16:『魔女』の祈り
それから、『フィリグラン塾一同』で出店した『森の魔女』のサシェは順調に売れていった。大箱にみっつ分みっちり詰め込んできた在庫は、三日目の昼過ぎに全て売り切れる。初日の最初を思うと完売は奇跡のようで、店番をしていた子供たちも、完売を見守っていた街のひとたちも、皆喜んで歓声を上げてしまった。惜しくも買えなかったという人たちからは、もう早速「ぜひ来年も」と声が掛かる。子供たちはそんな声にも大喜びだった。
完売したのだから、手習いの教室として使っている公会堂はきっちり改修できるだろう。図書館の整備も進められる。子供たちは明るい顔で祭りを楽しめたし、いい事づくめだ。
「——グレイス嬢の機転があってこそだよ。本当にお疲れ様」
「いえ。フリッツさんにも、大司教様をお呼びいただきましたし……子供たちも大きな声で売り子を務めてくれました。皆の力があってこそ、です」
完売後。フィリグランに帰る交易馬車の時間までの間に、わざわざ出店に出向いてくださった大司教様へお礼をしなければと『泉の教会』に出向く。手土産に悩むわたしに「顔出すだけで充分だと思うよ」とはフリッツの談で、彼は「そんなわけにいくまい」と頭を抱えたわたしに付き添ってくれることになった。ちなみに、ずっと店を手伝ってくれたフェリーはと言えば、最後に婚約者さんと出店を回りたいからと言って早々に帰宅した。多分逃げたんだと思う。多分。
「それにしたって、お礼はいらないと思うけど……グレイス嬢って、真面目って言われない?」
「『つまらない』と言われたことはありますが……」
前世の伴侶も今世の馬鹿も、わたしを形容する時にはいつも『つまらない女』と言っていた。あのひとたちのように、己を省みず遊び呆けて過ごす人間にとってみれば、確かにわたしはつまらなかったのだろう。けれどそれを説明する気にはならず、わたしは冗談に聞こえるよう肩を竦めてみせる。フリッツは吹き出すと、「ないない、それは絶対にない」とからから笑い声を上げた。
「そんなにお笑いにならなくても……」
「だって、君の冗談が過ぎるんだもの」
フリッツの笑い声に、すれ違う人々が振り返ってこちらを見やる。
祭りの三日目も午後だというのに、相変わらず街は賑やかだ。わたしたちのように、持ち込んだ品物が完売して閉じてしまった出店も時々あるけれど、食品を扱う出店を中心に、まだ人で賑わっている。その人混みではぐれぬようにと繋がれたフリッツの手のひらは、この間と同じ、意外なほどしっかりしていて、とても温かかった。
「ようこそ、グレイス嬢。君たちが来るのが見えましたよ」
「こんにちは、大司教様」
丘の上、『泉の教会』に着くと、そのドアの前に大司教様が立っていた。わたしが礼のために出向きたいという話はフリッツが伝えてくれてあるらしく、大司教様は「こちらへどうぞ」とわたしを誘って歩き出す。その後をついて行けば、大司教様が足を止めたのは教会隣の泉のほとりだった。街を一望する泉の横で、大司教様が笑む。
「それで、グレイス嬢。君は私に、礼がしたいと言ってくれているんですね?」
「はい——サシェ販売の折、わたくし共にお力添えを賜りまして……本当に、ありがとうございました」
大司教様に深々と頭を下げ、わたしは心からの感謝を口にした。喜んでいた子供たちの分も、楽しかったと笑ったクラリッサの分も。この三日間の思い出と、そして売上によって良い方へ変わるであろう街の未来の分も。嘘偽りのない感謝の思いに、大司教様の微笑みが深くなる。
「私は気に入ったものを買っただけだよ。……ところで」
「はい」
顔をあげるよう告げられ、わたしは背筋を伸ばす。続けて礼の品が何もないことを詫びようと思っていたのだけれど、大司教様は少し気恥しそうにわたしを見やっていた。「礼の代わりと言ってはなんだが」と前置いて、彼は言う。
「この街の——ヴァイスホルン領で暮らす皆の幸福を、祈ってはくれませんか」
「わたくしの祈りで良いのでしたら、いくらでも」
大司教様の依頼に、一も二もなく頷いた。祈ることが礼の代わりと言っていただけるのなら、いくらでも祈りを捧げようじゃないか、と。
わたしはもう『聖女』ではないし、もちろん信仰を集める女神様でもなければ、魂の国で出会った神様でもない。ただ、他の人よりも神と精霊たちからの加護を多くいただいているだけの人間だ。この辺境伯領にいま以上の繁栄や奇跡をもたらすような劇的な力はないけれど、この地に暮らす皆の幸せが続くよう、今日よりも少し良い明日を祈ることは出来る。だってここは——わたしが愛するフィリグランの街の人たちにとっても、大切な街だから。
「では、ここで祈らせていただきますね」
泉のほとりに膝を付く。奥底から湧き出る清らかな水が川となり街へ流れていく音を聞きながら、わたしは目を閉じた。生活用水としても利用されているこの水に乗ってこの地に幸福が満ちるようイメージしながら、わたしは左手を泉にかざす。幸福をと口にすれば、その左手が光り始めたのが、目を瞑っていても分かった。
光が強くなり、かざす手が熱く感じるようになる。そっと目を開いてみれば、わたしの祈りを込めた魔力がどんどん左手に流れ込んでいた。髪を短くしていた魔力も解け、光の玉へ流れ込む魔力に加わる。元の長さに戻った髪が揺れ広がるのが、泉の水面に反射した。この間のハーブへの祈りの比ではない光の玉は、もう、左手だけでは支えきれない。だからわたしは右手を添え、静かに両手を握り込んだ。再び開いた手の上には、ミモザにも似た小花が無数に集まった、大きな光の花束が咲き誇っていた。わたしが両手を広げるようにして光の花を宙へと放れば、それは一気に光を増した。
「これは何という……まさに『祝福』だ……」
わたしの魔法を間近で見ていた大司教様が、咄嗟に女神様へ祈る時の仕草を浮かべる。わたしは祈りが結実したことを確認してから、泉のほとりでそっと立ち上がった。
宙で輝く光の花の半分が、ゆっくりと泉に吸い込まれていく。水に触れた花は解けて溶けて、わたしの魔力の色である淡い青色に煌めいた。もう半分は空へ舞い上がり、雪へと姿を変えてはらはらと落ちてくる。『冬祭り』の最後を飾る雪は、ほんの少し輝いてから、平等に街へ降り積もり始めた。
「大司教様。これで、この度のお礼にはなりましたでしょうか?」
「もちろんですとも……ありがとうございます。『森の魔女』グレイス殿……」
「こちらこそ、良くしていただきありがとうございました」
大司教様に重ね重ね今回の礼を伝えて、わたしはフリッツと共に丘を降りる。わたしが幸運を祈った雪がしんしんと街を純白に染め上げていく中で——ヴァイスホルン辺境伯領伝統の『冬祭り』は幕を降ろすのだった。




