出してしまって、サフィールさんにとても迷惑を掛けてしまったけれど。次に顔を上げた時には、私の決意は固まっていた。晴れやかなまでに、揺るがない強さで。
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