14:作戦会議
まずは目の前のテレーズさんのことに向き合おうと決めたわたしは、一週間掛けて秘伝書の中身を読み解いた。というか、精霊たちが読んでくれた。それもこれも、見開いたすぐのページから文字が読めなかったのだ。
帝国で使われている公用語や東西南北それぞれの方言、ここグレンツェントで用いられる王国標準語や、近隣小国の公用語、それから帝国の古語までは、皇太子妃教育の一環として習得してきた。けれども、この秘伝書は帝国建立頃のもののはずなのに、内容を書いた言語はレリュイーヌ島方言の更に古語だと思しきものだったのだ。流石に、研究文献すら残されていない言語の解読は出来ないと目を白黒させていたら、精霊たちがとても懐かしがったのだった。
『これ知ってるよ』
『ツェツィーリアが書いてたやつ』
『違うよ、セシルになったんだよ』
『そういえばそうだった』
口々に言い合う精霊たちの話を総合すると、どうやら秘伝書を書いた女性は元々ツェツィーリアという名で、後に帝国語風の名に改名してセシルと名乗ったらしい。よくよく聞いてみれば、恐らくその人は神殿長様の家系のご先祖様だったようだ。精霊たちとも交流があったらしいツェツィーリアもといセシル。彼女が執筆していた姿を覚えている精霊たちが、本を全て読んでくれたのだった。
そこまで分厚い本ではなかったけれど、その内容は、それはもう驚くことも多かった。帝国にはまるで伝わっていない魔法や魔術ばかりが載っていて、なるほど、これが知られたら皇帝も『聖女』も魅力的ではなくなるなというものばかりだ。人の嘘を見抜く魔術とか、代償はあるものの簡単に寿命を伸ばす秘術とか。見たことない魔術魔法は新鮮すぎて、こっそり書き写したメモは膨大になってしまう。だってほら、写しちゃいけないって言われてないし。帝国で使うわけでもないし?
けれども、読み解いたものをフリッツたちに見せてみたら、彼らは知っていたものが幾つかあった。彼らが便利に使う転移魔法や、この間フリッツが義妹の目を誤魔化してくれた投影魔法なんかもそうだ。個人的には、広域防護魔法がとても気になった。これを応用すれば、なかなか良い案が思いつかなかった交易路沿いのスノーシェッドが叶えられるかも知れない。この件が終わったら、絶対試してみることにする。中には拷問用と思しき魔法もいくつか載っていて、それらは使わないので見なかったことにした。なかなかエグかったし。
「それでね。テレーズさんを治せそうなのは、これなんですけど……」
今日も今日とて家に来てくれたフリッツたちと、最近はもう庭を散歩出来るまで回復したテレーズさんと共に机を囲んで、わたしは一枚の紙をテーブルの真ん中に置く。秘伝書から書き写したものの中で、唯一、魂について触れていた魔術のメモだ。
「この本には、『魂を扱うのはとても難しい』『清らかなる状態に戻すには、女神様の御力が必要』って書かれていて」
「女神様の?」
「ええ。魔術式自体はそこまで複雑ではないですし、色々計算したところ、わたしの魔力値ならギリギリひとりで発動出来る魔術でもあるんですが」
メモを覗き込んだフリッツたち。いちばん早く読み終えたフェリーが、「これをひとりで!?」と目を剥いている。隣のシュテルケは意味が分からない様子で首を捻っているし、フリッツは「充分複雑だと思う」とテレーズさんと顔を見合わせている。まあほらその、わたしが転生する時に『神様』に贈られた膨大な魔力は最早人外めいているので、その辺は追及されても曖昧に笑うしかない。便利だからとても助かるけれど。
「問題は、その術式発動のための祭儀場として、レリュイーヌ島の『女神の泉』が指定されていることなんです」
そう言ったわたしに、「何が問題なのだろうか?」とシュテルケが問う。そう言われると思って用意しておいた別の紙、レリュイーヌ島の地図を広げれば、彼らはすぐに眉根を寄せた。
「ないね」
「ありませんね」
「そうなんです。現在のレリュイーヌ島には、知られている遺跡の中も含めて、泉は存在しないんです」
そう、レリュイーヌ島に泉はない。『女神の泉』が比喩表現ではないかと疑ったものの、精霊たちは「水場があったよ」「建物の中にあった」と告げていた。彼らは嘘を吐かない。嘘を吐けない存在だ。だから、わたしが知る情報とメモ、そして精霊たちの言葉を繋ぎ合わせて出される結論は——
「隠蔽されたと思しきレリュイーヌ島第八号遺跡に……最下層にあるはずの遺跡に、地下水源があるのではないかと思うんです」
わたしが告げた言葉に、フリッツが目を見開いた。テレーズさんにも、いままでわたしが見聞きした物事は打ち明けているから、第八号遺跡と聞いて細い指先で眉間を揉んでいる。恐らくはフリッツから情報共有されていたであろうフェリーとシュテルケも、「そう来たかぁ……」と天井を仰いだ。
「じゃあグレイス嬢。君はレリュイーヌ島へ行きたいんだね?」
メモと地図から顔を上げたフリッツが、わたしへ尋ねる。わたしは首を縦に振ったものの、でも、と言葉を続けた。
「多分なんですが、遺跡の封印や隠蔽にラ・セレアル公が絡んでると思うんです。テレーズさんの首に付けられた魔導具は古いもので、見付けるとしたら古代遺跡からしか出土しませんから」
「ラ・セレアル公って言うと……ああ、帝国の」
帝国四大公爵のひとりであるためか、フリッツたちもラ・セレアル公のことは知っていたらしい。ぎゅっと目を険しくしたテレーズさんも、あの老人のことは知っていたのだろう。権力を笠に着て好き勝手し続けている老獪な公爵が、自分の領地であり収入源でもあるあの島を無防備に解放しているとは思えないと、わたしたちの意見は一致した。
「先に第八号遺跡と泉を見付けてから、テレーズさんをお連れする方が良いと思うんです。いくらテレーズさんがお元気になってきたとはいえ、闇雲に出歩いていては、きっとまた体調を崩されてしまうかと」
「それは……そうですわね。少し前に調子に乗って家の周りを何周か歩きましたら、翌日は起き上がれませんでしたもの」
テレーズさんが、苦笑するように頷いてくれる。彼女が発熱手前まで体調を崩したことで、回復が順調そうに思えても無理はできないと再確認し合ったばかりだ。「それならば」と手を挙げたのはフェリーだ。
「では、転移魔法が使える俺とフリッツが、グレイス嬢と同行しよう。どちらかひとりでは、万が一の時に困るかもしれない。だが俺たち三人なら、妨害があってもきっとどうにかなるだろう」
「そうだな、フェリー」
「だろ、フリッツ? で、魔術を使うための泉を見付けたら、俺かフリッツがこの家まで転移する。そしてテレーズ嬢と共に元の座標へ転移し直せば、テレーズ嬢の負担は最低限で済むだろう」
「名案だ。それなら俺は、ここでテレーズ嬢の護衛をしていればいいか?」
「頼む、シュテルケ」
短く依頼したフェリーに、シュテルケがしっかり同意する。彼の案より良い案は出ず、わたしたちは皆彼に賛成した。立案も、その後の細かい調整からも、魔導師部隊を率いる経験のあるフェリーの手腕はとても優秀だと分かる。この街に来てすぐに彼と知り合えたことは幸運だったと、わたしは場違いにも思える感謝をしてしまうのだった。
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