夢現境界 -博麗神社-
人里から歩いてしばらく。ここまでの道中を振り返ると、かえでが明るい内に向かった方が良いと言っていた理由が分かった。ここに来るために通った獣道は木々に囲まれていて、光源が月明かりしかない深夜では土地勘のないあなたは出口はおろか、来た道さえ見失っていた事だろう。
そういう意味でも改めてかえでに感謝しながら、あなたは足を止めて目の前に広がる景色をまじまじと眺める。
鬱蒼とした森林から一転、モーゼの奇跡もかくやというほど、鮮やかに森を両断する石造りの階段があなたを出迎えていた。階段の終わり間際では、赤い鳥居が頭をちらつかせてあなたの事を見下ろしている。
件の博麗神社に行くための最後の関門は中々に手強そうだが、望むどころである。あなたは愛用している肩掛けのカバンをしっかりと握り直して、階段に足をかけた。
◆
神社が高いところに建てられているのは、より天に近くなるようにという意図が込められているからという話を聞いたことがある。だからこそこれほどに長い階段を登る事を強いられるというわけだ。
そんな長い階段の中腹を超えたあたりであなたは一息ついた。手の甲で額に滲んできた汗をぬぐい、来た道を振り返ってみる。
あなたが高所恐怖症だったならば十分卒倒するに足る高度と、そこから一望できる遠方までの景色。一際大きな風が吹くと、眼下に広がる森が一斉に踊った。
じっくりと景色を堪能してから、改めて階段を登り始める。修行というか、苦行とも言える道のりではあるが、疲労のたまり具合に反してあなたの足取りは軽かった。一定のペースで進み続けることしばらく、いよいよ階段の終わりが見えてきたからだ。
最後の一段を踏みしめ、境内の中に踏み込む。ほとんど少ししか見えなかった鳥居の全貌が明らかになり、そこをくぐる事は荘厳な神社を守る結界の中に入った事を指す。あなたは途端に何かに守られているかのような感覚を覚えた。
──流石に息が切れてきていたあなたの目の前を、いくつかの花びらが通り過ぎる。
そして撫でるような優しい春風が吹くと、空に立ち登っていくように薄紅色が舞っていった。
なんと境内には、色が溢れそうなほどに咲き誇った桜の木が並んでいたのだ。無数の桜の花びらは太陽の光に照らされて、眩しいほどの輝きを放っている。
様々な世界を渡ったあなたをもってしても、この桜の木々には息を呑まざるを得なかった。階段を登りきった時の疲労は既に何処へやら。言い知れぬ達成感に包まれたあなたはただ、ほう、と感嘆の息を吐きだす。
「……あれ? 霊夢さーん、参拝の方ですよ~!」
と、誰かを呼びに行く元気そうな少女の声が神社全体に響いて、あなたの意識はようやく桜の木々から離れた。
赤色が基調の半袖半ズボンを着た快活そうな少女が、ぱたぱたと忙しない足音を立てて、本殿の横にある高床式の建物に入っていくのが見える。
今の少女は神社の関係者だろうか。先程呼ばれた霊夢なる人間がここの巫女であることは既にかえでから聞いた通り。もしかしたら彼女はたまたま遊びに来ている友人なのかもしれない。
あなたはなんとなく後を追ってみる。
すると、建物の中から先程の少女と……それに続いて妙に埃だらけの少女が出てきた。
「れ、霊夢さん大丈夫ですか?」
「なんで倉庫ってのはほっとくとすぐ埃の温床になるのかなぁ……けほ、けほ。……もう」
どうやら目の前にある高床式の建物は倉庫だったらしい。服や頭に着いた埃を払いつつ、おそらく霊夢と思わしき少女はげんなりとしているようだ。
「そんなことよりあうん、参拝客が来たんですって?」
「ええ、来ましたよ霊夢さん! ……あっ! この人ですこの人! こんにちは!」
あうん、と呼ばれた元気な少女はあなたの近くまで走ってきて、日本晴れのような笑顔を咲かせた。
沢山の渦を巻くようなクセ毛に、ボリュームのある長髪は山葵色。それがあうんの一挙手一投足に合わせて楽しげに揺れている。
人懐こい犬のような子という印象を抱きながら、あなたも口元を緩めて挨拶に応えた。
「いらっしゃい。あなたは……妖怪? じゃ、なさそうですね」
霊夢と呼ばれた少女があなたを訝しむように眺めている。
この縁起の良さそうな紅白の服を纏った彼女こそが博麗霊夢という巫女だったようだ。艶のある黒髪に着けている大きなリボンの模様も、これまた紅白で統一されている。
甘味処でも同じような格好を見たが、肩から腕にかけての露出が激しい服のデザインはここの流行りなのだろうか。涼しそうではあるが、耐久性に懸念が残る気がする。
とはいえ、その格好が決して無防備というわけではない事は、素人目ながらあなたにも分かった。あなたは基本的に普通の人間だが、今までの経験が経験故に相手の力量を測ることに関してだけは一家言を持っている。
掴み所のない、空気のような印象を持つ少女だが、それ以上に底知れない力を感じる。その隣で控えているあうんもまた、普通の少女ではないはずだ。あうんが頭から誇らしげに伸ばしている角を作り物だと笑えるほどあなたは能天気ではない。
腕力で二人を襲ったとしても、あっという間に返り討ちにされて組み敷かれてしまうだろうというのがあなたの極めて客観的な見解だった。容姿端麗な少女に組み敷かれるという展開はある種の人間からすればご褒美になるのかも知れないが、生憎とあなたの性癖は至ってノーマルなので、妙な考えは脇に追いやっておく。
「ちょっと、人を変な動物みたいに見ないでくださいよ」
そんなあなたの不躾な推察を感じ取ってか取らずか、霊夢はなじるように文句をこぼした。些か失礼であったかと、あなたは素直に頭を下げて謝罪する。今日はただこの素晴らしい神社へ参拝に来ただけであって、他意は無いのだ。
「す、素晴らしい神社……ふ、ふーん……そりゃ、まぁうちにはうちならではの魅力とか色々ありますけど~その、一応お賽銭箱ならあっちにありますよ」
おもむろに浮つき出した霊夢の指差した方向には、古ぼけた木製の賽銭箱が本殿の膝下で鎮座していた。あなたは礼を言ってから小袋を取り出して、真っ直ぐ賽銭箱の方へ向かう。
「嬉しそうですね、霊夢さん!」
「べっつに! 神社が褒められてもそんなに嬉しくないわよっ」
「嘘ですよー! すっごく嬉しそうです!」
二人の仲睦まじいやり取りで微笑ましい気持ちになったあなたは、自分に覆いかぶさるように建つ本殿を眺めた。桜の木にばかり気を取られていたが、こうして見ると本殿も立派なものだ。年季の入った賽銭箱に比べてこっちの方は随分と小綺麗すぎるような気もするが、きっと大切に使われているからに違いない。ここで祀られている神様を見ることこそできないが、きっと丁重に扱われているのだろう。
ご縁がありますようにという語呂合わせよろしく、あなたは小袋からちょうど5円分の紙幣を取り出して賽銭箱に放り込む。賽銭に紙幣を使っても良いものかという考えが一瞬過ぎったが、こういうのは気持ちが大事なのだとすぐに思い直した。
あなたはおぼろげになっていた参拝の所作を記憶から掘り起こし、ぎこちない動きではあったがなんとか二礼と二拍手を済ませた。
そういえば、この神社にいる神様はなんというのだろう。どんなご利益があるのかを後で巫女の霊夢に聞いてみようと、目を閉じる前に決める。
手を合わせて、あなたは静かに神への祈りを捧げた。
――どうか今回の旅が、楽しく終えられるように。
◆
「……随分、熱心にお祈りしてましたね。何をお願いしていたんですか?」
最後の一礼を忘れかけて若干気恥ずかしさを抱いていたあなたに霊夢が問う。
何をと言われると色々あって返答に迷うが、概ねは自分の旅の安全祈願であるとあなたは正直に答えた。
「旅行安全……? あなた、ここに旅行しに来たんですか?」
あなたの告白に嘘偽りは決してなかったが、霊夢は目を見開いて驚き、隣にいるあうんもまた、ふさふさの髪の毛を揺らして首を傾げていた。
やはりこの幻想郷という地では旅人が相当珍しいらしい。もしかしたらあなた以外にまともに旅をしている人間はいないのかもしれないとさえ感じる。
外の世界という言葉を何度か聞いたが、恐らくそれが起因しているのだろう。
ともあれこの世界で自己紹介をするのはこれで二度目だ。あなたはかえでに話した時より遥かに慣れた口ぶりで自分の素性を話し始める。
そんなあなたの話を聞いた二人の反応は、やはりそれぞれだった。
「外の世界から自由に幻想郷に来れる、か……。菫子みたいなもんかなぁ」
「へえぇ……外の世界の人も凄いんですね!」
霊夢は顎に手を当てて何かを考え始めようだが、あうんはただ感心しているだけだ。
自分はそんなに大それた人間ではないので、どうか気軽に接して欲しいと最後に付け加えてあなたは話を締める。
そんなことよりも、ここに祀られている神様にはどんなご利益があるのかを聞きたいのだが。
「そんなことって片付けて良いのかしら。まいっか」
少なくともあなたは自分の力について深く考えたことはないし、むしろ謎すぎて考えるだけ無駄だと思っている。楽観的と言われてしまえばそれまでだが、百回以上の旅をしてきた中で実際に問題は発生していないのだから、そうもなろうと言うものだ。
「ご利益というご利益といえば、そうですねぇ……素敵な巫女が願いを叶えてあげますよ。あ、占いとかもできますけど、していきますか?」
それは神のご利益というより巫女のご利益というべきではないだろうか。
「まぁ似たようなもんよ多分。効果は保証しますよ」
そう言って霊夢は自慢げに胸を張る。任せてくださいと誇張するように頭の大きなリボンもぴょこんと揺れたのが可愛らしい。
神様はちゃんと丁重に扱われているのだろうか、という一抹の不安が過ぎったが、あなたとしては願いを叶えてもらうよりも占いが気になる所だ。嘘か誠か、どのような結果であれ楽しむのがそれの醍醐味と言える。当たるも八卦当たらぬも八卦。
では早速お願いしようとあなたが口を開きかけた──
「っあああああーーーー!!!!」
が、しかしてそれは悲鳴にも似た驚愕の叫びによって遮られた。
すわ何事かとあなたと霊夢の意識が同時に声の主の方へと向く。そこには、開いた賽銭箱の前でガタガタと震えているあうんの姿があった。いつの間にか賽銭箱の中を確認しに行っていたらしい。
「こら、あうん! なに勝手に賽銭箱開けてんのよ」
「あう、ご、ごめんなさい。その、さっきちらっと見えてもしかしたらなーって思って……それよりも霊夢さん、これ……!」
はて、何か驚くものがあったのかと気になったあなたも、霊夢に続いてあうんの指差す物を見てみる。
「一体何なのよ? ってなっ、なぁ!? え、なにこれ……ゆ、夢!?」
あなたがどれだけ目を凝らしても特に気になる物は見つからない。しかし霊夢は何度もあなたと目の前のそれを交互に見ては目を瞬かせていて、しまいには錯乱して頬をつねり出してしまった。二人が騒ぐ要因となっているであろう無造作に散らばった5枚の1円札を改めて眺め、あなたは無邪気に小首をかしげる。何の変哲も無い5円分の紙幣だが、それが一体なんだというのだろうか。
……余談ではあるが、明治時代当時の1円の価値は現代と比べて大きく違う。一説によると学校の教員や警察の初任給が8から9円程度。米10キロは約1円と12銭になる。
つまり5円というのは語呂合わせなどという軽い理由で気軽に出して良い金額ではないのだが、あなたがそれに気づくのはこの騒ぎが収まった後のことである。
-人物名鑑-
博麗霊夢
種族:人間 職業:巫女 身長:やや高 住んでいる所:博麗神社
幻想郷と外の世界の境目にある博麗神社の巫女さん。妖怪を退治したり縁側でお茶を飲んだりしている。
単純で裏表のない性格だけどお金儲けは好き。でも華扇曰く儲かることを拒んでいるような気もするらしい。
高麗野あうん
種族:狛犬 職業:居候 身長:やや低い? 住んでいる所:博麗神社
神社や寺に勝手に住み着いて勝手に守護する狛犬さん。獅子の性質も併せ持っていて分裂できるらしい。
素直で人懐っこい性格で、本人曰く神社が好きらしく守矢神社にも度々顔を出してる模様。
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