花咲き娘の想い
「あ。おはようございます、姉上」
「·····おは、よう?」
いよいよ久しぶりのローズ家訪問の日となり、緊張しながらも準備を終え下に降りると何故かミャーシャさんとユーリイが談笑していた。
ポカンとその珍しい光景を見ているとミャーシャさんが私の姿を見て「おはよう」と笑った。
「おはようございます」
「体調は大丈夫かい?」
「はい。しっかりと眠れましたし、体調も大丈夫です」
私の言葉にミャーシャさんは「それなら良かった」と眉を下げる。
「気をつけて行くんだよ」
「はい、いってきます」
私が返事をするとミャーシャさんがユーリイの方へと向き直る。
「じゃあ後はよろしくね、頼んだから」
ミャーシャさんがユーリイにそう言ったのが聞こえた。
「はい」
その言葉にユーリイが頷く。
何の話かと首を傾げていると、ユーリイに「行きましょうか」と声をかけられた。
「え、ええ」
言われるがままに店を出る。
外に出ると冬から春に移りゆく時の独特の空気が私の肺を満たした。
やばい、なんか急に緊張してきたかも。
店のすぐ近くに止まっていた馬車に乗った瞬間、やっと現実味が湧いてきて心臓が急に大きな音を立て始める。
「あ、そういえばさっきのミャーシャさんが言ってた『後はよろしくね』ってなんの事なの?」
緊張を紛らわせようとユーリイに問いかける。
「ミャーシャさんに頼まれたんです。貴女の事を」
「私のこと?」
返答をそのまま繰り返すとユーリイは首肯した。
「はい。貴女が悲しむことのないよう、傷つくことのないよう支えてやってくれと。
·····とても姉上のことを大切に想っているのが伝わってきました」
ユーリイから聞いたミャーシャさんの言葉に私は何かが込み上げてきそうになるのを堪える。
知っていたつもりだった。いや、ちゃんと知っている。
ミャーシャさん達が私の事を大事に想ってくれていることを。
でも、私はその時改めてハッキリと『ああ、私は愛されているんだ』と感じた。
むず痒くて、でも堪らなく、嬉しい。
思わずニヤつく頬を抑えているとユーリイが私をえらく優しい眼差しで見ていることに気づいた。
「·····えっと、な、なに?」
「あ、いえ。なんでもありません。·····ただ、姉上が幸せそうでよかったと思っただけです」
その顔がその言葉通り、とても嬉しそうにしているから私はハッと我に返った。
そうだ。私は確かに今幸せだけど、ユーリイは·····?
「·····ユーリイは、私のことを恨んでいないの?」
そして、気づいた時にはそんな疑問が口から飛び出していた。
口が滑った、と咄嗟に口を抑えるものの出てしまったものは仕方がない。
気を引き締め直して彼からの答えを待つ。
が、彼の返答は意外なものだった。
「どうして、僕が姉上を恨む必要があるんですか?」
「·····え?」
あまりに自然に不思議そうに訪ねてるくるから、私の方がおかしいのかと錯覚しそうになる。
困惑する私にユーリイは視線を逸らさずに話し始める。
「以前も言いましたが、僕は姉上を家族だと今でも思っています。家族の幸せを祝うのは当たり前でしょう?」
「私は」
「もしも」
反論しようとした私をユーリイが遮った。
私の言葉をユーリイが遮ることなんて普段なら絶対にない。
私が驚いているとユーリイは「もしも」ともう一度繰り返した。
「貴女があの屋敷に僕を一人置いて自分だけ逃げだした、なんて思っているのだとしたら、それは思い違いですよ」
思っていたことをそのまま言われ、私は目を丸くする。
そんな私にユーリイは眉を下げて笑う。
「貴女はずっとあの家で頑張ってきた。それは途中で拾われてきた僕なんかよりもよっぽど辛かったはずです。それでも貴女は重責に耐え続けてきた」
その言葉に私はギュッと唇を噛み締める。
でも、いくら途中まで頑張ったとしても私は、あそこから逃げたのだ。
その事実は変わらない。
「·····それに、僕はあの家を出たいとは思ってませんよ」
「え?」
衝撃的な言葉に私は思わず俯いていた顔を上げる。
「·····うそ」
流石にそれは私に気を遣っているのだろうとユーリイも見るも、彼は「嘘じゃありません」と柔らかな声色で否定した。
「正直なところ、姉上が居なくなってすぐの頃は置いていかれたと思ってました。でも、姉上の部屋にあった手帳を見てその考えがいかにおかしなものなのか、気づいたんです」
「私の部屋にあった手帳って·····」
手帳と言う単語で思い浮かべるのはリリア軍団に断罪された直後にユーリイと話した時のことだ。
確かに私はあの時、彼に自分の部屋の引き出しが二重底になっていること、その中に手帳があることを伝えた。
が、それがどうしてそんな話に繋がるのか。
首を捻る私にユーリイは優しい眼差しを向けた。
「貴女の手帳には沢山の情報が書いてありました。誰と人脈を作るのが良いのか、どう振る舞うのが最善なのか。それぞれの家の内情まで、本当に詳しく書かれていました。·····そして、僕にはそれが貴女が一生懸命に足掻いた証そのものに見えました」
あの手帳が、私の足掻いた証·····。
「びっしりと隙間なく書き込まれたあの手帳を見て、ふと思ったんです。僕はまだなんの努力もしていないのに、何を嘆いていたんだろうって。
そしてこうも思いました。まだこの場所で僕にやれることは沢山あるんじゃないかって」
「·····でも」
「幸せに、なりたかったのでしょう?」
「え?」
ポツリと馬車の中に落ちたそれに間抜けな返答をすると、彼はもう一度私に問いかけた。
「姉上は、幸せになりたかったからあの家から逃げたのでしょう?」
言われて、私は少し考えてから恐る恐るではあるものの、頷いた。
「それのどこが悪いことなんですか?幸せになりたいと思う気持ちは罪なんかじゃありません。長い間考えて、努力した結果がそれなのならば誰にも貴女を責める権利なんてない」
それでもなお釈然としない顔の私にユーリイは微笑んだ。
「それでもまだ自分のことが許せないというのなら、これからも僕に会ってください」
「·····へ?」
思わず、今日何度目になるか分からない間抜けな声をあげてしまう。
「僕も足掻きますから。父上の道具に成り下がらないように、あの場所で自分なりの幸せを見つけられるように。
だから時々会って勇気づけてください。それが、僕が貴女に望むことです」
「駄目ですかね」といつもの無表情な義弟らしくなく悪戯っぽく笑いかけられた私は思わず手で顔を覆う。
「そんなの、むしろ私から、お願いしたいわよ·····」
込み上げるものを堪える私の耳に天使のような義弟の「良かったです」という声が聞こえてきた。
「あ、そう言えば」
それから暫く、取り留めのない話をしているとユーリイが突然何かを思い出したように声を上げた。
「どうしたの?」
「姉上、以前『もう少し女の子を見る目を養いなさい』って僕に言っていましたよね?」
「え、ええ。言ったわね」
「·····もしかして、ですけど。姉上、僕がリリアのことを好いていると思ってるなんて事ないですよね?」
「え」
違うの?!
ポカンと口を開ける私にユーリイが深いため息をついた。
「·····やっぱり。そんな気はしてました」
「だ、だってユーリイ、学園でリリア軍団の中にいたでしょ?」
見るからに分かりやすく沈むユーリイにそう問いかければ「リリア軍団·····?」と不思議そうに返されたので私は慌てて訂正する。
「えっと、ずっとリリアの近くにいたわよね?」
「それは、なんとか姉上を止めようとしていたら勝手に味方認定されたと言いますか」
「·····あー」
思わず姉弟揃って遠い目になる。
というか、私考えれば考えるほど本当にユーリイに申し訳ない事しかしてないな。
「·····それに、僕はちゃんと精神的に自立している女性がタイプなんです」
表情こそ無表情であるものの若干いじけた様な声色で抗議され私は「なるほど」と頷く。
「えっと、変な勘違いしててごめんね?」
「別に、誤解が解けたならいいです」
と言いながらもまだ若干いじけ気味のユーリイに私は、今度何か奢ろうと密かに誓った。
久しぶりの義弟との時間は馬車に揺られながら、あっという間に過ぎてゆく。




