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病は気から落ちる  作者: やなせじゃこう
3/7

自転車泥棒許すまじ

 身長175センチ、体重65キロ。

 まあ、ほどほどの体格で成長してきたけれど、大学に入って大きく変わり始めました。うん、まあ、大きくね。

 きっかけは体育の授業がなくなったこと。大学にも一般教養枠で体育実技はあったのだけれど、1年で単位を取ってしまえば体育会系サークルにでも入らなければ運動の機会はあまりありません。真夜中に近所のゲームセンターに遊びに出かけた帰りに公園の遊具でアスレチックを堪能するくらい。それも風営法の改正で、深夜のゲームセンターの営業が禁止されてからは出歩くこともなくなりました。

 とどめは自転車泥棒。

 それまでは毎日学校まで往復30分ほどかけて自転車通学していたけれど、鍵を掛けていたのにあっさり盗難。普通自動車免許は取得していたこともあってバイク通学に切り替えると、本当に身体を動かす機会が減りました。

 で、じわりじわりと体重が増えるのですね。同じように食べていても、食べた分だけ増えていくのですけれど、今さら食習慣は変えられないし……。


 それでも、社会人になって微増でなんとかなっていたのだけれど、年と共にだんだん加増し始めます。おいおい。

 とどめは猛暑の夏。

 ぐったり帰宅して、食事をする元気もなく、ポテチつまみながらドクペをがぶ飲みする毎日。ドクペはお薬だから身体にいいんだよ?

 結果、体重は90オーバーいうところまで到達しちゃいます。やったね、大記録だ。この際、3ケタ突入の記録を狙っちゃおうか?


 狙っちゃおうか……じゃありません。

 その大記録チャレンジの成果は想定外の形で現れました。目にかすみがかかるようになったのです。目の前に曇りガラスでも置かれたかのように、30センチも離れると人の顔が分かりません。ぼおっとして、人がいるのはわかるけれど目鼻までは判別できないのです。

 車を走らせていても濃霧の中を走るかのよう。

 とろとろ運転で帰宅して、そのままバタリと倒れ伏し、まる一日経って少し回復してきたような気がしたので病院へ。


 いわゆる糖尿病網膜症でした。

 眼球の毛細血管が詰まる、糖尿病の合併症です。1週間後に入院が決まりました。

 入院準備をしながら、今さらながらの食事コントロールです。iPADに栄養管理ソフトをぶち込んで、口にしたものすべてを記録し、摂取カロリー量をコントロールしながら迎えた入院の日。早速に血液検査した結果は、ほぼ正常値。目もほぼ正常。やればできるじゃん。

 とはいえ、どっちが一時的な常態かは一目瞭然なので、1週間の入院で経過観察しながら食生活や何やら糖尿病への勉強がおこなわれる教育入院。


 そこで心電図に微細な異常。ときどきちっちゃなノイズが走るのです。CTスキャンやらMRIやら追加検査がさらにどっさり詰まって1週間。


 結果はっぴょぉぉぉっ!


 とりあえず、心臓が動いてません。

 心臓が動いていないって、どーよ! なによ? あなたがなにをいっているのか、わたしわかりません。わたしニンゲンです。ゾンビではありませーん。

「動いていないというか遊んでます」

 そういって見せられたのはスキャンの動画データ。心臓がシルエットでどっくんどっくん動いてますが、確かに左心房の下半分の動きが悪いです。他がドクンドクンと動いているのに、第三象限だけド………ク ン……ド………ク ン……とかいうとろくさい動きです。

「ときどき胸が苦しくなったことありません?」

 うーん。あまりきゅんきゅんしたことはないなあ。

 胸がきゅーーーんとなってパッタリ止まったらおしまいなんだそうです。

 入院生活のおかわりです。


 糖尿から心臓に専門が替わり、病棟も移動です。今度の部屋も4人部屋ですが、同室の残り3人は話し好きのおじいさんたち。暇を見つけては車座になっては雑談してます。ガンの治療法がどうのとか、残り人生をいかに生きるとか、前向きだけれどやたら重い空気です。なんか自分まで余命カウントダウンしたくなりそう。

 それはともかく、最後は心臓カテーテル手術です。極細の検査器を血管にくぐらせて、直に様子を見に行くのです。

 家族同伴で説明を受け、万が一の事故で死んでも仕方がないと承諾した上での施術です。


 手術日当日。まだ元気だけれど、病室からオペ室まで看護師さんに押されて車椅子で移動です。

 がらがらがらー。どいた、どいたー。

 廊下進んでエレベーター乗って降りて……曲がりくねった通路の先に重々しい灰色の鉄の扉が待っています。そんな古い建物じゃないんですけれど、雰囲気が重苦しいですね。「この門をくぐる者は一切の希望を捨てよ」とでも書いてありそうです。子猫の絵でも描いてあればいいのに。あの赤いリボンのネコとコラボしよーぜ。

 手術台に横たえられ、点滴打たれ、麻酔投与され……でも、全身麻酔じゃないので意識はありますし、痛覚はないけど触覚は残ってます。微妙な気分。

 そしていよいよ担当医の入場です。

「おーれはやーるよー がんばーるよー♪」

 意欲満々です。

 これほど自信に満ちたオペがあったでしょうか!?


 心臓は身体の左側ですが、ルート選定の都合上、カテーテルは右足の太もも内側から挿入します。血管を通すというから針みたいなものかと思ってましたが、五寸釘くらいありそうですね。あ、視界から消えました。

「いくよ」

 ぶっすん。

 ずりずりずり……。

 悲鳴を上げるほど痛くはないけれど、太い注射を打たれたくらいの衝撃はあります。そして、身体の中を何かがぞろぞろと這い進んでいるような気がします。気がするだけです。たぶん。


 2時間も3時間もかかるような大手術ではありませんが、終わってみればぐったり。本人は寝てただけなんだけどねえ。

 もちろん、カテーテルの挿入口は傷になってふさがりきっていません。注射みたいに絆創膏で留めておしまいとはいきません。しばらく足の痛みにうんざりしながら、点滴台を引きずりながらの療養生活です。


 血管は詰まっていなかったので、とりあえず退院。自宅近くのかかりつけの病院で経過観察しながら療養してくださいね。でも、激しい運動はダメです。具体的にいうとキャッチボールくらいならいいけど、打席に立って打って走ってクロスプレイとか論外……というあたり。つまり、市民体育祭にリレー選手でエントリーなんかしちゃダメよと。

 うん。まあ、もともと激しい運動はしない生活だったからなあ。特に支障はないなあ……ということで、さらに運動不足がちな生活になってしまうのだけれど、それは後の話。


 そして、退院日。

 荷物をまとめて病室を退去し、最後にナースステーションに顔出ししてご挨拶。

「お世話になりました……」

「久しぶり! 元気でねーっ!」

 いきなり元気な声。

 あれ、どこかで聴いたような声。見たような顔。なんか懐かしい人が白衣着て、手を振ってるけど、誰だっけ?

「あ、きみ、看護師なってたの……?」

「名前見てすぐに分かったけど、知り合いだと気まずいだろうと思って担当外してもらって隠れてたんだよ。へっへっへ」

「……お気づかい、ありがとうございます」

 中学校の時の同級生。そばかすがあって明るくて世話好きで、クラスの係とかよく一緒にやったよなあ。しっかりものだったから、看護師さんって天職だよ……と、思わず逃避。

「うん、元気そうでなにより。健康には気をつけないといけないよー?」

「だね」

 顔はにこやかに、言葉は朗らかに、でも脚はそそくさと退散。

 同級生の女の子に、あれやこれやシモの世話までされたらハズカシヌよ。

 本当にお気づかい感謝します……。


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