名所旧跡 -幻想郷-
2人称視点でやってみたかったので書きました。
あなたは、無意識のうちに自分の体が動いていくのを感じた。足が動いているわけではない。ただ、何かに引っ張られて移動しているという感覚。
「────」
五感が存在しないこの空間の中でそう感じるということは、次の目的地が決まった事を指す。
暗く、何もない、世界と呼ぶにはあまりにも黒すぎるあなたの視界に──わざとらしい光がぽつりと浮かび上がった。
「──ーい……」
画板に白い絵の具を落とすかのように、その雫が1つ、2つと、次々垂れて──
「おーい、どうしたんだいぼーっとして! あんた、お客さんかい?」
不意に。耳元で響いた声に意識が呼び覚まされる。気がつけば目の前には、腰に手を当てて小首を傾げる女性が一人。すぐに状況が理解できないあなたは、その場で呆然と立ち尽くしていた。
移動の後遺症で未だに意識がはっきりしないが、すぐに元通りになるだろう。あなたは自分の寝ぼけたような目をこすった。
そんなあなたを不思議そうに見る彼女は、長い黒髪を一つ結びにしている若い婦人だった。ともすれば少女に見える顔つきではあるが、動きやすいようにたすき掛けにしている着物の模様は大人が着るそれだ。
呆然としてたかと思いきや、今度はしきりに瞬きを始めるあなたを見て婦人は一瞬訝しんだようだったが、すぐに柔和な笑みを浮かべて。
「なんだか知らないけど、お疲れならうちで一服どうだい? 値は張るけど、甘味はどこにも負けないよ」
と、親指を立てて背後の引き戸を指した。
ここはどういう場所なのだろうか。と考える前にあなたは婦人の真上で風にあおられている布を見つける。そこには甘味処[かえで]と達筆な文字が描かれていた。
そうしてようやく、あなたはなるほど、と内心で頷きながら一応の落ち着きを取り戻す。
どうやら居心地の良さそうな世界に来れたのは間違いなさそうだ。
見知らぬ土地にいきなり放り投げられるのはいつものこと。そして折角の誘いを断る理由はない。あなたは肩掛けのカバンから膨らんだ小袋を取り出すと、婦人の後に続いて暖簾をくぐる。慣れた足取りで、なんら警戒することもなく。
──あなたは、数多の世界を股にかける旅人だ。
降り立つ場所は選べない。ただ運命の赴くままに発ち、そしてまた新しい場所へ征く。
今回もまた、降り立った場所の名前すら知らないまま、あなたの新しい旅が始まったのだった。
◆
「ところであんた、見ないかっこだけど外の世界の人?」
かち割りの氷が浮かぶ冷たい麦茶をテーブルに持ってきた婦人が、あなたに尋ねてきた。
今のあなたの服装はシミひとつない白のシャツに、黒のスラックス。いわゆる会社員が着るような折り目正しいスーツ姿だ。着こなせているかは別として、あなたが新しい場所に訪れる際には必ずこの服装からスタートする。着物姿の給仕や袴の客が多数いるこの店ではやはり浮いていることだろう。
自分は少し文化が違うところから旅をして来ていて、ここにはその道中で立ち寄った。外の世界の人かと聞かれれば大体そうであるという旨をあなたが告げると、婦人は驚くほどすんなりと相槌を打った。まるでそういうことが頻繁に起こっているような口振りである。
「やっぱりそうだったか。ま、妖怪じゃないならなんでも良いけどね」
そう言いながら婦人は文字の書かれた板紙をあなたに手渡す。書かれている文字は……みたらし団子、あんみつ、磯辺焼きなどなど。どうやらお品書きのようだ。
「うちのおすすめはみたらしだよ。じゃ、注文決まったら呼んどくれ」
去り際に片目をつぶって、婦人はまた接客へと戻っていった。
店内を見渡すと、ぴょこんとした翠色の癖毛が特徴的な少女が元気よくあんみつを頼んでいるのが見える。店員に呼び掛けるため手を挙げる事で、肩から脇にかけての露出がかなり多めの服装が目立つ。なんとなく、年端のいかない少女にのみ許された服という印象を受ける。
さておき、とあなたは自分が頼むものを決めるべく板紙に視線を戻した。
あなたの元々いた世界、すでに何百年も帰っていない日本にも同じ名前の食べ物が多くあった。果たしてこの世界のそれは同じものなのかどうか。
……しかしその謎は周囲のテーブルを見ることですぐに解けることになる。
あなたのすぐ近くのテーブルでは、塩味を含む香ばしい匂いを漂わせる餅が置かれている。醤油が適度に焦げているこれは、間違いなく磯辺焼きだろう。
新しい世界に降り立った時は特に腹が減っているという事はないのだが、美味しそうな物を見れば食欲が湧いてくるのが人情という奴だ。
あなたは金に困ることはないが、腹の具合的に全てを選ぶわけにもいかないので、ひとしきり悩んでから顔を上げる。
「おっ、注文決まったかい?」
先ほどの婦人がタイミングよく通りかかってくれたのであなたはみたらし団子と抹茶を注文した。
磯辺焼きも非常に魅力的な選択肢ではあったが、今回はせっかくなので店の勧めを素直に聞いてみることにしたのだ。
「はいよ、それじゃあちょっと待っててね」
婦人が厨房に注文を伝えに行き、あなたは期待に胸を膨らませる。旅を楽しむ要素は色々あるが、その中でも飲食というのは外せない。あなたは食べ物も飲み物もまともにない世界に行ったことが何度もあるため、殊更に飲食を重要視していた。
待っている間に、冷たい麦茶に口をつける。
貫き、洗い流すような喉越しの後に穏やかな渋味と甘味が鼻腔を抜けていく。
決して上等なものではないと思うが、それでも今のあなたにとってこれほど美味い飲み物はなかった。
旅の始めの一杯が格別なのは今に知ったことではない。
静かに茶飲みを置いて、今度は窓の外に意識を向ける。
天気は良好。ほうきで掃いたかのようなすじ雲が穏やかな風に運ばれて、新緑が生き生きと光合成を繰り返している。
人々の行き交う道まで視線を落とせば、瓦屋根の長屋や商店、小さな出店が立ち並び、燦々とした活気にあふれていた。
どこまでも見通せそうな大きい空を背景に、町の一幕を切り取ってみたいと、あなたが画家だったなら言っている所だろう。
「お待ちどうさん。……人里の景色がそんなに珍しいかい?」
惜しむように外を眺めていると、いつのまにか婦人が漆塗りのトレイを持って立っていることに気が付かなかった。トレイの上には注文したみたらし団子と抹茶が美味そうな香りを漂わせている。
あなたは礼を言ってそれを受け取ると、これほどに素朴で穏やかな街並みを見るのは久方ぶりだと、素直な感想を述べた。
あなたの言葉を受けて婦人は目を丸くしたが、すぐにコロコロと笑い出す。
「あっははは! 面白いこというねあんた。普段どんな殺伐とした場所にいるのさ」
あなたは旅人なので普段いる場所というのは特にないのだが、旅の中でとんでもない場所に行き着くことは珍しくない。というかむしろそういうところの方が多いというのが実情である。
喋るキノコとタケノコが永遠に終わらない戦争をしていることもあれば、地下世界でタマシイを巡る戦いに巻き込まれかけることもあれば、殺伐とした世紀末の世界で空腹に耐えかねた結果、乞食の死体を生のまま貪ったこともあれば、大海賊時代の大海原に放り出された事もあった。異世界というのは割とどこも問題だらけだ。
その点この人里は素晴らしい。人の暖かさを感じながらゆったり座って飲食を楽しめる。
自分があらゆる世界を旅しているという部分は伏せながら、あなたは遠い目をしてそう語った。
「な、なんだか重みのある言葉だねぇ……まぁ、何があったのか知らないけど、のんびりしていきなよ」
そんなあなたを見て婦人は今度こそ面食らったようだが、それでも最後までにこやかに接してくれた。必要以上の詮索をしない、彼女は正に模範的な甘味処の給仕ではないだろうか。
改めて婦人に礼を告げてから、あなたはテーブルの団子と抹茶に向き直る。
均等に焦げを付けた串団子にはとろみのある琥珀色のタレが溢れんばかりに塗布されていて、きめ細やかな泡が立てられている抹茶共々あなたの期待通りといえばその通り。しかし予想外とも言えばそうであった。いずれにせよ、満足できないということはなさそうだ。
あなたは手を合わせて食前の礼式にかなう。
長年の旅の中で沢山のことを忘れてしまったが、未だに覚えている故郷の文化であった。
◆
腹ごしらえを済ませて、麦茶で一服。あなたは満足げに吐息を零した。
食後の体を十分に休ませてから、銭貨を取り出して勘定を済ませる。
ふと、手を突っ込んだ時の感触に違和感を覚えたあなたは、袋の中を覗いてみた。あなたが取り出したのはいわゆる日本で使われていた銭と呼ばれる旧式の通貨だ。しかしどうやら、袋の中にはそれ以外にも円と書かれた紙幣が混じっているようだ。
となると、この世界が明治付近の日本を基準にした場所だということがなんとなく予想できる。
今いる場所がどういう世界なのかを調べるという事も、立派な楽しみの一つだ。あなたは銭貨を数える婦人に、ここはどういう場所なのかを改めて尋ねてみる。
「ここかい? 幻想郷でほぼ唯一の人里さ。霊夢ちゃん……ああ、博麗の巫女の管理下にあるから妖怪が悪事を働くことも殆どない、平和な場所だよ」
まぁ案の定というべきか、質問の答えはおおよそあなたの知らない内容だった。
幻想郷という地名は初めて聞くし、自分の知る日本では妖怪が悪事を働くことは普遍的ではない。むしろ超常現象としてテレビに取り上げられてもおかしくない怪事件になるのは間違いないだろう。
ここが日本なのは分かったが、どうにも時代錯誤が過ぎる。あなたは異世界に行くことはできてもタイムスリップは出来ないので、ここがかつての故郷である可能性はない。
となればここは過去の日本の一部を切り取った全く別の世界なのだろうと、一応の仮説を立てておくに留めた。
「にしてもお客さん、ほんとに何も知らないんだねぇ。幻想郷について色々知りたかったら、明るい内に博麗神社に行くといいよ」
事あるごとに驚いているあなたを見かねてか、婦人が新たな道を示唆してくれた。
先程博麗の巫女と言っていたが、その人がいる場所だろうか。
「ああそうだよ。幻想郷にはなくてはならない人さ。……気前よく賽銭入れてあげたら喜んで色々答えてくれると思う」
曰くその巫女は随分とお金好きな少女のようだ。現金というわけではないようなのだが、会ってみるのが今から楽しみである。
ともあれ今日の目的地が早くも決まってしまったのは僥倖だ。親切に色々教えてくれた婦人に重ねて礼を言いつつ、今更ながら名前を訊いてみる。
「良いってことよ。あたしの名前はかえで。一応ここの看板さ。これからも当店をご贔屓にね、旅人さん!」
そう言ってかえでは無邪気に笑った。言われずとも、あなたはもう一度ここに来ることを密かに決めている。やはり磯辺焼きが気になって仕方がないからだ。
別れ際、かえでに人里にある旅籠の場所をいくつか聞いてから店を出る。
外に出ると、柔らかい風があなたの頬を撫でた。
新たなる旅先、幻想郷の季節は春。歩き出しとしてはこれ以上ない時分である。
何処かからか運ばれてきた桜の花の一片が、あなたの手のひらに舞い落ちた。
-人物名鑑-
甘南備かえで
種族:人間 職業:甘味処店員 身長:やや高 住んでいる所:人間の里
人間の里にある甘味処で働く至って普通の看板娘さん。飾り気がなく取っ付きやすい口調と性格で客受けが良い。常連の早苗と仲が良く、霊夢と面識もあるらしい。
本作品のオリキャラなので原作にはいない。
お暇でしたらラスクでもかじりながら評価お願いします。