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03:森への旅立ち

「おい、起きろ」


 不躾な物言いと無礼にも肩を揺さぶられる振動で、わたしは目を開けた。考えることなど何もなく眠っていれば、数度の休憩の後、ついぞ馬車は目的地へたどり着いたらしい。


「降りろ」

「ええ、ええ。いま降りますとも」


 夜会仕様のドレスを纏った状態で、エスコートなどされることなく馬車を降りる。森の出入口に、この付近の領地の人はいない。どうせ近衛兵の前でマナーを気にする必要もないため、わたしはハイヒールを脱いで地面へと飛び降りた。元よりこの身以外の荷物はない。近衛兵たちは汚らしいものを見るような眼差しでわたしを一瞥すると、すぐさま馬車でいま来た道を引き返していった。


「さて。ここが『森』ねえ……」


 わたし以外の誰もいなくなった細道の隅に立ち、ぐるりと辺りを見渡す。


 『悪魔の森』。大陸の中央を貫き、東西に二分する大連峰と、その麓に広がる広大な森の通称だ。帝国側からは到底最果ての伺えない森は、広いだけでなく、とても深い。おおよそ四百年ほど前、大陸の西半分をグラン・ソレイユ帝国として統一した初代皇帝ですら、攻め入ることが出来なかったと伝えられているほどに。

 その初代皇帝が、この森には悪魔の手先である魔獣が棲みついており、女神の加護を受ける帝国の民を受け入れることはないのだと伝えたことが、『悪魔の森』と呼ばれる所以だ。故にこの森は、帝国の人間にとってみれば、死刑になるより恐ろしい流刑地であった。事実として、ここへ追放され帝国へ戻ってきた者は、誰ひとりとして存在しないのだという。


(どこまでが本当の話なんだか)


 帝国の言い伝えと、兄が縁あって聞いてきたという隣国での言い伝えは、まるで違っていた。だからわたしは木々のざわめきすら気に留めることなく、森向こうに聳える連峰を見つめる。月夜に青白く輝く冠雪の山々。その麓からは、隣国、グレンツェント連合王国領であることを、わたしは知っていた。


(細いながらも交易路もあるし、王国領からは道沿いに宿場街もあると聞いているわ)


 その話が本当ならば、道行きには何の問題もない。むしろ問題があるとするならば、未だドレス姿のままの自分の身なりの方で。


「——シャンジェ」


 極限まで短く削った詠唱で魔法を発動して、わたしは自分の服装を旅用に整える。ドレープがたっぷりのドレスはシンプルなワンピースに。防寒の意味を成さない薄いショールは、しっかり厚手のコートに。脱ぎっぱなしのハイヒールパンプスは、きっちり膝下まである頑丈なブーツに早変わり。パーティ用にまとめていた長い銀髪は、今後の旅の邪魔にならないよう、長めのボブスタイルくらいに短くしてしまう。首元を飾っていたペンダントは、元々の斜めがけのショルダーバッグへ戻っていった。


「うん、いいわ! 動きやすいし、こっちの方がわたし好み!」


 幼い少女のようにくるりとその場で回転し、自分の変換魔法の出来に、ひとり自分で満足する。生まれ持った髪や目の色、顔の造作や体格は変えられないけれど、それ以外のものなら自由自在に思うがままだ。便利なことこの上ない。


(さて、もう帝国の関係者は誰もいないわね)


 昔から薄々気付いてはいたけれど、あの皇太子殿下はやっぱり馬鹿だ。ついでに言うと、皇帝陛下すら、ちょっとおつむの出来が怪しい。だって、わたしから何もかも剥奪して、身ひとつで森へ置き去りにしたつもりなんでしょうけど。それできっと今頃は、ふんぞり返って自分たちの行動に浸っているんでしょうけれど。


(わたしは、魔導師でもあるのにね)


 この身に余るほどの膨大な魔力の適正は、何も『聖女』としての浄化の魔法行使だけではない。魔法と呼ばれるものであれば大体何でも扱えてしまうことを事細かく報告されたはずの彼らが、それを綺麗さっぱり忘れているなんて。ちょっと、ほんとに有り得ないと思う。


(第一、こちとら自分から婚約破棄と帝国追放を仕組んだのよ。奪われることが分かっていて、何も対策しないはずがないでしょ)


 帝国領土に、わたしが必要な荷物は——ついでに言えば、兄以外の人間が必要としそうな荷物も、もう何ひとつ残していない。帝都の公爵邸にも、領地の公爵城にも。この数年お世話になっていた神殿にだって。わたしが残していって構わないと判断したもの以外、どこにも、何にも残して来なかった。不要なものはそうと分からないよう破棄したし、大切なひとには必要な言伝と引継ぎはした。追放後に必要なものは全て、このショルダーバッグに詰め込んである。バッグを倉庫に作り替えることくらい、わたしには朝飯前だ。


(カトリーヌは……きっと、とっても困るでしょうね)


 ふふふ、と悪女よろしく笑ってみせる。わたしは自分の計画を進める上で、あの義妹がわたしの命を救ったふりをして、わたしを侍女という名の奴隷として永遠に手元に置いておこうと画策していたことも知っていた。あの子が使える治癒魔法では、お馬鹿な皇太子は騙せても、いつまでも『聖女』と名乗り続けるわけにはいかないものね。


(さあ。善は急げ、ですわね!)


 わたしは思考を切り替え、自分が移動するための馬代わりに、魔法で水と自分の髪一本で、水馬を編み上げる。わたしの髪色と同じ淡く青みがかった銀毛の馬にまたがれば、視界が高くなった分、森が狭くなったような気になった。

 ああ。誰からも何も強いられることのない境遇の、何と晴れやかなことか。ラ・グラス家の公爵令嬢でもない。帝国伝説の『聖女』でもない。ましてや、あの義妹の姉でもない。ただの「グレイス」として生きていかれることの、何と楽しみなことか!

 苦節七十年。わたしはようやく、わたしの人生を生きていかれるのだ。だからわたしは、胸いっぱいに森の空気を吸い込んで、「さあ!」と目前に続く細い道を見据えた。


「ようやく! わたしは! 自由よ!!」


 じゆうよー! と。間抜けに響いたわたしの声が、薄らとこだまして鼓膜を揺らす。驚いてバサバサと飛び立った羽音に、そういえば、とわたしは今更兄の言葉を思い出した。兄は、獣に見付からないよう、そして鳥を寄越せと言っていた。それは要するに、あの皇太子殿下もとい馬鹿からの追っ手には注意するようにということと、わたしから手紙を送ってこいという意味で。


(ま、いまはいいわ。追っ手はどうとでもなるし、手紙はどこか落ち着いてから送れば事足りるでしょ)


 思い出した矢先、わたしは頭を振って思い出さなかったことにする。そして水馬を進めれば、間もなく、わたしの周囲は夜より暗い鬱蒼とした森の景色に埋め尽くされた。

 見渡す限りの太い幹。風に揺れて擦れる葉の歌声。遠くでいななくのは魔獣の声か、それとも森の獣たちの遠吠えか。普通であればきっと、ここは恐ろしいもので溢れているのだろうけれど。ようやく自由を手に入れたいま——わたしに恐いものなど、ないに等しかった。

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苦節七十年って 令嬢は歳は お幾つですか?
初めまして! カトリーヌ、絵に描いたような悪役聖女。 でも達観した感じのグレイスが良いです。 自由になったグレイスの今後が楽しみです。 面白かったので、ブクマさせて頂きました。
苦節七十年は長いなぁ 報告したくても何年が正解か分からなかったからここに書いておきます
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