表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
この作品には 〔ガールズラブ要素〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

シャッターチャンスは目の前に

作者: ピッチョン

【登場人物】

長郷(ながさと)未果(みか):高校一年生。カメラで写真を撮るのが好き。

尾瀬(おぜ)和花菜(わかな):高校一年生。物静かで真面目。一人でいるのが好き。



 デジタルカメラで写真を撮っていると、友達からは『スマホでいいじゃん』とよく笑われる。

 まぁこのご時世スマホが便利なのは分かる。高画質で動画も撮れてかさばらないし、編集だってアプリを使えばその場ですぐ出来る。わざわざデジカメを持ち歩く意味がないと言われれば、確かにそういう見方もあるんだろう。

 でも私はカメラで撮影をするという行為が好きだ。目に付いた景色にレンズを向け、ファインダーを覗いてピントを合わせ、指に力を込めてシャッターを切る。この一連の動作をするとき、世界から余計なものが消え、波ひとつ立っていない澄んだ湖のような静謐な気持ちになれる。

 カメラの知識があるわけじゃないし、撮影技術があるわけでもない。ただ思うがままにシャッターを切っているだけではあるけど、私にはそれで十分だ。



(桜だいぶ咲いてきたなぁ)

 放課後、昇降口に向かっていた私は中庭で咲いている桜に気付いた。八分咲きくらいだろうか。四月も近くなり少しずつ暖かくなってきたからか植えられた桜の木々だけでなく花壇の至る所で鮮やかな色彩が見られる。

(よし、写真撮りにいこ)

 幸いにも中庭に人影はない。そろそろ春休みが始まってしまうし、こういうのは撮れると思ったときに撮るのが一番いい。

 靴箱で靴を履き替えてデジカメを取り出しながら軽い足取りで中庭へと進む。

 桜の木は中庭を囲むように四本生えている。さっそく遠くから何枚か写真を撮りながら植え込みに縁取られたコンクリートの道を歩いて近づいていく。

(下からのアングルとかいい感じ)

 見上げた空を背景に桜を撮り、ひとりで満足して頷いた。日本の春と言えば桜を思い浮かべる人が多いのも納得だ。冬の寂しい景色を越えたからこそ、木々を彩る圧倒的なピンク色に心を動かされるのだろう。

(桜が咲くぐらいの時期からだいぶあったかくなるから昔の人は季節の目安にしてたのかもね。そりゃお花見して騒ぎたくなるわけだ。冬(きた)りなば春遠からじってね――おっと)

 写真を撮るのに夢中になっていた私だったが、ちょうど奥の桜の木の前にあるベンチに女子生徒が座っているのに気が付いた。植え込みで体が隠れていたせいで近くに来るまで分からなかった。立ち止まって相手の様子を窺うが、その女子生徒は本を読んでいるようで私の方には見向きもしない。

(スカーフの色が一緒。同じ一年生か。あんまり見たことない人だけど……――)

 カメラを構えたのは意図してのものじゃなかった。ごく自然に、景色に吸い込まれるかのように私はファインダーを覗いた。

 姿勢正しく手元の本に視線を落とした女の子。背中を流れる黒髪は艶があり、切り揃えられた前髪がそよ風にさらさらと揺れている。下を向いた長いまつ毛は張りがあって、(まばた)きする動作すらもどこか気品を感じられる。すっと通った鼻梁も弾力のありそうな小さな唇も、その位置にあるのが正しいと示すかのように均整が取れている。

 似合いすぎていた。桜の木と、本を読む彼女と、時折舞い落ちる桜の花弁の一片(ひとひら)が。

 何回その場でシャッターを切っていただろうか。ファインダーの中の彼女が私の方を向いた。その目には明らかな嫌悪が宿っている。

「了承を得ずに撮影をするのはマナーがなってないんじゃない?」

「あ、ごめん……」

 カメラを降ろし女の子に近づいていく。

「一年生だよね? 何組なの?」

 私の問いに彼女は呆れたように溜息をついてみせる。

「無礼の次は馴れ馴れしい……とりあえず、今撮ったの全部消して」

「えー、せっかく綺麗に撮れたのに。ほら」

 ベンチに座り、隣からデジカメのディスプレイを見せた。彼女はそれを一瞥だけして私を睨んだ。

「知らない人に盗撮をされて喜ぶ人がいる? いいから早く消して」

「うぅ……分かった、消すよ……」

 泣く泣く画像を消去する。勝手に撮影をした私が悪いというのはその通りだ。消去していく操作を目の前で見ながら彼女が言う。

「あなた、いつもこうやって誰かを盗撮してるの?」

「してないよ。普段は風景ばっかり」

 人を撮るとしても家族とか友達くらいだ。もしくはお祭りとかのイベントでの人混みか。

「こういうのはもう止めた方がいいと思うけど。肖像権くらい知ってるでしょ?」

「そりゃまぁ。でも、すごく綺麗だったから」

「桜なんて他でも撮れるじゃない。大きな公園にでも行った方が綺麗に咲いてるし」

「違う違う。桜も綺麗だけど私が目を引かれたのは」

 人差し指をすっと上げると、彼女は狐につままれたようにきょとんとしてから一気に顔を赤くして下を向いた。

「な、何言ってるの!」

 その反応を見て『あ、これは押せばいけるのでは?』と思った。私は彼女の顔を覗き込みにっこりと笑う。

「桜を背景に本を読む姿がすごくマッチしてて、どこかのお嬢様かと思うくらい綺麗な子だったから衝動的に写真を撮っちゃったんだ」

「お嬢様なんかじゃ……わ、私はただ塾までの時間こうやって勉強してただけで……」

 彼女の手元の本をよく見ると英単語帳だった。だからといって彼女の魅力がなくなるわけじゃない。

「空いた時間も勉強に励むなんてすごいね。そういう真面目さとか真摯さがあったから、余計に綺麗に見えたのかもね」

「――――」

 よし、これでトドメだ。

「綺麗な景色を写真に残したくなる気持ちわかるよね? それとおんなじでさ、私にもあなたのこと撮らせて欲しいんだ。きっといい想い出になるよ」

 デジカメを見せつつ笑い掛けた。綺麗と言われて照れるような純真な子なら、褒め殺して写真を撮らせてくれるところまで持っていく。

 しかし予想は外れた。

「――写真なんか撮って欲しくない!」

 私を振り払うようにして彼女は走り去ってしまった。

 まさかそんなに嫌がられるとは思ってなかった。ベンチにぽつんと座ったまま小さくなっていく背中にカメラを向ける。だけどシャッターは切らなかった。こんな写真を撮っても仕方がない。

「うん」

 決めた。私は私が撮りたいと思ったものを撮る。もとより私が写真を撮り始めたきっかけなんてそれだけだったじゃないか。



 翌日の放課後、私は一年四組の教室を訪れていた。すでに大半の生徒は帰宅か部活で教室にはおらず、女子が数名おしゃべりをしているくらいだ。

 窓際の席でひとり黙々と勉強をしている彼女の席に向かった。前の席の椅子を引いて横向きに座る。

「四組だったんだね。休み時間中に結構探したよー」

 笑う私に昨日会ったときと同じく鋭い視線が返ってくる。

「勉強の邪魔しにきたの?」

「邪魔なんてとんでもない。写真を撮りにきたんだ」

「撮って欲しくないって言わなかった?」

 拒絶されるのまでは予想通り。だから私も考えてきた。

「聞いたよ。でもそれって要するによく知りもしない他人に撮られるのがイヤだってことだよね?」

「……まぁ、それもあるけど」

「じゃあ友達になろ? 仲良くなれば写真を撮っても問題なし」

「……ヤダ」

「私は一組の長郷(ながさと)未果(みか)。よろしくね」

「勝手に自己紹介始めないでくれる?」

 睨まれても気にせずに机の上の教科書を裏返して氏名の欄を見る。

「えっと、尾瀬(おぜ)和花菜(わかな)さん? 和花菜ちゃんって呼んでいい? それとも呼び捨て?」

「はぁ……ほんとにあなたって礼儀知らずでずうずうしいのね」

「そうかな? 友達になるんだしこういうフランクな感じでいいと思うよ?」

「まだ友達じゃない」

「分かった。じゃあ尾瀬さん。知り合いからでいいのでよろしくお願いします」

「……今度はやけに物分かりがいい」

「だって今は友達じゃないってだけで、これから友情を深めていけば友達にもなれるし写真だって撮らせてくれるようになるから」

「前言撤回。やっぱり全然物分かりよくない」

 何と言われようが構わない。私は尾瀬さんの写真を撮りたいんだ。そのためなら多少強引な手を使ってもいい。

「それでさっそく写真を撮らせて欲しいんだけど」

「お断りします。帰って」

「お金払うから」

 尾瀬さんが『は?』みたいな顔して私を見返す。

「あなた今さっき友情を深めるとか言ってなかった? なのにいきなりお金で解決しようとするの?」

「友達になる努力は勿論続けるけど、それはそれとして他の方法で写真撮らせてくれるならアリかなと」

「その時点で誠実さの欠片もない」

「で、いくらなら写真OK? あ、今月ちょっと服買いたいから三千円までね」

 尾瀬さんが溜息を吐いてノートに視線を落とした。

「じゃあ三千円プラス肩もみ券もつけちゃう!」

「馬鹿にしてる?」

「私の肩もみ、結構評判いいんだよ?」

「そういうことじゃない」

「よし、足裏マッサージ券もつけよう」

「誰がいるか!」

 大きな声を出して尾瀬さんがハッとなって視線を巡らせた。おそらく教室にいた他の生徒を気にしたんだろう。

「……邪魔するならほんとに帰って」

 潜めた声には苛立ちが滲んでいた。これ以上怒らせるのは得策じゃない。

「ごめん。もう邪魔しないから」

 椅子に座り直して口を閉じた。尾瀬さんはまだ何か言いたそうだったが面倒に思ったのか勉強を再開した。

 問題集を解いていく尾瀬さんをじっと見つめる。うん、真剣な表情も良い。私はそぉっとカメラを構え――尾瀬さんの目線に咎められた。

「あはは、冗談冗談」

 尾瀬さんは言葉を発することなく問題集に戻っていった。

 やばい。これ以上は本当に嫌われてしまう。当初の作戦通り、少しずつ仲良くなっていくしかない。



 次の日から私は休み時間になったら尾瀬さんのところへ行くようになった。

 いつも尾瀬さんは自分の席で自習をしていて、私はそれを横で眺めながら軽い雑談をする。尾瀬さんの方から進んで話すようなことはないけど多少の相槌は打ってくれた。

 そうやって一日尾瀬さんのことを見ていてふと思った。

「もしかして尾瀬さんって友達いない?」

 現在は放課後。教室だと人がいてイヤだと言うので中庭の桜の木のそばのベンチに来ていた。歴史の暗記をしていた尾瀬さんがぴたと動きを止める。

「……友達がいないことが何か問題でも?」

「あ、ほんとにいないんだ」

「…………」

「いや別にそれが悪いってことじゃないよ! うん」

 ここぞとばかりに尾瀬さんの側に寄り、彼女の肩にそっと触れる。

「ちゃんとここに友達がいるもんね」

「……あっそ」

 口では素っ気ないけど私の手を振り払ったりしないところを見るとまんざらじゃないのかもしれない。

「じゃあ名実共に親友になったということで、さっそく写真をば――」

「調子に乗るな! あとなに勝手に親友になってるのよ!」

「あっ」

 尾瀬さんが私を押しのけた拍子に、持っていたカメラを滑り落としてしまった。このままではコンクリートに直でぶつかってしまう。

「ふん――」

 反射的に足を伸ばしてうまい具合に足の甲にバウンドをさせることが出来た。ガシャ、とカメラがコンクリートの地面に転がる。すぐにそれを拾い上げた。

「ご、ごめんなさい」

 怒られる前の子供のような表情で尾瀬さんが私とカメラを見ている。私は大丈夫と笑ってみせた。

「レンズもディスプレイも傷は入ってないみたいだし、操作も問題なし。気にしなくていいよ」

「で、でも、角とか傷はついてるんでしょ……?」

「このカメラ、中学のときにお父さんから貰ったお古だから今更ちょっと落として傷が出来たくらいへーきへーき」

「でも……」

「もー、そんなこの世の終わりみたいな顔しないでよー。だったら尾瀬さんの写真撮らせて? それでチャラ」

 半分くらい冗談だったんだけど、尾瀬さんは躊躇いがちに「いいよ」と頷いた。

 ふって湧いた撮影のチャンス。これを逃す手はない。

「じゃあさっそく……」

 ベンチから少し離れてカメラを尾瀬さんの方に向ける。ファインダーの中で尾瀬さんと目が合った。

「あ、別にこっち向いてなくていいよ。自然な感じで」

「う、うん」

 下を向いていても尾瀬さんの体がガチガチになってるのが分かる。

「えっと、緊張しなくていいからね」

「べ、別に緊張してないし」

 めっちゃしてますけど。……ダメだ。初めてここで会ったときに私が撮りたくなった尾瀬さんと違いすぎる。

「一回笑ってみる? 笑顔を作ったら緊張がほぐれるかも」

「こ、こう?」

 尾瀬さんが無理矢理口角を上げようとするが、眉間に皺が寄っていておかしな顔になってしまっている。これはこれで味があって面白いけどやっぱり違う。

「尾瀬さん……私のこと笑わせようとしてる?」

「そんなにひどい!?」

「まぁうん。今は撮るのやめとく。また今度撮りたいと思ったときに撮らせてくれればいいよ」

 せっかく得た撮影権、撮れるなら最高のものを撮らないと。

 カメラをしまってベンチに戻っても、尾瀬さんはまだ自分の頬を手で押し上げながら笑顔の練習をしていた。



 尾瀬さんの笑顔を撮りたい。

 笑顔というのは良い。笑顔を浮かべている本人も、その人を見ている周りの人も元気になれる。

 ましてやそれが普段あまり笑ったりしない人の笑顔だったなら、その破壊力たるや想像にかたくない。

「というわけで、今日は日頃の勉強のことは忘れて楽しもう!」

 三月も終わり間近。春休みに入ってから私は尾瀬さんを遊びに誘った。名目としては春休み中も塾で大変だろうから息抜きしに行こう、というもの。

「完全に勉強を忘れて思い出せなくならないようにね」

 文句は言いながらも尾瀬さんは来てくれた。うむ。順調に友達としての仲を深めていけてる気がする。

 まずは前々から気になってた服を買いにショップを回っていく。

「あ、これなんか尾瀬さんに似合うんじゃない?」

「私はいいよ」

「なんで、せっかくだし着てみなよ」

「買わないのに着るのはちょっと……」

「おこづかいは貰ってないの?」

「貰ってるけど、服はいつもお母さんが買ってくるから」

 ほぇー、と尾瀬さんの服をじろじろと見る。シンプルな白のブラウスに茶色のスカート。そこまでおかしな服装ではないけど、まさか全部母親が買ってきてるなんて。

「……バカにしてるでしょ」

「してないしてない。私もお母さんに服は買ってもらうし。でもねだってばっかりだと怒られるからほんとに欲しくなったら自分で買ってる」

「あんまり服を欲しいと思ったことない」

「まぁ尾瀬さんがそれでいいならいいんじゃないかな。倹約になるし。尾瀬さんにいい言葉を教えてあげる」

「なに?」

「お金ってね、使ったら減るんだよ?」

「……知ってる」

 どうやら尾瀬さんはあまりショッピングとかしないらしい。私なんて買わなくても色んな服を見るのが楽しいんだけど、そうじゃないみたいだ。

 私は予定を早めて次の場所へ向かった。


「尾瀬さん、ゲームセンターって来たことある?」

 楽しげで騒々しい電子音が店内のそこかしこから聞こえてくる。立ち並ぶクレーンゲームを前に尾瀬さんがきょろきょろと頭を動かしている。

「中に入ったのは初めて……」

「お、それはよかった。ゲーセンの楽しさを教えてあげよう、ふっふっふ」

 そしてあわよくば笑顔を撮影してやる。

 と、意気込んで尾瀬さんを案内したまでは良かったが、初めて来たということはゲーム自体初心者だというのを失念していた。

 レースゲームをやればアクセルは踏みっぱなし、銃で撃つシューティングゲームをやれば弾切れのまま画面を打ち続け、エアホッケーをやれば自滅で試合が終わる。これでは尾瀬さんが全然楽しめない。

「なんか無理にさせちゃってごめんね……」

「う、うぅん。十分楽しいよ」

 おまけに尾瀬さんに気を遣わせてしまう始末。次にどんなゲームをしようか悩んでいると、尾瀬さんがじっと何かを見ているのに気が付いた。視線の先にはクレーンゲーム。どうやらその中にある伸びた猫のぬいぐるみに興味を引かれているようだ。

「あのぬいぐるみ欲しい?」

「え、いや、そんなことないよ」

 手を振って否定しているけど、欲しがっているのはバレバレだ。

「よし、私が取ってあげる」

 百円玉を投入してボタンを押し、クレーンを動かす。横軸を合わせ、縦軸を合わせ、クレーンのアームが下がりぬいぐるみを掴み――落とした。

「あぁくっそー。もうちょい奥かぁ」

 再度トライ。また失敗。再々度トライ。またまた失敗。ムキになって更に挑んでみたもののやっぱりダメ。

「うー、アームの調整が絶妙だなこれ。ちゃんと首を持ち上げるようにしないと取れそうにないよ」

 財布の中を確かめる。服を買って減ったお金がどんどんと無くなってきている。取ってあげると言った手前ここでやめるのは格好悪い。

「私やってみる」

 尾瀬さんが進み出てきた。

「いいの?」

「うん。やっぱり人に取ってもらうのは悪いし、自分で取ってみたい」

 それは私のお金を心配してのことだったのかもしれないけど、素直にその申し出を受けることにした。

「わかった。じゃあ私が横から見て止めるタイミング教える」

「お願い」

 百円を入れて尾瀬さんがクレーンを動かしていく。

「ストップ――あぁちょっと遅い」

 一回目は失敗。二回目。

「ストップ! お、いい感じ――あぁ!」

 アームがぬいぐるみを持ち上げたかと思った所で外れてしまった。

「けど場所がズレて取りやすくなったかも」

「うん、次こそは」

 尾瀬さんが真剣な表情でボタンを押し、横軸を合わせた。そして縦軸。

「ストップ!」

 軽快な音楽と共にアームが下がり、ぬいぐるみの首を持ち上げた。落とすな落とすなと心の中で念じる。アームはぬいぐるみの下半身を引きずって移動し、ゴールの穴の上で開いた。

 ぽすん、と取り出し口のところにぬいぐるみが転がり落ち、賑やかな音楽が祝福してくれる。

「「やったぁ!!」」

 二人して喜び、私がぬいぐるみを取り出して尾瀬さんに手渡す。

「うまいじゃん尾瀬さん。ほんとはクレーンゲームやったことあるんじゃないの~?」

「正真正銘、生まれて初めてだから」

 猫のぬいぐるみを両手で持ちあげた尾瀬さんは本当に嬉しそうだ。柔らかく唇の端を上げ、細くした目で慈しむようにぬいぐるみを見つめている。自分で取った達成感と、欲しかったぬいぐるみが手元にきた喜びがひしひしと私にも伝わってくる。

 普段の彼女とは違う表情は、ぬいぐるみごと抱き締めたくなるくらい可愛かった。

(撮りたい)

 一度そう思ったら動きに迷いはない。上着のポケットに用意していたカメラをさっと取り出し、ファインダーを覗いてピントを合わせ、勢いよくシャッターを切った。

「――え? あ、あぁ!?」

 カメラに気付いた尾瀬さんが慌てだした。

「いやぁ、いい顔撮れたよ」

「な、長郷さん!」

「ほら、見て見て。めっちゃ可愛い~」

「け、消して! 勝手に撮らないでって――」

「これはこの前撮らなかった分だよ」

 カメラを落としたときのことを言われてはどうしようもないと思ったのか、尾瀬さんは不満を見せつつ黙り込んだ。

「そんなに嫌がらなくても。ほんとに可愛いのが撮れたんだって」

「……からかってるだけでしょ」

「からかってないよ」

「嘘」

「もー、ちょっとは私のことも信用してよ。私が写真を撮りたくなるってことはそれだけ魅力があるってことなの」

 語気を強めて言うと尾瀬さんがぬいぐるみを抱き締めて顔を伏せた。もごもごと口ごもりながら話し始める。

「だって私、写真うつり悪いから……」

「はい?」

「中学校のときクラスで撮った写真が真顔で怖いって言われて、みんなみたいに笑顔になろうって頑張ったんだけど、今度は変な顔って笑われて……」

「だから写真撮られたくなかったの?」

 こくん、と尾瀬さんが頷いた。

 私からすれば『まぁそういう子もいるんじゃない?』レベルのたいしたことないことなんだけど、尾瀬さんにとっては重大な問題だったんだろう。もしかしたらそれが原因で高校ではいつもひとりでいるのかもしれない。そう思うと居たたまれない気持ちになってくる。

「よし、写真を撮られる練習をしよう」

「え?」

「変に身構えるから写真にうつったとき変になるんだよ。だからレンズを向けられても動じないように、私がいっぱい写真を撮ってあげる」

「……それって長郷さんが私の写真を撮りたいだけじゃないの?」

「いやいやほんとに親切心ですヨ?」

 責めるような尾瀬さんの視線に降参して正直に告げる。

「はいそうですー、私が尾瀬さんの写真を撮りたいだけですー。でも撮られる練習っていうのもほんと。それでちょっとでも尾瀬さんが写真に対して苦手意識がなくなってくれたら嬉しい。まぁ別に緊張してても変な顔してても尾瀬さんは尾瀬さんなんだし、私は良いと思うけどね。尾瀬さん専属のフォトグラファーとしては色んな尾瀬さんを撮影したいし」

「いつから私の専属になったの?」

「今から」

 尾瀬さんは呆れていたが、その表情からは笑いを隠しきれていなかった。少なくとも本気で嫌がっているようには見えない。

 私はカメラを片手に聞いてみる。

「さっそく一枚どうですか?」

「…………」

 ぬいぐるみを顔に押し当てながら、尾瀬さんが上目使いで私を見返す。

「……撮ったのを私以外誰にも見せないって約束してくれたら」

「もちろん」

 笑顔と共に、カシャ、とシャッターを切り、そのまま彼女の手を引いて歩きだす。

「え、なに――?」

「プリクラ撮りに行こ。尾瀬さんが真ん中でポーズとってるのを私が前から撮るから」

「なんでそんな変なことを……」

「まずは緊張と恥ずかしさで固まる尾瀬さんを存分に撮ってやろうかなと」

「!!」

「ちょっと! ぬいぐるみで叩かないでよ!」

 憎まれ口を叩いたり、じゃれ合ったりできるくらいには私達は友達になれただろうか。

 撮りたいものを撮るという想いは変わらない。一番最初に私が撮った尾瀬さんと今の彼女の表情は全然違うけど、どっちも魅力的で思わずカメラを構えたくなる。

 これから彼女はどんな撮りたくなる顔を私に見せてくれるんだろう。想像するだけで胸が高鳴ってくる。

 そのシャッターチャンスを逃すまいと、私は彼女の真っ赤になった顔にカメラを向けた。





〈おまけ〉


キス顔


 ある日の休日、私は和花菜(わかな)の家に遊びにきていた。いや、私は遊ぶつもりだったんだけど、和花菜が宿題を終わらせたいと言うのでそれに付き合うことになった。なんとも真面目で素晴らしい。

 宿題に疲れて休憩がてら一息つき、いまだ正面で集中して勉強を続けている和花菜に声をかける。

「キス顔撮らせてくれない?」

「……ちょっと意味が分からない」

「キス顔。キスするときの顔。今日はそれを撮るために来たと言っても過言じゃないから」

「過言であって欲しいんだけど……なんで急に?」

「和花菜ってまだカメラを向けると恥ずかしがるときがあるからさ、一度本気で恥ずかしい思いをすれば治るんじゃないかなぁと」

「……本当は?」

「ドラマのキスシーン見てて撮りたくなったんだよねー。むしろ恥ずかしさを我慢しながらキスしようとするとこが撮りたい」

「…………」

 和花菜が沈黙したまま私をじっと見つめる。まぁそういう反応になるのは分かってた。ダメ元で言ってみただけだ。

「はいはい、イヤだよね……」

「いいよ」

「…………いいの!?」

 意外すぎる。こういう注文を和花菜が受けてくれるなんて。

 和花菜が小首を傾げて聞いてくる。

「でもキス顔ってどうするの?」

「こう唇をちょっと前に出す感じでいいんじゃない?」

未果(みか)はキスしたことあるの?」

「ないない! あるわけないじゃん!」

「私もない。どっちもしたことなかったら、それが正しいキス顔かどうか分からないよね?」

「え……」

 潤んだ和花菜の瞳がまっすぐ私の方を向いている。頬は朱に染まり、かすかに肩が震えているような気がする。

 部屋の中は時間が止まったかと思うほど静まり返り、けれど痛いくらいに脈動する私の心臓が否応無しに現実を教えてくれる。

「あ、えっと……さ、さすがにほんとにキスするわけにもいかないし……いかないよね?」

「その辺りは私専属のフォトグラファーさんの指示にお任せします」

「い、いや、私の指示だからって何でもきいちゃダメだよ! ちゃんと自分の意思で決めないと!」

「……ちゃんと自分の意思なんだけどな」

 和花菜の小さな呟きは、はっきりと私の耳に届いてしまった。もしかするとわざと聞こえるように言ったのかもしれない。その上で、私が何と答えるかを気にしている。

 …………。

 まぁ、答えなんてとっくに出ていたんだろう。桜の木の下で初めて出会い、目を奪われたあのときから。

「……その、キス顔は撮るとして、シチュエーションをきちんと練るからもうちょっとだけ待っててくれないかな?」

「うん!」

 幸せそうに笑顔を浮かべた彼女をレンズの中心に捉え、私はシャッターを切った。



     終



当初の構想では映画の個人撮影だったり、きわどい撮影したりと色々あったんですが、わりとシンプルなお話に纏まりました。

ベッドで一緒に寝て寝顔を撮影するというイベントが多分この話の数か月後くらいにあるんじゃないでしょうか。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ