05:夢
女神信仰を信ずる者であれば、一度は耳にしたことがある学説がある。それは、『古代はもっと魔法の力が強力だった』という説だ。その説によると、昔、人はいまよりも未熟で、社会も未発達で、不便であった。対して自然は恐ろしく強大な脅威であり、未熟な人間の命を次々と刈っていく。それゆえ女神様と精霊たちは当時の人々にいまよりも強い加護を与えており、自然の脅威に立ち向かい共存する術を身に付けさせたのだという。そして人々が集団を成し協力することで社会は発展し、その発展に伴って少しずつ加護は減っているのではないか、という話だ。
事実として、古代の女神信仰の遺跡から見付かる遺物や伝え遺されている文献からは、市井の人々がいまよりもっと楽に強い魔法を使っていたことが伺えるらしい。これはわたしも『泉の教会』の大司教様から教えを受けるようになって知ったことだけれど、エノルメ大陸で「小国」というコミュニティが成立し始めた時代では、どうやらひとりひとりが皆『聖女』同等の魔法を使えたことを示す壁画が見付かっているのだとか。
社会の発展に伴い加護が減る——女神様を頑なに信じる者には受け入れ難い学説であるのは確かで、いまだ推測の域は出ない、ということになっているのだけれど。研究者の間ではほぼ間違いないと言われているということも、わたしは最近知った。
(でも、驚くことではないわね)
前世、魔法という概念が御伽噺の中にしかなかった世界線で生きたことのあるわたしにとっては、別に驚く話だとは思わなかった。前世、人間は魔法がなくとも一瞬で火を起こす術を持ち、高度に発達した通信手段や移動手段を数多発明していた。治癒魔法がなくとも命を救う技術を磨き続けてもいた。自然を切り拓く力が強すぎて「環境破壊」なんて問題もあったほど、高度に進化発達した社会だったのだ。
今世だってそうだ。かつては魔法に全て頼らねばならなかったであろう開墾も、衣食住も、いまでは人力と魔法を組み合わせて行われている。人々が得た力の分だけ、人ならざる者の力を地上から減らしていくことがあったとしても、何も不思議ではないだろう。
(人は過去には戻れない。喪った加護も、戻ることはない)
それなのに、時として「物」だけが未来に渡る。誰も正しく扱えない、過去を垣間見る以外に使いようがない「遺物」となって。今回、テレーズさんにはその「遺物」が使われてしまった。しかも、ずいぶん前に正確な作り方も使い方も外し方も失われた、あってはならない遺物が。
(それでも何か……何か、ヒントはないのかしら)
テレーズさんを家に迎えてから、一週間が過ぎていた。治癒魔法の方は確実に効いていて、彼女は短時間であればベッドから出られるようになっている。昨日は部屋のテーブルでパン粥を食べられた。ベルンも懐いていて、ここのところは居間のクッションではなくテレーズさんのベッドで丸くなっている。
居着くベルンを可愛がってくれることからも分かるように、テレーズさんはとても良いひとだった。虐げられていたせいもあるのだろうけれど、とても奥ゆかしく控えめで、他者への気配りを忘れない。自分の方がしんどいだろうに、治癒魔法を掛けるわたしに「疲れていないか」と何度も気遣ってもくれる。心身の健康さえ取り戻せれば、彼女のような女性なら瞬く間に人気者になれるだろう。
(何か……あればいいのだけれど……)
わたしから見ても、彼女はとても素敵な女性。だからこそテレーズさんを元気にしてあげたいのだけれど……傷付いてしまった魂の修復治癒についてはまだ手も足も出ず、わたしは夜毎、大司教様から借りた古い文献に目を通す日々が続いていた。自分の知識に対処法がなくとも、わたしの知らない、過去の世界には何か手立てがあるのではと期待して。
(魂……前世の言うところの『心』だけど……)
違いがあるとすれば、それは魔力で触れたり縛ったりするくらいのもので。基本的に、魂と心は同じものだとわたしは捉えている。心が健やかであればあるほど魔法の効力は増すし、善き心であれば善き魔法が、悪しき心であれば悪しき魔法が強く発露する。大切なひとの危機に魔力値からは考えられないような強い魔法が発動する現象が起こるのも、前世風に言えば「火事場の馬鹿力」と似たようなものだろう。
ただ、前世のわたしは一介の主婦だったので、そういう心の仕組みに詳しいわけではなかった。年老いてから心の病がニュースや新聞で取り沙汰されるようになり、少し聞いたことがある程度。前世の伴侶はそういうものを「恥」「怠慢」と言ってはばからない人間だったので、わたしにとっては縁遠いものだった。
あんな男のことなど放っておいて、もっと社会や世界のことを勉強すれば良かった——というのは、今世に生を受けてから度々思ってきたことだけれど。夜毎古書のページをめくるいまほど、そう強く後悔したことはない。あの頃に本を一冊でも読む経験をしておけば、いま、もっと違う選択をできたかもしれないのに、と。
(悔やんでいても仕方ないわね。わたしが生きているのはいまなのだから、いま出来ることを探さないと)
霞んでしまった目をしばたたかせてから、自分に言い聞かせて本へ目を落とす。けれども、口から無意識に漏れ落ちた溜息は、なかったことにはできなかった。あまりの収穫のなさに、わたしはいま、前世今世含めて人生でいちばんの敗北感を抱いている。
「……無駄ね。そんなもの、腹の足しにもなりはしなくってよ、グレイス」
自らを叱り飛ばして、遅々として進まない本を閉じた。それから一度伸びをして、リビングのソファへ寝転がる。仮眠を取って、もう少しまともに働く頭になってから考えようと目を瞑って——
「これは、」
目前に、果てしない花畑が広がっていた。突然変わった景色に理解が遅れ、ややあってから、これは夢だと悟る。夢と理解している夢のことを明晰夢と呼ぶのだと知ったのは、前世で購読していた新聞の小説欄だった。そんな到底どうでもいいことを考えてしまったのは、その花畑が、遠い思い出の中にあるものだったからだ。
『大好きよ、私の——』
『大好きだよ、僕の——』
それは、前世のわたしが幼い頃の記憶。両親と春に出かけた近くの野原。ピクニックしながら、両親はいつもわたしを抱き締めて笑ってくれた。大好きだよ、大切だよ、いつまでも自分たちのかわいい娘だよ、と伝えながら。わたしは確かに愛されていた。だからずっと、頑張れた。伴侶がどんなに人でなしでも、いつか報われると信じて生きていられた。
『グレイス。わたくしの、かわいいかわいいグレイス』
花畑に、いるはずのない人が立つ。わたしと同じ色彩で、わたしと良く似た顔の女性。わたしより儚い微笑みを浮かべるその人は——わたしと兄の母だ。わたしが幼い頃に亡くなってしまったお母さまだった。その人は腕に抱いた赤ん坊に、歌うように語り掛けている。
『あなたには、女神様の御加護も、精霊たちの御加護もあるのね。特別に愛された仔ならば、きっとあなたは特別な娘になるでしょう——ひいおばあさまが、そうであったように』
だけど、と母が赤ん坊の左手を取る。五枚の花弁のような痣がある手を取って、何度も何度も撫でながら、母は魔法を重ねていった。
『けれどもこれは、諍いの元。御加護だけを求める者は、あなたを不幸にすることでしょう。ひいおばあさまが、そうであったように……だからこれは隠すわね。いつかあなたが、自分で幸福を選べる日まで』
母の姿が、ゆっくりと遠ざかりはじめる。その声も、わたしの鼓膜を揺らしながらも離れていく。
『どうかこれだけは忘れないで。あなたはわたしのかわいい子。ずっとずっと、わたしのかわいいグレイスよ——』
お母さま、と叫ぼうとした喉が詰まる。待ってくれ、と伸ばそうとした手が止まる。誰かに名前を呼ばれたような気がして我に返れば——次に視界に写ったのは、朝日に照らされる自分の家のリビングだった。




