11:一方、その頃⑦
「『秘伝書』とはねえ……よくもまあ、この期に及んで私に隠し立てしていたものだな、神殿長よ?」
離宮の一角、殿下の執務室。冷えきった声で告げた殿下に、その前で土下座するように跪く神殿長は真っ青になっていた。無理もない。国盗り合戦を始めた今になっても知らされていなかった「手札」を、寄りにもよって王国からの協力者に聞かされたのだから。
「『聖女』に纏わる帝国の嘘、一応皇子である私すら知らないそれを報せることなく、味方として寝返ったつもりだったのかい?」
「ひっ……も、申し訳……」
フリードリヒが昨日掴んできた「手札」は、驚くべき情報だった。
恐らくは初代皇帝が隠蔽したと思しき古代遺跡や、そこに遺されているであろう古来の信仰の名残り、秘された魔法や魔術、そして神殿長だけに代々伝わるのだという秘伝書の存在。それは先代の神殿長から、隣国で聖職者を務める女神信仰研究者に教えられた情報だという。フリードリヒは、先日保護したテレーズ嬢の治療法を探す妹の付き添いでその研究者のところへ出向き、共に話を聞いてきたのだった。
今の今まで秘されていた情報は、殿下が編み上げた今後の計画を大いに狂わせるもの。故に殿下は神殿長を呼び付けて、その手に持った剣先を神殿長の首元に突き付けているわけだけれども。
「恐れながら、殿下。まずはこの者から話を聞くべきかと存じます」
真っ青な顔で震え上がる神殿長が、声を上げた俺に縋るような目を向ける。勘違いしないでほしい。別におまえを助けたいわけではなく、もたらされた情報について更なる詳細を聞いておきたいだけだ。
「だけどテオフィル。私は言い訳も懺悔も聞く暇はないよ」
「それは私も同感ですが、秘伝書の詳細や神殿側の言い分は、今後の判断のためにももう少し必要かと」
「うーん、それもそうだね」
殿下は、兄であるはずの馬鹿皇太子とはまるで似ていない黒髪を軽く振ると、目線だけで神殿長の拘束を騎士に訴えた。命令を正しく判断した騎士ふたりが神殿長の両腕を拘束したところで、殿下が剣を腰の鞘に戻す。それから椅子へ腰掛け直すと、長い足を優雅に組んで神殿長を見下ろした。
「では、洗いざらい話してもらおうか。神殿の立場とやらと、秘伝書について」
神殿長が、身体と同じくらい震える声で話し始める。帝国建立まで遡る長い話は、要約するとこうだった。
初代皇帝となったメイユール帝は、帝国史ではラ・セレアル地域の田舎から立身出世し帝国統一を果たしたと言われているが、その実は、大陸西平洋の外から来た流民であった。彼は、出身地の言語と当時最新鋭だった銃火器を武器に、大陸には未上陸だった女神唯一信仰を掲げ兵を挙げる。そしてラ・セレアル地域を併合する中で、その当時は地区に数人いた浄化魔法の使い手のうち、最も強い魔力を持っていた女性魔導師を『聖女』と定め伴侶とした。大陸では類を見なかった強硬な武器と、高魔力な『聖女』の派手な魔法行使による土地の豊穣を見せつけることで、メイユール帝は瞬く間に自領を拡げていく。彼の侵攻と共に大陸西側では女神唯一信仰が拡がり、精霊信仰の衰えと共に浄化魔法の担い手は『聖女』ただひとりになったらしい。
やがて西側諸国統一を果たしたメイユール帝は、女神唯一信仰であるサリュー教の神殿を建てる。それに伴い、女神様の御使いであると謳った『聖女』に都合の悪い過去の信仰について、破壊もしくは隠蔽することに決めたのだという。特に、過去の女神信仰の様子が色濃く残るレリュイーヌ島最古の遺跡と、かつてもっと人々が高い加護と魔力を持っていた時代に用いられていた魔法魔術のいくつかを「秘伝書」として封じだのだと。そしてそれらは初代神殿長に命じられたメイユール帝の腹心から、門外不出口外無用として、代々神殿長のみに伝えられてきたらしい。
「申し訳ございませんでした、殿下……騙すつもりはなく……『秘伝書』には誰にも開けられない閲覧禁止魔術が施されており……」
「そういう言い訳は要らないから」
話し終えてもなお震えるばかりの神殿長に、殿下は一瞥もくれず顎に指を伸ばした。おおよそ、これからの行動と計画を練り直しているのだろうと判断して、俺は黙ったまま隣のフリードリヒと顔を見合わせる。
「……初代皇帝の話は今更証明出来ないからどうでもいいが、帝国と王国の言葉の違いには納得した」
「だよね、テオフィル。僕もそう思った。さほど広くない大陸なのに、東西で言葉違いすぎるもんな」
小声で頷き合ってから、神殿長へと顔を戻す。こちらに庇護を求めて寝返った分だけ馬鹿共よりはマシだけれど、こいつも馬鹿な奴だ。ラ・セレアル公を恐れて殿下に与したのであれば、門外不出だの口外無用だのという戯言は気にせず、さっさと何もかも殿下に打ち明けてしまえば良かったのだ。殿下はその聡明さから幼少時よりクーデターどころか国家転覆を企み、その目的のためだけに人生を費やしている御方。そのための利益になる情報を打ち明けていれば、その後の扱いは大きく変わったであろうに。
「それで、フリードリヒ。かの『聖女』は、この情報を知って何がしたいのかな?」
「はい、殿下。グレイス嬢は、先日保護されたテレーズ嬢の『魂の修復』を望んでおられます」
「なるほどね。それで、こちらに来たがっている、と」
「その通りです。秘伝書について、神殿に出向くおつもりでした」
フリードリヒによれば、妹は今すぐにでも帝国へ忍び込みそうな勢いだったらしい。まああの妹の魔力なら、国境封鎖地帯など簡単に突破することだろう。今や狂化した魔獣が蔓延る森すら、朝飯前の顔で通り抜けて来るに違いない。とはいえ堂々と忍び込み帝都まで出向くのは大変だろうからと、フリードリヒが妹を説得して置いてきたようだ。「ツテがあるんだ」と話したら納得してくれたよ、と笑っていたけれど、果たしてそれはどうか分からない。あのお人好しはあれでいて、相当な頑固者なのだから。
「神殿長。その秘伝書に、グレイス嬢が望むものは書かれているのか?」
「それは……申し訳ございません。禁書故、読んだことが……」
「じゃあ、問題ないね。おまえには、グレイス嬢に秘伝書を明け渡してもらおう」
「し、しかし殿下、あれは門外不出の、」
「帝国の嘘を隠し通すための秘伝書なんて、これからの世には不要だ。ならば、適切に扱える者に託された方がいいに決まっている」
「ですが、」
「くどい。その口、今すぐ縫い止められたくなければ従え」
その代わり、転覆が叶った暁には、また神殿長の椅子を約束してやる、と。殿下が持ちかけた取引に、神殿長はようやく身の振り方を弁えた。首振り人形のようにひたすら頭を縦に振り続ける神殿長から目を離すと、殿下は俺たちを見る。
「あの馬鹿兄を引きずり下ろすつもりでいたが、一旦待つ。テレーズ嬢の件も、きっと良い薪になるだろうからな」
「承知致しました」
「フリードリヒ。君にも都度都度迷惑をかけるが、『聖女』の件がつつがなく進むよう、助力を頼みたい」
「殿下を主と思い仕えるよう我が主から仰せつかっております故、今、この身は殿下の臣下なれば。どうぞ、思うがままにお命じください」
「では、『聖女』殿に助力せよ」
「御意に」
隣のフリードリヒが言い終えたタイミングで、揃って殿下に頭を下げる。室内は、どこかで落ちた雷の音がやけに耳に残るような、熱い静寂に満ちていた。




