ある兄弟の話
王弟殿下視点です
「私たちが作る国はきっと良い国にしよう。誰もが幸せに暮らせるそんな国に」
「はい、きっと」
共に誓い合ったあの夜、交わした盃の味はよく覚えている。
◆◇◆
「今更後戻りなどできない!!それはおまえだってわかってることだろう?!」
昨夜、資料室で出会った勇敢な少女に決意を伝えたはいいものの今のところ話し合いは平行線を辿っている。
兄と話し合いの時間が取れたのはいいが、兄もやはり譲れないらしい。
先程から執務室では口論ばかりが飛び交い、まともに話し合いもできていない。
「ですが、兄上。兄上もしっかりとその目で見たはずです。戦争の代償を」
「だからこそ!聖女を使うのだ。聖女を使えば、どこの国にも引けはとらない」
その目に浮かぶのは焦燥だ。
早く、早くなにか手を打たなければ。アスラン国王に先手を取られる前に。
そんな思いがひしひしと伝わってくる。
「その戦争の代償には確かに聖女も含まれていたことを、お忘れですか」
だが、私にだって譲れないものがある。
兄上は私の言葉にピタリと動きを止めた。
「私たちは決して忘れてはならない。この国のせいで人生を奪われた人間がいるということを。人ひとりの人生を縛り付けておいて、挙句の果てに心までを壊してしまった。また、そんな過ちを繰り返すつもりですか」
兄上は押し黙る。
私だってわかっている。兄上が国を必死に護ろうとしていることも、国王という途方もない重責の中で懸命に足掻こうとしているということも。でも、だからこそ道を間違えそうになった時、道を踏み外してしまうその前に、引き止めるのが私の役目なのだ。
「三十五年前、この国は隣国と戦争をしました。結果、私たちの国は勝利しました。ですが、私たちの手には何が残りましたか。国民には何が残りましたか。·····何も、残ってなどいない。失ったものばかりだ」
「だが、こちらがやらねば私たちがやられてしまうのだぞ·····」
「·····確かにそうかもしれません。隣国だって複雑な思いはあるでしょう。でも、それを過去の惨劇を繰り返して良い理由にしてはならないのです」
「そんなもの、綺麗事だ。戦に負けてしまえばこの国は護れない」
「では、兄上。兄上はなにゆえこの国を護りたいのですか」
私の問いかけに兄は訝しげな表情をうかべる。
「·····まさか、お前忘れたのか?私たちは誓ったでは無いか。この国を父の時のような国ではなく、良い国にしようと」
私は兄がその誓いを忘れていなかったことに心から安堵しながら頷いた。
そう、その志さえ忘れていなければまだ大丈夫だ。
「いえ、はっきりと覚えていますよ。あの時の思いも覚悟も」
「ならば·····」
「そもそも良い国とはなんですか」
「·····は」
「兄上はこの国を良い国にするために護りたいとおっしゃる。それならば、良い国の定義とはなんなのでしょう」
ずっと、思っていた。
父が国王だった頃から、何が幸せなのか。
父は幸せそうだった。人々に暴君と恐れられ、家族から軽蔑されても楽しそうに酒を飲み、国を自由に動かしていた。
でも、それはあまりにも滑稽だった。
道化師のように、一人で虚しく笑っている。
そして、最後はその身勝手な政治によってその身を滅ぼし、暗殺された。
公にはされていないが、父を殺したのは敵国でも周りの国でもない。この国の人間だ。
まだ幼かった私には何もかもがよくわからなくて、ずっと考えていた。
幸せとは何なのか。良い国とは何なのか。
言葉を詰まらせる兄上に私は言葉を続ける。
「私は思うのです。良い国とはそこに生きとし生けるものすべてが、幸せであることだと」
綺麗事だと罵られても、馬鹿にされても構わない。
でも、その綺麗事が少しでも実現出来たのなら、それほどに素敵なことは無いと思うのだ。
「兄上は国を護りたいと言う。でも、戦争をすることが国を護ることなのですか?国土を護ったところで、それは国を護れていると言えるのですか?」
「·····なに?」
「国は国民がいて、初めて成立するものでしょう。だのに戦争は、その国民を危険に晒すことになる。それは、本当に正しい選択なのですか」
兄はしばらくの間、何も言わなかった。
永遠にも思える時が過ぎて、兄はやっと口を開いた。
「ならば、どうすれば良いのだ·····。私にはもう、何が正解で何が不正解なのか分からない。アスラン国王は、簡単には引いてくれないぞ」
それは、国王と呼ぶにはあまりに弱々しい声だった。
今、私の目の前にいるのは国王なんて大層な人じゃない。
ただの、優しい私の兄だ。
今くらいは、そう思っても良いだろうか。
「それなら考えましょう。幸い、私達には賢く強い味方が沢山いる」
「·····味方?」
「はい。アルトも聖女であるアリーサ嬢も戦争を止める為に協力してくれています。だから、私達も選びましょう。この国がより豊かになる選択肢を」
執務室に重苦しい沈黙が流れる。
そして
「·····お前には、敵わないなあ」
兄上が優しく、微笑んだ。
最近は眉間に皺がよった顔しか見ていなかった私は釣られて笑みをこぼす。
どうやらアリーサ嬢には良い報告が出来そうだ。
「お前はいつも兄である私なんかよりもよっぽどしっかりとしている」
「そんなこと、ありませんよ。私もアリーサ嬢に勇気づけてもらった口ですから」
「そうなのか」
兄上がくっくっと喉で笑う。
「アリーサ嬢は確かに強い。私なんかよりもよっぽど」
「ええ。全くもってその通りです。そんな彼女と騎士団最強と言われるアルトが味方なんです。大丈夫、私たちはもう二度とあんな悲惨な歴史は繰り返さない」
「ああ。まずは、手始めに何をするべきだろうか」
「·····まずは、アルトとジュリーナ姫の婚約を白紙にしてあげてください」
この前会った時、ジュリーナ姫の相手をして欲しいと頼まれていたアルトはかなり顔色が悪かった。相当ああいう女性が嫌なのだろう。
私の提案に兄上は苦笑した。
「ああ。それは最優先事項だな。アルトにも謝罪せねばならない。もちろん、アリーサ嬢にも。·····私はもう間違えないよ。誰かの自由を犠牲にして国を豊かにしようだなんて、戯言だった」
「·····一連の事件が片付いたら誠心誠意謝りましょう。そして、またやり直しましょう。私たち二人ならできる」
「ああ。そうだ、今夜は久しぶりに一杯やるか?」
「いいですね、新たな誓いの盃とでもいきましょうか」
「きっと美味い酒が飲める」
「ええ、きっと」
その晩、交わした言葉の全てを私はきっといつまでも覚えているだろう。
月夜に照らされる部屋で美酒を飲みながら、私はそう思った。




