果てしなく遠い場所
先輩はいつも、どこか遠い場所を見ている。先輩にどこを見ているのか聞いても「どこを見ていたんだろうね」とはぐらかされてしまう。そんな俺の先輩、西城ユキナ先輩と俺、黒川ハクヤは大きな秘密を隠していた。その秘密をお互いに打ち明かして何か月か経った頃だった。誰もが悲しむ大きな事件が起こってしまう。
先輩はいつもどこか果てしなく遠い場所を見ているかのように見える。
「先輩・・・」
「・・・・ん、なに?」
「いや、なんでもないです」
先輩は微笑み、またどこか遠い場所を眺めた。
俺の先輩、西城ユキナは美術部の先輩だ。ユキナ先輩と知り合ったのは一年前、俺が高校一年生として入学してから一か月ほどした頃だった。美術部の部活紹介としてマイクを持って前に出たのがユキナ先輩だった。雪のように白い肌、どこか落ち着く声、肩にかかるくらいのキレイな黒い髪、モデル並みにスタイルがいい。第一印象はそんな感じだった。部活紹介が終わり、放課後に部活の体験をするときには、美人なユキナ先輩とお近づきになりたいと思った男子が集まりに集まった。
「先輩!連絡先を交換してください!」どうにかユキナ先輩と連絡先を交換したいと思う男子A
「先輩、この後どこか遊びにいきませんか?」ユキナ先輩を遊びに誘う陽気な男子B
他にもユキナ先輩に話しかける男子、話したくても恥ずかしくて話せない男子といたが、ユキナ先輩は見向きもしなかった。そこで、ある男子Xがユキナ先輩の手を強引に引っ張ってどこか連れて行こうとしたときだった。ユキナ先輩は思いっきり男子Xの顔を殴り、「キモイ、触るな」と冷たく鋭い言葉をはいた。ユキナ先輩の目には光がなく、ただその目の先には『怒り』を感じた。沈黙が数秒続き、一人、また一人と群がっていた男子は帰っていった。ユキナ先輩は深いため息をつき、席に座った。帰るタイミングを失う俺。教室には俺とユキナ先輩しかいなかった。この冷え切った空気に耐え切れないと思った俺は帰ろうと教室から出ようとしたときだった。
「君は、美術に興味があるの?」
さっきまでの冷たい声ではなく、部活紹介のときのようなどこか落ち着く声。ユキナ先輩の方を見ると、先輩の目の先には『優しさ』を感じた。
「昔から、絵を見るのも描くのも好きなんです」
「理由は聞いてもいい?」
「絵を見たり描いたりしていると、落ち着くんです。絵は、俺のたった一つの《居場所》なんです」
「・・・そうなんだ」
それから、また沈黙が続いた。完全に帰るタイミングを失った俺は、とりあえず教室にある椅子と机を運び、いつものように絵を描き始めた。頭の中に浮かぶ情景をそのまま描く。ユキナ先輩はゆっくり俺の背後に近づいてきて、何も言わずに絵を描き終えるのを待っていた。下校時刻のチャイムと同時に絵を描き終え、先輩に絵を見せた。すると、先輩は静かに俺の描いた絵を見始めた。そのときの先輩の目の先にはなぜか『同情』を感じた。絵を返してもらい、帰り支度をしていると「途中まで、一緒に帰ろ」と微笑みながら教室を出た。
山の向こうに見える夕焼けは、いつもより赤く濃く染め上がっていて、遠くから聞こえるカラスの鳴き声は、早く家に帰れと急かしているかのように聞こえる。俺とユキナ先輩はゆっくり帰路を辿っていた。何か話す話題を探していたところ、ふと先輩の方を見てみると、先輩の目の先には何もなく、ただただ遠い、果てしなく遠い場所を見ていた。「今、先輩はどこを見ているんですか?」とつい聞いてしまった。聞いてはいけないことを聞いと思ったが、先輩は微笑み「どこを見ていたんだろうね」と落ち着いた声で答えてくれた。そして、また先輩は遠い、どこかを見始めた。
十分くらい歩き、Y字路に着いた。そこで、ユキナ先輩は足を止めて何か聞きたいことがあるかのように俺の顔を見た。何かと思い俺も足を止めてユキナ先輩を見る。
「美術部、入らない?」
思いもよらず、部活の勧誘だった。
「そうですね、先輩が良ければ入りたいと思っています」
「そっか、」
先輩はY字路の右の道を歩き出した。俺も帰ろうと思い左の道を歩き出そうとした瞬間だった。
「放課後、美術室で待ってるから、遅くならないでね」
「わかりました」
ユキナ先輩は微笑み、走って帰っていった。一瞬見えた先輩の目の先には『喜び』を感じた。
そうして、西城ユキナ先輩と俺は一年間美術部の先輩と後輩という関係で過ごした。夏頃から秋にある文化祭のためのポスターや出し物の準備。文化祭当日には、出し物として子供から大人まで楽しめる紙芝居を読んだ。冬になる前からは、県主催の絵のコンクールに自分の作品を出すために休日も学校でユキナ先輩と絵を描いていた。
冬
県主催の絵のコンクールの結果発表の日、人生で初めて自分の絵を評価してもらった。だが、自分の頭の中にある情景をそのまま描いていただけなので、そこまで自分の絵には魅力はないと思っていた。だから、参加賞さえ貰えれば俺的には充分だと。放課後、いつものように美術室に行くと先輩がいなかった。黒板を見ると「先生から呼び出し、ちょっと待ってて」と書いてあった。ユキナ先輩でも先生に呼び出しされることがあるんだと荷物を置きながら考えていると、廊下から走ってくる足音と、もの凄い勢いで美術室を開けるユキナ先輩の姿があった。「どうしたんですか?」と聞くと、先輩はコンクールの結果が載った紙を俺に見せた。紙をじっくり見てみると、
【西城ユキナ 大賞】
ユキナ先輩が一番良い評価の大賞をもらっていた。
「おめでとうございます!ユキナ先輩」
「ありがと、でもね、私の評価よりも大切なことが載ってるの」
何かと思い、しっかり紙を見てみる。すると、
【黒川ハクヤ 大賞】
ユキナ先輩の名前の下に、俺の名前が書いてあった。
「このコンクールって、今までに大賞が二人なことってありませんでしたよね。だし、俺の絵にはそこまで魅力はないと思っていたんですけど」
先輩は急に俺の手を引き、「じゃあ、直接私たちの絵を見に行こう」と走って美術ホールに向かった。
美術ホールにはたくさんの絵が飾られてあった。やっぱり俺は絵を見るのが好きらしく、心を落ち着かせて、ユキナ先輩と絵を見ることができた。奥にある大きな部屋を覗くと、ユキナ先輩の作品を見つけた。題名は空白で何も書いてなかった。普段、ユキナ先輩と絵を描くときには向き合って、お互いの絵が見えないように描いていたから、先輩の作品を見るのは初めてだった。先輩の作品に目を向けた瞬間、涙が頬を流れた。絵には、涙を流している小鳥一羽が描かれていた。小鳥は雪のような白い色をしていて、その小鳥が流している涙は虹色をしていた。そして、その小鳥は果てしなく、どこか遠い場所を見ている。その小鳥の目は、俺のよく知っている目をしていた。
「私の作品よりも、君の作品を見なよ」
ユキナ先輩の絵の隣には、俺の作品が飾られていた。俺の作品は、俺の頭の中にある情景をそのまま紙に描いた、なんも変哲もない絵。なのに、どうして俺の作品が大賞に選ばれたのだろうか。
「君が、黒川君だね」
誰かが話しかけてきたと思ったら、このコンクールの審査員長だった。
「・・・・・」
「黒川君の絵、一見白黒で何も特徴のない絵のように見える。この美術ホールにある作品それぞれに、喜びや悲しみ、怒りといった感情の色を添えている人が大勢いる。西城さんはその中で一番、特に優れていた。だがね、」
――—君の絵に、色が見えた
俺は最初、審査員長の言っていることがわからなかった。けど、自分の絵を誰かに認められることは、悪い気はしなかった。ユキナ先輩の方を見ると、俺の絵を微笑みながら見ていた。
「審査員長、ありがとうございました」
その日の帰り道、ユキナ先輩は俺を見ていた。いつもは、どこか遠い場所を見ているのに。
「先輩、俺の顔に何か変なところでもありますか?」
「大丈夫、君の顔は普段通り。ほんのちょーっとだけ、私が調子乗ってるだけ」
「言っている意味がわからないんですが・・・」
その日のユキナ先輩はテンションが高いように思えた。普段は無口な先輩だが、今日に限っては大賞を取れたことの嬉しさが隠せないのだろう。今日の先輩は、質問したらなんでも答えてくれそうな雰囲気だったので、いつも疑問に思っていたことを聞いてみることにした。
「下校中、いつも先輩はどこか、遠い場所を見ているように見えることがあるんです」
ユキナ先輩は足を止めた。
「先輩はいつも、山でもない、空でもない。どこを眺めているんですか?」
空気が冷たくなるのを感じた。部活の見学以来だ。俺は聞いてはいけないことを聞いてしまったのかと焦り「なんでもないです」とだけ言い、走って帰ろうとした。すると、先輩は俺の袖を掴んだ。
「・・・・・少し、寄り道しない?」
ユキナ先輩に引っ張られながら歩いた。何も言わずに静かに着いていくと、そこには寂れた公園があった。先輩は近くにあるベンチに座り、こっちに来てと手招きをした。
「君は、この世界が好き?私はね、嫌い。大っ嫌い。自分の私利私欲で誰かの幸福を不幸に置き換えて、他人の人生を傷つける人がこの世界には数えきれないくらいいる。それが許せない。でもね、一番嫌なのが、」
―——私が、その許せない人になってしまったこと
「・・・・」
先輩の過去に何があったんだろう。先輩と一年間一緒にいたのにも関わらず、先輩のこと何も知らなかった。知ろうともしなかったんだ。でも、そんな俺に自分のことを話してくれたのなら、それに答えたい。
「ユキナ先輩、俺も先輩に話したいことがあります」
「なに?」
過去の出来事、誇りが被って一生引き出しから出すことがないと思っていた、誰にも話したくない話。
「俺、実は小さいころの交通事故の後遺症で、”記憶障害”を患っているんです。定期的に記憶が無くなって、自分が誰なのかわからなくなり、パニック障害を引き起こしてしまいます」
先輩は唖然としていて、何も話せなくなってしまった。無理もない、親でさえこの事実を飲み込むことができず、俺を一人暮らしさせているのだから。俺は、いつだって一人だった。記憶を思い出したところで、仲良かった親友、友達、彼女が帰ってくるわけでもない。いつも、俺は孤独だったんだ。
「今は、私がいるよ」
「え・・・?」
「記憶が無くなっても、自分が誰かわからなくなったとしても、私は君のことを覚えてる。だからさ、一人で抱えこまないで、私を頼って」
「頼れませんよ、絶対先輩の迷惑になります。先輩の負担に、俺はなりたくありません。先輩の負担になるくらいなら、俺は潔く先輩のことを、」
そのときだった。先輩は俺を優しく抱きしめた。
「私のことを、忘れる、だなんて言わないよね?私と君が出会ってからの思い出はそんな薄っぺらい紙切れのようなものだったの?違うよね、私たちの思い出はもっと温かくて、忘れたくても忘れられないもののはずだよ」
先輩はそっと、髪を撫でてくれた。大丈夫、大丈夫だよと声をかけてくれた。俺は絵を認めてくれる人がいるだけでいいと思っていた。でも俺を認めれくれる人がいるだけで、ここまで世界が居心地よくなるものなのだろうか。それから、雪がちらちらと降る中、ユキナ先輩と一緒に公園のベンチに二人で帰りたくなるまで座っていた。
春
あれから数か月後、ユキナ先輩とはLINEで遅くまで話す仲になった。部活を早めに切り上げて、近くの喫茶店にパンケーキを食べに行くこともあった。先輩は高校三年生になり、俺は二年生になり、ユキナ先輩とはあと一年しか居られないと考えると、どこか胸のあたりがモヤモヤする。俺の記憶障害も定期的に起こるはずなのに、起きていない。いつ記憶が無くなってもおかしくない。だから、ユキナ先輩との最後の一年間、一日一日、悔いのないように過ごしたい。先輩のことをもっと知って、そして、いつか、いつの日か、
―———ユキナ先輩と付き合いたい
西城ユキナと黒川ハクヤの物語は始まったばかりだ。
だが、最後の一年の半分が過ぎた頃に大きな事件が起こる
西城ユキナ 死亡
黒川ハクヤ 行方不明