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12:精霊たちと森の魔女の家

『ごめんね、すこし借りちゃったの』

『似てたから』

『おにんぎょうは、違ったけれど』

『でも、違わなかった!』

『おかえりなさい、私たちの愛し仔!』


 ふわふわと飛びながら、精霊と思しき小さな人たちが鈴のなるような声を上げた。わたしたちがゆっくりと顔を見合わせれば、小さな人たちも顔を見合わせる。


 やはり、この小さな人は精霊だったらしい。幼い頃に絵本で読んだことはあるけれど、その存在は初めて見る。

 帝国では、精霊の存在は否定されていた。この世界を創り見守っているのは『女神様』ただおひとりで、わたしたちが使える魔法は、女神様がひとりひとりに授けたものだと。

 けれど、このグレンツェント連合王国では、皆当たり前に精霊たちのことも祀っている。それこそ、童話や絵本にも出てくるくらいに。わたしが子供の頃読んだ絵本は、きっとこのグランツェントから帝国に持ち込まれたものだったのだろう。


『ねえ、ねえ』

『あなたよ、アデルトルート』

『神様に愛された、あなた』

『私たち精霊の愛しい仔』

「わ、わたし?」


 精霊たちが、わたしの周りを飛び交って、わたしの髪を引っ張った。クラリッサが言っていた通り、どうやら良く似ているという髪色のせいなのか、どうにも勘違いされているらしい。わたしはアデルトルートという名ではないし、精霊たちの愛し仔という話も聞いたことがない。


「わたしはグレイスよ。アデルトルートではないわ」

『あれ? 違う?』

『違わないよ。同じ匂いがするもの』

『でも、ないわ。目印がないわ』

『本当だ。精霊の花がない』


 ころころと耳に響く精霊たちの声に、ハッとする。もうずっと昔、病気がちだった母がまだ存命だった頃。母はよく、わたしに不思議な話をしていたことを思い出した。


『いい、グレイス? あなたには、ここに秘密のお花があるの。でもね、これはママがナイナイしたから。あなたがおとなになるまでは、誰にも教えちゃダメなのよ——』


 寝込みがちだったベッドの上。白く痩せこけてしまった細腕で、それでも優しくわたしの手を握ってくれた母の姿が過ぎる。謎かけのような母の言葉の意味は、あの頃からずっと、いまに至るまで、分からないままだったけれど。

 花というのは、もしかして。そう思いながら、わたしは無意識に自分の左手甲を右手で覆っていた。それに気付いた精霊たちが、わたしの左手に集まる。


『ある。あるよ。見えないだけだよ』

『これは魔法だ。見えないね』

『私たちが見せてあげる』

『戻ってきたなら、もう見せてもいいんだよ』


 精霊たちが輪になって、わたしの左手に順に口付けた。その途端、ずっと左手を覆っていた膜のようなものがひび割れて、わたしの手から剥がれていく。眩い光が左手を包んだ、その一瞬の後。あの日の母の微笑みの理由が、わたしの目の前で咲いた。


「これ、は……」


 母がよく撫でてくれた左手の甲に、五枚の花弁が並んだ花の形の、赤い痣があった。わたしも知らなかったそれを見て、精霊たちは満足そうに笑う。


『あったよ。あった』

『精霊の花だよ』

『私たちが、愛した証拠』

『とっても優しい人にあげるんだ』

『祝福なんだよ』


 おかえり、おかえり。そう笑う精霊たち。アデルトルートというひとは知らないけれど——そうか、と不意に納得する。きっと精霊たちが言うアデルトルートそのひとこそが、この街に伝わる『森の魔女』そのひとだったのだろう。そうでなければ、辻褄が合わない。


「ねえ、あなたたち。わたしはアデルトルートではないの。グレイスという名前なのよ」

『グレイス?』

『愛し仔なのに、違うの?』

『似ているのに』

『似ているのに』

『でも、いいか』

『でも、いいわ!』


 ふわふわ飛び交う精霊たちは、けれどもやがて納得したように頷き合った。ならば良いと告げた彼らは、驚きに驚いて絶句しているわたしたちを見つめてから、もっと驚くことを言う。『愛し仔の家を、残してあるよ』と。


 え? と口にする間もなく、精霊たちがその場でくるくると回り始めた。まるで踊っているようにも見える動きは次第に早くなり、やがて精霊たちの姿は光のかたまりへと変わる。その光が弾けたと思った瞬間——『森の魔女の家』の跡地の平地に、古い、けれど立派な小屋が建っていた。


「えっ? おうちある?」

「どういうこと……?」


 同じものを見たクラリッサ三姉妹が、ぽかんと口を開けたまま呟く。呆然としてしまったのはわたしも同じで、突如現れた小屋から視線が外せなかった。

 レンガ造りの二階建て。壁の多くは花を咲かせた蔦が覆い、川から引いた水路で水車が回る。見たところ、屋根や壁に穴などはなく、玄関ドアのノッカーを叩けば、今すぐにでも中から住人が出てきそうだった。


『アデルトルートと約束したんだ』

『いつか必ず、愛し仔はここに帰ってくるから』

『それまでこの家を』

『この村を、この森を』

『守ってねって』


 再び姿を現した精霊たちが、褒めて褒めて、と飛び回る。固まったまま動けないわたしとクラリッサの代わりに、まだ幼く素直なメリーとイェニーが「すごいすごい!」とはしゃぎ立てた。それで満足したのか、精霊たちはきゃらきゃら笑い声を上げる。その声で我に返って、わたしはクラリッサとまた顔を見合わせた。


「これって……」

「グレイス。これは……とんでも、ない、ことだわ」


 驚き過ぎてカタコトになるクラリッサ。とんでもないことになってしまったという言葉には心底同意して、わたしはもう一度、突然現れた小屋を見る。緑あふれる小屋に、また、幼い頃の景色が重なった。


『グレイスはね、きっと……たくさんの人たちに、愛されるわ……あなたには、精霊様たちの、ご加護があるから……』


 母が亡くなる、少し前。もうベッドから身も起こせないほどやつれた姿で、それでも、母は頭を撫でてくれた。わたしには精霊様たちのご加護がある。だから心配はいらないのだと。

 あの時の母は、はっきりと『精霊様』と言っていた。精霊を信仰しなかった帝国にいてもなお、その存在を信じていた。まるで——こうなることを、全て分かっていたのかのように。母はきっと、わたしの知らないものを、もっとたくさん知っていたのだ。


(『森の魔女』のことも、もしかしたら……)


 疑問を尋ねようにも、母はもうこの世界にはいない。であれば、わたしはこれから時間を掛けて、この不思議な縁の理由を知っていくしかないと結論付ける。そこまで考えてからようやく、はしゃぐ双子たちと一緒に飛び回る、五人の精霊たちを見つめ直した。


「ねえ、あなたたち。これは本当に、わたしが住んでもいいの?」


 問い掛けたわたしに、隣のクラリッサが「えっ?」と声を上げる。精霊たちはまたわたしの方へ寄ってくると、口々に「もちろんだ」と答える。その回答に頷いてから、わたしは続けた。


「なら、この家をまた、見えないようにもできる?」

『できけど、隠すの?』

『あなたの家なのに、隠すの?』

『せっかく出したのに?』

「ええ。申し訳ないけれど、人間には人間の都合があるの。ここで暮らすためには、準備する時間が必要なのよ」


 説明を聞いた精霊たちは、「そっかー!」と納得すると、仲良く手を叩き合った。ぽふん、という軽い音と共に小屋は消え、辺りは元あった石組みが遺るだけの平地に戻る。また目を丸くしている三姉妹をちらりと見てから、わたしは精霊たちに告げた。


「わたしが本当に祝福を受けているというのなら——そうね。必ずここに戻ってくるわ。だからもう少し、ここで待っていてね?」


 了解を示した精霊たちが、わたしたちに手を振る。木々がさわさわと鳴り、まばたきをした瞬間。わたしたちは全員、揃って夕暮れの木陰に立っていた。

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