色づき始めた想い
桜が満開に咲く4月、小谷桃子は高校1年生になった。
新しい学校生活。
人見知りな桃子には、期待よりも不安が大きかった。
そんな気持ちで目覚めた、入学式の朝。
家族の中で、1番早く起きる桃子は、家族の朝ごはんの準備をした。
手際よく朝ごはんの用意をしていると、父の正親が起きてきた。
「おはよう」穏やかな父の声に、桃子も「おはよう」と応える。
正親が朝食の配膳を手伝うと、桃子が弟の祐太を起こしに行った。
まだ5歳の祐太は、寝起きが悪く、桃子も手こずったが、なんとか起こして食卓へ向かわせた。
3人が揃った所で、皆で「いただきます」をして、朝食を摂る。
すると、正親が静かに口を開いた。
「お母さんな、体調がこのまま良ければ、もうすぐ退院できるそうだよ」
母の詩織は、3ヶ月前に体調を崩し、そのまま入院していた。
「本当に?!やったぁ!!」祐太は嬉しそうに言った。
「良かった…」桃子も嬉しそうに呟いて、そんな2人の様子を優しく正親が見つめていた。
「ごちそうさまでした。」
3人が朝食を終え、身支度を整え、3人は一緒に家を出た。
普段、仕事の忙しい正親は、いつもは一足早く家をでるが、今日は桃子の入学式のために休みを取り、3人で祐太の保育園に向かった。
「祐太、行ってくるね」桃子は保育園で祐太に手を降ると、
祐太は、「お姉ちゃん、お父さん、いってらっしゃい!」と笑顔で手を降った。
正親と桃子が高校に着くと、満開の桜が出迎えてくれた。
校門で記念写真を撮っていると、
「桃ちゃん!」と桃子を呼ぶ声がした。
中学生の時からの親友、遠山桜だった。
「桜ちゃん、おはよう」
「桃ちゃん、おはよう!おじさん、おはようございます!」
元気いっぱいに、桜は2人に挨拶した。
「2人の写真、撮ろうか?」正親が言うと、桃子と桜は嬉しそうに、お願いします!、と写真を撮ってもらった。
そして、正親と離れて、桃子と桜はクラスが発表されている掲示板に向った。
「あったあった!桃ちゃん、同じクラス!!」桜が言うと、桃子も安心したように、「良かった〜」と言った。
入学式を終えて、教室に入ると、暫くして担任の先生がやって来た。
先生が簡単な自己紹介をして、クラスの皆も自己紹介していく。
桃子は緊張でいっぱいになり、声が震えながら、自己紹介を始めた。
「こ、小谷桃子です…。若葉が丘中学出身です。趣味は読書です。どうぞ宜しくお願いします…」
声が震えて、涙も出そうになって、桃子は情けない気持ちになった。
「じゃあ、次。」先生が言うと、
「はい!」と元気の良い男の子の声が教室に響いた。
「藤堂泰我です。石森中学出身です。中学からサッカーしてて、サッカー部に入る予定です!宜しくお願いします!」
藤堂の爽やかな、少し低い声に、桃子はますます落ち込んだ。自分は自己紹介すら、まともにできないなんて…。皆凄いなぁ…。と。
クラス全員の自己紹介が終わり、先生が委員を決めると言い出した。
順調に体育委員や保健委員が決まっていく。
残りは清掃委員と、図書委員。
「図書委員希望の人…」先生が言うと、複数人が手を挙げた。桜もその中に入っていた。
桃子も手を挙げたが、小さく手を挙げたので、先生に気づいてもらえず、結局、図書委員は決まってしまった。
「残りは清掃委員…小谷さん、良いかしら?」
担任の先生が桃子に尋ねた。
気づけば、桃子だけがどの委員にも決まっておらず、自動的に清掃委員に決まった。
「分かりました」桃子は頷いた。
ホームルームが終わり、皆それぞれ委員の説明に向った。
清掃委員の説明の部屋に着くと、各クラスから1名ずつ選ばれた清掃委員が集まっていた。
清掃委員の仕事の説明を、担当の先生が始めた。
清掃委員は自分のクラス以外の、校内の指定の個所を清掃する担当者で、音楽室や科学室等、清掃委員の中から担当する部屋が、くじ引きで決まっていった。
くじ引きの結果、桃子は運動場にある、古いトイレの清掃担当になった。
運動場にある、桃子が清掃担当になったトイレは古い、どこにでもあるようなトイレで、主に体育の時や、運動部が使うぐらいの使用頻度だった。
古いものの、歴代の清掃委員がきちんと掃除しているだけあって、傷みは殆ど無かった。
「古ーっ。でも、なんだか落ち着くなぁ。」
現地の下見に来た桃子は呟くと、トイレを後にした。
委員会の集まりや、現地の下見がそれぞれ終わり、桃子が教室に戻ると、桜も教室に戻るところだった。
「桃ちゃん、終わった?」
「うん。」
「じゃあ、一緒に帰ろうよ」桜が言って、桃子は頷いた。
校門を出て、帰り道、桜が少し恥ずかしそうに言った。
「私、先週からアルバイト始めたんだ。」
「遂に!?あの本屋さんの…?」
びっくりした桃子が尋ねると、恥ずかしそうに桜は頷いた。
「上杉先輩だよね。良かったね。」
桃子が言うと、桜は耳を赤くしながら頷いた。
桜は2年前から、近所の本屋でアルバイトをしている、2つ年上の上杉先輩に恋をしている。
参考書や問題集、雑誌等、いつもこの本屋さんで買い、本の質問を通して、顔と名前も覚えてもらった。
高校生になったら、この本屋さんでアルバイトしたくて、ついにそれが叶ったのだ。
「今日はシフト、入ってないんだけどね、数学の参考書買いに行こうかな。桃ちゃんも行く?」と桜が言った。
桃子も頷き、一緒にアルバイト先の本屋さん「星ブックス」に行った。
「こんにちは。お疲れ様です!」桜が店員さんに挨拶していると、
「桜ちゃん、今帰り?」と、後ろから声がした。
眼鏡の奥の瞳が優しい、ほんわかした雰囲気の男性だった。
「上杉先輩、お疲れ様です。今からお仕事ですか?」
桜の顔が、みるみる赤くなっていく。
「今日は僕の高校も入学式で、午後から休みなんだよ。だから今からお仕事!」と、上杉先輩はにっこり笑った。
「桜ちゃん、入学式おめでとう、今日は何か用かな?」と上杉先輩が尋ねると、
「2人で数学の参考書を探しに来たんです。」と、桜が言った。
「あ、小谷桃子です。宜しくお願いします…」と桃子も小さな声で上杉に挨拶した。
「上杉です、宜しくね。数学の参考書かぁ…。数学は苦手?」と上杉が尋ねると、2人は声を揃えて「苦手です…」と言った。
上杉先輩はニコニコしながら、「そっかー、じゃあ、この参考書がお勧めだよ、解りやすいよ」と、参考書を2冊、本棚から出してくれた。
ページをパラパラめくってみると、確かに図が多くて解りやすい。
「この参考書にします!」桜が言うと、桃子も「私も」と言った。
レジで上杉先輩が応対してくれて、桜と桃子は
「ありがとうございました」と、上杉先輩にお礼を言った。
「僕の方こそ、ありがとうね。桜ちゃん、明日シフト一緒だね、明日宜しくね」と上杉先輩が笑顔で言った。
耳の先まで真っ赤になった桜は、「明日、宜しくお願いします!では失礼します!」と、桃子を連れて逃げるように星ブックスを出た。
「桜ちゃん、大丈夫?耳も顔も真っ赤だよ?」桃子が言うと、
「だ…大丈夫…。」と桜は言って、座り込んだ。
「上杉先輩、優しいね。」と桃子が言うと、大きく頷く桜。
「でも…上杉先輩にとって、きっと私は妹みたいな感じなんだろうな…。でも、それでも名前呼んでくれるのが嬉しいし、一緒にお仕事できるのが嬉しい。今はそれだけで十分幸せ。」と、桜は嬉しそうに参考書を抱きしめた。
そんな様子の桜を見て、桃子もなんだか嬉しくなった。
桜の想いが、上杉先輩に届くといいな…と。心からそう思った。
「じゃあ、私、祐太のお迎えがあるから、またね」と、桃子は桜に言って、2人は駅前で別れた。
桃子が保育園に着くと、祐太が元気よく部屋から出てきた。
「お姉ちゃん!」
祐太が桃子に抱きついた。
「祐太君、今日も1日元気でしたよ。」
祐太の担任の島津先生が、笑顔で桃子に伝えた。
「先生、ありがとうございました。祐太、帰ろっか。」
桃子が祐太に言うと、祐太は元気よく「うん!」と応えた。
「先生、さよなら!」
「祐太君、また明日ね!」
桃子と祐太は、保育園を出て、家へと向った。
帰り道、祐太は保育園での出来事を、沢山、桃子に教えた。
桃子はニコニコしながら、祐太の話に耳を傾けた。
「ただいま」
祐太と桃子が家に着くと、正親が「おかえり」と出迎えた。
同時に、美味しそうなカレーの匂いがした。
「お父さん、カレー作ってくれたの?」
桃子が言うと、
「ああ。下手だけどな…」と、少し照れたように正親が応えた。
「カレーだ!やったぁ!!」祐太も喜んで声が弾んだ。
「お父さん、ありがとう」
桃子が言うと、正親は嬉しそうに微笑んだ。
夕食のカレーを3人で食べ終わると、正親と協力しながら、お風呂に順番に入り、祐太の歯磨きを仕上げて、寝かしつけ、後片付けを済ませ、桃子の1日が終わった。
翌日。
桃子が授業を終えて、清掃委員の担当になった、運動場のトイレに掃除に行った。
不思議と、桃子はここに来ると落ち着いた。
掃除道具を取り出して、丁寧に掃除を進めていく。
掃除が終わったら、記録用紙に記入して、壁に引っ掛けて終わりだ。
手を洗って、桃子はトイレを出た。
すると、丁度、サッカー部が練習を始めようと準備していた。
何人かいる部員の中で、1人、桃子に気付いて近づいてくる。
「小谷さん…だよね」
爽やかな、少し低い声に聞き覚えがあった。
後ろの席の、藤堂泰我だ。
「…はい」
桃子は桜以外の、しかも男子とは殆ど話したことが無く、緊張していた。
「トイレ掃除、お疲れ様!ありがとね!」
藤堂は笑顔で桃子に伝えると、サッカー部の部室に走って行った。
だ…男子に話しかけられてしまった。
今までにない経験に、桃子は暫く立ちすくんだ。
そして、言葉にできない、胸のドキドキは、緊張だけではないような気持ちがした。
教室に戻ると、図書委員の仕事が終わった桜が桃子を待っていた。
「桃ちゃん、お疲れ様!帰ろっか。」
「うん。」桃子は頷きながら、視界に入る藤堂の席を見つめた。
まだ胸の高鳴りは、止められなかった。