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13:魔力の変質

 ノックの音に、咄嗟にソファに腰掛け、ローブのフードを被る。わたしを隠すように立ったフリッツの向こう、神殿長様の返事も待たずに開いたドアからは、すっかり忘れていた声が響いた。


「神殿長様、午前分の治療終わりましたあ!」


 ひたすら無邪気に甘ったるいそれは、わたしの後釜に収まったはずの義妹のものだ。絶対にわたしがここにいることに気付かれてはならず、不審にならないよう気を付けながら、秘伝書をカバンにしまいこむ。わたしの両肩に手を添えたフリッツが、そっと顔を寄せた。


「あれは?」

義妹(いもうと)です」


 ほとんど聞き取れない音量で言葉を交わし、何食わぬ顔で帰り支度を整える。神殿長様もわたしたちの動きを承知しているようで、義妹の方へ進み出ていた。


「ああ、カトリーヌ。ならば次は祈りの時間だろう」

「でも、神殿長様もお疲れでしょうと、神官様たちが言ってます。遅くなりましたが、皆でお昼休憩しませんかあ?」

「いえ、お客様も来ておりますので、私は遠慮しておきます。あなた方だけでお取りなさい」

「お客様?」


 遠慮するという言葉を知らない義妹が、神殿長の向こうから顔を覗かせる気配がする。フードを目深にかぶったところで、この距離では横顔も髪色もごまかせない。まずいと思った瞬間、義妹が息を呑んだ音が聞こえてきた。


「グレイス……?」

「!!」


 お姉さま、ではなく呼び捨てにされた己の名。けれどもその声に心臓が跳ねるより前に、何かひんやりとした薄膜が顔を覆うような気配がする。これは何かの魔法だと察したところで、フリッツが先に義妹へと振り向いた。


「失礼。姉はそのような名ではないのだが……神殿長、こちらのお嬢様は」

「話し中だったところを申し訳ない。こちらは『聖女』カトリーヌ殿なのだ」


 わざとらしくなく装ったやり取りのあと、フリッツが再びこちらに顔を寄せる。耳元で呟かれたのは、「大丈夫」というグレンツェント語だった。


「投影魔法で僕の姉の顔に見えるようにしています。顔を上げてください」


 そんな便利な魔法があったのか。そう驚いた顔は、さも『聖女』という存在に驚いているかのように写ったのだろう。こちらを訝しげに見ていた義妹へ顔を向けた瞬間、その怪訝さは消え失せた。


「ええっ、全然違う! 私ったら、人違いしちゃったみたい! ごめんなさいね」


 きゃはきゃは笑う義妹に、会釈だけ返す。剣呑さが抜け作り上げられた愛想笑いは、可愛らしい顔立ちの彼女をより爛漫に見せていた。相変わらずの義妹に内心で溜息を吐いたところで、彼女は機嫌よく続ける。


「お客様ってことは、私を訪ねてきたんですかあ?」

「そうだな。でも君はいま万全ではない。出直してもらえるよう、頼んだところだ」

「そうなんですよお、ごめんなさい。私いま、少し呪いを受けてて……浄化の魔法が使えなくって……」


 途端に涙目になった義妹が、勝手に進み出て勝手にわたしの手を握る。流れ込んできたのは、知っていたはずのものとは随分違う義妹の魔力だった。


「気を落とさないでくださいね。次はちゃんと、私があなたを治しますから!」


 これ以上ないくらい愛らしい顔に、涙をためた上目遣い。可愛さだけを追求した義妹に、なんとも言えない空気が覆う。手元からは未だざわざわした魔力が流れてきて、その気持ち悪さに思わず身を捩ってしまった。引きつった頬に、すかさずフリッツが前に出てくれる。


「申し訳ない、姉は体調が良くないのだ」

「あっ、ごめんなさい!」


 ぱっと手を離した義妹が、フリッツに向けて頬を染めながら「そういうことなので!」と聖女服の長い裾を翻して去っていく。バタバタと騒々しい足音が完全に遠ざかるのを待ってから、わたしたちは全員揃って長い溜息を吐いた。

 一体、わたしが国を捨ててから今日までの間に、義妹に何が起きているのだろう。あの子の態度はともかく、その魔力はとても澄んだ光属性のものだったはずなのに——さっき流れ込んできたものは、呪いを煮詰めたような禍々しさに満ちていた。


「もう、大丈夫かな」


 考え込むわたしの顔から、ひやりとした薄膜が消える。無詠唱で張られたフリッツの魔法が解かれるのと同時に、神殿長様がこちらへ振り返った。


「すまんな。茶のひとつでもと思ったが、ここに留まるのは危険だろう」

「ええ——そのようですね。神殿長様、今日はありがとうございました。必要なことが済みましたら、御本は返却致しますので」


 自分に流れてきた不快な魔力を追い出すように手を振ってみても、鳥肌は全然治まらない。その様子を見ていた神殿長様は、首を横に振った。


「ここはあの調子だからね。連絡するまで、君が預かっていてはくれまいか」

「ですが……いえ。かしこまりました」


 これは門外不出のものではと反論しようとして、けれども先程の不快な魔力に思い至って考えを改める。確かにあの義妹の近くにあるよりは、わたしが持ち出したままになっていた方が安全に違いない。


 わたしたちはそれからすぐに神殿を辞して、一度適当な屋敷の側へ転移した。当初は直接家に帰ろうと思っていたのだけれど、万が一、フリッツの魔法を辿られる可能性を考慮した形だ。幸い、大雨のせいで出歩く市民たちは少なく、誰かに見られたとしてもフードが怪しいとは思われない。だから転移先からはしばらく徒歩で移動し、人目の付かない場所からまた別の場所へ転移する。そうして程度を数回転移したあと、ようやくわたしたちはフィリグランの森へ戻ってきた。

 穏やかに晴れた、夕陽色に染まる空。少しだけ冷えた風がそよぎ、街の方からは賑やかな声が聞こえてくる。穏やかそのものの庭に立ち、ようやく、わたしは深く息を吸い込めた。


「お疲れ様、グレイス嬢」

「フリッツさんも……ありがとうございました。そして、義妹が申し訳ありませんでした」

「いや、グレイス嬢が謝ることではないよ」


 帝国の雨でびしょ濡れになった服を魔法で乾かしながら、フリッツが苦笑する。けれども彼はその苦笑をすぐに引っ込めると、真剣な眼差しでわたしを見やった。


「グレイス嬢。君の義妹は、昔からあんな禍々しい魔力の持ち主だったのかい?」


 見えたんだ、とフリッツが己の目元を示す。『泉の教会』の大司教様と似た魔眼を持つ彼は、他者の魔力の属性や質、はたまた嘘の有無まで見分けてしまうことが出来るらしい。そしてその目に、さっきの義妹は嘘だらけで真っ黒な、非常に良くない魔力を纏っているように見えたのだと教えてくれた。


「いえ……少なくとも、わたしが帝国を出る前の彼女は、ちゃんと光属性だったはずなんですが……」


 わたしが神殿暮らしだったので接点は少なかったものの、顔を見ればしっかり嫌がらせを仕掛けてきた義妹だ。彼女の魔力の痕跡は、わたしが知る限り濁りなどない光属性のものだった。そう説明すれば、フリッツの瞳に警戒が滲む。けれども、『聖女』として立つ彼女に対してできることはなく、わたしたちはどちらも肩を竦めた。


「とにかく……今はテレーズ嬢のことに集中しよう」

「ええ、そうですね」


 わたしはフリッツと頷き合って、家の中へと戻る。二階からはフェリーたちと笑い合うテレーズさんの朗らかな声が聞こえてきて、ひとまず、義妹のことは思考の隅に追いやることにした。


お読みいただきありがとうございます!

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