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花咲き娘の祖母


私のお母様―――リリッサ・ローズについての記憶は曖昧だ。


唯一はっきりと覚えているのは、ベッドの上で何かを堪えるように泣く母と何も言わずに寄り添う父の姿。

あの人はいつも柔らかな微笑みを浮かべていた人だったからそんな人の涙を初めて見たという衝撃と共に言い表しようのない感情が胸を一杯にしたことをよく、覚えている。


母は他人に弱い部分を見せない人だった。

それは使用人や友人、そして実の子供である私でさえ例外ではなかった。

非の打ち所もなく、落ち込んだり怒ったりしているところを見たことがない。あの人は完璧だった。

―――いっそ、異常な程に。


だからなのかもしれない。

母が亡くなった今でも、私は幼い頃にたった一度見たその光景を鮮明に思い出すことができる。


自分の母の事なのに唯一はっきりと思い出せる記憶がこんなものとは親不孝にも程があると自分でも思う。

だが、それほどに私にとってその出来事は衝撃だった。


そして、それほどに私と母の繋がりは、薄かった。




いや。繋がりが薄かったという言葉では語弊があるかもしれない。


私が一方的に隔たりを感じていた、という方が正しいだろう。


何故ならあの人はいつも良い母親であろうといてくれたからだ。

産後、あまり体調が優れなかったというのに自らの手で私を育ててくれたと聞いた。

私が勝手に屋敷を抜け出した時も必死に探し回ってくれたそうだ。


そう。とても良い母親だった。


その、はずなのに。



私は成長すればするほど、あの人が私の母だという実感が薄くなっていった。

相変わらずあの人は人間としても母親としてもとても出来た人だったのに。


当時はそう思う理由がわからなくて現状と心の乖離に酷く悩まされたが、今ならあの時なぜそう思ったのか少しわかる気がする。


あの人は、母は確かに私に愛情を注いでくれた。

でもそれはどこか他人行儀で、例えるのならそう。

他所の家の子と接する時のような違和感というのか、距離感のようなものがあった。

どこか恐る恐る、あまり深いところまで踏み込まないようにしようと調整してるようなそういう感覚だ。


それはただの私の気の所為かもしれないし、そうでは無いかもしれない。

だが、確かに当時の私は母に大きな隔たりのようなものを感じていた。

そして、初めて母の涙を見たあの日。

その考えは確信に変わった。


声を殺して泣きながらも、しかし母は父に安心したように抱き締められていた。

まるで世界中でここだけが安心できる場所だ、とでも言うように。

今まで一度も見たことがなかった。


あんなにも感情を表に出す母を。

あんなにも安堵した母を。






あの日、なぜ母がああも辛そうに泣いていたのか理由は分からない。

それでも私は幼いながらに直感した。


母の居場所は父の傍、ただ一つなのだと。








他にも母について分からないところはいくつもある。



例えば出生だ。

母の出生はハッキリしていない。

ある日突然、父が母をこの屋敷に連れ帰ってきたそうだ。

だから使用人の間ではよく様々な憶測が飛び交っていた。

だが、その真偽の程は定かではない。



他にも母は父と一緒になる前は何をしていたのか。

どこに住んでいたのか。家族はいるのか。何がきっかけで父と出会ったのか。


誰も、何も知らないのだ。







そしてそれらの違和感は少しずつ私の心を蝕んだ。


これで母が所謂毒親と言われる人だったのならまだ責めようがあった。

でも、母はいつも私の母親でいようとしてくれていたから責めることなんて出来なかった。

毒親であれば良かったのに、なんて思うことも母のことを心から家族だと思えない自分も嫌で嫌で仕方がなかった。



気づけば私は人との関わりに対して酷く臆病な性格になっていた。




親しい友達も好きな人もいないまま成長し、十七歳の春。

今の旦那様と出会った。

政略結婚だった。


正直、母と父からは無理に結婚しなくても良いと言われてたし相手の方も取り敢えず顔合わせ程度の気持ちだったようだけれど、私は旦那様を見た瞬間に思った。

この人は同類だ、と。



だから結婚した。

この人といれば何かが変わると思って。


でも、何も変わらなかった。

旦那様とは必要以上の関わりはなかったし、私のこの性格も相変わらずだった。


そして、その二年後に家族だの愛だのが分からないままアリーサを妊娠した。


せめて生まれてくる子には愛を注ごう。

ちゃんとした母親になろう。


そう思って、私は自分なりにお腹の中にいる命を大切に想っていたつもりだった。


でも、私は生まれてきたアリーサをこの手に抱いた瞬間、その穢れない存在にどうしようもない恐怖を覚えた。



私には愛というものがよく分からない。


私には家族というものがよく分からない。


それなのに、私はこの子の母親になるのか。

なれるのか。



無理に決まっている、と心のどこかで囁く自分がいた。


私はきっと人間としてなにかが欠落している。

それなのに、この子の母親になろうなんて·····。





考えれば考えるほど、どんどんと沼に沈みこんでいくような不快感が私の胸を占めるようになった。



それなのに、どんどんと成長していくアリーサは私に満面の笑みを向ける。


その瞳が、あまりに曇りのないキラキラとしたものだったから私は怖くなった。


笑いかけられる度に完璧な母親に成れない自分の劣等感を刺激され、その眼差しを向けられる度にこんな出来損ないの元に生まれたこの子に罪悪感を持った。



そして、そのうち私はアリーサと関わるのが怖くなった。

自分がどうすれば良いのか、どうしたいのかも分からなくて、追い詰められた私が選んだのは全てを放棄するという選択だった。





◇◆◇




「な、に、それ」


話し終えたお母様は私の言葉に俯いた。


きっと物語に出てくる主人公なら今のお母様の告白に同情し、涙し、今までの事を許すのだろう。


「だから、あなたのことを許せって?自分がそういう境遇だったから仕方がないって?」



でも、私はそこまで出来た人間じゃ、ない。



「貴女がどんな過去を送り、どんな気持ちでお祖母様と接していたのか、どんな葛藤があったのかを聞いても私は貴女を許せない。私は、貴女にそんな綺麗な感情持てない」


子供っぽいと分かっている。

きっとここはお母様のことを受け入れるのが正しい対応なのだろう。

でも、ダメなのだ。

どうしても心の奥底で幼い頃のあの寂しさがチラつく。

許せないと、喚く。


「ええ、それが当たり前よ。どんな理由があろうと私があなた達にとった態度は許されるものでは無い。私は最もしてはいけない選択をしたわ」


私の言葉にお母様は否定ひとつせずに頷いた。


「ただ、国王様から母の昔の話や貴女の話を聞いて強く話をしなくては、と思った。·····自分でも驚いたわ。私は本来こんなに自ら動ける性格じゃないから」



お母様は続けて「どこまでも身勝手でごめんなさい」と謝った。


「許して、なんて言うつもりも資格も無いけど、ただ伝えたかった」



「·····私はお父様に道具としか見られなかった辛さも、貴女が私を避けるようになった時の寂しさも、貴女に嫌われたのかもしれないと思った時の絶望も、よく覚えてる」



お母様は私の言葉に何も言わない。



「ずっと、覚えてる」



目の前の景色が滲み始める。

だけどここで泣きたくない私はそれをぐっと堪える。


涙が零れないよう、雑に手で拭いながら席を立つ。




「·····話がそれだけなら私はこれで失礼します」




「アリーサ」




扉の前まで来たところで名前を呼ばれて振り返れば、お母様が眉を下げて言った。



「来てくれて、ありがとう」




「·····お元気で」





私は一切振り返ることなく扉を、閉めた。











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