05:目覚め
翌朝も、吹雪は止まないままだった。いつもであれば日の出の時刻を迎えても、辺りは真っ暗。いくら魔法が使えるといっても、天気ばかりはどうすることも出来ないので、わたしはそのまま活動を始める。
深夜そのまま寝てしまった食器類の後片付け。夜中入りそびれたお風呂。乱雑なままの部屋を整頓して、身支度を済ませる。魔法でそれらを同時並行で済ませられるので、負担感はまるでなかった。
寝室を貸したふたりは、余程疲れが溜まっていたらしい。物音ひとつせず眠ったままだ。休める時に休むことは大切だから、そのまま彼らには眠っていてもらうことにする。
それから、ベルンのごはん入れに猫用のパンを小分けにしたものを入れてみたものの、いつものクッションで丸くなるベルンは起きてこなかった。というか、わたしがベッドで寝なかったため、布団に入り込めず拗ねていた。こればかりは諦めてもらうより他になく、わたしは丸い背中を撫でるに留める。いつもみたいに甘えてもらえないのは寂しいけれど。
気まぐれな精霊たちは、特に姿を見せていない。彼らに睡眠という概念はないけれど、昨日は遅くまでわたしに付き合って飛び回っていたので、きっと彼らも休息しているのだろう、などと思っておく。
「さて!」
魔石暖炉からの熱が部屋にじんわり染みる中、わたしはひとり、自分に気合いを入れた。そして、いまだ横たわったままのフリッツの側へ行き、その傍らに膝を付く。
改めて落ち着いて見てみれば、フリッツはなかなか整った顔立ちの青年だった。皇后様の美貌を受け継ぎ顔だけは無駄に良かった元婚約者のような華やかさは無いけれど、人好きのする優しい顔立ちである。何より、亜麻色の長い髪が、その優しげな顔にとても似合っていた。昨晩よりは顔色も悪くなく、呼吸も落ち着いている。呪いで目覚めないこと以外は、特に問題はなさそうだった。
であれば、さっさとその呪いを解いて、元気になってもらうに限る。フェリーやシュテルケの態度を見る限り、フリッツは彼らにとって、とても大切な仲間なのだろう。彼らのためにも、フリッツには早く目覚めてもらいたかった。
「さあ、始めるわ。フリッツさん、手を失礼するわね」
聞こえてはいないと承知の上で、断りを入れてから手を取る。自分の両手でフリッツの手を挟み込むと、探った時と同じように、指先から魔力をフリッツへ染み渡せていく。そうして辿り着いた呪いのたもとで、わたしは浄化の魔法を展開した。
どす黒い汚れを、ひとつひとつ染み抜きしていくような。鍋底にこびり付いた焦げを、少しずつ剥ぎ取っていくような。すっかり錆びてしまった銀細工を、丁寧に磨いていくような。そういう感覚で、呪いをその縁から、じわじわと消し去っていく。ただ、帝国で随一と言われていたわたしの魔力量でも、最大限の効果が維持出来るのは二時間が限度だった。
「ふう……!」
効果が落ちてきたところで、魔法を解いて手を離す。幸い、呪いが数時間で広がる速度よりも、わたしが一度で浄化出来る量の方が多い。地道に浄化の魔法を掛けていけば、必ずフリッツは目を覚ますだろう。
ひとまずは休憩を取ることに決めて顔を上げれば、吹雪はずいぶん弱まり、外はかなり明るくなっていた。ココアを飲んだら除雪に出ようと決めて、わたしは指を振る。
それから、更に二時間。ようやく猛吹雪が止み、真冬の銀色にフィリグランの街が覆われる中。フェリーとシュテルケは、陽が高くなった頃になって降りてきた。予想していた通り、体力も魔力も尽きかけるほど疲れていたのだと言う。
問題なく回復したと頭を下げてくれたふたりは、今回の件について報告義務があるからと、この家を出ていった。彼らには、いつでもフリッツの様子を見るために家に立ち寄ってくれと告げ、寝室もそのままにしておいてある。ふたりを見送ったわたしは、日に三回、フリッツに浄化の魔法を掛けることに決める。わたしの体力に無理がなく、いちばん効率的に魔法をかけ続けられるペースはそれくらいだと判断したのだ。
そうして、呪いで目覚めないフリッツへ、浄化の魔法を掛け続ける日々が、始まった。
その日の予定に合わせて、魔法を掛ける時間は変わる。でも、トータルして三回、一日のうちに六時間というペースは、無理なく維持することが出来ていた。わたしは暖炉そばのベッドで眠るフリッツのそばで、彼の呪いを解き続けている。フェリーやシュテルケは二日に一度の頻度で、多忙を縫ってこっそりフリッツの顔を見に来ては、慌ただしく去っていくのを繰り返していた。
何も知らず眠ったままのフリッツと、彼を目覚めさせるべく跪くわたし。これではまるで、前世の子供の頃に読んだおとぎ話のようだ、とこっそり思う。呪いで目覚めないお姫様を起こすのは、真実の愛を持った王子様の口付け、というのがおとぎ話の定番だった。残念ながら、わたしが口付けたところで、フリッツは微塵も目覚めないだろうけれど。第一、わたしは見目麗しい王子様ではない。世の中、おとぎ話のように都合よくはいかないものだ。
(きっと、もう少しで目覚めると思うのだけれど)
解呪を始めて、あっという間に一週間が過ぎる。森の魔獣の危険度が上がっているという話は、既に森沿いの街全てで、領主様直々に説明された。住民の不安を煽らないよう、凶暴化し呪いを生んでいるという詳細は伏せられているけれど、少なくとも冬の間は森へ入らぬようにと言われている。解呪には時間が掛かるため、被害が同時多発的に出たら、わたしひとりでは対処できない。森へ入らないようにという決定は、そういう意味でも必要な措置だった。
フリッツの顔を見に来たフェリーによれば、根本的解決法は、彼らの報告を受けた上の者が探っているらしい。わたしは、フィリグランの住民のひとりとして、早く山や森が元に戻るのを待ちながら、今日もフリッツの解呪を進める。
(どうして、かしら……!)
残る呪いは本当に少しなのに、それがなかなか消えてくれなかった。凶暴化していたとはいえ、これほどまでに強力な呪いを魔獣が持つとは思えない。凶暴化の裏には何があったのだろうかと、魔法を掛けながら歯噛みする。額を伝った汗が、ぽたりと、フリッツに触れる手の甲へ落ちた。
『グレイス、苦しいの?』
光の精霊が、そんなわたしのところへ飛んでくる。わたしは首を横に振って、「違うわ」と答えた。
「苦しいのは、呪われたフリッツさんと——こんなにも強い呪いを抱くほどの、魔獣だわ……かわいそうに……何が、あったのかしら」
きっとその魔獣にも、よほど辛いことがあったのだろう、と。そう呟いたわたしの手に、光の精霊が留まる。精霊はそこで腰を折ると、優雅に、わたしの左手の甲に口付けた。
『優しいグレイスに、もっと力を貸してあげるね』
精霊がそう言って、わたしに笑いかけた瞬間。そこにある痣が光って、わたしが続けていた浄化の魔法の力が増幅される。これまではずっと呪いと拮抗していた魔法が、ついに、呪いの力を上回った。熱いフライパンの上で水が蒸発していくような、じゅわじゅわという感覚と共に、フリッツに巣食っていた呪いが小さくなっていく。
そして——
「う……っ、」
吹雪の晩に担ぎ込まれて以降、ずっと眠ったままのフリッツが——ようやく、呪いから解放されたのだった。
ブクマ、評価などありがとうございます!
本日18:00にもう一話更新予定です。




