花咲き娘の母親
食堂を出てからどれほどの時間が経ったか。
馬車がゆっくりとスピードを落とし、止まった。
「あ、着いたみたいですね」
ユーリイの言葉に私は静かに頷く。
「今回は正面からの訪問ではなく、裏から入ってくれと言われています」
馬車を降りる時にユーリイが私をエスコートしながらそう言った。
「どうして裏からなのかしら?」
「恐らく使用人達と鉢合わせると面倒だと考えたのだと思います。一応姉上は勘当されていますしなにか諸々の事情があるのかと」
「なるほど」
馬車から降りると、真っ先にローズ家の屋敷が視界に入った。
相変わらず大きくて、少し冷たく感じる。学園を訪れた時よりもずっと落ち着かない。
久しぶりに見るその光景に私の身体は硬直する。
大丈夫。大丈夫。私はもう独りじゃない。
一度大きく深呼吸をする。
隣で心配そうにこちらを見ているユーリイに目を向けると私は微笑んだ。
「行こっか」
「·····はい。くれぐれもご無理はなさらないで下さい」
「うん、ありがとう」
気合を入れるように姿勢を正した私は、久しぶりにローズ家へと足を踏み入れた。
◇◆◇
ユーリイの説明通り裏から屋敷に入った私達はなるべく人目を避けてお母様の部屋へと向かう。
正直、見つからないか不安だったがどうやら何かしらの手配をしているようで道中、不自然なほどに人と会うことは無かった。
その為、目的地であるお母様の部屋へは驚くほどスムーズに着いた。むしろスムーズすぎて私の心の準備がまだ出来ていない。
とはいえ、ここで心の準備が〜とか言って駄々をこねる訳にも行かないので私は小さく「よし」と呟き、覚悟を決めた。
僅かに震える手で二回、扉をノックする。
「どうぞ」
数秒後、女性の―――お母様の声が聞こえてきた。
私とユーリイは顔を見合わせる。
ユーリイが小さく頷いたのを見て私はドアノブに手をかけた。
ガチャリと音を立てて扉が開く。
「·····久しぶりね、アリーサ」
扉の中にいたのは、あの時と変わらない姿で座るお母様だった。
ただ一つ、明確に違ったのは
目が合った母はふわりと優しく微笑んだ。
その笑みはまだ困り顔に近いものだけれど、それでも確かに微笑んだ。
それはお祖母様の面影さえ感じるもので―――。
絶句する私にお母様は「どうぞ、座って」と椅子を進める。
私は固まる身体を必死に動かし椅子に腰かけた。
ユーリイも私の隣に座る。
「·····元気、そうね」
しばしの沈黙の後、静かにお母様が話を切り出した。
「はい。·····お母様も」
気の利いた返しも思い浮かばずに、そう返せば折角始まった会話はもう切れてしまった。
それからまた気まずい沈黙が落ちる。
何も言えずに、というかそもそも目の前に座る人の目的がわからない為何を話せば良いのか分からないでいると、「あの」と小さな声が聞こえた。
「ユーリイ、少し席を外してくださるかしら」
それはお母様の声だった。
ユーリイが驚きに目を瞠る。
それもそうだ。この人は普段、ここまで自分の意見を口にしない。
私もユーリイ同様密かに衝撃を受けているとお母様は「お願い」と繰り返し懇願した。
その言葉にユーリイは我に返ったのか、僅かに身体を揺らした。
そしてその視線を私に向ける。
見るからに心配そうなユーリイに私は微笑んで頷いた。
大丈夫だから。
そんな気持ちでユーリイを見れば彼は硬い顔をしながらも立ち上がった。
「扉の前にいますので話が終わったら呼んでください。あと、不審な物音等がしたら許可無しでも入室しますので悪しからず」
「ええ」
お母様が小さく頷いたのを見るとユーリイはもう一度私をちらりと見てから部屋を出た。
パタンと扉の閉まる音がしてまた静けさが戻る。
「·····あの、どうして私をここに呼んだんですか」
このままでは埒が明かない、と沈黙を破るとお母様は膝の上に重ねた自らの手をギュッと握りこんだ。
「どうしても、あなたと話したいことがあって」
「話したいこと?」
言葉を繰り返すと、お母様は頷き、目をぎゅっと瞑った。
それから一度大きく息を吸い込むと、再び目を開いた。
一連のその動作からこの人がどれ程緊張しているかがよく伝わってくる。
「·····先日、国王様直々にお手紙を頂いたの」
国王様から?
想像もしていなかった人物の名に驚く。
「そこには直接会って話したいことがあると書いてあった」
「城に、行ったんですか」
問いかければ、お母様は頷いた。
「そこで国王様に貴女には知る権利があると言われて私は母のこと、つまりあなたにとってのお祖母様のこと、そしてあなた自身の持つ力について聞いた」
聞こえてきた衝撃的な言葉に思わず言葉を失う。
今、この人はなんて·····?
国王様への文句とか、何故私に話もなしに教えたのかとかよりも真っ先に「バレてしまった」という感情が胸をいっぱいにする。
「·····大丈夫。まだ旦那様には言ってないわ。この屋敷であなたの能力を知っているのは私だけ。そして、私はあなたの能力を利用するつもりは無い」
警戒心を隠しもしない私にお母様はそう言った。
「·····そうね、何から話しましょうか」
少しの間、思案するように黙り込んだお母様だったけれど数秒後に顔を上げると私を見て僅かに目を細めた。
「一つ、昔話をしても良いかしら」




