7 花咲き令嬢と勘当
「それじゃあ、私は先に家に帰るわ」
ユーリイの頭から手を離して、私は彼に声をかける。
が、返事はない。
·····まあ、仕方ない。今までずっと我儘で傲慢だった姉が急に人格変わったかのような態度とってきたら気持ち悪いわよね。私だったら全力で引く。
最後にユーリイの顔だけ焼き付けておこう、と暫く彼の顔を見てから、もう一度彼に「さようなら」と言ってその場から離れようとすると、ユーリイに抱き締められる。
今までなかった距離の接触に今度は私が戸惑ってしまった。
「·····ユーリイ?」
「貴女、は·····、ずるい」
「え?」
子供のようにたどたどしく喋る義弟の言葉を私は一言も聞き逃すまいと耳を澄ます。
「いつも、いつも·····、貴女は一人で抱え込む·····」
「そんなこと」
ないよ。そう続けようとするのにユーリイが抱きしめる力を強くしたせいで、言えなかった。
「貴女に追いつけるように、頑張っても·····っ、貴女はいつもまた僕より遠くへ行ってしまう·····」
ぎゅううう、と力を強めるユーリイの背中を私はポンポンと軽く叩く。
ああ、貴方はいつの間にこんなに大きく成長していたんだね。
あの頃の泣きべそかいてたユーリイとは違うんだ。
私、貴方のことを何も知らなかった。
·····今は泣いちゃってるけどさ。
私の肩でボロボロと涙を流すユーリイに私はそんな状況じゃないとは思いながらも微笑んでしまう。
「ほら」
すると、ユーリイからむくれた声がした。
「僕が必死に訴えたって貴女はそうやって余裕なままだ·····」
その言葉に私は慌てて「いや、余裕ではないよ」と答える。
正直ものすごく焦ってるしテンパってるよ。初めてだらけのこの状況に。最初で最後の姉弟らしい時間に。
「ユーリイ、ごめん。私、もう行かなくちゃ」
時計をちらりとみて、既に三十分ほど経っていることを確認すると、私はユーリイに離してもらうようお願いをする。
彼はゆっくりと私を離してくれた。
今まで見れなかった顔を見ると、その綺麗な顔が少し赤く腫れていた。
私はそんな彼の目尻に残る涙を拭いながら、笑った。
「ユーリイ、負けないで」
不思議そうな顔で私を見るユーリイに私はなにも説明しない。
貴方はこの先知るだろう。うちの家が他から見たときにどれだけ歪か。
貴方の扱いがどれだけ酷いものだったのか。
私がどれだけ卑怯な人間か。
それでも、その事実に打ち勝って、貴方には貴方なりの幸せを見つけて欲しい。
だからユーリイ、負けないで。
身勝手だと思うけれど、それが私の願いだ。
最後にユーリイの頭をわしゃわしゃと撫でると、彼から二、三歩距離を置いた。そんな私を見てユーリイは一筋の涙を流した。
それを綺麗だなぁ、と思いながら私はユーリイに小さく手を振る。
「じゃあね」
これでユーリイと話すのも最後か、と一人感慨深くなっていると、後ろから「姉上!」と呼びかけられた。
「いなく、ならないですよね·····?」
その問いに私は何も答えられない。
「ごめんね」
だから私は逃げた。その問いになにも答えを返さないまま。
◇◆◇
「ただ今帰りました」
いつも通り、使用人に荷物を預けると使用人は目を見開いた。
「お嬢様?!お早いお帰りですね」
「ええ、ちょっとね。お父様はいらっしゃるかしら?」
「は、はい。書斎にいらっしゃると思います」
「そう。私はお父様に話があるから書斎に人を近づけないで頂戴」
「かしこまりました」
一度、深呼吸をして気持ちを落ち着かせる。
お父様と一対一で話すのは何年ぶりになるだろうか。
書斎の大きな扉の前で私は胸に手を当てた。
鼓動が早いのが嫌でもわかる。
私は震える手で扉をノックした。
「アリーサです。お父様、少々お時間よろしいでしょうか」
「入れ」
しばらくしてから、低く重々しい声が聞こえてきた。
私はもう一度だけ深呼吸をすると、書斎に入った。
「失礼致します」
部屋に入ってすぐに深いお辞儀をする。
五秒間たっぷりと頭を下げてから、私はゆっくりと顔を上げた。
もう何年も会話らしい会話はなかった。
だから、父の顔をここまでハッキリと見たのはとても久しぶりに感じた。
「何の用だ」
私に一瞥もくれずに父は本をペラペラと捲っている。相変わらず家族に微塵の興味もない。
「お父様にすぐにお話しておきたいことがあります」
「手短に話せ」
「はい。私は本日学園で、ある女子生徒を虐めた罪で断罪されました。その結果、生徒会長から自宅謹慎を言い渡されました。また、その時にアラン様から婚約破棄を言い渡され、それを承諾しました」
端的にあった事実だけを報告する。そうじゃないと、この人は聞いてくれない。
父は私の話に特になんの反応もしなかった。
驚きもしなければ、怒りもせず、無機質な目で私のことを見つめた。
「何故?」
「·····え」
「何故、承諾した?」
予想外に会話が続いたことに驚いて、言葉を失っているともう一度同じことを問われた。
「·····それが正当だと感じたからです。私は、確かにその女生徒を虐めました。そして、アラン様はそのような女とは生涯を添い遂げられないと仰いました。今断ってもいずれはアラン様の家から正式に破棄のお知らせが来ると思い、私の判断で了承しました」
喉が渇いて、上手く喋れない。
それでも私は少しでも思考を停めれば、もう動かなくなる気がして一生懸命話す。
「その結果どうなるか分かって行動したのだろうな?」
「はい。ローズ家に泥を塗るような行為をしてしまった以上、この家に居座る気はありません」
父から目を逸らさず、私はしっかりと宣言をする。
―――私は父の目が苦手だ。
こちらを観察するように見てくる、何を考えているのかわからないこの瞳が、どうしようもなく苦手。
今も何を考えているのかわからない。
父は数秒の沈黙の後、本に視線を戻した。
「荷物を纏めて家から出てゆけ。お前は今日限りでこの家との縁はなくなった」
ショックなど、受けないと思っていた。
受ける理由もないし、こうなると分かっていて行動した。
それなのに、胸はじくじくと痛みを訴える。
「·····はい。今まで、お世話になりました」
深々と頭を下げる。
父はそんな私に、もう何も言う事はなかった。
書斎から出ると私はその場にへたりこんでしまった。
「緊張、した·····」
全身から力が急激に抜けて、ドっと冷や汗が出てくる。
ああ、でもダメだ。ここで力尽きてる暇なんてない。
なんとか日が暮れるまでには泊まるところを探したい。
貯金はあるし、それを使えばそんなにいい宿じゃなければ何日か泊まれるはずだし。
と、その前に·····。
私は自分の部屋へ向かう前に母の部屋へと向かった。
「お母様、アリーサです。入ってもよろしいでしょうか」
「ええ、どうぞ」
中から細い声が返ってきた。父と違い、その声に威圧感はない。
「失礼致します」
ドアを開け、部屋に入ると母は編み物をしていた。
「どうしたのかしら?」
母はぎこちなく笑う。
いつだってこの人はそうだ。
父に私達子供が過剰に怒られている時も、モノ扱いをされた時も、あまつさえ自分に暴言を吐かれた時でさえも、この人はぎこちなく笑う。自分の実の子供にさえ距離を置くようにぎこちなく笑う。
思えば、私が小さい頃のお世話は全て乳母がやっていた。
だから私は正直この人のことがよくわからない。
血が繋がっているはずなのに、確かに同じ場所で暮らしているはずなのに、私は両親のことが全くわからない。
食の好みも趣味も、感性も。私のことをどう思っているのかすら、私はわからない。
「·····私はこの度、ローズ家より勘当を言い渡されましたので最後のご挨拶に参りました」
母は私の言葉に目を見開いた。
編み物の手は止まっている。
「それは、どういう·····?」
「言葉の通りでございます。私は学園で、この家に泥を塗ってしまうような行為を致しました。此度はその責任を取ってこの家を出てゆくことになりました。今までお世話になりました」
頭を下げて挨拶をする。
返事はない。
反応が返ってこない為、恐る恐る顔をあげれば顔を強ばらせた母がいた。
「お母様?」
私の呼び掛けに母は弾かれたように私を見た。
「そう、なの」
母は私を見て顔を青くさせながら口を開いたけれど、結局何も言わずに口を閉じる。
「なんですか?」
「·····いえ、なんでもないわ。どうか元気で」
少し気まずそうに目をそらす母を最後に見て私は背を向けた。もうじき日が暮れる。
長く考えている時間はなかった。