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11:楽しい日々

 ガストホフ・ミンネでの滞在は、それはもう毎日が快適だった。水の魔石と火の魔石を使う最新型のバスタブのお陰で、シャワーにもお風呂にも困らない。一階の居酒屋は軽食も取り扱っていて食べるものには困らないし、予想通り、この街の食堂やレストラン、パン屋さんも全て、どこに行っても何を食べても美味しい。ご馳走を食べ毎日お風呂に入るようになったベルンも、すくすくとぴかぴかな毛並みの黒猫へ成長している。

 ご主人であるガルトさんはとても親切で、移住申請書を交易路を二時間程下ったところにある領都から貰ってきてくれたし、書き方も丁寧に教えてくれた。街の郵便局経由で申請書を提出できると聞いて出向いてみれば、局内にいた初対面のご婦人たちから、午後のお茶に誘われるのんびりさだ。部屋の窓から景色を見ているだけで飽きないし、観光案内が得意だという街の人に話を聞けば、何時間だって街を見ていられる。

 特に、クラリッサが教えてくれた『森の魔女』の話は有名で、森の中にある家の跡は、きちんと人の手入れがなされていた。跡といっても特に何か遺っているわけではなく、かつて小屋があったと分かる石組が少しあるだけの、小さな平地。それでも、村を愛し村を護っていた『森の魔女』は、特にこの街に古くから住み続けてきた人々にとって、大切な心の拠り所なのだと、案内してくれた人たちは口を揃えて笑っていた。


「あっ、おはようグレイス!」

「おはよう、みんな! 朝から勢揃いね!」


 帝国にいた頃にはいなかった、友人と呼べる存在も増えている。クラリッサと双子の妹、彼女の幼馴染であるハルトとへティーの兄妹とは、ほぼ毎日会っている。


「あのね、フェリーが、あの美人の婚約者に贈るブローチが欲しいんですって!」

「今日は休みだから、ここで商人待ってんのさ!」

「ハルト! クラリッサ! 大声で言いふらすな!」

「やーい、フェリー照れてる〜!」


 そして、友人にからかわれて眼鏡をかける耳まで真っ赤にしているのが、山奥の治水事業のために村に滞在している王立魔導師のフェリーだ。わたしと歳が変わらないのに、今回街に来ている部隊をまとめる役目を負うほど優秀な魔導師らしいけれど、プライベートでは気安くて親しみやすい性格だ。

 実を言うと、初めは、父であったラ・グラス公爵と同じ黒髪黒目で少し苦手だったのだけれど。ハルトやクラリッサたちと共に話してみれば、あの間抜けな公爵よりずっとずっと博識で、とても立派な紳士だった。彼は麓の領都に婚約者がいて、仲睦まじく過ごしているらしい。一度こちらの街に連れてきてくれて、わたしたちにも紹介してくれた。フェリーと共に王立魔導師としても活躍しているというそのひとは、火魔法がとても強い、闊達で素敵なひとだった。


「グレイス。き、君だったら、彼女にどんなブローチを贈る?」

「あら。わたしだったら、他の女性のアドバイスで買った贈り物は欲しくはないわ。そこはフェリー。あなたが、きちんと、自分で選びませんと!」

「そうだよフェリー! 女心が分かってないなー!」

「ぐっ……クラリッサまで……!」


 友人たちと食卓を囲みながら、他愛ない話で笑い合う。ほんの少し前までは絶対考えられなかった、そして前世から憧れ続けた自由な生活は、心の底から楽しい日々だ。


 そうやって穏やかに暮らしているうちに、わたしがフィリグランの街に落ち着いて、一ヶ月が過ぎた。季節は本格的な夏へと移っており、暑さを感じる日が増える。次から次へと思い浮かんでいた「やりたいこと」もだいぶ満足して、最近はもっぱら、街の南側を流れる川のほとりでクラリッサたち三姉妹と涼を取り、『森の魔女の家』近くの木陰でピクニックランチをすることにハマっていた。昼食後はそのまま揃ってお昼寝。これぞ完璧な夏の過ごし方だと思っている。

 今日も今日とて、昼食を終えてお昼寝となったその時になって、クラリッサの妹のひとり、イェニーが泣き始めた。言葉足らずな幼子が何を言っているのか、わたしにはいまひとつ分からない。姉であるクラリッサが辛抱強くなだめて聞き出してみれば、どうにも、お気に入りだった白猫のぬいぐるみをどこかに落としてしまったらしかった。


「どうして? さっきまではあったのよね?」

「おひるのまえ、あった」

「じゃあ、この一時間くらいの間ってことかあ」


 クラリッサが辺りを見回す。わたしも知っている、ふわふわの小さなぬいぐるみは、見える範囲には見当たらない。手分けして探そうかと、もう一人の妹であるメリーが小さな手を握りしめたところで、わたしはそっと片目を瞑った。


「大丈夫。きっと、すぐに見付かるわよ」

「えっ?」

「こういうことは、わたしはとても得意なの。驚かないでね」


 肩を竦めてから、わたしは一本の髪を引き抜いた。それに息を吹きかけながら魔法を掛ければ、編まれた魔力は小さな蝶々へと様変わりする。ぐずぐず泣いていたイェニーも、驚きから涙が止まっていた。


「すごいわ、グレイス!」

「しゅごーい!」

「しゅごーい!」


 クラリッサたち三姉妹が、揃って目を輝かせる。わたしもしっかり笑んでいれば、蝶々はひらりとわたしの指から飛び立った。わたしたちは全員で、探し物を見付けた蝶々を追っていく。イェニーのお気に入りのぬいぐるみは、『森の魔女の家』に遺る、僅かな石組の上に置かれていた。


「あったー!」


 見慣れたぬいぐるみを見付け、イェニーが走り出す。拾い上げてぎゅうぎゅうに抱き締める彼女を、あとから追いついたメリーが嬉しそうに抱きしめていた。


「グレイス、あいあと!」

「あいあとー!」


 舌っ足らずなお礼に、わたしは「どういたしまして」と笑いかける。双子の妹たちの様子を微笑んで見ていたクラリッサは、けれども、少し不思議そうに首を傾げた。


「でも、どうしてここにあったのかしら? 今日、こっちの方に来てないはずよね?」


 もしかして、もっと知らないうちに落としてしまっていて、親切な誰かがわかりやすいここに置いてくれたのかな、と。

 クラリッサがそう口にした瞬間、周囲の木々が、風もないのに不自然なくらいさわさわと音を立てた。びっくりして固まる三姉妹の前に出れば、わたしが出していた蝶々の周りに寄り添うように、ぴかぴか輝く光が集まる。ひとつ、ふたつと増えていった光はすぐに五つになり、やがてそれは小さな人の形へと変化した。薄羽根を背中に携えた小さな彼らは、わたしの手のひらサイズしかない。彼らは淡く光りながら、わたしたちを見つめる。


『ごめんね、すこし借りちゃったの』


 突然現れた、小さな人。それはまるで、幼い頃に本で見た精霊のようで——わたしたちは、驚きに固まることしか、できなかった。

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